第3話「ナツメグお前だったのか!戦場のごんぎつね」

「なんで! なんで逃げたの私!? 馬鹿なの? 死ぬの? 死ねよ、昨日の私、死んでしまえよ! 本当バカじゃないの!? うわぁぁぁぁん!」


 昼休み。

 緑ヶ丘高校の校舎の窓からは爽やかな風が入り込んでいた。

 教室の中では昼寝している生徒も散見され、そこかしこでも談笑の輪が出来ている。

 だが。

 気持ちの良い正午を誰もが満喫している中、まるでお通夜みたいになっている一角がある。

 正確には後悔に苛まれた一人の少女が自己嫌悪でのたうちまわっており、周囲の友人達はドン引きしながら何とかしてやりたくて途方に暮れているのだった。


「あああ、なんてこった。最低だ、最低の大バカだ、私は……」


 机の上にべしゃっと突っ伏していた少女はガバッと顔を上げると心配顔で覗き込んでいた友人の胸ぐらをやにわに掴むと「ねぇッ! なんで私、あんとき逃げたのさ!」と涙目で叫んだ。周囲の友人達が慌てて二人を引き剥がす。


「落ち着けナツメグ、何言ってんのか全くイミフだぞ」

「メグちゃん、一体何があったの?」


 胸ぐらを掴まれた砂河優理がおそるおそる尋ねたが、再び顔を覆ったナツメグからは「戦場から逃げ帰っちゃったのよ……」という、これまた意味不明な応えとすすり泣きが返ってきた。


「洗浄? 洗いもので高いお皿とか割っちゃったの? ママに怒られるのが怖くて逃げてきたとか?」

「なにもかも違うわよ! 違うけど……うう、私は卑怯者だ。最低のビッチ野郎だわ……」

「落ち着いて。メグちゃんは女の子なんだから野郎なんておかしいよ」


 周囲で聞き耳を立てていたクラスメイト達は「いや、ツッコむところはそこじゃないだろ」という顔に。そもそも会話がまったく噛み合っていない。

 それでも親友を自認する涼美ヶ原瑠璃から「ナツメグ、取り合えず放課後にサーティーツーでアイス奢ってやっから詳しい話聞かせろや。な?」と肩を揺さぶられたあたりでようやく我に返ったようだった。「ホウレンソウは大事だぜ。話が分かんねーと相談にも乗れねーし」と言われ、コクンとうなずく。


「とりあえずアイスの乳タンパクで女子力アップするし。なんならヒビキのことはスパッと切り替えてニュー彼氏ゲットしよ。な?」

「いーや、まだ認めないてから私、振られてない!」


 とはいえ、その彼氏を取り戻すべく仇討ちと意気込んだつもりがあの体たらく。

 ナツメグがもう一度ため息をついたところで昼休み終了と午後の授業を告げる予鈴が鳴った。


「午後は科学実験の実習だとよ。まぁ、取り合えず理科室へ移動しよーぜ」

「ナツメグもいつまでも腐ってないで。ほら、行くわよ」

「人を腐乱死体みたいに言わないでよ、うう……」


 教科書とノートを持って生徒達がぞろぞろと教室を出る。ナツメグも友人達に宥めすかされながらトボトボと続いた。廊下で体育の授業へ向かう他のクラスの生徒達と出くわし、すれ違ってゆく。

 そして、その中にナツメグは見知った顔を偶然見つけた。見つけてしまった。


「ヒビキ……」


 過去形で言いたくない自分の彼氏。幸いというべきか、その小さなつぶやきが聞きとめられることはなく、ジャージ姿の彼は俯いたまま去っていった。

 その横顔は元気なく、寂しそうだった。


(ナツメグ、ゴメン。結局一度もやり返せなかった。ダセェ……オレ達別れよう……)


 あの日の別れの言葉が脳裏に蘇り、ナツメグは唇を噛みしめる。声が掛けられなかったのはゲームで受けた彼の屈辱を晴らすまでは逢わない! と、誓っていたから。仇を討ったらそれを告げて「私ともう一度つきあって!」と胸を張って言おうと思っていたのだ。

 それが、昨日は仇を討つどころかビビって逃げ出して……

 ナツメグの中で心の声が叫んだ。恥ずかしくないのか。悔しくないのか。


(悔しくない訳ないじゃない!)


 ナツメグはキッと顔を上げた。

 そうだ、そもそも彼のことが好きだったからこそ、やったこともないオンラインゲームの世界に自ら飛び込み、屈辱を晴らそうとしたのではなかったか。


「瑠璃ちゃん、ゴメン。アイスはまた今度奢って。私、やっぱり戦場に戻る」

「えっ、ナツメグ何言って……」

「逃げちゃダメだ。ヒビキの為に私、今度こそ戦ってくる!」


 そういうと、ナツメグはクルリと踵を返して「うぉぉーー!」と、廊下を駆けだした。思い立ったら即実行。このまま早退して、もう一度「バトル・オブ・タンクス」に挑むのだ!

 後に残された友人達やクラスメイト達は文字通り置いてきぼりにされ、ポカンとなっている。


「メグちゃん、行っちゃった……」

「これから授業なのに、どーすんのよ!」

「あーもぉぉぉ! しょうがねえなぁ。とりま生理痛とか言ってごまかしとけ」


 なんだかんだいって、結局面倒見のいい友人達であった……

 一方、そんな背後の喧騒に他のクラスの生徒達も歩きながら「喧嘩か?」「さぁ、なんだろな」と振り向いていた。

 だが、俯いていたナツメグの彼氏は関心もなさげにボンヤリしている。


「なんだヒビキ、元気ないな。どうした? この間のゲームの一件、まだ引き摺ってるのか」

「いや」


 照れたように笑った彼は「いま別のゲームにハマっててさ。昨晩やり込んで寝不足なんだよ」と、大あくびした。


「知り合いにチートアカウント譲ってもらったんだ。やっぱしTPSはファンタジーで派手なチート魔法バンバン使える奴の方ががいいな。他のプレイヤーをゴミみたいにブッ潰してアイテム奪えるんだぜ。最高だ」

「へぇ、オレもやってみようかな」


 彼は、背後に別れた彼女がいたことなど気がつきもしない。

 ナツメグがゲームで自分の屈辱を晴らそうとしていることも知らないヒビキは、肩をすくめて言い放ったのだった。


「現実もゲームもストレスなしでいい思いするに限るよな。わざわざ苦労したり努力だなんて、バカのすることだよ……」



**  **  **  **  **  **



 アプリを起動し、「バトル・オブ・タンクス」の画面がモニターに表示されるのももどかしくログインする。

 戦車の保管倉庫をチェックすると、少年からもらった戦車は撃破されたので当然なくなっていたが、改造した非課金の戦車があった。先日倒した重戦車のポイントも残っている。


「よかった。コイツがあれば立て直し出来そう……」


 希望はまだある。ナツメグは嬉しくなった。参加制限のないステージを選ぶと画面が切り替わり、例の不格好な軽戦車「ベティー改造型」が草原に出現した。

 周囲にまだ敵の姿はない。ナツメグは少年に教わったことを頭の中で反芻する。


(撃つときだけ、一時停止する。とにかく落ち着いて狙う)

(戦う時はジグザグに動いて相手に狙いをつけさせない)

(地面のデコボコや泥沼、瓦礫や森があれば戦いに役立てる)


 ゆっくり前進させながら油断なく周囲を見回す。どこかに敵が待ち伏せの為に潜んでいるとも限らない。これも少年が教えてくれたことだった。

 離れた場所に戦車が一台隠れられそうな茂みがあった。怪しきは弾を惜しまず撃てと言われたことを思い返し砲弾を放つと案の定、そこから一台の戦車が飛び出した。


「やっぱりいた!」


 用心して良かったと、ナツメグは一人うなずいた。隠蔽がバレたと勘違いした敵戦車から照れ隠しのように砲弾が飛んでくるが、デコボコ道で揺れる車体から砲撃しているせいで当たるどころかかすりもしない。対してナツメグの不格好な戦車は一発も撃ち返さなかった。

 猛スピードでジグザグ走行しながら接近し、「いけぇッ!」と、そのまま車体を相手にぶつける。

 激しい衝撃音と鋼鉄のきしむ音に一瞬目をつぶる。それでも照準モードに画面を切り替えると視界いっぱいに敵の車体が見えた。


「撃て!」


 射撃が下手でもこれなら外しようがない。直径一一四ミリ、トイレットペーパーの紙幅と同じくらいの砲弾を零距離から叩きつけられた敵は車体装甲を叩き割られ、撃破された!


「やった!」

『「ナツメグ」ベティー改造戦車、「ポッキー三世」のクロムウェル巡航戦車を撃破しました!』


 AI審判のジャッジにナツメグは思わずガッツポーズした。

 しかも嬉しいことに「捕獲可能」という表示がついている。ナツメグは迷わず捕獲を選択し、乗り換えた。

  どんな戦車なんだろうと検索で調べるとイギリス製だった。名前はピューリタン革命で活躍した軍人から付けたらしい。性能もそこそこ高く、ナツメグには嬉しい戦果となった。


(逃げずに落ち着いてやれば私、戦える!)


 それもこれも、あの少年が初心者の自分に色々と教えてくれたから。

 そう思うと胸が痛んだ。怖くて逃げだしたことを思い出したのだ。それでも自分を助けようとして、彼は愛車まで失ってしまった。


(この戦車を換金して、そのポイントで彼の戦車を買って返せないかな。確か『パンター』とか言ってたっけ……)


 そう思ったナツメグはゲーム画面の課金ショップメニューを開いたが、一瞥して「はぁぁぁ!?」と目を剥いた。撃破した戦車の換金ポイント二千に対してパンター戦車を購入するにはなんと五〇万ポイントもかかるのだ。さっきのクロムウェル戦車なら二五〇回倒さないと貯まらない!


「なによ、このフザた価格! ぼったくりもいいとこじゃないの!」


 彼が自分にプレゼントしてくれた戦車「シャーマン」は四〇万ポイントと、こちらもかなりの高額だった。


(そんな高い戦車を二台も失っちゃったんだ。私のせいで……)


 恩を仇で返してしまった……そんな悔悟にとらわれ下を向くが。


(今になってウジウジ後悔してもどうにもならないでしょ! 考えろ、ナツメグ……)


 自分を叱ったナツメグはしばらく考え込み、「そうだ、アレがあった!」と顔を輝かせた。

 それは少年が教えてくれた「ヤドカリ戦法」だった。

 この戦車でもっと強い戦車を倒し、それに乗り換えて更に強い戦車を倒し……それを繰り返せば、彼の愛車だったパンター戦車だっていつか捕獲出来るはず!


(何としても手に入れて、彼に返さなきゃ)


 彼氏の心をへし折ったにっくき敵は、必ず倒さなければ。

 だけどその前に、恩を仇で返してしまった過ちを償おう。

 そう決意したとき、砲声がして戦車の上を砲弾が掠めていった。新たな敵が現れたのだ。

 見れば、草原の彼方から近づいてくる戦車がいる。追加の装甲板をゴテゴテ貼り付けて防御力を補強した姿は甲冑武者を思わせた。

 こちらも相当強い戦車に違いないだろうが、ナツメグはもう、前のように怖いなどとは思わなかった。


「来なさい、お前もきっと倒してやるから!」



**  **  **  **  **  **



『「ルサンティマン」マルダー自走砲、「カオスラ白瀬」のマチルダ戦車を撃破しました』


 装甲を撃ち抜かれた敵戦車が身を震わせてボンッ! と煙を噴き出したので、少年の戦車は窪地からのっそりと動き出した。


「よし、また一両撃破」


 姿を現したのは、小さなトラクターに不相応な野戦砲を無理やり搭載した「自走砲」だった。

 本来なら戦車と呼べるようなものではない。防御力などなく、スピードも遅い。待ち伏せで相手を狙い撃つ以外、戦いようのない代物だった。


「あーあ。柄にもなく人助けなんかするから……」


 少年はため息をついた。

 この間まで乗っていた高性能のパンター戦車はナツメグのデビュー戦で彼女を庇って撃破され、相手に鹵獲されてしまった。そればかりか彼女にプレゼントした予備のシャーマン戦車も撃破され、何もかも失ってしまった。

 同じクラスの戦車を手に入れるためには高クラスの戦車を撃破してポイントをコツコツ貯めるか、同じ戦車を倒して鹵獲するか、高額な課金で購入するしかない。

 そんなこんなで結局、安価な改造戦車から再出発するしかなかった。


「前だったら隠れずに戦ったり出来たのにな……」


 ボヤいたところでどうしようもない。今はこの貧弱な自走砲でコソコソ隠れ、相手の不意を衝いて倒す戦い方しか出来なかった。


「それもこれもアイツのせいだ。くっそー、なーにが『タマ取りますけえ!』だ。任侠どころかヘタレチンピラみたいに逃げ出しやがって……」


 少年はブツブツつぶやいた。

 ナツメグは……あれから姿を見ていない。あんな体たらくでは、きっと「バトル・オブ・タンクス」をプレイするのを辞めて去ってしまっただろうと彼は思っていた。


(まぁいいか、どうせ使い捨ての駒にするつもりだったし……)


 気持ちを切り替え、少年は自分の自走砲を移動させた。

 戦い慣れしたプレイヤーは同じ場所で待ち伏せ攻撃をしない。残骸で気づれかるし、撃破した相手から仲間へ情報を伝えられたりもするからである。

 新たな待ち伏せには、何事もなさそうな別の場所を探さなければならない。


(こんな有様で、一体いつになったら奪われた恋人を取り返せるだろう……)


 もう一度ため息をついた少年は草原の戦場を見渡し、ある一点を見てハッとなった。

 遠くで二台の戦車が戦っている。

 よく見ると片方はそこそこ熟練したプレイヤー、もう一方はまだ素人のようだった。戦車の動かし方や大砲の撃ち方が明らかに違う。

 それでも両者は互角に渡り合っていた。素人の方は必死に動き回り、相手に正確な狙いをつけさせまいとしている。

 そうして隙を見つけては何度も果敢に近寄り、攻撃を加えていた。狙いが下手らしく、なかなか急所に命中しない。

 それでも車体を急停止させ、一度撃てばすぐに動き出して相手の攻撃を懸命にかわし続けている。

 ひたむきなその戦いぶりに、少年はなんとなく好感を抱いた。


「がんばれ……」


 つぶやいた激励が届いたのだろうか、後ろに回り込んでぶつかるほど近づいた戦車が相手のエンジンルームへ砲弾を叩きつけ、ついに討ち取った。


「おお、よくやった!」


 他人事ながら少年は嬉しくなったが、勝者の戦車を見て思わず「あっ!」と叫んだ。


(あれ、僕のパンター戦車じゃないか!)


 サンドカラーに緑と茶色の迷彩、砲塔に描いたパーソナルマーク「涙と拳」は自分が創作したルサンティマン強者を憎む弱者の意匠を凝らしたものだった。

 見間違いようなどなかった。半月前に撃破され、奪われた自分の愛車がそこにいる!


「おのれ……!」


 相手が鹵獲した自分の戦車でぬけぬけと戦果を挙げたのだと知り、好感は瞬時に敵意へと変わった。

 少年は自分の自走砲のエンジン音を絞ると、相手に気づかれないよう背後から静かに近づいてゆく。


「……」


 忍者のように忍び寄る少年に気がつきもせず、パンター戦車は砲塔を左右に振りながら動き出した。その姿は何故かしら誰かを探しているように見えた。

 やがて少年はパンター戦車の真後ろについた。ここは戦車の中でも一番防御力が低い弱点で、ここを零距離で撃てば重戦車でもたいてい撃破出来る。


「撃て!」


 轟音と共に戦車砲はバム! と火を噴き砲塔後部に命中、パンター戦車はつんのめるように停止した。


「やった! 自分の戦車を取り返したぞ!」


 誰か知らないがざまぁみろ! と、少年が小躍りしているとゲーム実況の機械音声がこう告げた。


『「ルサンティマン」マルダー自走砲、「ナツメグ」のパンター戦車を撃破しました!』

「えっ!?」


 少年は愕然となった。

 彼が撃ったのは……ナツメグだった。てっきり「バトル・オブ・タンクス」から去ったと思っていたナツメグは、萎え落ちして去ったどころか自分が奪われたパンター戦車を自分の知らぬ間に奪い返してくれていたのだ。

 そういえば、さっき走りながら誰かを探しているようにも見えていた。

 それを知らず自分は……


「もしかして僕にこの戦車を返そうと……!」

「ああ、よかった。私を撃ったのはアキトだったんだ。じゃあこれ、返せるね……」


 相手が戦車を返したかった本人と知ってナツメグはホッとしたが声はそこで途切れ、少年は思わず「ナツメグ!」と叫んだ。撃破されたプレイヤーはゲームステージから強制的に退場させられるのだ。

 撃破されて下を向いたパンター戦車の砲はぐったりとうなだれていて、それは誤解されて撃たれ、死んでしまった「ごんぎつね」を思わせた。


「……」


 声もなく振り返ると、青い煙が大砲の筒先からまだ細く出ていた。

 視界の中で、それは次第に涙で滲んでいった……

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る