第6話「孤独の影、陽気の光」

 (学校……もう一度だけ、行ってみようかな)


 そう思い立ったのは、浮かれていたせいだったかも知れない。

 それでもいいと思った。

 自分に関心を持ってくれた人がいた。それも、また会いたかったと言われたのだ。

 それが、どんなに嬉しかったことか。少年は何度も思い返した。


(私、アキトにまた会いたくて、あれからあちこちステージを回ってたんだ)


 それではこんな自分の中にも人に好かれる何かがあったのだ。

 だったら現実にだってチャンスがあるかも知れない。そう考えてもおかしくはなかった。

 人と接するのが下手だった。場の空気が読めず、かといってキョロ充みたいに人の顔色ばかり伺うほど卑屈になれない。

 そんな自分でも高校に入学すれば今度こそ、友達の一人くらい自然に出来るだろうと思っていた。

 だが入学式の当日、教室に入ってみればそこには見知った顔や親しい顔がある訳ではなく、他人しかいなかった。もともと小学生の時も中学の頃も友達はいなかったのだから。

 しかしそこにいるクラスメイト達はそうではなかった。彼らには教室の中に既に見知った友達がいた。彼等はその繋がりを元に増やしてゆける。たまたま顔見知りがいなくとも、友達の友達がいれば話し掛けることが出来た。

 少年だけが誰かと繋がる一筋の藁すらなかった。そして気が付けば友達を構成するグループは出来上がり、彼だけが疎外されてしまっていたのだった。

 小学校の時も、中学校の時もそうだったように。


(またか、また僕を除け者にして)

(僕が。僕だけが……)


 つま弾きにされる悔しさは、いつも憎しみにしかならなかった。

 更にそんな憎悪を煽るように、教室中が彼を忌避や嘲笑の対象として見るようになった。理由は簡単。全員に共通する「嫌われ者」がいればクラス中の連帯感が強まり、友情も深まるからだ。

 それでも……あからさまなイジメを受けている訳ではない。いつか、何かの切っ掛けで和解の機会があればと少年は待った。

 だが、正確には「待っていた」のではなく、少年は「耐えて」いたのだった。

 そして、ある日。

 授業の中で教師がクラス内でグループを作って提議した課題を話し合うようにと命じた時、さも当然のように少年だけが取り残された。他のクラスメイトはすべていずれかのグループにまとまった。


「四条? 何故グループに入らない」

「……」


 訝し気に見る教師を少年は恨むような眼で見返した。

 自分を受け容れてくれる者が誰一人この教室にいないことを知らずにいた無神経な教育者を非難するように。

 教師はそこでようやく、このクラスが特定の一人をスケープゴートにした村社会を形成していることに気がついたのだった。

 それでも彼を迎える者はいない。一人ポツンと佇む彼に誰かがクスリと笑ったとき……


「先生、知らなかったんですか。御覧の通りです」

「え? あ……」

「僕、出ていきます」


 そう告げた少年は席を立ち、「ち、ちょっと待て」と引き留める教師を尻目に教室を後にしたのだった。待ったところで何も変わるなんて思えなかった。

 その後、クラスがどうなったかは知らない。知りたくもなかった。

 それからは少年は図書館を教室代わりに一人で勉強し、家ではゲームに耽って孤独を紛らわせるようになった。

 ずっと一人だった。

 誰かと話したのも、関わったのも……そして楽しい気持ちになれたのも、どれくらい久しぶりだろう。

 ゲームの中で出来たことが現実でも出来ないはずがない。ただ、打ち解ける切っ掛けがなかっただけなんだと少年は思った。

 和解を望んでいることをまずは僕から示そう。ただ照れくさそうに座っているだけでいい。しばらくは気まずいだろうが、そのうち誰かが「今までハブって悪かったな」なんて照れくさそうに話し掛けてくれるかも知れない。そしたら自分も「僕も大人げなかった。コミュ障なもんでね」と、笑ってお互い水に流そう……

 少年は丁寧に顔を整え、久しぶりに学校の制服に腕を通した。

 そして、自分の部屋から足を踏み出したのだった。


(私、アキトにまた会いたくて、あれからあちこちステージを回ってたんだ)


 初めて繋がりを求められた少女の言葉に背中を押され、うつむき加減に、それでも勇気を振り絞って教室の扉を開ける。


「……」


 平静を装って教室に入ると、それまでの歓談がさっと止んだ。招かざる客の来訪を訝しげに見る視線が幾つも彼に向けられる。

 これくらいのことには耐えよう……そう自分に言い聞かせながら彼は自分の席に着いた。愛想笑いをするほど卑屈にはなれなかったが、いつも自分を装う不機嫌そうな顔ではなく、努めて平静な表情を保ち、待った。


 何でもいい、誰でもいい、気まずさに耐えかねてでもいいから、話し掛けてくれ……


 しかし、彼のことなど気にも留めないようにクラスの中の雑談が再開された。まるで、「こんな奴など最初からいなかった」とでもいうように。

 少年の机には落書きもされておらず、花瓶も載っていなかったが、あちこちから冷ややかな視線が向けられ、聞こえよがしにクスクス笑う声がした。


「……」


 それは、どこか心の中で期待していたものを粉々に打ち砕いた。


(そうか、コイツら最初からそんなつもりなかったんだ)

(ぼっちは、いつまでもぼっちでいろと……)


 彼は悟った。

 所詮は独りよがりでしかなかった。現実で人との関りを拒絶される自分は、やはりあの架空の世界でしか生きられない人間なのだ。


「そういうことか……このクラスが人を見下して優越感に浸る奴しかいないなんて思わなかった。残念だ。人らしい気持ちを持った奴が一人くらいいて友達になれるだろうって思ったのにな」


 周囲に聞こえるよう嫌味たっぷりに独り言をつぶやき、机に入れたばかりの教科書やノートをカバンに詰めて立ち上がった。

 再び雑談が途切れる。気まずい沈黙の中に、それでも「これで疎外者が去ってくれる」という安堵感を彼は敏感に感じた。

 最後にもっと皮肉を言い捨ててやりたかったが堪えた。負け惜しみのように思われるのが嫌だったのだ。それでも叩きつけるように扉を閉めた。

 この教室に来ることは二度とないだろう。


「……」


 沈黙の後、気まずい空気をごまかすように誰かが白々しく言った。少年が自分たちとの和解を望んで来たのだと知っているのに、知らないふりをして。


「あいつ、何しに来たんだ?」



**  **  **  **  **  **



「今日から学校か……さぁ行くぜ!」


 果し合いに行く訳でもあるまいに、そう叫んだのはちょっと浮かれてるのもあるだろう。

 カバンを肩に引っ掛けて玄関を出ると残暑と言うより真夏のような九月の太陽が容赦なく炙り焼きにかかったので「お前なんぞにオーブンされてたまるかぁ!」と空に向かって喧嘩を売る。


「おはよーナツメグ。こりゃまた朝っぱらからえらく元気だわねぇ」

「おはよー! ってユーリどうしたの、そんな萎れてさぁ」

「だってぇ……」


 信じられないわよ、昨日で夏休みが終わっちゃったなんて……と、うなだれてつぶやく親友の背中をナツメグは「なーにボケたこと言ってんの、今日から新学期だぜ! シャキッとせい」と、どやしつけた。

 そこへ「ユーリィ、ナツメグ、おはよー……」と友人達が加わる。

 みな、老婆のように背をこごめ、足を引きずるようにしてノロノロと歩いていた。


「みんな、しっかりしてよ。これじゃ花の女子高生じゃなくて老人会御一行様じゃん!」

「そんなこと言ったってさぁ……」


 恨めしそうに残暑厳しい朝の太陽を見上げ、友人達はため息をつく。

 新学期初日なんて、さんざっぱら夏休みを謳歌した高校生にとって長い夢から厳しい現実に引き戻されたようなもので、暗然たる気持ちくらいにはなるだろう。

 無情にギラギラ照り付ける直射日光が彼女達の絶望感を更に煽る。


「みんな元気出しなよ。私なんか今、おサイフの中には英世くん一人しかいないのよ。これで次の小遣い日まで耐えなきゃいけないんだから。大ピンチよ!」

「ナツメグのピンチで私らがどうやって元気になれるのさ。でも一体何に使ったの? 例のゲームで課金に溶かしたとか」

「課金する余裕なんてないわよ! 夏休みはホラ、みんなでプール行ったり花火見たり、カラオケとか……アイスとかタコヤキとかもさんざっぱら食ったりで大散財しちゃったじゃん。あと服も買ったしコスメとかフレグランスとか……」

「そういやそうだったなぁ。あ、私も全財産、千五百円だったわ」

「ナカーマ!」

「金欠で情けない連帯感作るな」


 ようやく活気づいてきた彼女達は、なんだかんだとワイワイ言いながら久しぶりの母校へ向かってゆく。


「ナツメグは例のゲームまだ頑張ってんの?」

「あったりまえのコンチキよ」


 ナツメグは胸を張った。


「サーバーの中じゃ、ちっとは名が売れたみたいでね、この間なんかどっかのVTuberが目をつけて喧嘩売ってきたけど鎧袖一触、返り討ちにしてやったわよ」


 おー! と友人達が感嘆の声を漏らし、ナツメグはフフンと得意気に顎を上げた。

 実際は砲弾が当たらなくてベソを掻いたり苦戦の末に勝利したりと「鎧袖一触」にはほど遠いのだがそこはそれ、話をかなり盛っている。

 ……それでも逆転して見事に勝利したのは紛れもない事実だった。ナツメグの表情は誇らしげに輝いている。


「そういやゲームのことを色々教えてくれた人……アキトさんだっけ? 友達になったんだってね」

「そうなのよ! 再会した時、私が窮地だったところに颯爽と現れてね……もうチョー恰好良かったぁ!」

 瞳をキラキラさせてナツメグが語ると友人達は顔を見合わせた。


「息もピッタリ合ってて、今じゃチーム『フォックスGON』コンビで戦場を荒らしまわっているわよ」

「へぇ」

「敵と遭遇して戦いが始まるとね、私が飛び込んで相手を引っ掻き回して、アキトは後方から私を狙う敵戦車を後方から狙撃してくれるの。だから安心して戦える。ああいうのを『互いに背中を預けて戦う』っていうのかしらね」

「ほほぅ」


 恋バナの匂いに友人達はニヤニヤした。


「どんな人?」

「顔は分からないし素っ気ないけど、クールで優しくて……あーこりゃモテそうだなってカンジ」


 ナツメグは「なんでも私と同じで、奪われた彼女さんを取り返すためにプレイしてるって」と残念そうに続けた。


「あーそりゃ惜しいわねー。その彼女さんさえいなかったら……」

「バ、バカ言わないでよ! 私はヒビキの仇を取ってヨリを戻すんだってずっと言ってるじゃない!」

「……そうは言ってもさぁ」


 違うと言い張るナツメグを見て友人達は再び顔を見合わせた。どう見ても「運命の再会です、ありがとうございました」という展開なのに。


「私にはヒビキがいるんだもん……アキトにも彼女さんが……」

「……」


 下を向いて言い訳のようにつぶやくナツメグへ何と言ったものか……困惑した友人達の一人がそのとき「ん?」と、気がついた。


「メグちゃん、その様子じゃ夏休みはゲームにドップリ浸かってたみたいだけどさぁ。その……宿題、出来てるよね?」

「……宿題?」


 初めてその言葉を聞いたようにキョトンとしたナツメグは次の瞬間、硬直した。


「あ、あああああああああああああッ!」


 雄叫びと共に顔色が真っ青に変わってゆく。友人達は「あちゃー、やっぱりそうかー!」と、額に手を当てた。

 といって、放っておく訳にもいかない。


「と、とりあえず学校に行って、みんなでナツメグの宿題を手分けして何とか……!」

「一人のを丸写ししたらバレっから何人かの宿題で分割して写さないと……」

「教室でやるとバレるからどこかで……と、とにかく学校へ急ごう!」


 かくして、家を出たときは元気いっぱいだったナツメグは顔いっぱいに絶望を浮べ、慌てふためく友人達に引っ張られるようにして学校へと走らされる羽目になったのだった。


「あのさぁ、ナツメグ。こんなこと言いたくないんだけど……学校って何しに行くところか知ってる? 知ってるよね!」

「ずびばぜん! 宿題ごと忘れてましたぁ!」

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