第12話 ぼくは恵まれている

「おめでとうございます、アーリさん」


 アーリが正真正銘の冒険者となったのを真っ先に祝福してくれたのは、やはりネフェシュだった。アーリが頬を紅潮させて一つ星の刻印された冒険者の認識票を見つめているのを、彼女は我がことの様に嬉しそうに見ている。


「うん。ありがとう、ネフェシュ。ネフェシュに出会えたからルゾンに来るまでに貴重な体験が出来たし、こうして冒険者登録をするのも一人じゃなくって心強かった」


「お力になれたなら私も嬉しいです。そして今日からこれであなたは本物の冒険者です。これから起こる良い事も悪い事も、全て貴方の実力と運次第。大変に厳しい世界ですから、どうかお気をつけて」


 片手間とはいえ先輩冒険者として、ネフェシュは真摯な眼差しでアーリに助言をした。アーリにとって彼女と出会えたのは、アンシャナに命を救われた事に続く幸運だったろう。


「分かった。僕なりに覚悟してきたつもりだったけれど、もっと気を付けるよ」


「ふふ、はい、そうなさってください。ではアーリさんがこうして冒険者になったのですから、ちょっとしたお祝いをしましょう。ギルドの酒場でお食事するのも冒険者らしいでしょう?」


 ネフェシュが悪戯っぽく告げるのに、アーリも同意した。冒険を終えた冒険者達が仲間と一緒に食卓を囲んで美酒を飲み、大量の御馳走を食べる様子は、多くの物語やお伽噺で描かれてきたものだ。アーリにもそういった行為へ憧れがある。


「そうだね。それじゃああっちのテーブルに行こう。お屋敷で朝食を食べてから結構経ったし、ちょうどいい時間だしね」


 ユヴァも異論はないらしく、ネフェシュの左肩の上で沈黙している。ネフェシュのアーリを祝いたいという気持ちに水を差すほど、この魔術士も野暮ではないらしい。

 田舎から出てきた新米冒険者が少し先輩の冒険者に連れられて、空いているテーブルに腰かけるのを、その他の冒険者達はあるいは微笑ましく、あるいは懐かしそうに、あるいはニヤニヤと眺めている。


 大多数の新人冒険者の様に夢破れて田舎に帰るか、最悪、命を落とすか。アーリを対象に賭けをする者もいる始末。

 当のアーリは首から下げた認識票を大切そうに握り締め、周囲からの視線に気づいていない。それにいつまでも新人を見ているつもりも彼らにはなかった。


「基本的にこちらで提供される料理は味付けが濃く、量も多いです。それでいて料金は控えめに設定されていますが、新人冒険者が毎日毎日利用できるものでもありません」


 アーリの対面に腰かけたネフェシュは、テーブルの上に置かれたメニュー表をとり、それをアーリに示す。

 幸いネフェシュから受け取ったお金があるから、お腹いっぱいになるまで注文しても数日は食べていけるだろう。もっともこれに宿代も加わると考えれば、贅沢は出来やしないのだけれど。


「新人冒険者なんて、塩で味付けしただけのスープにパン一切れを食べられたら上出来なんて思っていたけれど、ここにあるメニューを好きに注文できるようになったら一人前かな」


「ええ、そういってよいでしょう。かく言う私もまだ二つ星の冒険者に過ぎません。ユヴァ博士がいらっしゃるので、他の二つ星の方よりもだいぶ余裕はありますけれどね」


「二つ星っていうとそこからようやく本当に冒険者って認められるんだったね」


「一般的にはそのように言われています。二つ星の冒険者になればゼゼルムさんのお屋敷を調査するような数日がかりのお仕事や、ちょっとした護衛のお仕事などより依頼人の方の利益や生活に関わる重要なものを受けられるようになります。

 冒険者のお仕事と言うのは星が増えるのに比例して、報酬と責任、そして生命の危機が高まるものです。ところで注文は決まりましたか?」


「うん。僕はもう決まったよ」


「ではお話の続きは食べながらといたしましょう。すみません、注文をお願いします」


 手慣れた様子で給仕の女性を呼び止めるネフェシュに、アーリは少しだけ憧れを抱いた。彼女にとって冒険者とは副業に過ぎないが、ああしてごく自然に注文を出来るくらいにこの酒場に通い、それだけ依頼をこなしてきたのだ。

 アーリがいっぱしの冒険者気取りではなく、本当の冒険者の振る舞いが出来るようになりたい、と密かにやる気を燃やしているとネフェシュは気付いていないが。


 二人が注文したのは茹でた根野菜と潰した芋に塩コショウで味付けをしたもの、それに焼いた腸詰肉と川魚の切り身の揚げ物を一皿に盛り、焼き立て熱々のパン、それにスライスした数種のチーズの盛り合わせとなかなか豪華なセットだ。

 山羊の乳をなみなみと注いだコップを手に取り、二人と一匹はアーリの夢の第一歩が叶ったことを祝う。


「そ、それではアーリさんの冒険者登録を祝しまして」


 誰かの御祝い事をするのが初めてのネフェシュは、いざコップを手に取るとそこであからさまに緊張した様子になり、言葉遣いもやたらと固いものになる。

 それがおかしくて、アーリは思わず吹き出しそうになったが、ぐっとこらえた。ネフェシュに拗ねられても困る。


「ネフェシュと博士との出会いを祝って」


 乾杯、と少年と少女の声が唱和して、二人はお酒の代わりに山羊の乳で喉を潤し、ひよっこ冒険者同士のささやかな贅沢を楽しみ始める。


「確かに濃い味付けだけど、うん、美味しいね。ルゾンの料理屋さんはどこもこんなに美味しいのかな?」


 たっぷりの肉汁と練り込まれた香草の香りの妙、パリッとした歯ごたえの腸詰肉とその脂っこさをさっぱりと消してくれる付け合わせの野菜の妙に、アーリの舌は喜びの一色だ。

 川魚の揚げ物も丁寧に骨が取り除かれ、バターを吸ったパン粉の衣の風味が良く、火の通し加減も絶妙で、サクサクとした触感に口の中でほろりと解れる魚の白身の変化が楽しいくらいだ。

 揚げ物にそれとなく絞りかけられた柑橘類の汁も実に爽やかで、彼らの手と口は次々と料理の皿と口の間を忙しく往復している。


「ん、私もあまり外食した経験があるわけではないのですが、こちらの食堂の料理を担当されている方はルゾンだけでなく各地の有名な料理店で修業を積まれていた方なのだそうです。それをギルド長がこちらの料理長として招かれたのだそうですよ。

 実際、こちらのお料理が美味しくて安いものですから、市街の食堂やお料理屋さんを利用される冒険者の方はあまり多くはありません。あ、でも屋台の買い食いをされる方はよく見かけますね」


 千切ったパンを頬張っていたネフェシュは急いでそれを飲み込み、少し恥ずかし気にアーリに答える。田舎育ちのアーリは気にしなかったが、ネフェシュはお行儀が悪くはなかったでしょうか、と気にしたのだ。


「こんなに美味しい料理を食べちゃうと、野営の時とかの食事に満足できなくなっちゃうかもしれないね。そういえばネフェシュは冒険者は本業じゃないっていうけれど三つ星あたりまでは、問題なく昇格できるんじゃないかな。

 仲間と一党を組まないとなると、なかなか昇格は難しいっていうけれど、アダマストラとかユヴァ博士を見ていると大丈夫そうに思えるよ」


「それは高望みのような気もしますが、そうですね。冒険者で三つ星ともなれば経験と実績を積んだ熟練者と認識されます。受けられる依頼も、二つ星とは格段に報酬と危険性の高くなるものです。三つ星からが本物の冒険者だと言われていますからね」


 ネフェシュが謙遜を交えつつ三つ星冒険者の世間における評価を口にすると、小皿にとり分けられた腸詰肉を齧っていたユヴァが更にこう付け加えた。


「その点を考え見れば五つ星のユーディン達の推薦を受けているお前は、ギルドから色々と目をかけられるだろうし、つまらんやっかみを受ける可能性もある。それにお前の名前を口にしてはいけない神についても、探りを入れてくる奴らが出てくるだろう。

 例え神が相手でも好奇心を優先する者や、不安視する人間はどこにでもいるものだ。お前もうっかりと神からの制約を破らんように気を付けろ」


 神との制約を破ればどうなるか。それは多くの物語で題材として取り扱われ、多少の脚色や誇張と共に知られている。アーリはなにかの拍子にアンシャナの名前を口にして、神罰を受ける自分を想像して息を飲んだ。

 実際には間違ってアンシャナの名前を口にしたとしても、初めての信徒に甘々なアンシャナは思念で二度目は気を付けるように、と注意するのが関の山である。


「はい、き、気を付けます」


「お前は搦め手に弱そうだ。さ、うむ」


 酒と女にも、とユヴァは続けようとしたのだが、この場にネフェシュの耳があるのを思い出し、咄嗟に口をつぐんだ。そんなユヴァをネフェシュは不思議そうに見たが、すぐに視線を外した。


「? そう言えばアーリさんの使われている装備ですが」


「これ? 父の遺したものを手直しして使っているんだけれど……」


「一つ星の冒険者の方としてはかなり恵まれた装備であるのは間違いありません。ですが差し出がましいのは百も承知ですが、一度、本職の方に見ていただいた方がよいのではないでしょうか。

 装備は命を預けるものです。無計画に使うのは論外ですが、使うべき時に惜しんではいけません」


 ネフェシュの言う通り装備は冒険者が命を預けるものだ。仲間とはまた別の相棒と呼んでもよい。

 アーリの使っている装備は父の遺したものをランゾンの職人達の手で、アーリの体に合わせて調整し手入れをしたものだが、職人達は武具の専門家ではなかったし、十五歳のアーリの成長は早く、これからも使い続けるのなら細かい調整が必要になる。

 それに今後も長く冒険者稼業を続けてゆくのなら、武器に限らず冒険に欠かせない道具や食料、情報、輸送に明るい人物と繋ぎを得ておいて困る事はない。


「後は宿だな。都市の中で野宿など以ての外だが、馬小屋で寝泊まりするのもやめておけ。あれは雨風は防げても体力の回復にはほとんど寄与せん。金のない新人が仕方なしにやるものだ。

 だが、お前はそうではない。先程ネフェシュが渡した金で余裕があり、ユーディンにマグリエという五つ星冒険者の推薦がある。

 それにゼゼルムの屋敷での実績と祝福持ちとあれば、お前が余程の失態を犯さなければギルドもお前をすぐに二つ星に昇格させるだろう。そうなれば地道に危険のない依頼をこなしていけば、貯蓄をしながら暮らして行けるようになる」


「ギルドの方でもお部屋を貸し出していますから、しばらくはそちらを利用するのも手ですね。ただ一つ星となると一カ月程度が限度でしょう。それ以上は自分で宿を見つけなければなりません」


「拠点探しか。いかにも冒険者らしいね。職人さんと宿探しはギルドの人に聞くのが一番確実だと思うんだけど」


「アミラさんなら力になってくださると思います。ギルドも有望な冒険者となれば手厚く支援してくれると思いますよ。それに新人の冒険者の方で、分からない事を素直に相談できる方は少ないとも聞きます。変に見栄を張らずに素直に聞けば、親身になってくださいます」


「小僧は、そういう成り上がりを夢見る連中にありがちな見栄とプライドとは縁がなさそうだからな。そこは美点と言って良かろう」


 褒められているのかな? とアーリはユヴァの言葉に疑問を抱きながら、最後の腸詰肉に歯を立てた。

 そのまま先輩冒険者であるネフェシュとユヴァから多くの助言をもらい、アーリは自分がなんて恵まれているのだろうとしみじみと実感した。

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