第10話「ブチ切れ小悪魔Vtuber、宣戦布告!」

 窓の外に見える広葉樹は、黄色く色づき始めていた。


(秋なんだなぁ……)


 すっかり自分の定位置になった図書館のテ-ブルに教科書を置くと、少年はそれまで静かに取り組んでいた勉強から離れ、椅子の上で大きく背伸びした。

 一人で家にいるときは、ずっとあのゲームばかりしている。

 だが、勉学だけは疎かにしないことを少年は自分に義務付けていた。自分を疎外した連中に学業でも蔑まれるなど死んでも嫌だったのだ。

 それに家にいるばかりだと、やはり息が詰まりそうだった。同じ学校の連中と顔を合わすことのない隣町の図書館まで、少年は毎回足を運び、そこでいつも孤独な勉学に勤しんでいた。

 分からない処があれば無料の受講動画を視聴したり、検索で調べることで解決出来る。自分に教鞭と取ってくれる者こそいないが、一人で気兼ねなく勉強が出来る図書館は、少年にとって都合の良い教室代わりだった。

 孤独の辛さに苛まれることも以前は多かったが、最近ではそれも少なくなった。

 ふと、窓に映った自分の顔を見る。笑みを浮かべているのが分かった。


(よかったらオフで会って乾杯しようよ! 私は高校生だからジュースになるけど)


 どうかすると「会いたい」と言ってくれたあの少女のことを思い浮かべてしまう。

 そうするといつのまにか自分の顔に微笑が浮かぶのだ。

 いつも彼女の言葉を思い出すだけで、乾きがちな自分の心が潤されてゆくのが分かった。


(顔も知らないけど、どんな女の子なんだろう)

(少しおっちこちょいで、でも元気いっぱいで明るくて人懐っこいから毎日賑やかなんだろうな。きっと友達もいっぱいいて……)


 だけど、彼女には仇を討って元の仲に戻りたいという恋人がいる……

 そして、自分には彼女に隠している秘密がある。


 少年はため息をついた。あの少女の恋人になれた男が心底羨ましかった。

 自分にだって「恋人」はいる。

 だけど、その少女は……


(駄目だ。あの娘は駒だ。使い捨てなきゃいけないんだ)


 少年はもう一度ため息をついた。


(気持ちを切り替えよう)

(そうだ、こんなときはあれで気晴らしを……)


 少年は席を立つとベランダへと足を運んだ。閲覧室や勉強室ではスマホの使用が禁止されているのだ。

 深まる秋の空気を楽しみながら取り出したスマホをタップし、ブックマークしている動画サイトを開く。

 ワガママ萌えなお姫様Vtuber「文字川りるむ」の「りるむ姫のゲーム動画実況チャンネル」。

 彼女を聖姫と戴く常勝プレイヤーチーム「モジカワ装甲雑技団」が一敗地に塗れて以来、この動画チャンネルも荒れに荒れ、少年を楽しませていた。


『“身の程をわきまえろ”ですってェェェ!』

『あなた達、負けた上にそんなコト言われておめおめ逃げ帰ってきたの!?』

『視聴者のアンタ達もお見舞いスパチャとか慰謝料とかフザけないでよ! りるむをバカにしてんならメンバー辞めて出てって! 出てけ!』


 面白おかしく騒ぐ視聴者達、平身低頭して震える手下達を前に、愛玩していたCGの縫いぐるみを引きちぎり、マイクスタンドを掴んで投げつける。あまりの荒れようにトークライブ配信が中断したことも一度や二度ではなかった。そんな憤懣やる方ない様子を眺めてどれほど留飲を下げたことか。

 そんな彼女のご乱心がまたUPされていないだろうかと思ってアクセスすると……


(お、また新しい動画がUPされてる)


 今度はどんな道化っぷりを見せてくれるのやら、と悪意に満ちた笑顔で覗き込んだ少年は、動画タイトルを見るや「これは……」と、大きく目を見開いた。




**  **  **  **  **  **



(大丈夫だ。僕を信じて)


「ああーカッコよかったなぁ、アキト……」


 放課後の教室。

 普段なら授業が終わるや否や、「私のターンが来たぜ!」と立ち上がるはずのナツメグが終業のベルにすら気づいていない。焦点の定まっていない目を宙に彷徨わせてポーッとなっている。

 最近はずっとこんな有様だった。

 ため息をついたかと思えば「それにしてもモジカワ装甲雑技団め、ザマァみろっての!」と腰に手を当ててムハハと笑う。

 かと思えば「『僕を信じて』って、もぉアキトったらぁぁぁ!」と身悶えしてクネクネし、一転「だめだめ、私には彼氏が……ヒビキが待ってるのにぃ」と頭を振ったり。傍目にはもう気が触れたとしか思えない。

 周囲の友人達といえば、すでに「ダメだこりゃ……」とサジを投げていた。なにしろナツメグ自身が、周囲からドン引きされていることにまったく気づいていない。

 もはや生暖かい目で見守ってやることしか出来なかった。


「おーいナツメグ、戻ってこーい」

「瑠璃ちゃん無駄だよ。今のメグちゃん、何言っても耳に入ってないもん」

「この間なんか『二人がかりでカツアゲなんてカッコ悪!』とか、めっちゃカッコ良かったのになぁ……今のナツメグ、カッコ悪ぅ」


 周囲でやいのやいのと騒いでいる友人達の声すらどこ吹く風。

 ナツメグは先日の「バトル・オブ・タンクス」で活躍した彼の勇姿を思い浮かべては繰り返し繰り返し夢遊病みたいに一人芝居なんかしているのだった。

 しかし、その最後には……


(アイツらなんだ。僕の恋人を奪ったのは……)


 あのつぶやきを思い出して真顔になり、唇を噛む。

 彼の恋人と云うだけで胸の奥に突き刺さるような痛みが走った。

 自分の彼氏をさんざん侮辱した仇が彼の恋人をも奪っていたと聞かされていたので、実際ナツメグも複雑な思いだった。

 それでは、モジカワ装甲雑技団のメンバーの誰かが少年の恋人を巧みに唆し、奪っていったのか。


(アキトの彼女さんってどんな人なんだろう)

(奪われるくらいなんだ。魅力的な女の子、なんだろうな……)

(きっと清楚で綺麗で、でもゲームは上手で……)


 しかし同時に、奪われるがまま他の誰かに心変わりした彼女への憤りも沸き起こる。


(どうしてアキトを捨てたの? それも友達がいないって云うアキトを……ひどいよ!)


 しかし、そう思ったところで無関係な自分には口を挟む資格などないのだ。ナツメグはため息をつくしかなかった。


「いっそ、彼女のことなんか忘れて私とつきあってって言っちゃおうかな……」


 思わずつぶやいてしまったナツメグの向こうで、友人達がすごい勢いでコクコクうなずいている。

 ふと、我に返ったナツメグは目をギラギラさせてこっちを見ている友人達を見て怪訝な顔になった。


「みんな、何やってんの?」

「「「お、お前が言うなぁ!」」」


 ツッコむ全員の声が見事にハモった。

 そのとき、ナツメグのスマホからピコンと通知音が鳴った。


「あっ、アキトからだ!」


 通知を見るなりナツメグはスマホに飛びついた。

 メンバーフレンドとしていつでもメールのやり取りは出来るのだが、実を言うと少年からメッセージが来ることはほとんどなかった。

 ドキドキしながらナツメグはタップしてメッセージを開く。背後に友人達も群がって画面を覗き込んだ。

 ところが、メッセージ欄には何かのURLを貼り付けてあるっきり。

 ナツメグは「なんじゃこりゃ?」と言いながら、再びタップする。

 すると……


「……!」


 そこはナツメグが過去に観た覚えのある動画サイトのチャンネルだった。

 そして。

 その動画の配信者こそ……「バトル・オブ・タンクス」で、雪辱しようとあがいていた自分の恋人を幾度となく打ち砕き嘲笑したVtuberの


「文字川りるむ!」


 仇敵の「りるむ姫のゲーム動画実況チャンネル」だった。

 ここはフリートーク以外のゲームプレイ実況動画はすべて有料の会員メンバーにのみ限定公開している。会員になれば彼等の活動に関する情報を得られたかも知れないが、ナツメグはメンバー登録などしていない。仇敵に一円でも金を出すなど死んでもゴメンだった。トークなど聞くだけ不快なので、ナツメグはこの動画チャンネルの存在こそ知っていたが特に訪れたことはなかった。

 だが、最新の公開動画タイトルを見たときナツメグ達は「はぁぁぁぁ?」と、声をあげた。

 何故ならそこにUPされていた動画タイトルは……


「『バッチ来い、ごんぎつね!』モジカワ装甲雑技団、フォックスGONへ宣戦布告!」


 ポカンとして見ていると、親友の涼美ヶ原瑠璃が「へーコイツ、ナツメグにケンカ売って来たし」と、ナツメグの肩越しに身を乗り出してスマホを凝視した。


「ヒビキを散々バカにして心をへし折っといて自分が恥かかされたら逆ギレかいな。勝手な奴やのー」

「でも瑠璃ちゃん見て! この人、チャンネル登録者数一〇〇万人だよ、バリ凄!」

「なーる、ガッテンいったわ。超人気Vtuberだから恥をかかされて黙ってたら沽券に関わるってことか」


 ナツメグの背中で友人達はそうかこうかと言い合っていたが、「ナツメグ、ボーッとしてないで取り敢えずその宣言とやらを聞こうじゃないの」とせがみ、スマホをタップさせる。


『おい、キツネども聞いてるか!』


 ホストのような三人のイケメンを傅かせたロリっぽい美少女アバターが仁王立ちでいきなり叫びだした。


『この間はよくも、りるむの許可なしに手下共に勝手なご褒美をあげやがったわね!』

「何よ、勝手にご褒美って。そっちが襲撃してきたから受けて立って、返り討ちにしただけじゃない!」


 呆れたナツメグは思わずちゃちゃを入れてしまった。


『それに、りるむのチームを「ドジカワ装甲雑技団」だなんてよくもバカにして! 何より許せないのはこのりるむに「身の程をわきまえろ」って言ったことよ! 何様!? りるむはお姫様なのよ! 普通なら声を掛けられたり視線を向けられただけで感謝すべきなのよ。ゲームなら相手にしてもらった幸運に感謝して勝ちを貢ぎなさい。当然でしょ! それをよくもこんな無礼な真似……絶対に絶対に許さないんだから!』


 文字川りるむは画面のこちらを睨みつけると、ビシッと指をさし「決闘よ!」と叫んだ。


『さっきサーバー内にモジカワ装甲雑技団のアカウントで条件付きのステージを登録したから。「モジカワ装甲雑技団vsフォックスGON」。さっさと来なさい、ごんぎつね! 文字川りるむの本気を見せてあげる。視聴者のみんなもりるむの逆鱗に触れた者がどんな末路を辿るのか、しかと見届けなさい。いいわね!』

「……」


 そこで動画は終わった。

 一瞬の間があり、次の瞬間激高した友人達が口々に喚きたてた。


「子供みたいな駄々捏ねやがって、なーにが決闘だし!」

「言いたい放題言っちゃって、お前こそ何様よ!」

「ナツメグ、コイツに言いたい放題言わせとく気? 例の彼と一緒にコテンパンにしてやんなさいよ!」


 砂河優理が叫ぶと、そーだそーだ! と友人達も同調し、口々に囃し立てた。

 ナツメグも当初は「勝手言いやがってフザけんなゴルァ!」と鼻息も荒く息巻いていたのだが、「例の彼」と言われたところでハッとなった。


(アイツらなんだ。僕の恋人を奪ったのは……)


 彼はどうするつもりなのだろう。

 決闘に応じるつもりで動画を自分に見せたのだろうか。それなら「決闘に応じよう」くらいのメッセージを添えるだずだ。

 ちょっと考えたナツメグは「モジカワ装甲雑技団の宣戦布告見たよ。アキトはどうする?」と返信した。

 返信して一分も経たないうちにナツメグのスマホが再びピコンと鳴った。


『僕に考えがある。しばらく放っておこう。勝手に騒がせておけ』

「……」


 スマホの画面を見た友人達は一様に「ええーー!」と不満そうな声を上げた。


「あんなこと言われて、放っておくのぉぉ?」

「ナツメグのフォックスGON、不戦敗って言われるよ。いいの?」


 ナツメグは黙って首を横に振った。彼とてもちろん、このまま済ませるはずがないだろう。

 「どんな相手でも戦いようはある」と言った彼のことだ。きっと何か作戦があるに違いない。

 だが……


(なんだろう、アキトは私に何かを隠している。そんな気がする……)


 ナツメグには心に引っ掛かるものがあった。

 奪われた恋人を取り返すつもりなら、そこに挑発や罠があっても乗り込んで戦い、一刻も早く取り返そうとするのではないだろうか。

 もし、そんな懸念がないのなら、少年の恋人とはやはりイマジナリーフレンド、「脳内彼女」ということだろうか。


(違う。たぶん、そんなんじゃない……)


 恋する少女だけが持つ洞察力が「何か」があるとナツメグに告げていた。


(どうしてお前らばかり! お前らばかり……ちくしょう! ちくしょう!)

(低レベルのプレイヤーばかり狙うプレイヤーを見かけると、僕は無性に同じ目に遭わせたくて仕方がないんだ)


 友達はいないと告げた彼。時折激しい怒りを爆発させる彼。いつもどこか孤独な影がつき纏っていて……それは単に恋人のいない寂しさ故ではないようにナツメグには思えるのだった。

 しばらく放っておこう、という一文をもう一度見返す。

 明らかに、彼は放っておかれた者がどんな気持ちになるのかをよく知っている。

 そしておそらくは、それ故に宣戦布告したVtuberをそんな目に遭わせようとしているのだ。

 自分には優しいのに、どうかすると歪んだ憎しみに囚われている様子が見え隠れ。

 ナツメグは少年の心の闇を垣間見たような気がして妙な胸騒ぎがした。


 そして……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る