第1-17話 先輩たちの『シブ』とやらのアドレスを開いて見てみたら、なんか大変なことになった
翌日、すっかり熱が下がった私が登校すると、麗が下駄箱の前で一人、まるで仁王のように立っていた。
これ読んで、と渡されたのは手紙だった。 すぐさま、トイレの個室に駆け込み、キ〇ィちゃんデザインの可愛らしい封筒を開いた。
そこにはやはりキ〇ィちゃんが隅っこに書かれた可愛らしい便箋が二枚入っていた。
「なー坊は、あくまであんたと居たいと言っているし、気にしすぎだって私には笑ったけれど、私達はなー坊に何かあったら、すぐ動く。とりあえず静観するけれど、調子に乗らないように」
という便箋のデザインとはかけ離れて全く可愛げのない言葉がつらつらと並んでいた。
そして追伸には「あの晩、コートありがとう。繰り返しになるけれど、あんたがそんなに悪い奴じゃないのは承知してる。でも、やっぱりなー坊に相応しいやつかどうかっていったら『?』って思ってる。悔しかったら見返してみて」
と、書いてあった。
見返すって、どうやって? と、思ったけれど、なんだかんだと竹内を守ってくれそうな麗の存在に私はほっとすると同時に麗の言葉どおり調子にのったら、いけないと気を引き締めた。
放課後になって絵画部に行くといった私達に上倉さんはどうしよう、と言葉を濁した。
「実はね、テニス部もちょっとだけ気になっているの」
運動部は文化部と違い、練習があるので活動時間が長くて放課後居残ることになる。
それに仮入部期間はあと少ししかない。
「兼部していいか聞いておいてあげようか?」
上倉さんにそう助け舟を出したのは竹内だ。
「本当? そうしてもらえると助かるな」
上倉さんは頼むね、といってグラウンドへ行った。私達は二人きりで工芸室に向かった。
工芸室をノックすると、中から返事は無かったが、鍵は開いていた。
「先輩たち、どっか行ってるみたいだね」
書きかけの静物画と油絵の具が置いてある。
テレピン油の蓋がきちんと閉められているところを見ると、数十分は戻らないつもりで出て行ったのかもしれない。
竹内は、室内にずかずかと入り込んで行く。
私もその後を続いた。
「そういえば、この間、先輩から何かもらっていたね」
「ああ、シブ? とかいうやつのQRコードが書いてある名刺な」
読むか? と言って名刺を取り出すと竹内は「うん」と頷いてスマホを取り出し、QRコードを読み込み始めた。
うちは貧乏な都営住宅暮らしなこともあり、私も和也もスマホを持たされていない。
以前は、そんなもの必要ない、と思っていたが、そうやってすぐに情報を見られるものを持っているのは、便利なものだなあ、と今では素直にそう思える。
竹内が先輩の名刺に書いてあるQRコードを読み込んで、その内容を確認している間、工芸室のゆったりとした空気を肘杖をついて味わっていた。
自分の近くに他人が居て、それも込みで、心が穏やかになる、という経験ははじめてだ。
「なにこれ!」
いきなり、竹内が大きな声を出したのでびっくりした。
「炭〇郎と〇岡さんがチューしてる!」
「え?!」
私もそのイラストを見てびっくりした。
本当だ……男同士なのに、チューしてる。
「ねえ。これなに?」
「いや、私に聞かれても……」
私はどっと脇汗をかいた。……自分がこれを書いたわけでもないのに、胸が上気する。
……何だろう、この気持ち。
後ろめたいような、見てはいけないものを見てしまったような。
心臓がドキドキと、早鐘を打つた。
二人で食い入るように先輩達が描いた、ちょっといかがわしいイラストや漫画を読んでいると、「何してんの?」と、後ろから声をかけられた。
うわあ、と声を出しそうになった。
絵画部の部長の吉永先輩が立っていた。
「シブ、見てくれたんだ」
で、どう? と簡潔に感想を促された。
クールビューティ、というのだろうか。細身の黒縁眼鏡にすっきりと揃えられたショートヘア。吉永先輩はセーラー服の上から絵の具の染みがあちこちついたエプロンをかけて、さばさばとした物言いをしてくる。
「えっと……その」
言葉を選びあぐねていると、竹内が、「この、男性同士がキスをしているやつって……」
と、直球を投げた。
「ああ、BLのこと?」
びーえる?
先輩の口から、またわけのわからない言葉が飛び出した。
「男性同士の絡みをそう呼ぶのよ。ボーイズラブだからBL」
私は、はあ。そうですか。という気の効かない相槌しか思い浮かばなかった。
「昔は『やおい』とか言ったらしいけれどね」
それも、はあ。そうなのですか。としか言いようがない。
「なんか……すごい世界ですね」
よくわからないけれど、ドキドキしちゃいます、と竹内が先輩と会話をしている。
竹内は人の懐に入り込むのが天才的に上手いのだ、ということに私は改めて気がついた。
先輩は顔をほころばせて、竹内にBLと二次創作の何たるかを熱く語り始めている。
「攻と受っていうのがあってね、攻めるほうを先に書いて、受けるほうを後に書くわけ」
「あ、じゃあ、炭〇郎×〇岡さんだったら炭〇郎が攻で〇岡さんが受ですか」
「そうそう」
そもそも攻めってなんだよ、と思っていると、これが私が描いた同人誌、と言って〇岡さんが攻めだというコピー用紙を使った簡素な同人誌を投げ渡された。
それを開くと、〇岡さんと炭〇郎がいちゃこらしている様が書かれていた。
男性同士の恋愛というのは、全くそういったことに免疫がなかった十二歳の私にぎょっとするようなショックを与えた。
「なんか……けっこう、その、過激ですね」
竹内の顔も赤くなっている。
先輩だけがそう? とあくまでクールだ。
「今度、池袋のと〇のあなに一緒に行く?」
と〇のあなって何ですか? と私が尋ねる前に先輩が「あ、と〇のあなっていうのはこういう同人誌を売っている本屋のことね」と懇切丁寧に解説してくれた。
「私はBLばっか書いてるけれど、ノーマルカップリングしか書かない人もいるし、いろいろだよ。興味あるなら一度来てみなよ」
ノーマルカップリングというのは男女の絡み、という意味らしい。
二次創作=エロ本? という偏った知識が私の中に植えつけられそうになったときに、竹内が「Hじゃない本もあるんですよね?」と確かめるように先輩に聞いていた。
「そりゃあ、あるさ。みんな既存の作品にそれぞれ敬意を払いつつ、その作品のキャラクターへの妄想を炸裂させて、思いの丈を筆に載せて本という形にしているんだから」
敬意と妄想とが同列になることが私にとっては意味不明ではあったし、エロや、やおい? というジャンルに作品への敬意というべきものがそぐうのかが理解しかねたが、二次創作や同人誌がHなものとは限らない、ということだけは何とか飲み込めた。
しぶというものが同人誌の広報のようなもの兼読者サービスを担うものだということも、竹内と先輩の会話から理解できた。
「面白そうじゃん!」
行ってみようよ、と乗り気な竹内に押されるように、私は「あ、ああ、うん」と頷いてしまっていた。
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