第3話 神に供物を捧げるべし

「ムフッフー! 流石はアーリ、私の最初の眷属だ! 私を差し置いて暗黒の力だのと吹聴する愚か者に、見事に裁きを下したな。私の力も見事に使いなしたな。偉いぞ~」


 乾いた大地に鎮座する玉座の上で、暗黒神アンシャナは伸ばした両手をぶんぶんと振り回し、両足もジタバタとせわしなく動かして、アーリの勝利に喝采を挙げていた。

 自分の初めての眷属が、自分の与えた祝福と力によって小生意気な死霊術士を倒したのが、嬉しくて、楽しくて仕方がないらしい。外見はアーリよりも年上の少女であるアンシャナだが、誕生から今に至るまで、この狭い世界で一柱のみで過ごしてきたからかどうにも言動が幼い。


「フフン、今のアーリに新しい力を与えるのはまだ早いかとも思ったが、あんな危ない状況ではああするしかなかったし、結果もついてきたのだからこれで問題はない。さてさて、アーリの様子はどうかな?」


 アンシャナは誰も聞く者のいない独り言を口にしながら、再び大事なアーリへと世界を超える視力を向けた。



「は、は、はぁっ」


 アーリは肩を大きく上下させて、荒く息を吸っては吐くのを繰り返していた。

 魔導書に魂を移していたブラベルに止めを刺した一撃を放った後、アーリの体から漆黒の光は消え去って、その代わりに鉛のように重い疲労がアーリの体に伸し掛かっている。

 スケルトンウォーリアによって一度は死に瀕したアーリの体は、アンシャナの祝福によって強靭なモノへと作り変えられているが、それでもこの短期間で新たな力を授けられたのは、大きな負担となっていた。

 どうにか息を整えて、小剣を鞘に戻すのには十数回の深呼吸が必要だった。


「るー、ディンさん、マグリエさん、も、無事ですか?」


 額や頬を流れる汗をぬぐう余裕もなく、アーリは助けようとした二人の安否を優先した。

 ルーディンとマグリエは互いの武器を構えたままではあったが、アーリに対して警戒をしているわけではないようだった。

 追ってくるな、と注意しようとした矢先にブラベルの生存を指摘し、あまつさえ倒してのけたこの少年に、なんと声をかけてよいやら。いや、まず口にするべき言葉は決まっていた。


「言いたいことがないわけじゃないんだが、まずは礼を言っておくぜ、アーリ。お前さんのお陰でブラベルの奴に不意を突かれずに済んだ。ありがとう」


「私からもお礼を言わせてちょうだい。まだまだ私達も詰めが甘かったと勉強になったわ。貴方に助けられました」


「いえ、僕は、がむしゃらになってやっただけですから。それに二人に追ってくるなって言われていたのに、こうして勝手に追ってきてしまいましたし」


「そいつはもう言うな。今度こそ本当にブラベルの奴は滅んだし、この儀式もご破算になった。マグリエ、そうだな?」


「ええ。この辺り一帯の生命を吸収して、一気に大量のアンデッドを生み出す為の儀式だけれど、術者と儀式の核となる魔導書が失われたから機能を停止しているわ。もともと捧げていた生贄も足りていなかったし、二度と悪用する事も出来ないわ」


 マグリエの語る内容が真実ならば、ブラベルの執り行っていた儀式はアーリの想像をはるかに超える凶悪な代物だったようだ。

 もしルーディンとマグリエがランゾンを訪れずにブラベルの儀式が完成していたなら、きっとアーリだけでなく村の皆も森の生物達もすべてがアンデッドの軍勢に飲み込まれて仲間入りしていただろう。

 その光景を想像して、アーリは今更ながら途方もない綱渡りをしていたことを実感して、背筋をヒヤリとさせた。


「ところでアーリ君」


 マグリエにしげしげと見つめられて、アーリはドギマギとしながら答えた。


「は、はい。なんでしょうか」


「さっきのブラベルを滅ぼした一撃もそうだけれど、貴方の体の傷は明らかについさっき斬られたばかりのものよね? 服の傷はそのままだけれど、体の傷は塞がっている。貴方はどんな窮地で“誰”に助けられたの?」


 あ、とアーリは思わず口にしていた。傷の痛みがないのですっかり失念していたが、確かにアーリの斬られた服はそのままだし、その際の出血で赤く染まっている。

 これでは致命傷を一度は負ったのは明白だ。そしてそんな状態からどうやってか助かり、更には死霊術士の憑依した魔導書を両断するという離れ業さえやってのけるオマケもついている。


「ええと、あの、その」


「マグリエ、アーリがアンデッドになったというわけではないよな?」


「ええ、ちゃんと生きているわ。服の斬られた跡を見ると相当深く斬られた筈だから、傷を癒すにしろ蘇生させるにしろ、相当な力が居る筈だわ。そんな力を持った神官や魔術士が都合よくこの辺りをうろうろしているとは思えないけれど、どう? アーリ君」


 責めるものではないが嘘は見抜かれる、と見られた者に痛感させる光が、マグリエの瞳にはあった。

 アーリにとってこれはまさしく窮地である。

 アーリの命を救ったアンシャナはまごう事なき暗黒神。昨今、近隣諸国のどこを探したとて暗黒神崇拝を許している国家はない。この大陸の歴史に於いて暗黒神崇拝は、崇拝者以外に対する暴力と恐怖を撒き散らし続けてきた害悪そのもの。


 アーリがアンシャナを指定して救ってもらったわけではないとはいえ、救い主が暗黒神であると馬鹿正直に伝えれば、さしものルーディンとマグリエもそう穏やかな対応はできない。

 上手く言葉を見つけられず、あうあうと口を動かすアーリにルーディンとマグリエの眼差しは変わらず注がれ続ける。そんなアーリに救いの手を差し伸べたのは、やはりアンシャナであった。


『アーリ、我が眷属アーリよ』


(あ、神様)


 ある意味、この状況を作った原因はアンシャナであるが、そもそもアンシャナに助けられなければ死んでいたアーリとしては、アンシャナを責めるつもりは欠片もないし、そもそもそんな発想自体を持っていなかった。


『神様ではなーいー』


(ああ、そうでした。アンシャナ様)


『よーろーしーいー。では我が忠実なるしもべよ。汝の窮地に我は斯く助言を与えん』


 今頃、アンシャナは玉座の上で精一杯の女神らしい威厳を醸し出そうと胸を張っているのだが、声のみが届くアーリには当然、そんなアンシャナの健気な努力は分からない。

 ただただ、生真面目な少年はこれで都合三回目になるアンシャナの手助けに感謝しながら、一期一句漏らさないように耳を傾けるのに集中している。


『…………と告げるがよい。よいな? もう一度言う必要はあるか?』


(いえ、大丈夫です。ありがとうございます、アンシャナ様)


『うむ。では励むがよい。我が信徒アーリよ』


 プツリとアンシャナと繋がっていた糸のような感覚が途切れるのを感じ、アーリは一度深呼吸をしてから、ルーディンとマグリエに向き直る。

 アンシャナとの交信はアーリの体感していた時間とは異なり、ルーディン達からすれば一瞬だったようで怪しんでいる様子はない。

 神との交信においては体感と現実での経過時間の乖離は珍しい話ではない。ただ、いきなり一日に三度も神と交信するというのは、滅多にない珍事ではある。


「実はマグリエさん達と別れた後、あの祠のところでスケルトンウォーリアに襲われたんです。悔しいけど僕では全然歯が立たなくって、そのまま殺されそうになりました。この服は、その時に斬られたから、こんな風になってしまって」


「そう、私達がブラベルのところに辿り着くまでにも、森の中で何度かアンデッドと戦ったけれど森の外の近くにまで徘徊していたのね」


「そいつとアーリが遭遇しちまうとは、とんだ不運だったな。それで、アーリ、斬られたお前がどうして五体無事な上に、あの黒い光を纏った技を使うことになったんだ?」


 アーリはごくりと音を立てて口の中に溢れる唾を飲み込み、少しでも緊張をほぐそうと試みた。成果は少しはあったかもしれない。


「神様の声が聞こえたんです。僕のまだ死ねない、生きたいっていう声を聞いて、死にそうになっていた僕の命を救い、スケルトンウォーリアを倒せるだけの力を授けてくれました」


「まさか窮地に陥って神託を受けたという事? 例がないわけではないけれど、とても貴重な体験をしたわね、アーリ君」


「肉体の強化込みか。そうなると相当強い祝福か、あるいは眷属化がなされたことになるな。やれやれ、おとぎ話か英雄譚めいてきたな。それで、アーリ、差し障りがなければだが、お前を救った神の御名おんなはなんという?」


 来た、とアーリは思った。神の名を問われた際の返答が、アンシャナの与えてくれた助言だった。アンシャナはこう答えよ、とアーリに助言してくれた。


「それは“答えられません”。いかなる場合に於いても僕の神様の許可なしに、その名前を口にしてはならないと告げられました。それが僕に課せられた試練の一つであるとも」


 生来、嘘の苦手な性分だが、今回は暗黒神アンシャナ直々の助言を受けての言い訳だ。一応、嘘を吐いているわけではないのが、アーリにとってささやかな慰めだった。


「それでは無理に聞き出すわけにも行かないわねえ。みだりに神の名を口にしてはならない。そういう制約の試練が課せられているのなら、それを尊ぶのが世の習い。それを疎かにしたら、色んな教団から軽蔑されてしまうわ」


 実際にアンシャナからの提案であるわけだから、真偽を看破する魔術や奇跡で問われても、アーリがアンシャナの名前を口に出来ないというのが嘘ではないのが分かる。

 神に試練として課せられたとなれば、無理に聞き出そうとするものはまず居ない。

 これで救い主が誰かと問われても、堂々とはぐらかせるようになったわけだ。アーリとしてはアンシャナ様々である。


「マグリエの言う通りだ。無理に口を割らせてアーリに神罰が下ったら寝覚めが悪いし、そうなれば口を割らせた俺達にも神罰が下るのが道理だ。ただまあ、これだけは聞いておくぜ、アーリ」


「は、はい!」


「お前さんは命を救ってくれた神様をどう思う? 短い付き合いだろうが、神々の声を聞く時には魂で繋がるのが相場だ。短い付き合いでも多くの情報のやり取りが行われるもんだ。それを言葉にして表すのは難しいだろうが、直感でよい。感想を聞きたい」


「神様をどう思う、ですか……。う~ん」


 少し考える素振りを見せるアーリに注視していたのは、ルーディンとマグリエばかりではない。

 アンシャナもまた闇の中に浮かぶ大地の玉座から、瞬きを忘れてアーリがなんと口にするのか凝視し続けている。

 アーリの言葉次第では、アンシャナはその場でへなへなとうずくまって、しばらく意気消沈しかねない問題であった。

 この女神、他者との付き合いが誕生以来、絶無であった為に精神が極めて打たれ弱いのだ。しかもアンシャナ自身はそれを無自覚と来ている。いや、それを自覚する経験すら出来ていないのだから、どうしようもない。


「助けてもらった恩があるから贔屓が入っているかもしれませんけれど、悪い方ではないと思います。それになんだか寂しそうでした」


「はあ~、神を相手に寂しそう、か。お前さんは案外大物なのかもしれねえな」


「ふふふ、そうねえ。神々を相手にそんな感想を抱いた人を、初めて見たわ。アーリ君の神様もそれを見越して貴方を助けたのかしらね」


「どうでしょう。僕としては感謝するしかありません」


 暗黒神だったのには困ったものだけれど。これでもっと平凡な事象を司る神であったなら、どんなに知名度が低かろうと高かろうと堂々と口に出来るのだが、こればかりは愚痴を零しても仕方がない。


「ふふ、貴方の神様が寂しがりだというのなら、出来るだけ声には応えてあげないとね」


「はい。僕に出来るだけのことをして、助けてもらった恩に報いたいです」


「それだけアーリ君が謙虚な態度なら、過酷な託宣が下されたり、無茶な試練が追加されたりもしないでしょう。ルーディン、魔導書の残骸を回収して、魔法陣を消去したら村に戻りましょう」


「ああ、村長に事の次第を報告しておかんとなるまい。アーリ、お前さんも事情説明はしておいた方が良いぞ。スケルトンウォーリアを一人で倒せる力を得たとなりゃあ、お前さんも腹を括ったんじゃないか?」


「! はい。いつか、いつかと先延ばしにしていましたけれど、ルーディンさん達と出会えた事と今日起きた事は、僕の中の覚悟と決意を固めました」


「そうかい。今日の事を考えると、アーリは土壇場で天運を引き寄せるモンを持っているみたいだからな。冒険者として上手くやって行けると思うぜ?」


「はい、ありがとうございます!」


「ふふ、あまり無責任に男の子をその気にさせては駄目よ、ルーディン。さて、それじゃあここを離れる前に、アーリ君の体を診ないとね。自分では大丈夫だと思っていても、どこに無理が出ているか分からないものなのよ」


「どこも痛くはないんですけど、でも、はい。マグリエさんの言う通りにします」


「ええ、先輩冒険者の言う事は聞いておくものよ。私も大丈夫だとは思っているけれどね」


 そう言って悪戯っぽくマグリエに、アーリは頬を赤くして俯いた。さらにそこからマグリエが彼の体に触れて、体内の魔力の流れや肉体の損傷を確認し始めたものだから、初心な少年はますます恥じらうばかりであった。



 ランゾンの村長への事情説明を済ませた後、ルーディンとマグリエはそのまま村長宅へ残り、村長やその奥方からこってりと絞られたアーリは精神的な疲労でくたくたの状態で、自宅へと戻った。

 物心ついた勝手知ったる我が家に戻った頃にはすっかりと陽が沈み、とっぷりと夜の闇が訪れている。


 すぐに明かりをつけ、そのままベッドに倒れ込みたいのを堪えて、着替えを済ませる。血に濡れた衣服は、事態の説明に役立つという事で着たまま村長のところへ行ったのだが、すっかりと血が乾いている。

 斬られた跡を縫い合わせても、これでは血の染みを落としきれないし、もう使いものにならないだろう。雑巾か何かにするのが関の山か。


 朝に汲んでおいた水を使って体を清め、着替えを済ませればあとは夕食づくりだ。

 森の出来事でいよいよ本物の冒険者になる決意をしたが、だからといって今日明日いきなりランゾンを出てゆくわけにも行かない。

 家族同然の村人達にきちんと説明をし、留守にしている間の家や庭の事を相談しなければならないし、家の中のものの整理や処分もしなければならない。


「そういえば神様……アンシャナ様にもなにか供物を捧げた方がいいんだろうな」


 信仰する神に対して、日々、祈りを捧げ折に触れて供物を捧げるのは、世間一般において当たり前の習慣である。

 ただこれが暗黒神を始めとした一部の神となると、人間を含む生贄の率が格段に高くなる。ただ捧げるだけでなく、事前におぞましい所業を執り行われる例も多く、暗黒神信仰が危険視される主たる理由の一つだ。


「まさか人間を生贄になんて出来ないし……とりあえずこれで機嫌を損ねないか、試してみよう、うん」


 アーリがいつも食事を摂っている机の上に並べたのは、朝に焼いた大きな小麦のパン、たっぷりの野菜と茸、ウサギの干し肉で出汁を取り、山で採れる岩塩と森の香草で味付けをしたスープ。

 塩焼きにした川魚と果汁を絞った果汁水、それに卵をたっぷりと使ったオムレツが並んでいる。


「うーん、神様が相手なんだからお客さん用のワインも出しておこう。あと蜂蜜漬けにした苺があったはずだから、それも……」


 果たしてアンシャナ様は受け取ってくれるだろうかとアーリは不安で仕方がなかったが、もし彼がアンシャナと直に対面していたなら、田舎の農民にとっての御馳走でも十分喜んでくれる神様だと確信しただろう。そして、絶対に子供舌だと。


<続>

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