救い主はポンコツ暗黒神!

永島 ひろあき

第1話 救い主はポンコツ暗黒神!

 むかしむかし、とても遠いどこかの世界のお話です。

 たくさんの神様とたくさんの生き物が喧嘩をしたり、仲良くしたりしている世界。

 そんな世界の底の底、一番下のところで広がる冷たく暗い闇の中に、わずかな大地と泉、そして白い玉座だけを与えられて、とある神様が生まれてからずうっと独りぼっちで居りました。

 そうしてどれくらいの時間が経ったころからでしょうか、頭上に輝く無数の星達を見上げ続けていた神様は、ふとこう思ったのです。


 “ほしい”と。



 アーリが物心の着いた時には、もう父も母も亡くなっていた。かろうじて地図に載っているような小さな辺境の村で、アーリは十五歳になるまで周囲の人々に助けられながら生きてきた。

 アーリは黒髪に青い瞳を持ったごく平凡な印象を受ける少年である。特別体格が優れているわけでもなく、顔立ちもまあまあといったところ。お世辞にも物語の題材になるような英雄、勇者の卵とも言えない。

 そんなアーリは、人々を食らう魔物の襲撃や都市を騒がせている暗黒神を信仰する邪教の暗躍もなく、平穏だけれど代わり映えのしない暮らしをずっと続けている。


 きっと死ぬまでこの暮らしが続くのだと村の誰もが感じている中で、アーリには夢があった。

 世界中を旅していた父と母の跡を継ぎ、自分もまた村を出て、両親が見つけられなかったあるモノを見つけるという夢だ。

 アーリの家には父母の冒険の記録を残した手記や、使い古された装備があり、少年の決意を後押しする材料となっていた。


(父さんと母さんが冒険を止めたのは、僕が生まれたからだ。だから、二人の夢を僕が叶えなければいけないんだ)


 アーリは小さな畑の世話を終えて、家の庭で手斧を右手に持ち、切り株の上に乗せた薪を割る作業に没頭していた。

 あいにくの曇り空で空の青はどこにも見えず、日差しのぬくもりはなかったが、春先の暖かさはたちまちの内にアーリの額に汗を滲ませた。


 これもいつも通りのことだ。村の誰もがしている、当たり前の光景に過ぎない。

 このランゾンという村では、十五歳で成人と見做される風習がある。アーリは身辺整理をしたら、今年の内に村を出て父母の跡を継いで冒険の旅に出るつもりでいた。

 まだ何者にもなれていないアーリが世界でただ一人の何者かになる為に、父母の夢を叶える為に生まれ故郷から巣立つことを決めている。


 未知の世界へ飛び出す不安と恐怖と、それを上回る期待がアーリの胸を膨らませていた。

 アーリのような若者は世界中、どこにも溢れていて、そして思い描いた未来を手にする者は、ほんの一握りに過ぎないけれど。

 必要な量の薪を割り終えて家の脇へと薪を積んでいると、数日前にこのランゾンを訪れた二人組の男女が、家の前を通る道から自分に視線を向けているのにアーリは気付いた。 


 行商人以外には滅多に見ない外の世界からの来訪者にアーリはもちろん、村の誰もが好奇心を駆り立てられて、彼らの容姿ばかりか食事の内容、いつどこで何をしていたのか、ランゾンの住人達の間で逐一情報共有がなされていたくらいだ。

 そして男女が新しい行商人の類ではなく、危険を冒して未知の領域に赴き、時に財宝を求め、時に名誉を求め、時に恐ろしい怪物と戦う【冒険者】という特殊な職に就く者達だったのもランゾンの人々を大いに刺激した。


 二人の冒険者の内、男は使い込まれた業物の雰囲気を纏う長剣、新品ではないが丁寧に手入れされた黒光りする鋼鉄の鎧兜、鋼鉄製の大盾で武装した二十代半ば程の青年でルーディンという名前だ。

 豊かに変わる表情と陽気な物腰は、荒事を生業としているとは思えない印象を見る者に与えている。なにより村では見かけない、野性味を備えつつもどこか気品を感じさせる顔立ちは、ランゾンの女性達を熱中させた。


 一方、相棒の女性は絹のような艶のある紫の髪を腰まで長く伸ばし、両肩程の幅のある大きな三角帽子を被り、瀟洒な刺繍の施された赤いローブを纏い、それでも隠しきれぬ豊満な体つきをした妖艶な魔法使いでマグリエという。

 指先から肘まで覆う長手袋に包まれた左右の手首には小指の先ほどの赤い水晶が埋め込まれた銀細工らしき腕輪を嵌め、携えた魔法使いの象徴である杖は、先端に金属製の環を持つ水晶球が細工された逸品だった。


 アーリからすれば自分の憧れが現実となって姿を見せたようなものだったから、飛びぬけて好奇心に駆られてどうにか彼らと話でも出来ないかと気を揉んだものである。

 幸いにして機会は、今日、向こうからやってきた。

 思わぬ幸運に、アーリの心臓がどうしようもなく激しく脈打ったのも仕方がない。ルーディンが、人嫌いの人間の心も開くような朗らかな調子でアーリに話しかけてきた。


「よう、少年。精が出るな。毎日となると大変だろう」


 金属製の鎧兜に長剣と大盾も合わされば、とてつもない重量だろうに、ルーディンはまるで苦にした様子はない。

 それどころか鎧も含めて肉体の延長のようにごく自然な動きで、アーリの方へと歩いてくる。マグリエもそれに倣った。


「い、いえ。毎日やっているから、慣れています」


「そうか、そうか。見たところ、それ以外にも鍛えているみたいだな。体の芯がしっかりと出来ている。いつかは村を出る日に備えてなにか訓練でもしているのかい?」


「はい。父と母が冒険者だったので、遺してくれた手記を参考に我流で訓練をしています。いつかは僕もその後を追おうって決めているんです」


「ほう、親子二代でか。俺もお前さんくらいの時は、自分の腕だけでどこまでやれるかって夢見ていたもんだ。今も夢を見ている最中かもしれんが」


 ルーディンがしたり顔で喋っていると、マグリエが柔和な笑みと同じく柔らかな声で優しく咎めてきた。


「こら、話が進まないわ。ねえ、お邪魔してごめんなさいね。私はマグリエ、こっちはルーディンよ。あなたのお名前を聞いてもいいかしら?」


「アーリです。お二人のことは村中の話題になっていますから、知っています。こうして、直に話をしたのは今日が初めてですけど」


「そう、ふふ、ランゾンの方達には随分と歓迎していただいているもの、ね。それで私達が話しかけた理由なのだけれど」


「はい。なんですか」


 ルーディンとマグリエを前に緊張に体を固くして、興奮に頬を赤らめるアーリの姿を、二人の冒険者は微笑ましく思っていた。あるいは彼らもアーリと同じ年頃には、こうだったのかもしれない。


「詳しい事は言えないのだけれど、近くの森に探し物をしに行きたいのよ。ランゾンの人達が霧雨の森と呼んでいるところね。誰か道案内をしてくれる人を探しているのだけれど、良い人を知らないかしら?」


 この二人が近くの山や草原に足を運び、何かを探し回っているのはランゾンでは周知の事実だ。アーリはますます頬を赤くして自ら案内人に立候補した。


「それなら僕が行きます。森の中でいつも鍛錬していますから、案内は出来ます!」


 必死ささえ感じられるアーリに、二人はお互いの顔を見合わせてからすぐに頷き返した。


「そう、それは渡りに船、ね。じゃあ、アーリ君に案内をお願いしようかしら」


「なにも一日で森の全部を見回そうとまでは考えちゃいない。アーリ、お前さんの都合もあるだろから、今から出て遅くても夕暮れ前には戻るつもりだ。それで大丈夫か?」


「はい、大丈夫です。あの、すぐに支度してきますから少しだけ待っていてください」


「慌てなくいいからな」


 一分一秒が惜しいと言わんばかりに家に駆け戻るアーリの姿に、ルーディンとマグリエは微笑を深くした。


「初々しいねえ。夢見る少年って感じだ」


「十年くらい前は貴方もああだった?」


「似たようなもんさ。あのくらいの歳ごろなら、夢見る冒険心ってのは誰だって持っているさ」


「ふふ、あの子が夢を叶えられるといいわね」


「そいつばかりは本人の努力と才能、それに」


「それに?」


「運次第だ」


「本人の努力ではどうしようもない最たるものねえ」


「世の中、不平等だからな。だから名を馳せる奴とそうじゃない奴が出てくる。俺達だってそうだろう? ここまでは来られたが、とっくに俺達より上に行っている奴らはごろごろいる」


「そう、ね」


 マグリエはルーディンの横顔に寂し気な視線を向けた。冒険者になるという夢を叶え、失敗と成功を繰り返してそれなりに名も知られたが、だからこそ自分達の限界というものも感じるようになってきている。それが大人になった事だとは、思いたくなかった。

 二人の間に流れ出した沈鬱な雰囲気は、目の前の家の中から聞こえてきた物音が払拭してくれた。なにか落としたのか、蹴飛ばしたのか。アーリの慌てる姿が瞼の裏に浮かぶようだった。


「はは、慌ててんなあ、アーリの奴」


 バン! と勢いよく玄関の扉が開いて、腰にベルトを巻いて小剣を帯びたアーリが姿を見せる。普段はこれに両親の残した革製の防具一式を着こんで鍛錬するのだが、二人を待たせているから小剣だけを身に着けてきたようだ。


「お、お待たせしました!」


「たいして待っちゃいないさ。それじゃ、早速で悪いが案内してくれるか?」


「はい!」


 少年らしい満面の笑みを浮かべるアーリに、先程までの空気を忘れて、ルーディンとマグリエは笑い返した。

 畔と溜池の間を縫うように作られた道を三人は進み、道中で語られるルーディン達の冒険譚と経験に基づく冒険に関する助言は、アーリにとって宝石よりも価値のあるものだった。


 ランゾンは村全体を木の柵で囲っており、出入り口には詰め所が設けられて猛獣や魔物に備えて、武装した村人たちが交代で門番をしている。

 よく村の外に出て鍛錬に出ているアーリが、今日はルーディンとマグリエを連れているのに同じ村の仲間の門番は驚いた様子だが、それも羨ましそうな視線に変えて門を開き、三人を通した。


「霧雨の森にはほとんど魔物らしい魔物は出てきません。メイスラビットやスピアビートルくらいで、後は普通の猪や熊がいるくらいですね。それも森の奥の方に居るから、滅多に見かけません」


「村の様子を見るにそう強い魔物が居ないのは分かっていたが、アーリ、森の中で鍛錬しているっていっていたが、メイスラビットなんかともやり合っていたのか?」


 メイスラビットは、名前の通りに長い耳の先端が鉄槌のように固い大型の兎だ。基本的に身を守る以外には耳の鎚を振るわない魔物だが、いざ戦うとなれば積極的な攻撃性を見せてくる。魔物としては弱い部類だが、耳の鎚は人間の骨を砕く威力を備えている。


「たまに向こうと出くわして戦った事はあります。相手には迷惑な話でしょうけど、良い訓練になったと思います。肉は食べられますし、毛皮は加工すれば売り物にもなりますし。ルーディンさん達にとっては、欠伸が出るような弱い魔物でしょうけど」


「今は手古摺るような相手じゃないが、俺だって最初から強かったわけじゃないさ。メイスラビット相手に無我夢中で戦っていた時期もある。アーリ、お前みたいに故郷の村を出て、冒険者やあるいは英雄になろうって奴は多い。俺もまあ、その口だ」


「はい」


「たいていの奴は一年か二年で心が折れて、故郷に帰る。でもな、生きて帰れた奴らは幸運だ。油断や準備不足、知識不足、どうしようもない不運、いろんな理由で死んじまう奴はどうしたっている。

 だから、もし本当に冒険者になるなら、生きる為の努力を惜しむな。“大丈夫だろう”は厳禁だ。“大丈夫じゃないかもしれない”、だから備える。

 そう思うのが生き残る確率を上げるコツだ。周りから臆病者だの、考え過ぎだのと言われても、最後まで生きている奴の方が勝ちなんだ。そいつを覚えておくといい」


「はい、ありがとうございます!」


「あー、慣れない先輩風なんか吹かせて悪かったな。ただ本気の助言だ。頭の片隅にでも仕舞っといてくれ」


「うふふ、貴方にしては雄弁だったわね、ルーディン」


「笑うなよ」


 長い年月を共にした者特有の気安い二人のやり取りに、アーリはいつか自分にもこういう仲間が出来るだろうかと、羨望と共に思うのだった。

 そうして三人は時折、外に出ていた村人たちとすれ違いながら目的の霧雨の森へと辿り着く。樵や狩人以外にはランゾンの村人でもあまり足を踏み入れない森は、ほとんど手付かずでそのままその向こうに見える山まで続いている。


「この先に古い祠があるんです。村の誰も何時からあるのか分からないし、何を祀っているのかも分からないんですけれど、僕はいつもそこで鍛錬をしています」


 踏み均された道を進みながら告げるアーリの言葉を耳にしながら、ルーディンとマグリエは森の中の情報収集を欠かさない。

 アーリは気付いていなかったが、既にマグリエが意識や視界を共有している使い魔の鳥を飛ばして、空から森を調べているし、戦士だけでなく密偵としての技能も備えるルーディンは注意深く四方へ警戒の意識を伸ばし、観察眼を研ぎ澄ましている。


 そうして豊かに育った木々の間の道を進むと、アーリの口にした祠のある開けた場所に辿り着く。ちょうど木々の間隔が開いて広場のようになっており、ひと際大きな木の根元に開いた洞に、祠が融け込むようにして鎮座している。

 おおよそ魔法使いとは同時に学究の徒であり、知識欲が旺盛な傾向にあるが、マグリエもその例に倣って祠がなにを祀ったものなのか、気になる様子だ。


「見覚えのない様式の祠ね。ただとても古いものだわ。百年や二百年じゃ利かない。それこそ千年単位のものかも」


 祠の前に屈み込み、軽く手で触れるだけだったが、マグリエにはそれだけでも分かる事はあったようだ。魔法を使わないのは本格的に調べる時間がないのを、彼女が理解しているからだろう。


「そんなにですか? 村が出来る前どころの話じゃないですね」


「ええ。もっと時間に余裕のある時に来たかったものだわ。ルーディン、お待たせ」


「いや、待っちゃいないが、そろそろきな臭くなってきたかもしれん。根拠は俺の直感だけだが」


「あら、それなら十分信じるに値するわ。それじゃあ、アーリ、ここから先は私とルーディンの二人で行くわ。貴方はここで待っていて」


「え、でも、ここから先でも案内できますよ」


「ふふ、気持ちだけ頂いていくわ。すこし危ない事になるかもしれないし、もし私達が夕暮れになっても戻ってこなかった時や、大きな物音が聞こえたらすぐに村に戻りなさい。そして門を閉めて、村の人達に警戒を呼び掛けて」


「そんなに危ないんですか?」


「心配そうな顔をしないで。ルーディンも言っていたでしょう。“じゃないかもしれない”という可能性を考慮しているのよ。村長さんにもしもの時の事は伝えてあるから、村に戻ったら指示に従って」


「アーリ、納得のいかない事もあるだろうが、命あっての物種だ。いいか、自分の命を大事にしろ。一つしかない上に、自分の命を大事に出来ないと他人の命も大事に出来なくなるからな。

 なに、俺もマグリエもお前が考えているよりかずっと強い。きちんと生きて帰ってきて、なにがあったか一番に聞かせてやるって」


 そう告げて、にかりと笑うルーディンの頼もしさに、アーリは頷くしかなかった。


「分かりました。なにを調査に来たのかは分からないけれど、でもどうかお気をつけて」


「ああ。悪いな、面倒ごとに巻き込んじまってよ」


「大丈夫よ、心配しないで。貴方こそ、自分の身の安全を第一に考えてね」


 そうしてアーリを祠のある広場に置いて、森の奥深くを目指してゆく二人の背をアーリは見送るしかなかった。いつもとどこかと違う森の空気を、アーリもまた無意識に感じ取って、心のどこかで焦りや不安を感じていたのかもしれない。

 灰色の雲に覆われた空の影響もあってどんよりと暗い森の中で、アーリは見慣れたはずの祠の広場にいても落ち着いてはいられなかった。


「大丈夫、二人は僕が思っているよりもずっと強いんだ。それに何もない可能性だってあるし、何かあったとしてもそれに備えてきている筈。大丈夫、大丈夫だ」


 それは二人の無事を祈る言葉というよりも、不安に揺れる自分の心を宥める為に自分に言い聞かせている言葉だったが、それを口にせずにはいられないのだ。


「そういえば鳥の鳴き声が聞こえない。虫の声も……。風の音はあったけど、やっぱり森の中で何か異変が起きているんだ」


 ようやく彼も気付いた森の異変に、アーリは今からでも二人を追うべきかどうか思い悩む。

 アーリは、ろくに戦闘経験もなく急ぐあまりに防具すら身に着けていない自分では足手まといにしかならないと、頭で分かっているから足は止まっていたが、心は二人を追いかけるべきだと声を上げている。


 本物の冒険者の戦いを間近で見られるかもしれない期待、自分も何かをしたいという欲求などがアーリの心の中で一斉に声を上げて思考をぐちゃぐちゃにかき混ぜている。

 追うのか待ち続けるのか、決断できないアーリの耳をがさがさと茂みの揺れる音が揺さぶる。二人が向かった方向とは別だ。


「誰だ!」


 咄嗟に腰の小剣に手を伸ばしたアーリが振り返った先で、姿を見せたモノにアーリは息を呑んだ。ソレはアーリが父母の手記や物語の中でしか知らない存在だった。

 骸骨だ。皮も肉も内臓も削げ落ちた骸骨がそこに立っていた。しかも右手に長剣を、左手には丸盾を持って、金属製の兜と胸当てまで着けている。


 死体に悪霊が憑依するか、あるいは死霊魔術で作り出される“スケルトン”と呼ばれるアンデッドの一種だ。

 主に労働力として用いられることの多いスケルトンとは違い、最初から戦闘を目的として作られる“スケルトンウォーリア”である。


「そんな、どうしてこんなところに!?」


 アーリは心底の驚きを口にしたが、それでも体は小剣を構えるのを忘れない。これまで彼が積み重ねてきた鍛錬の成果だ。

 そしてスケルトンウォーリアは、アーリの感情で行動を変えるような真似はしない。長剣を振り上げて、骨だけとは信じられない素早い動きで見る間にアーリとの距離を縮める。


「このっ!」


 自分目掛けて振り下ろされる長剣を、アーリは咄嗟に掲げた小剣で受けた。骨だけとは信じられない膂力と鋼の重みが小剣越しに伝わり、アーリの腕を芯から痺れさせる。

 なによりもスケルトンウォーリアの伽藍洞の眼窩で燃える炎のような赤い瞳が、アーリの背筋を震わせた。


 アンデッドは生者を憎む。羨む。恨む。妬む。彼らから失われたぬくもりと生命を持っているからだという。

 スケルトンウォーリアが長剣をぐいぐいと押し込んでくるのに合わせて、アーリの小剣がじりじりと下がってゆく。咄嗟に体をねじって体勢を入れ替えようとするアーリの視界に、スケルトンウォーリアが左手を振りかぶるのが見えた。

 盾による打撃――シールドバッシュ!


 防具を身に着けていないアーリにとっては、どこで受けても大きな怪我に繋がる一撃を、アーリは長剣の押し込む力に逆らわずそのまま後方に倒れ込み、抵抗を失ったスケルトンウォーリアは前のめりになるのを堪えなければならなかった。

 そうしてシールドバッシュを不発に終わらせた隙に、アーリはスケルトンウォーリアの左側に立ち上がり、まだ前のめりの骸骨の首を狙い、両手で振り上げた小剣を力の限りに振り下ろす!


「でやあああ!」


 使い込まれた小剣の刃は、しかし、スケルトンウォーリアがかざした丸盾に阻まれて、浅く鉄製の盾に斬り込んだところで止められてしまう。

 ここで動きを止めてはいけない! すぐに次の攻撃を! アーリが小剣を引き戻そうとした時、スケルトンウォーリアが体ごと体当たりをしてきて、アーリはいいように吹き飛ばされてしまう。


 どうにか転ばないようにとたたらを踏むアーリを目掛けて、スケルトンウォーリアが長剣を振りかぶり、その一撃はアーリの左肩口から右の脇腹までを無慈悲に斜めに斬り裂いた。

 一気に体の中に吹き荒れる痛みと熱に、アーリは混乱して、ようやく自分が斬られたと認識したのは、斬られたまま後ろへと倒れ込んでたまたま背にしていた祠によりかかってからだった。


「ぐ、ぐあああ、ああ、痛い、痛いぃ!!」


 即死は避けられた。だが明らかに死に至る傷を負わされて、傷口から溢れる血がアーリの体を真っ赤に濡らしてゆく。血が溢れるのに合わせてアーリもまた体の中の熱と命が流れ出してゆくのを感じた。

 体の半身を血で濡らしながら、アーリはゆっくりとこちらに近づいてくるスケルトンウォーリアとその右手のアーリの血で濡れた長剣を睨む。どうにか立ち上がろうと足に力を込めるが、ぴくりとも反応しなかった。


(まだ、死ねない。死んでたまるもんか。死ねないんだ!)


 アーリは生まれて初めて死を身近に感じ、このままでは終われないと強く思っていた。

 アーリは左肩からざっくりと斜めに斬られた傷口を左手で抑えているが、次から次へと溢れる血が止まるわけもない。


「まだ……だ。ぼくは……なににもなれて、ない……。なにも、できていないんだ」


 喉の奥から溢れてきた血を吐き出して、アーリはいよいよもって意識が遠のいてくる。背中を預けている古い祠が無かったら、そのまま仰向けに倒れていただろう。

 放っておいても間もなく死ぬアーリだが、スケルトンウォーリアは止めを刺すべく長剣を振り上げる。木々の合間を縫って降り注ぐ陽光を浴びて、血濡れの長剣がギラリと輝く。


「まだ、ま……だ、ぼく、は……」


 アーリに特別な力はない。

 力ある存在の生まれ変わりというわけではない。

 体の中に勇者や魔王の魂が封印されているわけではない。

 特別な出自に生まれてその血や肉体に眠っている力があるわけではない。

 彼にあるのは漠然とした未来への希望と不安と、死を間近に感じてひときわ強くなる、生きるという願い。

 アーリに彼自身を助ける力はなかった。だから、彼が助かるとするならば、それは彼以外の誰かによってだ。あるいは、ナニカによってのみ。


(死ねないんだ!)


 もはや声に出す事も出来ないアーリの叫びは、確かに誰かに届いた。目の前が真っ暗になり、何も見えない闇へと落ちるアーリの意識は、確かに誰かの声を聴いた。


『汝の声、汝の願い、聞き届けたり』


 すぐ傍で囁かれているようにも聞こえ、自分の体の内側からも聞こえてくるような女の声だ。少女というには大人びて、けれども大人というにはどこかあどけない。


(誰だ?)


 アーリの疑問への答えはなく、女はさらに語り掛けてくる。アーリの意志などまるで歯牙にも掛けていない。アーリは女の声に対して、決定事項をただ淡々と告げている、そんな印象を持った。


『汝に新たな命を。汝に新たな力を。汝は暗黒の戦士として生まれ変わる。暗黒の神、奈落の女主人、闇の女神たるこのアンシャナの眷属となりゅのだ』


「なりゅ?」


『なるのだ!』


 有無を言わせない大きな声がアーリの意識を打ちのめし、何かが自分に触れるのを感じた。

 アーリという人間を構成する最も大事な部分、心かあるいは魂と呼ばれるもの。形はないけれど確かにあるソレが掴まれて、全身が余すところなく一斉に冷たさを訴えた。

 徐々にではなく頭のてっぺんから手足の指先まで、一斉に体の内側から凍り付いたような冷たさ。冬の風に吹かれて凍えるのとは違う、体そのものが氷に変わったような感覚。


『脆弱なる人の器に我が力と祝福を施す代償。しばし堪えよ』


「そん、なことを言われて、も」


『…………がが、頑張って。もうちょっとだから、ちょっと、本当にちょっとだから!』


「うぐ、うう、は、はいっ。うううう!」


 喉の奥が凍り付く。舌の根が固まり、瞼を閉じればそのまま貼りついて開けなくなりそうだった。体中に霜が降りて氷の像に変わっているのではないだろうか。

 スケルトンウォーリアに斬りつけられて、火で焼かれたように熱を持っていた傷口も、今は疼きもしない。だから、アーリは斬られた細胞や血管が癒着し、失われた血液も補充されつつある事実に気付かなかった。


『よ、よし! おほん、さあ、暗黒戦士アーリよ。世界へ新生の産声を上げるがいい!』


 ほっと安堵したかのように弾む女神の声を受けて、アーリの意識は肉体へと戻り、直後、今まさに振り下ろされるスケルトンウォーリアの長剣を見た。


「うおおお!」


 アーリは先程の痛みを忘れて右手の小剣を振るい、長剣をいとも簡単に受け止める。

 地面に倒れ込み、祠にもたれかかる形でかろうじて上半身を起こしているアーリは圧倒的に不利な体勢だったが、それでもスケルトンウォーリアの渾身の一撃を簡単に止められた。


「体に力が、溢れている!」


 まるで自分の体ではなくなったようだ。アーリは体の奥の奥から際限なく溢れる力に任せて、足の力だけで立ち上がり、その勢いを利用して小剣を押し込み、スケルトンウォーリアを大きく吹き飛ばす。

 スケルトンウォーリアはたたらを踏むもかろうじて姿勢を維持し、地面に倒れ込むのを防ぐ。突然のアーリの復活にも、意思無き骸骨に驚きはない。丸盾で左半身を庇い、構える姿は熟練の戦士のものだ。


「今度は、負けない!」


 うっかり小剣の柄を握り潰してしまいそうな力に突き動かされて、アーリは地面を蹴った。踏み込まれた地面が靴の形に陥没する程の力だった。

 両手で小剣を握り、右上段に振り上げる。スケルトンウォーリアは盾でアーリの一撃を受けて、その隙に右手の長剣をアーリの左脇に叩き込む腹づもりであるようだった。


「はあああ!」


 その目論見はアーリの振り下ろした小剣が、丸盾ばかりかそのまま骨も胸当てもまとめて両断し、スケルトンウォーリアの上半身を斜めに断ったことで破られる。

 優れた戦士ならば斬鉄も可能と言われるが、本来、アーリにはそこまでの腕前はない。

 目の前で真っ二つになり、その場で崩れ落ちるスケルトンウォーリアを見て、アーリは茫然と自分の手にある小剣を見た。


「すごい……。これを、僕がやったのか?」


 一方的に自分を死に追いやったスケルトンウォーリアを呆気なく倒せた事実に、アーリは信じられない思いでいっぱいだったが、ふと自分の体の変化を確かめようと左手で傷口に手を当てる。


「傷がない。それに、この力、あの声は本当に神様の声だったのか?」


 服の斬られた個所はそのままだったが、その下の肌には一切傷がなく、なんの痛みも訴えていない。

 どうしてかは分からないが、アーリは本当にアンシャナと名乗った女神によって救われたのかもしれない。けれども……。


「暗黒の神って、邪悪の代名詞じゃあ……」


 そう、世で言う暗黒神とは生贄を求め、世界に破壊と混乱を齎し、殺戮と退廃を行う邪悪な神というのが通説だ。暗黒神の信徒達が各地で起こす事件は、枚挙に暇がない。

 暗黒神を信仰しているというだけでも罪に問われる地域は多いし、万が一、誰かに知られようものならばどんな目に遭わされるか分かったものではない。

 それくらい暗黒神とは忌み嫌われ避けられる程、これまで世界に悲劇を齎して不幸を作り出してきた存在なのだ。そして、アーリにとってなによりの問題は……。


「僕が暗黒神の眷属に? なった、ならされた?」


 命を救われたことは理解しても、それは社会的には死んだも同然なのだ。アーリは救い主であるアンシャナの存在を、決して他者には口外しないと固く心に誓うのだった。



 頭上に数えきれない星々を望む暗黒の中に、女神アンシャナはいた。

 果ての見えない闇の中に浮かぶ狭い大地と無限に水の湧き出る泉、そして中央に安置された玉座。これらがアンシャナが自由を許された狭い世界の全てだった。

 飾り気のない真っ白い玉座に腰かける十代後半らしい少女こそ、アーリの生命を救い力を与えた暗黒の神に他ならない。


 アンシャナはいかなる黄金も黄ばんだ石ころに見えるような黄金の長髪と瞳、そして染み一つなく傷をつければ罪に問われるようにきめ細かく滑らかなりし褐色の肌、そして一目見れば二度と忘れられない可憐なる顔立ちを持った女神だった。

 華奢な肩がむき出しの、周囲の闇から仕立てたような真っ黒い一枚布をドレスのように体に巻き付け、女神に相応しき荘厳なる雰囲気を……


「あああああ~よがったああああああ」


 ……アンシャナはずるずると玉座の上で滑り落ちる寸前にまで、姿勢を崩す。深き闇の女神たるに相応しい表情は崩壊し、大きく安堵した表情を浮かべている。


「眷属に出来てよかったああああ。助けられてよかったああああああ」


 どうやらアーリを自分の眷属に出来たのと彼の生命を助けられたのが嬉しくて堪らないらしく、びーびーと半べそになっている。

 外見はアーリよりもいくらか年上の少女といったところだが、中身の方はもっと幼いのかもしれない。

 奈落の女主人たるアンシャナは、黄金の瞳にスケルトンウォーリアを倒したアーリの姿を映しながら、玉座に姿勢を正して座り直す。ただしまだ涙目だ。


「私の初めての眷属、私の初めての信徒だもん。助けられて本当によかったなあ。まだ森の中を進むつもりみたいだけれど、大丈夫かな、大丈夫かな?」


 アーリのことが心配で堪らないらしく、禍々しい黒い爪を長く伸ばした両手を口元に寄せて、あわわ、はわわ、と言いながらアーリの姿を見守っている。


「どどどうしよう。祝福だけじゃなくってもっと奇跡を山盛り上げた方が良いかな? でも一度に祝福をあげ過ぎると、彼の魂が受け止め切れないだろうし、地上への過度な干渉は禁じられているし、あわわわ」


 アーリは自らが邪神の眷属となり、それが露見すれば二度と陽の目が見られなくなり、父母の夢も継げなくなると恐れていたが、彼はまだ知らなかった。

 彼を救った暗黒の神、奈落の女主人、闇の女神たるアンシャナが、【世間知らず】かつ【うっかり】で、そして初めての眷属であるアーリに対して【過保護】とトリプルコンボを決めたポンコツ暗黒神であることを!


<続>


初めまして。ほどほどにシリアスなライトファンタジーのお話です。

世間体の悪い暗黒神に救われてしまったアーリとほぼほぼ善意で彼を救った女神のすれ違いあり、笑いありのお話になります。どうぞよろしくお願いします。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る