第1-2話 クラスメイトの一人がやけに馴れ馴れしく話しかけてきたんだが、これは何かの罠か?

 チャイムが鳴って、休み時間がやってきた。 黒い学生鞄を開け、新品の教科書を取り出す。どうせ一番初めの授業なんて自己紹介や雑談で終わるのだろうけれど、いちおう準備をしておく必要はあると思った。

 同級生の中には遠巻きに私を見て、ひそひそと何か囁きあっている人間もいる。それでもまだ、いじめが始まりそうな剣呑な雰囲気ではない。どちらかというと私のことを怖がっている。又は気味悪がっている、といった様子だ。

 作戦はひとまずうまくいったようだ、と私は心の中でニンマリする。

 そのとき、ねぇねぇ、鈴を転がすようなソプラノの声が聞こえた。近くの誰かに話しかけているのだろうが、耳障りだな、と、思っていたら、ふいに肩をたたかれた。びっくりして、叫びそうになったが、何とかこらえる。振り返ると、見知らぬ女子がニコニコと満面の笑みを浮かべて立っていた。

 「菊坂さんてば! 呼んでるじゃん!」

 そこに立っていたのは、ボブカットヘアの、私より頭一つ分、身長の低い少女だった。 表情は明るく、少し小さな鼻とふっくらとしている唇が甘ったるい印象を与える。そして、何はともあれ――いきなり、ものすごく馴れ馴れしい。

可愛らしい部類に入る子だった。紺のハイソックスを履き、スカートの丈をほんの少し短くしているのが洗練された印象を与える。

 「……誰?」

 なるべくドスの効いた声になるように、低い声音を使った。

 ひどーい、と目の前の女子が大げさに声をあげる。さっき自己紹介したじゃん。

 「聞いてなかった」

 そう切り返すと、じゃあもう一回、自己紹介するね、と、胸をはる。何のつもりかはよくわからないが、注視しておく必要がある、と判断して、私は彼女を見つめた。

 「植東うえとう小学校から来た竹内奈緒です、趣味は……」

 「言わなくていい」

 私は無機質な声を作って竹内、という女に告げた。えー、聞いてよー、と甘えた声を出すこの女が気味悪くてしょうがない。

 一体何を企んでいる?

 そのとき休み時間の終わりと授業のはじまりを告げるチャイムが鳴り響いた。あーあ、時間がきちゃった、と残念そうな声を竹内はあげたが、最後にパッとこちらを見た。

 「菊坂さん! さっきの自己紹介だけど……」

 やっぱり、それか。私はぐっと身構えた。鬼が出るか蛇が出るか。小学校時代に言われたありとあらゆる罵詈雑言が頭をよぎる。

 だが竹内はそのどれとも違う言葉を発した。

 「ものすごく、面白かった!」

 ……。

 ……は?

 一瞬、何を言われたのか、わからなかった。

 面食らう私に彼女はニコニコしながら、

 「次の休み時間にも来るからね!」

 と、言って席に戻っていった。

 なんだ。

 なんなんだ。

 全く予想外のパターンから攻められて私の頭が混乱する。

 だが、そこで頭に閃くものがあった。

 そうか、あれか。友達になってやるという餌をちらつかせながら、ネチネチいたぶる、という手か。

 実際、その手で責められたことがある。友達になろうね、と言って擦り寄ってきて、友達だからお金を貸して、と、金をせびったり、友達だからいいでしょう、と私の物を盗ろうとしたりする。

 しかし、と私は考える。それは仕掛ける側のリスクも大きな手だ。

人間関係がある程度固まり、自分のクラスでの地位も確保して、『あれは、本当は仲良くしているのではなく、いじめの一種だ』という認識を周囲が持っていないと当人まで、あおりを食って巻き込まれる可能性が高い。今のこの状況で切るべきカードではない。

 私はちら、と竹内のほうを盗み見た。よっぽど自分の意地悪の手腕に自信があるのか、単に頭が悪いのか、それとも私に思いつかないほどの深い狙いがあるのか。

 私の視線に気がついた竹内がにこりと笑い教師が、気がつかない程度に、こちらに小さく手をふってくる。

 私は慌てて目線を外した。君子危うきに近づかず。相手の狙いがわからない以上、関わらないようにするのが一番良いかもしれない。

 自己紹介という名の、数学教師の自己アピールを聞き流しながら、私は出来る限り想像力を働かせて、いろいろな状況を頭のなかで、シュミレーションしていた。


 二時間目が終わると、また竹内奈緒が私の席にやってきた。

 「ねぇねぇ、あの自己紹介って全部、自分で考えたの?」

 「そうだけど」

 「漫画とか、小説とか、そういう物の言葉じゃなくて?」

 「……そうだけど」

 すごーい、と竹内が歓声をあげる。何が、すごーい、だ。頭が痛くなる。

 「『自分の血の色が赤だという当たり前のことを今更確かめたくもないでしょうし』」

 さきほどの私の自己紹介を楽しそうにそらんずる竹内。改めて聞くと、格好つけすぎた言い回しかもしれない。頬がかぁっと、熱くなった。

 「ハードボイルド映画の台詞みたいだった」

 すっごく、クールだよ! 竹内が上気した頬で言う。

 はぁー……。私はため息をついた。

 「あのさ」

 なに? という顔の竹内の真後ろを指差す。

 「見られてるぜ」

 指差した先にいたクラスメイトたちが慌ててひそひそ話をやめて、てんでばらばらに目線を逸らす。

竹内は一旦、後ろを向いたが、すぐに私に向き直り、「だから?」と聞いてきた。

 だから? じゃねぇよ。と、思ったが、そこまでは口に出さず、代わりに

 「うかつなことすると、あんたまで、同類に思われるぜ」

 と、言ってやった。

 竹内はきょとん、とした目で私を見た。まさかとは思うが、こいつ、本当にわかってないで、やっているんじゃないだろうな。他人事ながら、不安になってきた。

 「いじめのターゲットにされるってことだ」

 そう補足してやると、竹内が驚いたように目を見開いた。

 わかった、じゃあもう近づくのは止めとく、とか、あんたをいじめるために接近してんのよ、とか、そういった類の言葉が降ってくるだろうと身構える私の耳に届いたのは信じられない言葉だった。

 「優しい!」

 優しい? だって?

 頭の中が疑問符だらけになる私の手を竹内がとる。教室中がざわっとする。

 「あたしのこと、心配してくれるんだー。面白いだけじゃなくて、いい子なんだね」

 面白い? いい子?

 頭の中がぐちゃぐちゃになる。なんだ。なんだ。これは一体、どういうことだ。

 ねぇ! 竹内は手を握ったまま、私の顔を覗き込む。

 「あたし、菊坂さんと友達になりたい! あたしと友達になろうよ!」

 からんからーん、という乾いた音が聞こえたと思ったら、誰かが、床に鉛筆を落とした音だった。

 竹内に握られた手から、柔らかい温もりが伝わってくる。小学校六年間、冷たく払われることはあっても、誰にも握られてこなかった手。

 呆然としてしまう。竹内がどんな一手を指してくるのか、二時間目をフルに使って、ありとあらゆる手を考えていたつもりだったが、こんな展開は予想外だ。

 キーンコーン、カーンコーン

 二時間目と三時間目をつなぐ、通常より長い二十分休憩が終わりを告げた。

 適当なところで切り上げて、トイレに行こうと思っていたのに、行けなかった。

 また後でね、と手を振りながら自分の席に戻っていく竹内を複雑な気持ちで見送った。

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