第6話 今夜のお宿は?

「ふ、ふふふ、な、なかなか可愛い女の子じゃないか。アーリにはちょっともったいないくらいじゃないかな? ふふふ」


 震える声でそう口にしたのは玉座に腰かけた女神アンシャナである。

 これまでは直接目に映す形でアーリの状況を見ていたが、今は目の前に大鏡が浮いているように、アーリを中心とした光景を映し出して鑑賞していたのだが、兜を脱いで露となったネフェシュの素顔を見たアンシャナは、その美少女ぶりに自分でもよく分からない動揺に襲われていた。

 自分が祝福を与えたアーリに負けず劣らずの戦いぶりを見せていた間は大したものだと感心していたのに、中身を確認した途端にこれである。


「ふふん、ま、まあ? 誰と出会うこともない私と違って、冒険者になりたいアーリには誰かとの縁は大切なものだし? 別にこれくらいのことで怒ったりしないし? いや、そもそも、私が怒る理由になる筈もないけどね!」


 アンシャナが、唯一この乾いた大地と無限の闇の外に繋いだ縁がアーリだ。

 孤独に飽き、寂寥に倦んでいたアンシャナにとって、アーリの喜怒哀楽は自身のソレに等しく感じられる程に入れ込んでいる。溺愛か耽溺と言い換えても良いかもしれない。

 そのアーリに同じ年頃の可憐なる美少女が近づいてきたとあれば、これはもう心穏やかではいられない。アンシャナ自身、自分の心の乱れようをまるで理解してはいなかったが、それでも自身は神であるという自負が彼女に軽率な行動を取らせなかった。


「おほん、どうやらネフェシュという子はアーリに対して言葉通りに感謝しているようだし、ここはしばらく様子を見守ってあげようじゃないか。小動物の方はあまりアーリに良い印象は抱いていないようだけれど、直接危害を加えるまでは見逃してあげよう」


 普段から独り言を口にするのがアンシャナの悲しい癖ではあったが、今はそうして自分に言い聞かせて不要な干渉を行わないように自身に言い聞かせているのが正しかったろう。

 アンシャナは玉座のひじ掛けを目いっぱい力を込めて握り締めながら、目の前に浮かび上がらせた光景を食い入るように見つめるのだった。



 アンシャナの乱れた心など知らぬアーリは、目の前の不思議な鎧を纏った少女と奇妙な魔法生物の自称博士に改めて事情を尋ねた。


「それでてっきりネフェシュがゴーレムに襲われていると思って手を出したのだけれど、その……ユヴァ博士? の口ぶりだと訓練の一環だったの? もしそうなら邪魔をしてしまったことになるけれど」


 アーリが申し訳ない気持ちと共に口にした質問に、ネフェシュがつらつらと自分達の事情をこう述べた。


「訓練ではありましたが、決してお邪魔だったわけではありません。ルゾンの冒険者組合から発注を受けた正規の依頼ですから。

 この近くに昔魔術師の済んでいた屋敷があって、今の権利は別の方に移っているのですが、屋敷周辺を残されたゴーレム達が徘徊していて、それの排除を依頼されたのです。そのついでに私の訓練を行ったというわけなのです」


「そうだったんだね。でもネフェシュだけでこれだけのゴーレムを駆除する依頼を受けるなんて、ネフェシュはすごく強いんだね」


「いえ! 訓練は受けていますが、博士の作ってくださったこの甲冑“アダマストラ”がなければ、私は手も足も出ませんでした。すべては博士の英知と才覚のお陰です」


 曇りのない眼で告げるネフェシュの言う通りであるのなら、小動物の姿をしているユヴァ博士は本当に大した魔術士なのだろう。

 にわかには信じがたいが、ネフェシュが嘘を言っているとは思えず、アーリはしげしげとユヴァを見る。ユヴァはアーリの視線などまるで気に留めていない。


「お前に着せているアダマストラは改良点の多い試作品だ。これから改善を重ねていかなければならん。それよりもゴーレムを回収するぞ。ネフェシュ」


「はい。アーリさん、少々お待ちください」


「僕も手伝ってもいいかな? ゴーレムのコアを回収したことはないけれど、貴重な経験だから邪魔じゃなかったら、ぜひ手伝わせてほしいんだ」


「博士、どうしましょう?」


「自分から働きたいというのだ。一から教えてやらねばならん手間はあっても、怠惰であるよりもよほどマシだ。手伝わせてやれ」


「はい。ではアーリさん、ゴーレムの残骸からコアを抉り出すのですが、短剣など適した道具はお持ちですか?」


「うん。予備の短剣があるからそれを使うよ」


 そのまま放置して帰るわけにもゆかず、アーリはネフェシュに倣って破壊したゴーレムのコアを回収する。コアは細長い水晶状の物体で、アーリの人差し指程の長さだった。

 アーリに破壊されたコアは真っ二つに、ネフェシュに破壊されたコアは砕けるか割れている。アーリはそれらをネフェシュに教えられながら、拙い動作で一つ一つ抉り出す。


 アンシャナの祝福で強化された肉体も器用さまでは補ってくれないのか、なんとも危なっかしい手つきにネフェシュと遠い場所から見ているアンシャナは終始ハラハラとしっぱなしであった。

 唯一、ユヴァだけがアーリの手で真っ二つにされたコアの鮮やかな断面を見て、意味深げに沈黙していた。


 ようやくゴーレムのコアの回収が終わった時には、当たりはすっかりと夜が深まり、夕陽は綺麗さっぱり消えていた。

 アーリとしては貴重な体験が出来たので収穫だったが、自分が手伝いを申し出たせいでかえって邪魔になったかと申し訳なさが募る。


「手伝うつもりだったのに、これじゃかえって邪魔をしてしまったみたいでごめん」


「いえ、いつもはユヴァ博士と二人だけで作業をしているので、とても新鮮な体験でした。こちらこそありがとうございました!」


 謝るアーリに対して華やぐ笑みを向けるネフェシュを見て、アンシャナがうぎぎ、と自分でもよく分からない声を出していると、この場に居る誰も知らずに済んだのはきっと誰にとっても幸いだったろう。

 身に着けている装備に目を瞑れば少年少女の初々しいやり取りなのだが、ユヴァはそういった情緒とは無縁らしく、淡々と作業の続行をネフェシュに命じた。


「夜が深まってきた。死霊の類が姿を見せる前に作業を終わらせねばならん。ネフェシュ、コアの入れ替えを早く行え」


 ネフェシュが腰の左右にある膨らんだ部分に触れると、小さく音を立てて開く。そこは収納部分となっていたようで、中から指先程の菱形の物体を複数取り出して、ゴーレムの残骸に一つずつ埋め込んでゆく。


「それって、ひょっとして新しいゴーレムのコア?」


「はい。コアで動く形式のゴーレムは、コアを取り換えればこちらの指示に従うようになりますから」


 やがてネフェシュがゴーレムの残骸にコアを埋め終えると、彼女ではなくユヴァが小さな右の前足で地面を叩くと、そこに小さな光の魔法陣が描かれる。それに反応してゴーレムの中のコアが一斉に起動した。

 新しいコアを埋め込まれた首を中心にゴーレムの残骸が一人でに集まりはじめ、見る見るうちに元の姿を取り戻してゆく。ネフェシュに粉砕された部位までは元に戻らないが、それでも全てのゴーレムがぎこちなく立ち上がる姿に、アーリは驚きを隠しきれない。


「よし。こいつらは工房へ向かわせる。ネフェシュ、ご苦労だった」


「はい。博士もお疲れさまでした。アーリさんも、助太刀とお手伝いありがとうございました」


「こちらこそ貴重な体験をさせて貰ったよ。お礼を言うのは僕の方だ。それでこれから二人はゴーレムと一緒に帰るの?」


 既にゴーレム達はルゾンのある方角へと向けて一列に並んで行進を始めている。何も知らない人間が目撃したら何事か、と驚くこと請け合いである。


「いえ、私達はこのまま例の魔術士の屋敷で一泊してからルゾンへと戻ります。工房はルゾンの街の外にありますので、あのゴーレム達がルゾンの方々をびっくりさせる恐れはないかと、はい!」


「屋敷って、危なくないの?」


「ゴーレムは排除しましたし、最悪の場合は軒下で雨露を凌げれば大丈夫です。それにユヴァ博士も居ますから」


 ネフェシュが足元のユヴァ博士へと向ける視線には確かな信頼が籠っている。博士と助手という関係なのか、それとも主従なのか、はたまた肉親なのかと考えさせられる一人と一匹だが、両者の間にある信頼は確かなもののようだ。

 それでも、アーリはこみ上げてくる心配の気持ちを抑えきれずにいた。ネフェシュの実力の程はつい先程直接見て確かめたが、あのいかつい鎧の中身がこうも可愛らしい少女とあっては放っておくのは難しい。


「さっきコアの回収を手伝わせてほしいって頼んだばかりで申し訳ないんだけれど、もしよかったら僕も一緒にその屋敷に行かせてもらえないかな。

 万が一、またあのゴーレムみたいのが出てきてもネフェシュなら大丈夫だとは思うけれど、知っておいてこのまま別れたら気になって眠れそうになくて。あ、もちろん変な下心とかじゃなくて」


「下心、ですか?」


 まるで見当がついていない様子のネフェシュの様子に、アーリは余計に自分が言い訳しているような気持になって恥ずかしくて堪らなかったが、意外や意外、助け船はユヴァが出した。


「見張りが増えたと思えばよかろう。小僧、お前の使う予定だった野営地に戻り、またここに来るまでにどれだけかかる。あまり長いようなら待たんぞ」


「えっと、すぐに、すぐに戻ってくるから、少しだけ待っていて下さい!」


 言うや否やアーリはネフェシュとユヴァに背を向けて夜の風よりも速く荷物を置いてきた野営地へと駆けてゆく。そのあまりの速度にネフェシュが目をパチパチと瞬かせてから、ユヴァへと尋ねる。


「博士、よろしいのですか?」


「ああ。お前もあの小僧の身体能力は見ただろう。戦い方は我流の癖が強くまるで洗練されていないが、妙に身体能力が高い。それにゴーレムの切り口を見ろ。まるで達人が名剣を振るったかのような鮮やかさだ。

 魔物に憑りつかれているのか、神の祝福を受けているのかは知らんが、これからルゾンで活動するのなら少しでも情報を得ておいて損はない」


「もう、アーリさんは親切心から仰ってくださったのだと思いますよ。それなのに博士はそのようなお考えをお持ちなのですね」


「ふん。悪さの出来るような人間ではなさそうだ、とは認めてやってもいい」


「もう、博士ったら……」


 大慌てで荷物をまとめたアーリが姿を見せたのは、ネフェシュがそのように呆れた声を出してから数分後の事であった。


「すみません、遅くなりました!」


 野営地に戻ってまた来るまでの間全力疾走だったのにも関わらず、アーリは呼吸一つ乱していない。この時、彼は考えが及んでいなかったがただそれだけの事実でも並みならぬ身体能力があると、自ら宣伝しているようなものだ。


「いえ、あっという間に戻ってきてくださいましたから、気にしないでください。では行きましょう、ユヴァ博士、アーリさん。今夜のお宿は魔術師ゼゼルムの御屋敷です!」


<続>

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