第7話 魔術士ゼゼルムの屋敷

 ゼゼルムという魔術士の屋敷へと向かい歩き始めたわけだが、周囲はすっかり夜の帳が下りて夜になっている。

 星々の煌めく夜の天蓋の下、アーリとネフェシュ、それにユヴァは月と星の光を頼りに夜道を進む。


 松明なりランタンなり光源を用意する事は出来たが、夜空の輝きは眩い程で屋敷への道が踏み均されており、そのまま進んでも迷うことはなさそうだった。

 またアーリはアンシャナの祝福によって暗視能力を得ていたし、ネフェシュはアマダストラとは別に暗視の特性を付与する魔術具を装備していた為、明かりを必要としなかったのである。

 兜の面頬を上げて、素顔を晒したネフェシュが右隣りを歩くアーリに話しかけた。ユヴァは彼女の右肩の上に乗っている。


「アーリさんは夜目が利くのですね。私は特別な道具を使っていますので、この暗がりでもよく見えているのですが、アーリさんはそういった装備をお持ちのようには見受けられませんが、特別な訓練を積まれたのか、それとも生来の体質でしょうか?」


 純粋な疑問として尋ねてくるネフェシュに、アーリはどこまで口にしてよいのか考えながら答える。ルーディンとマグリエの時のように、深く追及されなければよいのだが、そう都合よく行くかどうか。


「いや、そういうわけじゃないのだけれど。あんまり声を大きくして言う事じゃないけど、僕は実は故郷を出るきっかけになったのが、ある女神から神託を受けたからなんだ」


「神託ですか? 凄いです。いったいどのような女神から? 女神と言っても地母神、海の女神、戦女神、火の女神、音楽の女神、医療の女神と実に数多く存在していますが?」


「ごめん、名前を口にする事は出来ないんだ。それが神様から僕に課せられた試練の一つなんだよ。ただ僕が昔よりもずっと速く動けるようになったり、どれだけ走っても息が乱れなくなったり、力が強くなったりしたのはその神様に祝福を貰ったからなんだ」


「なるほど! ゼゼルムさんのゴーレムを退けたお姿から凄い身体能力だと感心していましたが、そのような理由があったのですね!」


 ネフェシュは素直に凄い凄い、と感心してアーリを面はゆい気持ちにさせたが、彼女の右肩に乗っているユヴァはアーリの秘密を耳にして、冷淡な反応をした。


「それがあの戦いの種明かしか。小僧、お前も自覚はあるだろうがその身体能力と戦いの技術がまるで釣り合っていない。ゼゼルムのゴーレムを倒せたのは、お前の力というよりもその女神の祝福によるものだ。そこを間違えると後々痛い目を見るぞ」


 ユヴァの指摘する通り、アーリは自分の力のほとんどはアンシャナの祝福に依存していると自覚しているから、反発する気持ち一つ浮かべずに首肯した。

 自分の努力だけで掴み取った力など、ないに等しいとアーリはずっと自嘲し続けているのだから。


「はい。僕自身はまだまだ、大したことはないんです。探せばどこにでもいるような、ありふれた誰かに過ぎないんだって、僕が一番理解しています。それでもいつかは神様に何もかも頼るんじゃなく、僕自身として他の誰でもないアーリになります」


「ふん、小僧のくせに弁えた事を口にする。お前くらいの歳ならもっと生意気で鼻っ柱が強いものなのだが、大人び過ぎてつまらんくらいだな」


「博士、それはかなり無茶な事を口にされているのでは?」


「正直な感想を述べたまでだ。それで、女神から課せられた試練はそれ一つきりか?」


「今のところは、そうです。新しい試練について神託はくだっていないですね」


「そうか。神の声を聞いて神殿の門を叩く者は少なくないが、大抵、神託とは最初の一度きりか、二度目があるかどうかと聞く。試練にしろなんにしろ、神託を下される方が稀だから、お前に女神からの新たな神託がないというのもおかしな話ではない」


(うーん、割と話しかけられたりはしていると思うんだけれど、別に神託を下されるわけじゃないし、供物を捧げる時とか、どうすれば良いか困っている時に助言や答えをくれている感じかな?)


 実のところ、アンシャナは初めて得た信徒にして外との繋がりであるアーリにひどく固執しており、一般的な神官達がアーリのアンシャナに声を掛けられる頻度を知れば、目を丸くして驚くのは間違いない程なのだ。

 アーリもアンシャナもそういった事情には疎いため、今のところは問題が表面化していないが、ここでアーリがアンシャナの声を聞いてからどれだけの頻度で彼女と会話したのか、また【黒ノ一閃】という御業を授けられた事実を伝えれば、ユヴァの興味を大いに惹いただろう。


 アーリがそれを口にせずに、ゼゼルムという魔術士についてネフェシュに尋ねたのは、どちらかといえば幸運なことだった。

 ゼゼルムの屋敷は既に無人だというが、ゴーレムが残されていたというし、魔術士の屋敷となればなにか細工や罠が残されていてもおかしくはなさそうだ。問題があったからこそ、依頼が出されたわけであるし。


「そのゼゼルムという魔術士の人は、どうしてお屋敷から去ったのかな? 今はどこで何をしているんだろう」


「ゼゼルムさんの行方は分かりません。ただ彼がお屋敷を手放したのは、借金の担保としていたからだそうです。魔術の研究にはお金が掛かるものですから、大抵の魔術士は金策に苦労するのです。ですよね、博士」


「そうだ。魔術は規模や種類にもよるが、土地に根差す必要があるものが多い。また一般の市場には出回らない貴重な触媒を必要とするものもあるし、数十年の時間が必要な事もある。

 魔術士自身が金持ちになるか後援者の存在は欠かせん。魔術の研究を代々進める為に、領地持ちの貴族になった者も居れば、元々、裕福だったものが魔術の道に足を踏み入れる事もある。

 そうした者達が金に困る事は少ないが、大抵の魔術士は常に金勘定をしながら研究をしていると覚えておけ。まったく、忌々しいが、魔術士が魔術の研究ばかりをしてはいられず、世俗と交わって金稼ぎをしなければならんのが世の中だ」


 下らん話だ、と言外に含むユヴァの苦々しい声色に、アーリはこの猫なのか狐なのか分からない使い魔の主人も、お金の問題で苦労しているのだろうと勝手に推測した。


「そっか、僕の周りに魔術と縁のある人はまるでいなかったから、博士の話は世知辛いけれど新鮮だな。それじゃあネフェシュが冒険者をしているのも、博士の為の金策なのかな?」


「ええっと、そういった側面がある事は否定できませんが、私はまだ冒険者としては駆け出しですので、自分が食べてゆくので精一杯位のお金しか稼げていません。どちらかというと博士の発明された魔術の道具を、実戦で試験するのが主な理由になります」


「それにネフェシュは単独で冒険者として行動しているからな。徒党を組む連中よりも受けられる依頼は少ないし、一人だけで活動している駆け出しが受けられる依頼では、報酬の額などたかが知れたものしかない。

 ネフェシュの言う通り実戦での動作確認や試験が主な目的だ。まあ、私がついているから厳密には単独というわけではない。そうでなければ、ネフェシュが今回のような魔術絡みの依頼を受けられるわけもないからな」


「博士が優秀な魔術士だって、ギルドも認めているってことなの?」


「はい! 博士はこのように大変愛らしいお姿をしていらっしゃいますが、魔術士としては極めて優れた方です。博士とこのアダマストラのお陰で、私はこれまでどんな魔物を相手にしても、討伐する事が出来たのです!」


 アーリはネフェシュの言い方に少し気にかかる部分があったものの、ネフェシュが目を輝かせて肩の上のユヴァを褒め称える姿の愛らしさに気を引かれ、すぐに疑問を忘れた。

 ユヴァは別に照れるでもなく、胸を張るでもなく、ネフェシュの賛辞をごく当たり前のものだと受け取っているようだった。

 少しくらい誇らしそうにしてもいいのに、とアーリは思うのだが、ユヴァは相当な自信家なのだろうか。


 アーリはまだユヴァの戦う姿を見てはいないが、ネフェシュの纏うアダマストラという魔術の鎧や、ゴーレム達に埋め込んだ新しいコアから考えると、戦闘よりも魔術の道具作りに長けた人物なのだと推察できた。

 味方の腕力を増強、あるいは足を速くする補助、あるいは敵対者を強制的に眠らせる、視界を塞ぐ、体を麻痺させる、呪うなどの妨害や、敵意の感知、真贋の看破、遠望に盗聴、読心と魔術は幅広く存在する。

 ユヴァはそういった補助や妨害でもって、ネフェシュをこれまで助けてきたのではあるまいか?


「お話が逸れてしまいましたね。それで行方をくらませたゼゼルムさんですが、担保の御屋敷には先程のゴーレムの他にも、人工的に合成された魔獣が庭に解き放たれていて、お金を貸した方が迂闊には近づけないのです。

 ですので、私達はゴーレムと警備の魔獣を排除し、屋敷の内部の調査を行うのが目的です。本来なら私のような駆け出しが受けられる依頼ではありませんが、魔術士絡みの案件であり、私には博士がいらっしゃることから、特別に受注できたのです」


「ルゾンに居る腕利きの魔術士は別件で外に出ているか、手が空いていなかったし、確認されたゴーレムと魔獣がネフェシュと私なら余裕を持って排除可能な範疇だったからな。屋敷の中に余程の隠し玉が無ければ、危険はないと判断して依頼を受けたのだ。

 もっともお前という予想外が道中で加わることになったな。お前は冒険者ですらない田舎の我流剣士だが、神性の祝福を受けている。そうでなければ、ゴーレムとの戦いに手を出すのを禁じていたところだ」


「そのぉ、故郷で色々あって僕も予想外の祝福を受けられたもので……」


 アンシャナのこととなると彼女が暗黒神であるから、どうしてもアーリの歯切れは悪くなる。ネフェシュはそのことに対して気にした素振りはなかったが、ユヴァはオッドアイの瞳にでじろっとアーリを見る。

 魔術士とは本質的に学究の徒であり、知的好奇心を死ぬまで抱え続ける人種だ。ともすれば倫理観や道徳を忘却し、人の道を外れる者も少なくはなく、ユヴァが身内ですらないアーリに対してどう興味を持つかで、危険性は大いに増減する。

 ネフェシュはいかにも純粋培養な世間知らずの良い子といった様子だが、さて?


「その色々や予想外について、問い質すつもりはないから安心しろ。神の声を聞いたのならば、少なくとも神が声を掛けようと思う程度には目をかける何かが、お前にあるという事だ。

 神の正体も分からん内に、神の不興を買うような真似をすればどんな神罰が襲い掛かってくるか分かったものではない。

 私からお前に迂闊な真似や不要なちょっかいは出さないと明言しておこう。今のこの会話とて、お前を祝福した神が耳にしていないとは限らんのだしな」



 ユヴァの言う通り、アンシャナは常にアーリの一挙手一投足、一期一句に神経を注いでおり、屋敷に向かう道すがらの会話も全て耳にしている。よって暗黒の世界に浮かぶ白き玉座の上で、大いに安堵して豊かな起伏を描く胸を安堵で撫で下ろしていた。


「ふう~~、この人間、きちんと弁えているようだね。よかった、よかった。せっかくアーリが冒険者らしい出会いをしたと言うのに、私の怒りを買うような愚物でなくてよかったよ。

 これでしばらくは安心して観ていられるかな? ……それにしてもあのネフェシュという娘とアーリは、ずいぶんと親しげだけれどさぁ」


 そう零すアンシャナの口は幼子が拗ねるように尖り、羨望がたっぷりと籠る声は誰の耳にも届くことはなかった。



 ゼゼルムの屋敷は街道から外れたところにある小さな森の中に、建っていた。魔術士の屋敷としては当然の処置として魔物や人避けの結界が張られており、開けた平地に建つ屋敷の敷地には、先程戦ったゴーレムと人工的に作り出された魔獣が闊歩していた。

 魔獣は虎を彷彿とさせる容姿に、赤茶色の毛皮と鞭のようにしなる長い尻尾が特徴だった。唸り声一つ上げず、白濁した瞳で周囲を見回し、時折、黒い鼻を動かしている。

 主人の居なくなった屋敷を守る守護者達を、アーリ、ネフェシュ、ユヴァは離れたところにある大木の枝の上から見ていた。魔獣の鼻と屋敷の結界を考慮して、かなりの距離を取り、風下にある大木を選んでいる。


「ゴーレムが三体に魔獣が二体。魔獣は見た限り動きが速そうだし、尻尾も間合いが長そうだね」


 念の為、声も潜めて、アーリは反対の枝の上で身を屈めているネフェシュに話しかける。

 アーリは暗視能力と同様、アンシャナの祝福によって強化された視力により、魔獣の毛並みからゴーレムの表面の細かな傷まで見えている。

 ネフェシュは面頬を下ろしていて、アダマストラの機能によってアーリ同様の遠視能力を得ていた。ユヴァは使い魔の肉体が元から持っているか、彼自身が魔術を行使しているのだろう。


「はい。ゴーレムの戦闘能力は既に把握していますが、魔獣の能力が気掛かりです。博士、魔獣の能力の他、敷地の中に魔術的な罠はありますか?」


「いや、魔物や人避けの魔術はまだ機能しているが、侵入者に危害を加える類の魔術は機能を停止している。そのまま足を踏み入れても問題はない。あの魔獣共は話が別だがな」


「なるほど、魔術を解除してゆく必要がないのはありがたいですね。それで魔獣の方は如何でしょうか?」


「ふん、初歩的な合成魔術による人工魔獣だな。安心しろ、魔術の類を行使するだけの魔力はないし、術式も刻まれておらん。元となった動物よりは強かろうが、ネフェシュと小僧ならば問題にならん範疇だ。

 お前達が誤ってお互いに攻撃を加えるようなへまさえしなければ、あの程度の魔獣共を片付けるのに手間はかかるまい」


「アーリさん、博士からは以上です」


「魔術士としての知識からですか? 見ただけでそこまで分析できるなんてすごいな」


「解析魔術も使っている。実戦の心得のある魔術士なら、解析魔術を妨害するなり、味方の能力を隠蔽する魔術を使うものだが、それもない。典型的な研究一辺倒の魔術士の塒だ。ただし、油断はするなよ。

 今回の依頼の目的は調査だ。あの邪魔者を排除して屋敷の中を調査しなければならんが、それとて絶対に成功しなければならないわけではない。依頼の達成よりも自分達の生命を優先するのだ。命がなければ何も出来ん」


 依頼を達成できなくとも構わない、という物言いは冒険者稼業をついでと考えているユヴァならではだったろうか。それとも年長者として年若い少年少女の生命を惜しむ倫理観が、この傲岸なところのある魔術士にあったのか。

 いずれにせよ、アーリとネフェシュにとっては肩の荷が下りたような気持ちになって、余計な緊張を解きほぐす事が出来た。


「ではアーリさん、アダマストラの機能についていくつかお伝えしておきます。一時的とはいえ共に闘う方ですから、私に出来る事と出来ない事の情報を共有するのは双方の生命の為にも当然だと思うのですが、いかがでしょうか博士」


「好きにしろ。その甲冑はあくまで試作品だ。多少、機能を他人に漏らしたとてなにも支障はない」


「はい。ではこのアダマストラですが、内部に貯蓄した魔力を消費する事で……」


 それからネフェシュによって語られたアダマストラの機能に、アーリは大いに瞳を輝かせ、興奮しながら聞き入る。

 まるで英雄譚の中に出てくる伝説の魔剣や神々の武器のような、といっては過大評価もいいところだが、ついこの間まで変化に乏しい田舎で暮らしていたアーリにとっては、夢に思い描いたようなものだったからだ。


 そしてそこまで聞かされたのなら、自分も打ち明けられる情報は伝えるべきだ、と純朴な少年であるアーリが考えるのは当然の帰結だ。といっても、今の彼がネフェシュとユヴァに教えられるのは、【黒ノ一閃】という切り札がある事だけだったけれど。

 アーリが神託と祝福だけでなく、神の御業も授かっていると耳にしたユヴァが、ほう? と長い耳をピクピクと動かしたが、この場ではそれ以上の追及は無かった。それよりも先にする事がある、と理性を働かせて弁えたからである。


 そうしてアーリとネフェシュとでお互いの手札を教え合った結果、立案された作戦は至って単純なものだった。

 出会ってまもなく連携らしい連携は望めない以上、複数の要素が絡み合う複雑な作戦は立てても失敗するのが目に見えているし、相手の戦力もそう大したものではない。よって、単純な作戦で構わないとユヴァも認めている。


「よし、やろう!」


 覚悟を固めて告げるアーリに、ネフェシュが頷き返し、ユヴァは無言を貫いた。

 アーリ達が枝から下りて行動に移ってからしばし、魔獣の一体が丸い耳を動かして、かすかな物音のした方角へ白濁した目を向ける。

 活動する為の魔力が尽きるか破壊されるまで、何が起きようと誰が相手だろうと主人の命令に従う魔獣は、許可を得ずに屋敷へ近づく者を排除せよ、という最後の命令に従い、ゆっくりと歩いていた方向を転じる。

 無知の如き尻尾が持ち上がり、魔獣の頭上でひゅんひゅんと音を立てながら振り回される。十分な加速を得た尻尾の一振りは、簡単に肉を割いて骨を砕く威力だ。打ち所が悪ければ、人間など一撃で絶命する。


 他の魔獣やゴーレムも同じように物音のした方角へ体を向ける中、彼らの視線の先ではわざと木の枝を踏み折って注意を引いたアーリが、腰を深く落とし、足を前後に開いて小剣に手を伸ばしているところだった。

 アンシャナの祝福によって生まれ変わった少年の体は、これから放つ一撃の為に最適な姿勢を取り、アーリの集中力は瞬時に極限まで研ぎ澄まされる。


 アーリがアンシャナから授けられた【黒ノ一閃】は、御業と呼ばれる力に分類される。神を信仰する事で得られる奇跡――いわゆる神聖魔術とは異なり、凡人が生涯を通しても得られぬ天与の技術、あるいは“気付き”を指す概念だ。

 ある者は自らを始祖とする流派を開き、ある者は御業を更に磨き昇華させて生涯不敗の大剣豪となり、またある者は授けられた御業に驕って呆気なく殺された。

 つまるところ、行使するごとに神の許しを得て奇跡を起こす神聖魔術とは異なり、授けられた後には単なる技術、道具、取り得る選択肢の一つとなるのが御業なのだ。


 とはいえアーリにとって【黒ノ一閃】はアンシャナに与えられた力であり、自分のものではない、という意識の方がはるかに強い。

 アンシャナに寄せられた期待に応えられるように、この御業を少しでも早く使いこなせるように精進し続けなければならないとそう思っている。そして、この戦いはその為の一歩なのだ。


「黒ノ一閃!」


 地面に大きな踏み込みの跡を残し、アーリの体が黒い稲妻の如く大地を駆ける!

 侵入者へと向けて尻尾の一撃を加えんとしていた魔獣は、アーリの動きを捕らえる事が出来なかった。

 魔獣が認識したのは、その場から動かずにいた侵入者が突如として姿を消し、なにかの影が隣を過ぎ去ったところまでだ。それとほぼ同時に魔獣は機能を永遠に停止した。


 アーリの小剣は魔獣の眉間から股間に至るまでを水を断つように一閃し、その巨体を上下に両断したのである。

 速度に特化した歴戦の戦士でも及ばぬ神速の一撃は、人工魔獣の知覚を完全に凌駕したのだ。


 神速の踏み込みと斬撃に加え間合いの広い【黒ノ一閃】で、まず魔獣の一体を葬る、というのがアーリ達の作戦の第一段階だ。

 事前に強壮薬を飲んでいたアーリは、【黒ノ一閃】を使用した直後でも、疲労困憊には陥らず、周囲の状況を把握するだけの余力があった。これには初めての使用ではなく、その後の戦闘を意識していたのも大きく影響している。


 アーリの姿を見失ったのは、倒された魔獣だけでなくもう一頭の魔獣とゴーレムも同じであったが、すぐに両断された魔獣の後ろで小剣を構え直すアーリの存在を捕捉して、改めて向き直ろうと動き出す。

 あっさりとアーリに注意を引かれ、周囲の状況把握が疎かになる辺り、この守護者達に与えられた判断能力がお粗末な証左だ。ユヴァが“あの程度の魔獣”と評したのも、ここまで解析魔術で把握していたからだろう。

 アーリの後に続くようにして、森の中から疾走するネフェシュが姿を見せ、巨大な甲冑の掌を残る魔獣へと向ける。そこには小さな菱形の水晶体が埋め込まれており、内蔵した魔力が刻まれた術式に従って形を変え、一つの現象を起こそうとしていた。


「照準固定、魔力充填率目標値到達、轟雷光ごうらいこう発射します!」


 ネフェシュがアーリに告げたのが、この魔術行使機能だ。

 掌に内蔵した水晶体ごとに異なる魔術を、詠唱を簡略化して行使可能というもので、魔術の付与された武具には珍しくないが、初めて目にするアーリからすれば、目を輝かせて興奮するなという方が無理なものだった。

 発射の反動に備えて足を止めたネフェシュは、大きく突き出して右腕を左手で支え、照準は残る魔獣の胴体に据える。そして限界まで魔力を貯め込んだ水晶体は、それを強烈な白い光線へと変換し、発射した。


 夜の闇を払拭する閃光は狙い過たず魔獣の胴を左から右へと貫通し、そのまま射線上にある木々を貫いて消えていった。

 苦痛と熱を感じる間もなく魔獣が絶命し、残るゴーレム達が新たな侵入者の存在に気付いて足を止める中、ネフェシュは一気に駆け出す。

 魔力と魔術で駆動するアダマストラが、その超重量をものともせずに敷地の中を一息に駆け抜けて、瞬く間にゴーレムの懐へとネフェシュを運んだ。


「やああああ!」


 自らを鼓舞する気合と共に、ネフェシュは自分に目掛けて両腕を振り上げるゴーレムの胸部へ左右の鉄拳を連続して叩き込む。ひどく重い音が森のしじまに響き渡り、コアを砕かれたゴーレムは、胸部に鉄拳の跡をいくつも刻んだ状態でどうっと仰向けに倒れ込む。

 ネフェシュに向かって、別のゴーレムが両手を伸ばして掴みかからんとするのを、甲冑を纏った少女は重量を感じさせない跳躍で、ゴーレムの手を掻い潜り、その頭上へと飛び上がる。

 そして両手を組み、そのまま勢いよく鉄槌の如くゴーレムの頭部へと叩きつけて、胸部まで一気に砕いて見せた。


「これで二体、アーリさんは?」


 アーリとネフェシュで魔獣を一頭ずつ、さらにネフェシュがゴーレムを二頭仕留めたので、残るはゴーレム一体だ。アーリの安否を気遣うネフェシュが視線を巡らせれば、ゴーレムのコアを正面から正確に刺し貫くアーリの姿があった。

 小剣を引き抜き、俯せに倒れてくるゴーレムを避けたアーリは、自分を見つめるネフェシュに気付くと、少し肩を上下させながら、気の抜けた笑みを浮かべて見つめ返した。


「作戦が上手く行ったね。それにしても凄いね、その甲冑。聞くのと見るのとじゃ大違いだ」


 とアーリは興奮した様子でネフェシュに語り掛ける。


「こう、構えた手の平から太い光が放たれて、それで魔獣を一撃で倒しているんだもの。着ているだけで身体能力が上がるとか、凄い甲冑だなって思っていたけれど、あんな風に魔術も使えるなんて、ユヴァ博士は本当にすごい魔術士なんだね!」


「はい。博士は本当に凄い方なのです。ですのに、他の方と接するのを嫌がられて、滅多に他の方にご自身の能力をお見せになられないのです。

 幸いギルドの方や一部の冒険者の方は、博士の優れた見識と能力を認めてくださっているのですが、アーリさんのように手放しで称賛されたことは私の知る限りありません。私と一緒に依頼をこなされた方が居ないから、というのも理由ですが、それでもアーリさんのように博士の優秀さを認めてくださる方がいらして、私は嬉しく思います」


 自分が褒められたように兜の奥で頬を緩め、声を弾ませるネフェシュだったが、茂みから姿を見せたユヴァは、そんな二人の称賛の言葉に喜んだ様子は見せずに、緊張を解いている二人を窘めた。


「二人とも気を緩めるな。屋敷の中から追加の魔獣やゴーレムが出てくる可能性を考えろ」


「あ、す、すみません」


 慌ただしくネフェシュが甕を取り直し、アーリも鞘に納めようとしていた小剣を構え直して追加の敵に備える。

 確かにユヴァの言う通り、敷地に姿を見せていた守護者は全て倒したが、屋敷の中やあるいは敷地のどこかに隠されている出入口から新しい敵が出てくる可能性を考慮すれば、警戒を解くのはまだ早かった。


「まあいい。小僧、屋敷と周囲を警戒しておけ。ネフェシュ、ゴーレムのコアを入れ替えて、魔獣の死体を回収させて私の工房へ運ばせるのだ。万が一、ゴーレムを再起動されては面倒だ。それに資源は有効活用しなければな」


「はい。アーリさん、手早く終わらせますので、その間、梟の様に目を凝らして周囲への警戒をどうぞよろしくお願いします!」


 腰から曲げて頭を下げるネフェシュに、アーリは微笑しながら答えた。


「梟の様に、ね。うん、分かった。任せておいてよ」


 コアを入れ替えられたゴーレム達が、半壊した姿で魔獣の死骸を回収し、郊外にあるというユヴァの工房へと向かって動き出すのを見届けてから、ネフェシュとユヴァはアーリの下へ近づいてきた。


「どうやら屋敷の外にこれ以上警備している存在はないようですね」


 一切襲撃が無かったことから、そう確信するネフェシュにアーリは頷き返した。そして今度こそ問題の屋敷の内部へと突入する時間だ。

 最初にユヴァが魔術を行使して、魔術による罠の有無を確認する。仮に戦闘能力がないとしても、密偵代わりとしてここまで役に立つのなら実に重宝する。


「玄関と屋敷に魔術は施されていない。開けて構わんぞ。ただし不意を突かれないよう気を張れ」


「アーリさん、こちらが屋敷の鍵です」


「ありがとう。それじゃあ、鍵を開けます」


 アーリはネフェシュから手渡された鍵を使って玄関を解錠し、丸盾を括りつけた左手で玄関の扉を押し開く。右手の小剣を何時でも扉の隙間の向こうへ突き込めるよう、油断なく腰だめに構えておく。

 ギィ、と玄関の扉が音を立て、アーリはゆっくりとその隙間へ体を押し入れて、周囲を警戒しながらアーリ、ネフェシュ、ユヴァの順で進んでゆく。


 玄関は正面に二階へと上がる階段を備えたホールとなっており、壺や壁に掛けられた絵画、蝋燭が刺さったままの燭台などの調度品もそのままになっている。屋敷の中の空気に埃っぽさはなく、思わずくしゃみをするような真似はしないで済んだ。


「どうやらお屋敷の中に警備のゴーレムなどは居ないようですね」


 とネフェシュ。玄関の扉が閉まり切る前に、腰裏の鞄から楔を取り出して打ち込むのも忘れない。万が一、扉が閉まるのと同時に鍵掛かり罠が発動したり、魔術的な結界によって閉じ込められたりするのを防ぐ処置だ。

 ユヴァが色違いの瞳でホールと階段から覗く二階の様子を見まわし、アーリは頭上や足元、ホールの左右から繋がる廊下を注視している。


「今すぐに敵の追加はなさそうだね」


「ふむ、今すぐ襲い掛かられる様子はなさそうだな」


 ユヴァがそのように保証指定から、アーリはほっと安堵の息を吐き、ネフェシュも大きな籠手に包まれた拳を下ろして、しげしげとホールの様子を見ている。


「ゼゼルムさんは、お屋敷の調度品はそのままに残し、取るものも取らずに去ったと言われています。お金を貸した方がこのお屋敷を利用する為にも、隅から隅まで調査するのが大切です。頂いた見取り図によれば地上二階、地下一階の作りです。

 通常、こういった作りのお屋敷であれば、一階は社交場であり客人向けの部屋があり、二階が主人の私的な空間ですね。地下と屋根裏部屋が使用人の部屋や倉庫になっているものです」


「魔術士の工房なら地下に本命があることが多い。本命を調べている時に背後を突かれては厄介だ。先に一階と二階、それと屋根裏を調べるぞ」


「はい。アーリさんはそれで構わないでしょうか?」


「うん。冒険者としてはネフェシュとユヴァ博士の方が先輩だからね。指示に従うよ」


 そうして行動方針を再確認した二人と一匹は、まずは一階から調査を開始する事とした。

行動を開始する前に軽く水分を補給し、干した果物を齧って栄養を補充する。

 胃に飲食物を入れていると、腹に傷を受けた時に差し障りがあるが、祝福を受けたアーリとネフェシュの装備、そしてゼゼルムの魔術士としての力量を考えれば、そこまでの傷を負う可能性は低い、とユヴァが許可したのである。

 ユヴァは何も口にせず、ネフェシュとアーリが交代で簡単な栄養補給をする間、文句ひとつ言わずに見張り役を務めていた。その姿が、アーリには少し意外であった。


「お待たせしました、博士。それではお屋敷の調査を始めましょう!」


 初めてユヴァ以外の誰かと行動を共にする事で気合が入っているのか、ネフェシュが張り切った声を出すのに、アーリは素直に従う。


「おー!」


「大きな声を出すな、馬鹿者共」


「す、すみません」


 もっとも、二人そろってユヴァに窘められてしまったが。


<続>

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