第5話 アンシャナ「う、浮気……なの?」

「ふううう……」


 肺の中の空気をすべて絞り出すように深く息を吐き、アーリは閉じていた目を開く。

 場所はスケルトンウォーリアに襲われた祠だ。これまでは名前も知らない古い神を奉る祠だと思っていたが、アンシャナを祀った祠なのだと今なら分かる。

 いつ、誰が、どうして暗黒の神を祀る祠を建立したのかは分からないが、アンシャナの知らないところでその存在を知り、一方的に信仰を捧げた者が過去にいたのか、それともアンシャナ自身が神の奇跡によって、自ら建立したのかもしれない。

 いずれにせよ、アーリはそのお陰で自分の声がアンシャナに届いたに違いないと確信しているから、建てたのが誰であれ感謝するだけだ。


「せい、はあ! ふっ!」


 目の前にあのスケルトンウォーリアを鮮明に思い描き、実体のない幻と斬り結ぶ。

 これまでは、父母の遺した手記に記載されていた魔物を漠然と思い描いて稽古をしてきたが、先日の死ぬ寸前まで追い込まれた経験がより具体的な仮想敵を作り出していた。

 アンシャナの声を聞いた時にはあっさりと倒せたスケルトンウォーリアだが、今のアーリの前には倒すごとに新しい敵が姿を見せて、それらを休まずに斬り伏せる稽古を行っている。


「はああ!」


 両手で振り上げた小剣がスケルトンウォーリアの掲げた丸盾ごと左腕を斬り落とし、返す刃が腰から入り、骸骨の上顎までを切り上げる。淀みなく流れるような動作は、アーリがアンシャナの眷属と化して向上した身体能力に、早くも慣れ始めた証拠だ。

 アーリの脳が描く仮想敵を二十も斬り伏せた頃、アーリは背後から忍び寄ってきた気配に気づいて、油断なく小剣を構えたまま背後を振り返る。

 アーリの振り返った先に居たのは、ルーディンとマグリエだった。兜を背中に倒し、素顔を晒しているルーディンは、呼吸一つ乱していないアーリの様子に感心した表情だ。


「よう、アーリ。結構長い時間動き回っていたみたいだが、疲れた様子はないな。初めて声を聞いたばかりの神様から与えられたにしちゃ、随分と豪勢だ。名前不明の神様によっぽど気に入られたみたいだな」


「あまり、よく知る前に神様に気に入られると後で怖いから、注意してね?」


「はい、ありがとうございます!」


 アーリは小剣を鞘に納めて、恩人とも憧れの相手ともいえる二人に少年らしい純朴な笑みを向ける。


「お二人はその支度からすると、そろそろ村を出られるんですか?」


 ルーディンとマグリエの足元には、簡素にまとめられた鞄が置かれている。中身は移動中の食料や医薬品、ロープや楔、金槌に釘、蝋燭等々、冒険中の様々な場面で役に立つ道具だ。


「ああ。ブラベルの奴が進めていた儀式の後始末は済んだし、依頼主に報告に戻る頃合いでな。最後にお前さんに挨拶をしに来たわけだ」


「そんな、僕なんかに」


 しきりに謙遜するアーリを、マグリエは微笑ましく思いながら窘める。何とも初々しい純朴な少年だ。都会の喧騒と汚れ仕事にも慣れてしまった身としては、いささかまぶしく感じられる。


「ふふ、そう寂しい事を言わないで。ね?」


「はい。あの僕にとってルーディンさんとマグリエさんは恩人です。それに僕の憧れた冒険者そのもので、本当に出会えて良かったと思っています!」


「よせよせ、そんなに褒めても大したものは出てこないぜ。それにブラベルとの戦いじゃあ、アーリに助けられているからな。あんまり俺達を持ち上げないで、自分に自信を持ちな。まあ、自信過剰な新人が痛い目を見るのがこの業界だからほどほどにな」


「アーリ君はランゾンを出たら、南のルゾンへ向かうのかしら? 近場で大きな都市と言ったらあそこよね」


 ルゾンはランゾンと数少ない交流のある都市だ。ランゾンから外の世界へ出ようと考えるならば、まずはルゾンへ向かいそこに留まるかさらに別の場所へ向かうかを選ぶことになる。

 マグリエの指摘通り、アーリはまずルゾンへ向かって冒険者として自分がどこまで通用するかを試そうと、そこまでは考えていた。


「はい。ランゾンから向かうならまずはあそこですから。そこで自分がどこまでやれるのか、試してみようと思います。それに僕より早くルゾンへ向かった子も居るから、ひょっとしたら顔を合わせられるかもしれませんし」


「そう、幼馴染なのかしらね。声が優しくなっているわ」


「本当の姉弟みたいに育ったんです。僕より二つ上だから、今年で十七歳ですね。今も元気にやっていると信じています」


「そう。その幼馴染さんに会えるといいわね。少しお節介を焼くと、今の冒険者制度は出来たばかりの新しい制度よ。昔の冒険者は自分達で依頼を得るか、個人の仲介者――いわゆる万事屋よろずやを介して仕事を得ていたわ。

 どれだけ顔の広い万事屋と知り合えるか、逆に万事屋はどれだけ腕が良くて信頼できる冒険者と知り合えるかが、大事だったのね。

 それからより効率よく、安全、確実に依頼を果たす為に有力な万事屋さん達が手を組んで、新しい冒険者制度を作り上げたの。

 昔よりも公平で、なによりどれだけ信用できるかが求められているわ。実力はあるけれど素行が悪い人達には、本当に大事な依頼なんて舞い込んでこなくなっているの」


 それは父母の手記には記されていなかった情報だ。アーリは一言も聞き逃すまいと耳を澄まし、まっすぐとマグリエの美貌を見る。普段なら照れ臭くて視線を合わせられないが、今ばかりは自分の夢に関わる情報と相手の真摯さから、視線を逸らす真似などしない。


「今のアーリ君のままなら、依頼に対して不誠実な対応はしないと思うけれど、どんなに小さな仕事でも、大したことがないと思っても疎かにしては駄目よ? お金を出してまで冒険者に依頼を出すだけの理由が、相手にあるのを忘れてはいけないわ」


「はい!」


「ふふふ、いい返事。私からのお節介はこれでおしまい。初心忘れるべからずということね」


 マグリエの話が終わるのを待って、これまで黙って耳を傾けていたルーディンもまた、彼なりの助言をアーリに語り始める。


「俺達もこの稼業を初めてそこそこ経っているからな。つい先輩風を吹かしちまう。悪いな、アーリ。俺から言う事はあまりないが、金は惜しむな。どれだけ時間と金を掛けてもいいから、準備はしっかりとしろ。

 それと依頼者が情報を隠していたとか、嘘を言っていたとか、最悪、こっちを嵌めようとして罠を張っていたとか、そんな事も有り得る稼業だ。

 依頼の裏を確かめる事もその内に憶えな。自分に向いていないなと思ったら、そういうのが得意な奴と顔見知りになるか、仲間を作れ。自分が出来そうにないなら、出来る奴を頼るのは恥じゃない」


「はい」


「ま、俺達もさんざん失敗した上でどうにかここまでやってきた口だ。とにかく命を大事に、そんで五体無事なら冒険者としてやっていけるさ。それじゃあな。稽古の邪魔をして悪かったな」


「いいえ! お二人と話せて、僕は本当に嬉しかったです。会えてよかったって、心から思っています。お二人の武運を祈っています」


「ん、ありがとうよ。マグリエ、行こうか」


「ええ、じゃあね、アーリ君。私も貴方の活躍を祈るわ。焦らず気長にね?」


 そうして二人が背を向けて去ってゆくのを、アーリは見えなくなるまで見送り続けた。いつかあの背中に追いつき、そして追い越したいと強い決意が彼の胸の中に宿った瞬間だった。



 アーリがランゾンを出立したのは、ルーディンとマグリエが去ってからさらに三日後のことだった。

 無人になる家と畑の管理を村の皆に頼み、出立する前日の晩には村の皆で集まり、賑やかな宴を行ってアーリの前途を祝ってくれた。

 物心つく頃には父母を失ったアーリを、村の皆が家族となり、父親と母親の代わりをして育ててくれたのだ。


 村の誰か、ではなく誰に対しても育ててくれた恩があり、共に育った兄弟姉妹としての情がある。

 手の空いているたくさんの“家族”達に見送られて、アーリは後ろ髪を引かれながら生まれ故郷を後にした。


 父母の手記、使い込まれた冒険に必須の道具や保存食、これまでに貯めたお金をまとめた小鞄は腰のベルトに括りつけた。

 手に馴染んだ小剣も左腰に下がっていて、父譲りの使い込まれた金属製の胸当て、指先から肘までを覆う金属の籠手、左手にも金属製の丸盾を括りつけてある。

 兜も同じく金属製で、これから冒険者になろうという初心者にしては恵まれた装備だ。たとえそれが使い古されたお下がりだとしても。


 ランゾンからルゾンまでは唯一通されている道を歩いて二日ほど。利用者は月に数える程しかないが、一応の野営地が道沿いに設けられており、アーリは今そこで一夜を明かすべく野営の準備を進めていた。

 夕暮れ前から作業を進めている間、アーリは兜の紐を緩めていたが、兜や額当てといった防具を着ける者とそうでない者について、教えてくれた時の事を思い出しながら呟いた。


「顔を売りたいときは兜を外しておけって、ルーディンさんが言っていたっけ」


 野営場の近くには小川が流れ、屋根付きの簡単な竈がいくつか設営されていた。せめて寝心地が悪くないようにと地面は良く均されていて、椅子替わりになる大きさの岩が焚き火跡を囲うように配置されている。

 日が暮れる前に野営場に貯蓄されている薪と辺りから拾った枝を集めて、火を起こす準備を進める。荷物は降ろしたが小剣と丸盾はそのままで、水筒や回復薬を入れた鞄だけは腰に括りつけてある。万が一の襲撃を受けても、最低限の応戦ないしは逃走が出来る状態だ。


 明日にはルゾンに着く。そうしたらまずは冒険者組合の事務所に顔を出して、冒険者としての登録を行うところから始めなければ。

 実績も後ろ盾もない新人に、物語に出てくるような華やかな活躍の機会はまずない。命懸けの魔物退治と言った事もある以上、あり得るのは幸運ではなく不運に見舞われて、最悪の場合、命を失うという機会の方が多いだろう。


「今度ランゾンに帰る時には、皆に自慢できるようになっていないとな」


 小脇に抱えられるくらいの量の枝を集めて、アーリはそろそろ夕食の用意をしようと野営場に戻ろうと踵を返した。そのアーリの耳に、夕暮れの風に乗って争う音が届いたのは、まさにその時だった。

 アンシャナの恩恵を受けていなければ、聞き逃していただろう遠方からの音だ。アーリは抱えていた枝を落とし、腰の小剣に手を伸ばす。


「方角は、向こう。ルゾンの方?」


 アーリの耳には、重々しい物体の衝突する耳障りな音と激しく入り乱れる足音が混ざり合って届いている。まだまだ未熟なアーリには確信が持てないが、おそらく一人が複数の魔物か何かに襲われているようだ。

 刻一刻と夕闇が迫る中、アーリの足は動き出していた。ぐんぐんと加速し、肩で風を切ってゆく。

 苦しい状況に置かれた時、お互いに助け合って生きてゆかねばならない辺境の暮らしが、アーリに困っている人間が居れば可能範囲で手を伸ばすのが当たり前だ、という考えを育んでいた。


(間に合え!)


 緑の絨毯と木々の伸びる平原を駆けて、ほどなくしてアーリは目的の相手を見つけた。間に合ったのも、この誰かの危機に気付けたのも、全てはアンシャナのお陰だ。後は今の自分の力が、助けとなるのに足りているのを祈るばかり。

 風となって走るアーリの優れた視力は、暗がりの中でアーリよりも頭一つ大きな動く鎧達と、それに囲まれて戦う小柄な全身鎧の戦士の姿を映した。


(ゴーレム? それともリビングメイルか? 死霊の感じじゃない。ゴーレムだ!)


 どちらもアーリが実際に見た経験のある相手ではない。ゴーレムは魔術士が様々な材料から作り出して使役する生命無き傀儡を指し、大抵は人型か巨人の姿をしている。

 一方、リビングメイルとは魔力で操られるか、死霊が取りついて一人でに動き回る全身鎧や甲冑の魔物を指す。


 襲う側も襲われる側も鎧姿とあってややこしいが、襲う側の鎧達が深い青色に染まり、バケツ型の兜、そして武器が大剣で統一されているのに対し、襲われている側は、見慣れない意匠の奇妙な紫の鎧姿だ。

 胴体を守る装甲は通常の大きさであるのに、四肢を覆う部位に関しては着用者に対して一回りも二回りも大きく、人間ではなく四肢に関してだけ巨人用の鎧を無理やり着ているような印象を受ける。


 角ばった兜は常識の範疇に収まる大きさだが、面頬が降ろされていて顔は見えない。アーリよりもいくらか背は小さいだろう。

 そしてアーリの印象に強く残ったのは、襲い来るゴーレムに対して、歪に巨大な手足を振り回し、素手というのもおかしいが武器を持たずに戦っている点だ。


(一、二、三、四、五、全部で六体! 状況はまだ分からないことが多いけれど、まずやることは一つ! 奇襲で一体は確実に倒さないと。神様、アンシャナ様、どうか僕に力を!)


 ゴーレムと鎧の戦士達が鼓膜を震わせるような音を立てて戦う中、アーリは次に踏み出す一歩に神経を注いだ。狙いはちょうどこちらへ背を向けている手近のゴーレム。


「『黒ノ一閃』!」


 それまでの速度を圧倒的に凌駕する速さを得て、アーリの体が漆黒の旋風、いや漆黒の雷と変わる。

 見る見るうちにゴーレムとの距離が縮まり、常軌を逸した速度で迫るアーリに気付く間もなく、ゴーレムの鋼の首は暗黒を纏うアーリの小剣によって、苦も無く断たれた。

 アーリがゴーレムの首を狙ったのは、作り変えられた視覚と感覚が、そこにゴーレムの原動力となる核があるのを感じ取っていた為だ。

 ゴーレムへの対処法はどこかに刻まれた文字を削るか、あるいは命令式を刻み込まれた動力源兼用の核を破壊するか、そして最も難度が高いのがゴーレムに掛けられた魔術を解除する、という三つだ。

 アーリに取り得る手段は一つ目と二つ目、今はその二つ目を実行してのけたのである。


「援護します!」


 ゴーレムの首が宙を舞っている間に、アーリはこちらを茫然と見ているらしい鎧の戦士に叫んだ。ゴーレムは残り五体。新たな参入者であるアーリに向けて、ゴーレム達は新たな包囲網を形成している。


「あ、ありがとうございます!」


(この声、女の子だったのか!?)


 面頬の奥から聞こえてきたのは、想像もしていなかった可愛らしい声だった。アーリとそう年も離れていないだろう。それであんな本人よりもよほど重たそうな鎧で戦っていたのだから、余程の体力自慢かあるいは魔法の武具であるのは間違いない。


(とにかく、お互い連携が出来るわけもない。こういう時は……)


 父母の手記にあった記述や引退した冒険者の出版した本から学んだ知識を総ざらいし、アーリは素早く行動に反映させる。これまでゴーレムを相手に持ちこたえていたことから、鎧の女の子は相当な実力者だろう。それにゴーレムとの戦い方も心得ているはずだ。


(邪魔にならないよう立ち回りながら、彼女の死角を補うようにするんだ。大丈夫、今の僕なら出来る!)


 自分に出来ると言い聞かせるアーリの心は、不思議なほどに落ち着いていた。スケルトンウォーリアに一度殺されかけたからなのか、自分を殺しうる敵を前にしても心に荒波が立つことはない。


(それに体に力が満ちているのが分かる。都合がいい考えかもしれないけれど、こういう時には暗黒神でも頼りになる!)


 蛇蝎の如く忌み嫌われる暗黒の神とはいえ、大いなる存在に力を与えられているという実感は、アーリの心を大きく力づけていた。普段は暗黒神であることを嘆いているのに、こういう時には頼る自分を、アーリは情けないと恥じた。

 だが、ゴーレム達からすればそんなアーリの心情は知った事ではない。アーリから見て左右から、ゴーレム達が両手で握る大剣を振りかざしながら突っ込んでくる。一歩ごとに地面に足跡が残るほどの重量だが、その動きは俊敏で滑らかなものだ。


「はあ!」


 右からくるゴーレムの方が三歩分近い、と判断したアーリは、自らゴーレムの間合いへと飛び込み、振り下ろされる大剣を握るゴーレムの両手首へと小剣を振るった。

 このゴーレムの性能は決して悪いものではない。戦闘に用いられるゴーレムの水準を上回るほどだが、それでもなお勝る速度をアーリは与えられている。


 分厚い鋼鉄の手首を刎ねるという尋常ではない一撃を自分が振るえる事に、アーリはもう驚かなかった。

 ただ、贅沢だと分かってはいるが、自分の積み重ねてきた鍛錬は無意味だったと感じてしまう程、神に与えられた力は強大で、その事実を虚しく感じてしまうのも事実だった。


 遅れたゴーレムの攻撃を、両手首を落としたゴーレムを盾替わりにして阻むよう移動する。ゴーレムゆえに痛みも恐怖もなく、両手首のないゴーレムはそのまま両腕を振り下ろして、アーリの頭部を砕かんと試みた。

 中身の詰まった金属の柱で思いきり叩かれるようなものだ。兜で守られていてもアーリの頭蓋を砕くには十分な威力だが、それもするりと躱されれば意味はない。

 左に二歩動いてゴーレムの振り下ろしを躱したアーリは、その動きと連動して高い位置にあるゴーレムの首を刎ね上げていた。


(首の真ん中の辺りに感触の違うモノが入っている。多分、これがゴーレムの核だ!)


 首を刎ねられたゴーレムがそのまま前のめりに倒れ込み、その直後、アーリの顔面に残るゴーレムの突き出した大剣の切っ先が迫る。

 背筋に死の恐怖が悪寒と共に走るのを感じながら、アーリは右足を軸にぐるりと体を回転させて、ゴーレムの胴を右から左へと薙ぎ払う。鉄の塊に小剣の刃は易々と食い込み、そのままさしたる抵抗もなくすり抜けた。


(斬鉄か。一部の達人なら出来るっていうけど、本当なら僕には出来ないよな)


 ゴトン、と重い音を立てて地面に落ちた二体目のゴーレムの胴体の断面を見ながら、アーリは少しだけ感傷を覚え、それをすぐに振り払う。ゴーレムはまだ三体も残っているのだ。ここで立ち尽くしていい理由など欠片もない。

 すぐに次のゴーレムをと思った矢先、首から上を粉砕されたゴーレムがアーリの傍らをかすめて吹っ飛んでいった。


「え?」


「あ、す、すみません! 危うく貴方に当ててしまうところでした!」


 思わず振り返ってみれば、全身鎧の女の子が足元に同じように首から上の核を的確に粉砕したゴーレムの残骸を散らばせたまま、アーリに向けてぺこぺこと頭を下げている。

 先程吹き飛んできたゴーレムと合わせて三体ともが、彼女の巨大な鎧の手によって殴り壊されたようだった。


「す、すごいね。これなら、僕が手を出す必要もなかったな」


「いえ! 貴方のお陰でゴーレムを分断できました。お陰でとても戦いやすかったです。はい!」


 思いがけぬ少女(?)の戦闘能力にアーリが心持ちしり込みをしている一方で、少女の側はなんだかいやに下手だ。とりあえずこれ以上新たなゴーレムや別の魔物が姿を見せる様子はない為、アーリは害意がない事を証明しようと小剣を鞘に納めて少女へと歩み寄る。


「僕はアーリと言います。ランゾンからルゾンに向かう途中の野営地で準備をしていたところに、争う音が聞こえてきたので、大急ぎでやってきました」


 初対面の相手にはまず自己紹介を、と躾けられて育ったアーリは素直に自分の素性を伝える。残念ながらまだ冒険者ではないので、冒険者だとは名乗れなかった。

 アーリの言葉を受けて、少女は慌てた様子で鎧の腕部からほっそりとした腕を出した。少女は首から指先に至るまで、黒い革素材の全身服を着ているようだ。そうして少女の指先が兜の面頬を持ち上げて、素顔を露にした。

 菫色の瞳と頬に張り付いた数本の橙色の髪の鮮やかさと、そして生まれる前からそう決められていたような美しい少女の素顔に、アーリは束の間息を忘れた。おそらく年齢はアーリと一つか二つ上かどうか。


「あの、初めまして。私はネフェシュといいます。ルゾンを中心に冒険者として活動しています。改めて加勢いただきありがとうございました!」


 ネフェシュと名乗った少女は戦闘の余韻で頬を紅潮させたまま、アーリに向けて直角に近い角度で腰を折って頭を下げた。


「あ、いや、僕の加勢なんて本当に大したことなかったし、そんなに頭を下げなくていいから! ほら、頭を上げて、ね?」


「それでは失礼して。すみません。いつも一人で戦っているので、誰かの加勢を得られて正直戸惑ってしまいました。いえ、迷惑だというわけではなく初めての体験に、自分でも何を感じているのか整理がついていないだけですので、お気になさらず」


 少し変わった子だなとアーリは思ったが、それも悪印象というわけではない。ゴーレム達を圧倒した戦闘能力がネフェシュ由来なのか、不思議な鎧が由来なのか、どちらにせよ普通の冒険者や傭兵の類ではないだろう。


「それでネフェシュはどうしてこのゴーレム達と戦っていたの? 退治を依頼されたの?」


「それは……」


「あ、依頼の内容を聞くのは良くなかったか。ごめん」


 ネフェシュが言いよどむのを見て、アーリがマナー違反を犯したのに気付いて謝罪をしようとしたら、さっと足元を小さな影がよぎるそのままするするとネフェシュの左肩に登ってゆく。 

 ネフェシュの肩の上からアーリを見つめているのは、猫のような顔と体に狐のように大きな耳、ふわふわと広がる大きな尻尾を持った黒い小動物だった。右目は赤く、左目は金色のオッドアイだ。

 ネフェシュに驚いた様子がないから、彼女の飼っているペットか使い魔の類だろうと、アーリはそう思ったのだが……


「その子はネフェシュの……」


「お節介焼きめ。お陰でネフェシュの対ゴーレム戦の習熟が中途半端に終わってしまった。予定より早く片付けられた点は評価するが、歓迎しかねる予想外の事態が起きてしまった」


「しゃ、喋った!?」


 猫のような不思議な生き物は、アーリやネフェシュの親くらいの年齢になる男性の声で話しかけてきたではないか。知性を感じさせる響きだが、声にはこのアーリによる介入への失望と落胆が隠しようもなく滲んでいる。


「博士、私の窮状に駆け付けてくださった方です。もう少し言葉を考えていただければ……」


「博士!?」


「あ、そうですね、ご存じない方は驚かれるのも無理はありません。こちらはユヴァ博士です。私のこの魔術駆動甲冑を作られたのも、博士です」


 おそらくこの不思議な小動物を介して、ユヴァ博士はネフェシュの状況を逐次把握しているのだろう。魔術師や視界や意思を共有する小動物や使い魔を使役するのは、珍しい話ではない。

 ネフェシュの着用している奇妙な鎧を作り出したのも、おそらくはこのユヴァ博士に違いない。魔術に疎いアーリにはどれほど凄いのかは分からないが、ただ凄いという事だけは分かる。マグリエが居たら、本職から見た評価を教えてくれただろう。


「そ、そうなんだ。すごい人なんだね。いや、人じゃないけど」


 それがアーリに言える精一杯の言葉だった。


「なんともありきたりな言葉だな」


 ユヴァ博士はアーリからの評価が、あまりお気に召さなかったようだ。


<続>

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