第9話 地下での勝利

「せぇい!」


「ええい、待てというに!?」


 迷いなく突撃してくるネフェシュを前に焦りを隠せぬゼゼルムは、事前の情報通り確かに実戦に慣れた魔術士ではなさそうだ。

 背後に炉を背負っている為に後退できぬゼゼルムは、ええいと吐き捨てながら黒い手袋をはめた右手を振るう。何もない空間を薙いだ右腕は、工房内に伏せていた護衛のゴーレム達に戦いを命じる合図だった。


「ネフェシュ、上だ!」


 アーリの叫びは天井に擬態していた小型のゴーレムがネフェシュへ向けて、バラバラと剥がれ落ちてきたからだ。

 一体あたりは小さな子供程の体格だが、この閉鎖された空間で数を揃えるのならばその方が道理だ。薄い石の板を繋ぎ合わせたような作りで、顔には申し訳程度の目と口代わりの窪みと鼻らしき盛り上がりがある。手足の先はのみの刃のような形状をしていた。


「ご安心を、このネフェシュ、気付いております!」


 頭上から落下してくるゴーレム達へ、ネフェシュは足を止めてしっかりと腰を落とし、右腕をまっすぐに振り上げてゴーレムの頭部を直撃し、吹き飛ばすのではなくそのまま粉砕してのけた。

 アダマストラの鉄拳を受けた小型ゴーレムは、まるでビスケットで出来ていたように木っ端みじんに砕けて、辺りへバラバラと砕け散る。

 他の小型ゴーレム達が着地したところへ、アーリが一気呵成に斬り込んだ。体勢を整えられる前に少しでも数を減らす、という真っ当な判断が彼の体を動かした。


「この!」


 やや前かがみの姿勢になった小型ゴーレムの背丈は、アーリのお腹に届くかどうか。自分より小さなものへの攻撃と言うのは、存外に難しい。アーリも故郷の森で小型の魔物や動物を相手に実戦を経験していなかったら、この土壇場で勝手の違いに戸惑ったかもしれない。

 特別な名剣でも何でもない小剣の刃は、アーリの手にある時、斬鉄すら可能な切れ味を発揮し、小型ゴーレムの首らしき部位と胴を薙いで、工房の床へゴトゴトと重たい音を立てながら散らばってゆく。

 不意を突くのに失敗した小型ゴーレム達は、ネフェシュとアーリに対して貧弱であり、見る間に二人によって駆逐されるかと思われた。しかし、砕かれたゴーレムと斬られたゴーレム達の各部位がモゾモゾとひとりでに動き出し、再び元の形を取ろうと動き出している!


「これ、このゴーレムってひょっとして核がない?」


 これまでのゴーレム戦に倣い、小型ゴーレムの核を狙おうと一体に狙いを定めて何度も小剣を振るうアーリだが、一向に動きが止まらないことにそう結論付けた。

 もしそうであるのなら、再生できないほど、それこそ粉になるまで砕くか、ゴーレムを動かしている魔術そのものを解除しなければならないのではないか? そう顔に出してしまうアーリに、ネフェシュが四肢を振るって当たる端から小型ゴーレムを砕いて答える。


「はい、その通りです。アーリさん。この小さなゴーレム達には核がありません。この工房自体がゴーレムを操作する魔術式なのです。工房から見えない糸が伸びてゴーレム達を操っているも同然。

 このように原形を留めないくらいに破壊しなければ無力化できません! えい、やあ、せぇいい!」


 アダマストラという魔術の甲冑を纏っているとはいえ、儚げな美少女が行っているとは信じがたい破砕音が響き渡り、彼女の周囲には元はどんな形をしていたのか分からない小さな石の破片が次々と撒き散らされてゆく。

 アーリは自分の様に女神の祝福を受けたわけでもないのに、ここまで一方的な戦いを見せるネフェシュに少なからぬ畏怖を抱く程だった。


「どれだけ我がゴーレム“リトルテ”を砕こうと無駄だ。そこの女が口にしたように、我が工房内においてゴーレム達は不滅なのだぞ!」


 ゼゼルムは声を張り上げて威嚇するように叫ぶが、ネフェシュにアーリが加わればリトルテと呼ばれた小型ゴーレムの修復速度よりも破壊速度の方が勝る。このまま破壊し続けて徐々に前進して行けば、いつかはゼゼルムへと到達するのは明白だ。

 倒しても倒してもキリがないとそう思い込んでも仕方ない状況の中で、ネフェシュとアーリはあくまで冷静であった。これでもう少しリトルテが難敵であったなら、彼らから余裕を奪う事も出来たろうに。


「ああ、せっかく俺がコツコツと作り貯めてきた可愛いゴーレム達が!? なんだあの鎧の材質は? 高精度に錬成したミスリルを基本とした合金か? ええい、解析を阻害する魔術をこう何重にも掛けるとは!

 ああ、俺にもあれだけの資材を揃えられる資金と技術が会ったなら! いいなあ、くそ、羨ましいいい! だが、だが、不当な侵入者共から罰として頂戴するのは家主である俺の正統な権利だ。そうでなければおかしい! よし、よし、あの女を捕らえろ、ミドルタ!」


 ゼゼルムは相当頭に熱が昇っているらしく、嫉妬と羨望とあさましい考えを勝手にしゃべり始めたと思いきや、ネフェシュを拘束してその身にまとうアダマストラを奪取せんと壁際に並んでいたゴーレム“ミドルタ”を起動させる。

 今度のそれは成人男性程の大きさのゴーレムだ。リトルテに比べて人間を模した造形をしており、肘と膝が球体関節で赤茶色の表面がつるりとしている以外はよく似ている。

 それらが一斉に机や棚に置かれていた剣や斧、あるいは鍬や鋤や鎌といった農具を手に取り、リトルテをあしらう二人へと殺到する。


「ミドルタはリトルテとは重量も力も速度も違うぞ。限りなく人間に近い能力、そして頑丈な石の肉体に青銅の表皮を併せ持っている! 上で警備をやらせていたラジットのような戦闘用には劣るが、この状況ならお前達には脅威だろう、ふははは!」


 調子に乗って笑うゼゼルムの言う通り、いくらでも再生するリトルテがうっとうしい状況で更に脅威の高いミドルタの投入はアーリとネフェシュにとって、好ましいものではない。

 いちいちすばしっこいリトルテを斬っていても手間取るだけだ、とアーリは蹴り飛ばしたり、左手の丸盾でぶん殴ったりと対処法を変えていたが、自分へ向けて腰だめに鋤を構えたミドルタが突進してくるのを見て、これはまともに相手をしないと、と意識を切り替える。

 アーリとの間に障害物はなく、左方から迷いなく突っ込んでくるミドルタの無機質な造作と雰囲気は見慣れない不気味さがあったが、命懸けの実戦を数度経験し、実際に一度は死んだアーリの心は極めて落ち着いていた。


「ふっ!」


 アーリの腹を目掛けて突き込まれる鋤を左手で掴み止め、ぐいっと渾身の力で引き寄せて体勢を崩したミドルタの首を両腕ごとまとめて斬り落とす。石の体と青銅の表皮はわずかな抵抗を、アーリの手に伝えただけであった。


「次!」


 そのまま鋤を奪い取り、左手一本の投擲で続けて迫っていた鎌を持ったミドルタの胸を貫き仰向けに転倒させる。二体のリトルテが刃の手を振りかざして足元に迫ってきていたが、最初に倒した首なし腕なしのミドルタを蹴り飛ばして叩きつける。

 足一本で蹴り飛ばすには困難な重量だったが、その分、蹴り飛ばすのに成功すれば破壊力は抜群だ。


(ゼゼルムとの距離は……僕がネフェシュの援護に徹すれば、いけるか?)


 アーリがネフェシュに目線を向ければ、彼女はミドルタの足を両手で握って振り回し、近づいてくるリトルテやミドルタを次々とぶん殴って破壊していた。いやはや、兜の下の美貌が嘘のような暴れっぷりである。

 振り回していたミドルタがついに耐え切れずに足一本だけになると、今度はそれを両手で握り潰すなど徹底的な破壊ぶりだ。

 おそらくまともに実戦の場に立ったことのないゼゼルムは、ネフェシュとアダマストラによって次々と破壊される自らの作品の姿に、つい先程の笑みを消して青ざめた顔になっている。アーリは既に少しこの魔術士に哀れみを抱き始めていた。


「ところでゼゼルムさん、貴方の研究についてですがお金を借りてまで一体何をなさろうとしたのですか? よろしければお聞かせ願いたいのですが!」


 なぜか戦闘中にも関わらずネフェシュが、ボギっと音を立ててミドルタの首をへし折りながらゼゼルムに問いかけた。ネフェシュの意図が読めない行動に、アーリは眉を寄せたがいつのまにか足元に居たユヴァが理由を教えてくれた。


「話している間は魔術の詠唱が行われないからな。えてして引きこもりの魔術士は自分の研究を披露する機会が少ない。するべき状況ではない、と頭で分かっていてもつい口を開いて止まらなくなるというのは、ままある話だ。

 ましてやゼゼルムにとって、お前とネフェシュの戦いぶりは予想外であっても、自分の工房の中という優位を信じて縋っているからな。怯えを払拭する為にもベラベラ喋り出す可能性は高い」


「な、なるほど。これで魔術まで使われたら厄介ですもんね」


 これでユヴァの言う通り本当にゼゼルムがネフェシュの問いかけに応じたら、なんとも手軽で馬鹿らしい魔術封じだ。

 今の様にゼゼルムが身振り手振りでゴーレムを起動させる例もあるが、工房に付与した機能とは別に攻撃魔術や妨害魔術を使用するならゼゼルムが詠唱するか、魔術を付与した道具を使う必要がある。

 どちらの方法であっても喋りながらでは行使できないか、実行が難しくなるのは間違いない。はたして、ゼゼルムはネフェシュの問いかけに答えた。彼はどこまでいっても実戦を知らぬ研究一筋の魔術士であり、自己顕示欲もまた人一倍の典型的な研究者であった。


「はは、俺の研究を知りたいだと!? お前達に依頼を出した業突く張りに聞かされていなかったのか? いや、分かる、俺には分かるぞ。俺の研究は世の中の在り様を一変させるからな!

 それを知ったお前達が依頼を失敗させてでも俺の研究を独占するだろうと、奴は危惧したに違いない。そうだ、そうであるならば、お前達が俺をただの、そこら、ありきたりなゴーレム屋だと侮るのも無理はない。そうだろうともさ!」


「まるで自分の言葉に酔っているみたいだ。それに急に早口になってる……」


 呆れた声を思わず漏らしたアーリだが、その間にもミドルタが振り下ろしてきた手斧を左手の丸盾で受け止め、即座にはじき返して無防備な腹に蹴りを入れて吹き飛ばし、背後から長剣を振り下ろしてきたミドルタには回転しながらの斬撃を首筋に叩き込み、一時的に無力化……と戦う中で乾いた土が水を吸うように経験を積んで急速的に戦い方が様になってきている。

 我流の剣術と闇の女神に与えられた超人的な身体能力というチグハグなアーリにとって、適度に弱く適度に数が多いゴーレム達は絶好の訓練相手だったようだ。

 加えてネフェシュの言葉で自尊心をくすぐられたゼゼルムが弁舌を振るうのに熱中し始めて、ゴーレムの攻撃の波が緩やかになったのもアーリに味方していた。


「俺が作っているのはただ命令に従うだけのゴーレムではない! 人間の代わりとなり得る柔軟な対応が出来る、代替労働力としてのゴーレムだ。

 水を汲み、薪を集め、畑を耕し、種を植える……今あげたほんの一例だけでもどれだけの人間が生存とほんのわずかな娯楽の為に一日の労力を費やさねばならないか分かるか!?

 農民も職人も猟師も、およそ人類社会を支えている基幹産業に関わる人間はただ労働だけで生涯を終える。だが、それでは人間たるべき知性を持って生まれた意味がない!

 彼らを単純な労働に拘束される時間から解放するのが、俺のゴーレムだ! 初期投資さえすれば給金も休憩も食料も必要のないゴーレムならば、人間をはるかに上回る高効率の労働力だとなる。違うか!?」


 アーリもまた典型的な辺境の小さな村の生まれである。ゼゼルムの言う日々の労働から解放されたなら、ほぼ一日中、好きに出来る時間が生まれるわけで、彼の現状に至るまでの過程はともかく主張に関しては耳を傾けたくなる衝動に襲われている。

 ただゼゼルムの置かれている今の状況を考えれば、彼の主張や能力に少なからず欠陥があったのは火を見るよりも明らかだ。


「なるほど、ご意見は分かりました。疲れず、お腹が減らず、病気にならないゴーレムの利点には私も同意します。

 では、どうしてそこまで優れた技術と思想を併せ持つ貴方が、こうして借金を踏み倒して逃げたふりをした挙句、こっそりとお屋敷の地下に逃げ隠れているのでしょうか!?」


 ゼゼルムに気付かれないように一歩一歩、少しずつ近づくネフェシュは、ゼゼルムの注意を引く為にまだ会話を続けるつもりだった。

 ゼゼルムはこれまで相当鬱憤を貯め込んでいたらしく、目を血走らせて唾をこれでもかと言わんばかりに飛ばして熱弁を振るう。

 今のゼゼルムの目には、ネフェシュとアーリすら映っていなかったかもしれない。


「そんなものは決まっている! 労働から解放された民衆は教養を得るべきだ。簡単な読み書きと計算しかできないような低俗な教育は終わり、人々はより広く知識を得てそして新たな知識を生み出すべきなのだ!

 そうする事で人類社会はより良き知恵と知識を積み重ねて、芳醇なる文明を生み出すであろう!

 しかし、それを由としない者達がいる。多くの人々が無知蒙昧で愚かでなければ利益を損なう者達、知識を独占することによって特権と利益を得て世俗の垢に塗れる者共!

 すなわち金貸しの如き金の亡者たる商人、知識を独占し啓蒙を広めようともしない低劣な学士、そして生まれついての特権階級にして貴き青き血などと自らを別種の存在であるかの如く語る王侯貴族共!

 もし俺のゴーレムの手によって人々が労働から解放され、知識を得れば己らの啜る甘い汁が奪われると恐れ!

 奴らにとって民衆とは愚かで、無教養で、無学な労働力でなければならないからだ。一方的な搾取、合理的ではないその社会構造を気付かれてしまっては、これまでの特権の崩壊を招きかねない!

 これまで利益という名の肉の塊を貪っていた事実を知られるのを恐れ! 奴らは俺の頭脳が生み出す新たな世界構造を阻むのだ!!」


「熱弁ですね。なんだか個人的な恨みとか嫉妬が混じっているようにも聞こえますけど」


 と呆れながらも小剣と丸盾、そして足を動かすのを忘れないアーリに、ユヴァがゼゼルムを見る目をますます冷たくしながら答えた。


「最初はどうか知らんが、今は私怨が原動力になっている類の阿呆だ。上手く行かないのを自分の研究を忌み嫌う者達が妨害しているのだと思い込んで、なんとか自尊心を守ろうとしている馬鹿だ。これまで見たくもないのに何度も見てきた」


 心底うんざりした声のユヴァの推測が正解だと告げるように、ゼゼルムの熱弁はこのように続けられた。借金を踏み倒した魔術士は、ネフェシュとアーリが徐々に接近しているのに気付く素振りを見せない。


「俺の研究が上手く行かないのは、資金繰りが上手く行かないのは、そういった連中が俺の研究が齎す人類社会全体への利益よりも、はるかに狭い自分達の周囲に齎される利益が大事だからだ!

 俺が心血を注いだ研究だぞ? 俺の努力が生み出した技術だぞ! 俺の全てを捧げて作り出した技術なんだ。それが成功しないわけがある。どうしても上手く行かないのなら、それは誰かが邪魔しているに決まっている。

 そうでなければおかしい、辻褄が合わん。そうでなければ俺が成果を上げられずに借りた金を返せず、こうした地下の工房に引き籠って研究を続けるなど、そんな、そんな愚かで惨めな目になど遭うものか、そうだろう!?」


「阿呆め。そして馬鹿だな。そんなもの、貴様の能力が不足しているだけの話だ」


 ゼゼルムの激情にとびきりの冷や水を浴びせたのは、もちろんのことユヴァだ。細めたオッドアイでゼゼルムの狂気の滲む顔を見上げている。


「なんだ、貴様は、使い魔? そうか、そこの少女の鎧を作った魔術士の使い魔か? 俺の、このゼゼルムの研究を盗みに来たんだな!?」


「誰が要るか、こんな平凡、凡百、ありきたり、普通としか評価できないゴーレムの技術など。私が欲するとしたならどこにでも転がっているような技術ではなく、精々、これらの材料くらいだな」


「おま、え、お前も、お前も俺を普通だと、俺を認めないのか! 俺を侮るのか!!」


「お前の積み重ねてきた努力は別に侮蔑もせんし称賛もせん。お前が望んで積み重ね、得てきたものだ。私がどうこうと口を出すものではない。

 だが、お前の掲げる目標に対して、まるで技術が追いついていない。人の代わりに労働をさせるとお前は口にしたが、実際の労働がどれだけ精密で変化に満ちているのか、お前は理解しているのか?

 上とこの工房で叩き潰したゴーレムや魔獣達と戦い、解析して分かったが、お前の組んだ行動術式は極めて短調で、複雑なものを組み込めていない。あんな術式しか組み込めないのなら、お前は単調な作業しか出来ないゴーレムを無数に用意するしかない。

 それも例えば畑を耕すという行為に対して、天気ごと、季節ごと、扱う農具ごと、畑で育てる作物ごと、土の性質ごと……これ以上に専用のゴーレムが必要になる。

 この程度の技術しかないのならば、お前の掲げる代替労働力とそれによる人類社会の知性向上など夢のまた夢だ。借金を積み重ねた挙句に工房に隠れ潜む末路に至るのも、全てはお前の分を超えた行いに縋りつき、失敗を認められない己の狭量さが原因だ」


(ズタボロに言っているけれど、努力と目標自体は否定しないんだな)


「お、おま、こ、くか、俺、おれのおをおをおをっ!?」


 ユヴァの言葉は、きっと、ゼゼルム自身が気付いていてそれでも認められずに目を背け続けていたところを、遠慮なく無慈悲に抉り抜いたに違いない。

 洒脱なところのあったゼゼルムの顔は真っ赤に染まり、太い欠陥がこめかみや首筋を問わずに浮かび上がり、わなわなと震える手は胸元の生地を引きちぎらんばかりに握り締めていて、今にも口から泡を吹いて卒倒してもおかしくはない様子だ。

 それに対するユヴァの反応がこれだ。


「はん」


 もはや言葉ですらない鼻を鳴らすかのような“はん”だ。ゼゼルムの体中の血管が切れるのではないか、と思わずアーリが心配し、この状況を見ていたアンシャナもあそこまで怒り狂う人間を初めて見て、わわわ!? と驚くほどだった。

 そしてユヴァに次いで冷静に行動していたのは、彼と最も付き合いの深いネフェシュだった。


ネフェシュとゼゼルムの間には三体のミドルタが居た。

 ミドルタは一直線に並んでいて、かつ突進するネフェシュの左掌底が先頭のミドルタの腹を打ち抜く。ネフェシュがミドルタを一直線に並ぶように誘導したのは、想像に難くない。そして彼女の狙いは次の行動から察せられた。

 アダマストラの左掌底の結晶状に付与された魔術を行使する為の魔力が流れ込み、轟雷光とは異なる第二の魔術が発動する!


「魔力充填率目標値到達、振撃衝しんげきしょう起動します!」


 発動の引き金でもある魔術の名称が発せられるのと同時に、アダマストラの左掌底から強烈な振動がミドルタへと叩き込まれ、それは三体全てへと伝播して石の体と青銅の表皮を持ったゴーレムを粉々に砕いた。

 さらに砕かれたミドルタの破片は無数の石礫となって、ゼゼルムへと襲い掛かる。ネフェシュの真の狙いはコレであった。


「う、おおおお!?」


 これに慌てふためいたゼゼルムは先程までの怒りをかなぐり捨てて、左手を咄嗟に前に突き出した。黒い革の手袋には一度だけだが、守りの魔術を発動させる触媒だった。


「わ、我が身を守れ!」


 ゼゼルムの前面に半球状の光の幕が浮かび上がり、彼を襲う無数の石礫を弾く。守りが間に合わなかったら、全身を石礫に撃たれてあちらこちらを骨折していただろう。

 石礫を凌ぎ切って光の幕が途切れるのに合わせて、ゼゼルムは冷や汗で濡れた顔にネフェシュの憎悪と怒りを滾らせる。


「こここ、この、この、小娘め。俺の頭脳が傷ついたら人類の損失だぞ! それが分かっ……ひぎぃっ!?」


 ゼゼルムは怒りのあまり攻撃魔術を行使しようとした途端、右腕に走った激痛に表情を歪め、反射的に己の右腕を見た。右の二の腕に丸盾が突き刺さり、右腕が曲がってはならない方向へ曲がってしまっている。

 ゼゼルムの纏っている衣服は専門家でないとはいえ、ゼゼルムが彼なりに強度を増す魔術を付与したものであるのに、その守りをあっさりと盾の投擲で破られるとは!

 ゼゼルムの隙を突いて丸盾を投げたアーリは、投擲の態勢からそのまま走り出してゼゼルムに近づいていた。


「申し訳ないけれど、貴方はとてもそうは見えませんよ!」


「いた、痛い、痛い、いだだいいいい。おま、小僧、お前もか!?」


「遅い!」


「ひい!?」


 アーリが大上段に振り上げた小剣の煌めきに、ゼゼルムは右腕の痛みも忘れて無事な左手で自分を庇おうと掲げる。

 そのまま小剣を一閃すればゼゼルムの左手を斬り落とすくらいアーリには容易かったが、襲い来る痛みに怯えるゼゼルムの姿はあまりにも哀れで、アーリは小剣から左手を離してゼゼルムの鳩尾に打ち込んだ。


「うぐぉえ」


 ゼゼルムにとって、深く突き刺さったアーリの拳が齎す痛みを感じる間もなく気絶したのは、不幸中の幸いであったろう。

 アーリの左腕に縋るようにしてゼゼルムがずるずると崩れ落ちると、同時にゴーレムへの命令が途切れたようで、一斉にリトルテとミドルタの動きが停止してようやく脅威が取り除かれたのが確認できる。


「自律式ではなく直接命令式か。ますますもって目標に対して努力が足りていないぞ、ゼゼルム」


 動きを止めるゴーレムを見て、ユヴァは更にゼゼルムの評価を下げたようだ。

 つまるところ、ゼゼルムのゴーレムは工房内であっても複数の対象に別々に対処できないという出来だったのだ。侵入者を排除しろと命じれば後は勝手に行動するのではなく、命じた上で逐一細々と指示を出さなければならない出来では、ゼゼルムの語る新しい世界構造の構築は無理も無理、滑稽な夢物語の域を出られない。

 ゼゼルムが頭を打たないように横たえてから、アーリは丸盾を回収し、小剣はそのままに周囲に視線を巡らせる。ゴーレムは止まったが、ゼゼルムの伏せていた魔獣や命令を無視して暴走する個体がないか、念には念を入れて警戒しているのだ。


「工房内の魔力反応、動体反応検知されません。アーリさん、魔術士ゼゼルムの捕縛は完了したと判断して良いかと。お疲れさまでした!」


 面頬を上げて微笑するネフェシュに告げられて、ユヴァからも何も言葉が無かったので、アーリはようやく戦闘の終了を認めて小剣を鞘に納めた。


「ふう、ネフェシュもお疲れ様。それでこのゼゼルムさんはどうするの? 魔術士だから呪文を唱えられないように猿轡を噛ませればいいのかな」


「でしたらこちらをお使いください。魔力の行使を阻害する魔術士を拘束する為の縄と布です」


 アーリはネフェシュが背嚢から取り出した布と縄を受け取り、気絶中のゼゼルムに猿轡を噛ませて両手を後ろ手に拘束する。このまま彼をルゾンの冒険者ギルドに突き出して、本人確認と屋敷の脅威の排除を認められれば報酬を受け取れる。


「よしこれで出来上がり、と。それでこの後は予定通りこのお屋敷で一泊するの?」


「はい。このままルゾンに戻るにしても寝ずに歩き続けなければなりません。それは健康によくありませんから、やはりこちらで一泊するのがよろしいかと。といってももうずいぶんと遅い時間になってしまいましたね」


「それじゃあ、せっかくだから客室を使わてもらおうか。それくらいなら依頼主さんも許してくれるんじゃないかな?」


「そうですね。ベッドで寝る方が疲れも取れてよく眠れるのは間違いありません」


「お前達の好きにしろ。ただしネフェシュと小僧、私は別々の部屋だ。この魔術士の監視は私が引き受ける」


「よろしいのですか、博士?」


「構わん。ネフェシュ、お前こそ眠る前にアダマストラの状態を確認するのを忘れてはならんぞ。戦闘の様子を見るに損傷はない筈だが、想定外の不具合には常に最善の注意が必要だ」


「はい。確認は怠りません。では一階に移動しましょう。夜明けまでそれほど時間はありませんが、体を休めるのはとても大切です」


 ぐったりと脱力するゼゼルムをネフェシュが軽々と肩に担ぎ、アーリは自分が担ごうとしたのに出遅れてしまった、と感じながらネフェシュに続く。


「ネフェシュ、重たくはない? 僕が運んでゆくよ」


「お気遣いありがとうございます、アーリさん。ですがご安心ください。博士の作られたアダマストラのお陰で、私自身に掛かる荷重はほとんどありません。ゼゼルムさん一人くらいはなんでもないのです!」


 えっへんと胸を張らんばかりにアダマストラの性能を誇示するネフェシュに、アーリはそれ以上、自分が運ぶとは言えなかった。

 ユヴァの制作物を自慢できる機会がこれまで少なかった所為もあって、ネフェシュが無意識にアーリの前でアダマストラの凄いところ=ユヴァの有能さを示そうとしているのだと、ネフェシュ本人もアーリも気付いていない。

 そして一度調査した一階の客室へアーリ、ユヴァ、ネフェシュの並びで入室し、その日はようやく本当の休みを取れる事となった。


「それではアーリさん。今日はお疲れさまでした。どうぞごゆっくりお休みください。博士も異常事態が生じたらすぐにお知らせください。いざとなればこのネフェシュ、部屋の壁を破ってでも駆け付けますので」


「淑女の行いではないな。気遣いはありがたく貰っておくが、今更この男に出来る事はない。短い時間になるが休息は取れる時に取っておくものだ。ネフェシュ、良い眠りを」


「はい。お二人ともお休みなさい」


「お休み」


「お休み、ネフェシュ」


 そうしてネフェシュが客室の中へと入るのを見届けてから、アーリもまた魔術で浮かせたゼゼルムを伴うユヴァへ就寝の言葉を向けた。


「お休みなさい、博士」


「ああ。小僧、お前との遭遇は予定にない事ではあったが、思いがけず良い方向へ働いた。礼を言わねばなるまいよ。助かった、感謝している。

 個人的にお前とお前の神に対する興味はあるが、今はゆっくりと休め。短い時間でも休む事が出来るのが、良い冒険者の条件の一つだ」


 意表を突くユヴァの言葉にアーリは少しの間沈黙したが、それでもすぐに心の中が喜びに満たされて、少年ははにかみながらユヴァに答えた。


「ありがとうございます!」


「やれやれ褒め言葉一つでコレか。お前は悪意のある連中にすぐ騙されそうだな。さっさと寝ろ。明日は早いぞ」


「はい。それじゃあ、また明日」


「ああ」


 ユヴァが視線を向けると客室の扉がひとりでに開き、浮かせたゼゼルムを連れてその中へと消えてゆくのを見送ってから、アーリも自分の客室へと入る。

 やや机と椅子、丸机とベッド、それと衣装棚が一つある以外は何もない部屋だが、一夜、眠りを取るだけなら上等な部類だろう。金欠の冒険者などは馬小屋で夜露を凌ぐか、街中で野営をして過ごしているのも珍しくないのだ。


 アーリは丸盾と小剣や鞄を机に乗せ、鎧兜を手早く外してゆく。戦闘で疲弊し、緊張で凝り固まっていた筋肉にようやく弛緩を許せる。

 鞄の中から水筒を取り出して喉の渇きを癒し、干し肉と黒パン、山羊のチーズを少量ずつ、木製の皿に纏めて盛る。

 量が少ないし簡素なメニューなので、アンシャナに捧げるのに相応しいか悩んだが、捧げないよりはいいのではないかと思って、同じ量を用意してアンシャナに捧げ、それが消えるのを見届けてから自分の分に手をつけて、素早く胃に収めてからベッドの上で横になる。


「はあ、まさかただの野営のつもりがこんなことになるなんて、本当に夢みたいな一日だったな。ふふ、思っていた通りに行っているわけじゃないけれど、これも冒険者の醍醐味かな……」


 体を締め付ける鎧を外し、お腹に食べ物を入れて心も休まったアーリは、瞼を閉じるとあっという間に眠りの手に落ちた。

 アンシャナのお陰で人一倍頑強な肉体を得たとはいえ、合計数十体のゴーレムと魔獣を相手に戦い続けた事が、彼の心を披露させたのは間違いなかったのだから。



「おおおおおおあああああああ、きょ、今日は心臓に悪かったなああああああ」


 二度と生み出せない芸術の如き美貌を緩めて、ずるずると玉座の上からだらしなく滑り落ちているのは、言わずもがなアンシャナだ。

 アーリの新生した肉体と同行者であるネフェシュとユヴァの実力ならば、早々危険はないと、最古の部類に入る最上位の女神たるアンシャナは理解していたが、それでも初めての信徒の身の安全は心配で堪らなかった。

 今はベッドの上で健やかな寝息を立てている、まだあどけなさを残すアーリの寝顔を見て、ほっと安堵の息を零してからの感想が思わず喉から迸ったのである。


「それにしてもアーリは格好良かったなあ。まだまだ【黒ノ一閃】は一日一回しか満足に使えないみたいだけれど、それでも十分に戦えていてよかったよかった。

 今回の戦ってきた相手は弱かったのもあったし、ネフェシュ君達ともお互いに邪魔しないで戦えていたし、アーリ一人の戦いもいいけれど誰かと一緒に戦う姿を見るのもいいものだ。それにしても心配で堪らないんだけどさあ。

 いやでも、アーリは冒険者として見つけたいものがあるみたいだし、その為には危険なことをしないといけない場面もあるだろうし……」


 アンシャナにとってアーリの抱く夢は全力で応援したいものだ。ただ一人の人間に対してあまりにも熱を入れ過ぎているくらいだが、生憎と誕生してからほぼ独りで時を過ごしてきた彼女に苦言を呈する者も、はっきりと間違っていると告げる者も傍にはいない。

 アンシャナ自身が神々の地上世界における掟を重視する理性があるからまだいいが、このままアーリが目標に向かって進み続け、その都度に危機に陥り続けたなら、何時の日にかアンシャナのアーリを失う事への不安と恐怖が爆発して、なにかとんでもない事態を引き起こしてしまいかねない。

 今はまだアーリが旅を始めたばかりであるし、アンシャナにも掟を守るだけの余裕があるから良いが、少年と一柱の女神の行く末はさてどうなるやら。


「う~ん、アーリに新しい御業を授けた方がいいかな? 【黒ノ一閃】から次の御業を授けるまでの期間が短すぎるかな? でも今回のアーリは冒険者にもまだなっていないのに凄く頑張っていたしなあ。

 【黒ノ一閃】が一撃必殺って感じだったから、今度は複数回使える手数の多い技がいいかなあ? それともこう包囲された時に全方位に向けて攻撃できるような感じ?

 いやいや、今のアーリには魔術による攻撃や防御手段がないし、それならいっそ傷を癒す奇跡の方が良いかも。

 ひょっとして今後はネフェシュ君達と行動を共にするかもしれないし、そう考えると攻撃魔術はまあ要らないか? でも遠距離攻撃の手段はあった方がいいよな……。ううん、ううん、う~~~ん」


 座り直した玉座の上で膝を抱えてうんうんと唸るアンシャナは、到底、名案を出せそうにはなかった。それはそれとしてアーリに捧げられた少量の食べ物は、美味しくいただいたアンシャナであった。


<続>

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