最終話「そして、小さな恋がはじまる」

 ずっとつけっぱなしだったデスクトップPCの電源をオフにする。

 部屋の端にはゴミの山。テーブルの上には食べ散らしたジャンクフード、くしゃくしゃになったコミック、教科書やノートでしっちゃかめっちゃか。

 ゴミ屋敷のように汚れ切った部屋の中で、よろよろと立ち上がった。

 この部屋と同じように、この先の日々は人と関わることもなく、ただ腐ってゆくだけだと思っていた。昨日までは。

 だけど、そんな自分を恋い慕って差し出された手がある。

 その手を取る為には見知らぬ人が大勢いる場所に行かなければならない。きっと無数の好奇の目に晒されることだろう。


……でも、行かなければ


 ふと、気づいて窓の外を見る。

 曇り空の雲間から美しい光条が差し込み、静かに遠い街を照らしているのが見えた。


 あの街に、自分を待っている人がいる。



**  **  **  **  **  **



「うう……いっそ人魚姫みたいに泡になって消えてしまいたい。でも朝は来る……」


 ナツメグは、布団の中でメソメソしていた。

 「バトル・オブ・タンクス」で激しく叫び、炎のように想いを告げ、阿修羅のように戦った昨日とは別人のように情けない顔をしていた。


「やっちまった……やっちまったよ……」


 きっと「バトル・オブ・タンクス」のコミュニティやSNSでは面白おかしく書かれ、さんざん炎上しているに違いない。

 怖くてスマホなど見る気になれなかった。

 昨日のことを思い出すだけで気が狂いそうになり、「うわぁぁぁぁぁぁぁ!」と布団を抱きしめたままゴロゴロ転がって身悶えした。


「なんで、なんであんな……昨日のわたしぃぃぃぃぃ!」


 泣いてもわめいても、やっちゃったものはどうしようもない。

 しかし、開き直ったところでどうしようもない。

 ナツメグは涙目でため息をつくばかりだった。

 これがあの決闘の後で、少年から「好きだ」と言われたら衆目の中でさんざっぱら恥を掻いた甲斐もあったというものだが、彼から何も言われないうちに戦車が撃破され強制ログアウトさせられてしまったのだ。

 そして……慌てて再度ログインしようとしたらこんな画面が出てきてログイン出来なくなっていた。


「このアカウントは当ゲームの規定第六条『プライバシーポリシー』個人情報の開示について悪質な違反が認められましたので利用出来ません」


 ナツメグはただ唖然としてそれを見つめることしか出来なかった。

 それまでの戦歴、保有していた戦車を失ってしまったこともショックだったが、垢BANで彼と繋がる糸が断ち切られてしまったのが何よりもショックだった。

 運営に謝罪のメールを送り、彼へ連絡を取らせて欲しいと必死に懇願したものの、返事など来るはずがなかった。


 かくして「フォックスGON」はあっけなく瓦解してしまったのだった。

 「バトル・オブ・タンクス」を追い出されたナツメグは、宙ぶらりんになってしまった一世一代の告白とプライスレスの思い出だけを残して何もかも失ってしまったのである。


「もう駄目だ。何もやる気が起きにゃい……」


 学校に行く気にすらならず、初日は「頭が痛い」、翌日は「風邪を引いた」、さらにその翌日は「生理痛」と言って休んだ。

 だがいつまでも仮病で誤魔化せるはずがなく、ついに母親から「明日は必ず学校に行きなさいよ! でないと来月のお小遣いは凍結します!」と最後通牒を突き付けられてしまった。

 でも、やっぱり行きたくないものは行きたくない。

 そんなこんなで冒頭と同じく「うう……いっそ人魚姫みたいに泡になって消えてしまいたい。でも朝は来る……」のお布団メソメソ状態で四日目の朝を迎えていた。

 だが、お節介な運命はいつまでもナツメグを放っておいてくれなかった。

 突然、ドカーン! と部屋のドアを蹴破って「オラ、ナツメグ! 迎えに来たぞ!」と、友人達が踏み込んできたのである。


「ちょっと! イキナリ何よ!」

「るっせえ、学校行くぞ! とっとと支度しろ!」


 ガサ入れみたいに部屋の中に入ってきた友人達は布団を引き剥がしてナツメグを引きずり出すと無理やりパジャマを脱がせ、制服を着せた。机の教科書やノートを勝手にドカドカとカバンに入れる。ついで「何すんのよ!」と抵抗するナツメグを容赦なくド突いて歯磨きと顔洗いをさせる。

 何かを意図しているらしい彼女達はコスメも持参してきており、うなずき合うと、ナツメグの顔や髪、ファッションを入念にコーディネイトした。

 そして、元気なく通学準備が整ったところを「オラ、行くぞ!」と学校へと拉致同然に引っ張っていったのだった。

 もちろん、ナツメグは知る由もない。

 ズル休みしている学校へ、昨日自分を尋ねて来た人がいたことを。話を聞いて狂喜した友人達が「首に縄をつけてでもナツメグを明日絶対学校へ連れて来るから!」と約束し、その言葉通り今朝踏み込んできたことも……


「ま、待って。私まだ心の準備が……」

「そんなの学校で準備しろ」


 ナツメグの泣き言に誰も耳を貸してくれない。トホホとうなだれると「しゃんとしろ、顔を上げろ!」と怒鳴られた。

 そうやって校門までたどり着くと、そこでたむろしていた数人の女子達がナツメグを見るなり目をキラキラさせて「キャーッ!」と黄色い声をあげた。


「あれがナツメグさんだよ……『私が勝ったら好きって言って!』ってゲームで告白したんだよ、あの人!」

「しかも勝ったんだよ! 凄いよね! ……でもなんか萎れてるね。疲れてるのかな」


 ヒソヒソ話や小さく「キャー!」という声に、ナツメグは恥ずかしくてもう死にそうだった。


「瑠璃ちゃん、私、帰りたい……」

「下校時間になったらな!」


 渡る世間ならぬ、通う学校には鬼ばかり。

 そんな半ベゾ状態のナツメグへ、他校の制服を着た少女がおずおずと近づいてきた。ナツメグが来るのをずっと待っていたらしい。どこかのモデルかと見まごうツインテールの童顔美少女で、傍らには彼氏らしい巨漢の男子高生が寄り添っている。


「こんにちは、ナツメグさん……ですよね」

「はい……」


 礼儀正しく頭を下げた少女は「私達とライングループ、作ってもらえませんか?」と上目遣いにスマホを差し出した。隣の巨漢も恐縮しながら差し出す。


「いいけど……あの、どこかでお会いしましたっけ?」

「はい……」


 蚊の鳴くような声で返事した少女は、しかしどこでと言えずに俯いている。首をかしげながらライングループの登録名を見てナツメグは思わず目を剥いた。

 なぜなら……


「文字川りるむ」

「レッドサイダー」


 アンタ達……! と、口をパクパクしたナツメグに思い違いをした文字川りるむは「あ、そうなんです。私たち、付き合うことになったんです」と、隣の巨漢を顔を見合わせ微笑み合った。


「そ、そうじゃなくて……!」

「今日はご挨拶とその報告と、お礼にうかがったんです」

「いや、だからその……あ、おめでとうございます」

「今回の『バトル・オブ・タンクス』。ザマァって人を笑ったり見下すようなプレイがどんなに酷かったか、私、いろいろ反省させられました」

「あ、そ、そう……」

「あれから私達も垢BANされちゃったけど、未練はないんです。大事なことに気づいたし、大切な人に巡り会えたし」

「……」

「でもナツメグさんとは私、どうしても友達になりたかった。ゲームじゃあんなキャラですけど私、ナツメグさんの恋をこれからずーっと推していきますから! ね? また、どこかのゲームでお会いしましょう! きっとですよ!」


 アイドルの握手会みたいにキラキラした目で手を握られ、話し込まれ、強引に友達にさせられたナツメグは結局最後までポカンとした状態で、手を振って去ってゆく二人を見送った。

 傍らの友人達は「やれやれ」と肩をすくめて笑っている。

 そんなハプニングもあって、教室で自分の席に着いても、まだ半分夢の中にいるようだった。

 それでも……久しぶりの学校と久しぶりに会った友達に、ようやくナツメグの頭は再起動を始める。


(そうだ、自分は待ってる人が……)


 そう思ったとき。

 教室の入り口から一人の少年が姿を現わした。

 クラスメイト達がざわめく。


「?」


 ナツメグはふっと顔を上げ、その人を見る。

 他校の制服を着ていた。整った顔立ちをした少年だが緊張で青ざめた顔をしている。それでも、何か強い意志を秘めていることがうかがえた。

 少年は、まっすぐナツメグの座っている席へと歩いてきた。

 ナツメグの友人達は邪魔にならないよう、黙ってそっと離れてゆく。


(まさか……)

(まさか……!)


 凍り付いたように見つめるナツメグの尋ねるような視線に、少年はぎこちない笑顔でうなずく。

 そして……彼女へ、約束の言葉を告げたのだった。


「君が、好きだ」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

「私が勝ったら好きだと言って!」恋懸け少女のサイバータンクバトル! ニセ梶原康弘@アニメ化企画進行中!(脳内 @kaji_dasreich

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ