第2話「できないじゃなくて、しないんだ」

 屋上での一件以来、自然と鈴木を目で追っている。

 それは片想いとか一目惚れのような素敵な感情からではない。

 どんな人間か気になったからだ。

 言ってしまえば好奇心なのだろう。


 鈴木はほとんどクラスメイトと会話しない。

 必要最低限のことだけ話しているという感じだ。

 それでいて疎外されていない。


 なんというか、不思議な空気に包まれているようだった。

 話しかければ喋るし、何なら笑うこともある。

 だけど親しい友人がいるかと言えば……皆無と言っていいだろう。


 休み時間、一人で本を読んでいても。

 昼休み、一人で弁当を食べていても。

 それが当然の光景のように映っている。


 顔立ちが美人でも不細工でもない、平凡そうで特徴のない顔が、そうさせているのだろう。

 影が薄いと一言で言ってしまえば楽だが、そう言えない何か得体の知れないものを感じさせる。


 じっと鈴木を見ていると、こちらの視線に気づいたのか、本から顔を見上げる。

 少しだけ微笑んで、読書を続けた。

 そんな行動を不審に思う。


 あのときから一週間後。

 俺は再び屋上に向かった。


「あれ? 高橋くん。また来たんだ」


 教室と違って満面の笑顔の鈴木。

 俺の指摘に従って、教室から見えない角度のフェンスに背をもたれている。


「来るつもりなんて、なかったけどな」

「じゃあなんで来たの?」


 くすくす笑う鈴木に「お前、教室と違うじゃん」と言った。


「どうして、他の奴にそうやって接しないんだ?」

「そうやって?」

「その、馴れ馴れしいっていうか……」

「だって、面倒だもん」


 鈴木はどこか、達観しているような、どこか疲れた笑顔をした。

 勉強疲れに似た表情だった。


「人と関わって生きるの面倒だもん。中学でそう思った」

「……いじめでも遭ったのか?」

「あは。そう思う?」


 俺は「そんな感じはしねえな」と答えた。


「いじめられた人間は、どこか卑屈な部分があるけど、お前にはそんな感じはない」

「まあね。自慢じゃないけど、いじめられたことはないよ。でもね……」


 言いかけた鈴木だったが、結局首を横に振って「なんでもないよ」と言った。


「それで、どうしてあのとき、俺に馴れ馴れしい態度を取ったんだ?」

「ああ。それは高橋くんがクラスで孤立しているからだよ」


 孤立。それは正しい言葉だった。

 片腕を失くした俺に話しかえる優しさを持つ同級生はいない。

 何度か物を運ぶ際、手伝おうかと言われたぐらいだ。


「高橋くんだったら、私の本性をばらしたりしないよね」

「ばらす相手がいないからな」

「あは。でもさ。どうして高橋くんは人に話しかけないの? 片腕じゃ面倒なことあるでしょ?」


 あっさりと人の急所となる部分を突いてくる。

 まるで一流の剣道家――そんなことを考えるな。


「……面倒なことはあるが、それを人に押し付ける真似はしたくない」

「ふうん。それが高橋くんの建前なんだ」


 含みを持たせるようなことを言う鈴木。

 しかし嫌味が無くすっきりとした声だったから、怒ることができなかった。


「ねえ高橋くん。もしかして、スポーツとかやってた?」


 またも俺の弱い部分を突いてくる鈴木。


「どうしてそう思う?」


 何でもないように答える俺に「この前、手を握ったときなんだけど」と説明し出した。


「手にタコがあったから。それってテニスのラケットとか握ったときにできるものだよね」

「……まあな」

「なるほどね。高橋くん、スポーツマンだったんだ」


 同情するようではなく、ただ事実を述べた風な鈴木。


「ショックだね。片腕失くすなんて」

「…………」

「ちなみに、どんなスポーツやってたの?」


 どんどん踏み込んでくる鈴木に「やけに俺のこと訊いてくるじゃねえか」とやや不機嫌に答えた。


「人に興味無いんじゃないのか?」

「うん? 片腕の無い人に興味持つの当然じゃない?」

「……よくもまあ、そういうこと平気で聞けるよな」


 皮肉を言うと鈴木は思わぬ反撃をしてきた。


「だって、そういうこと聞いてほしいんじゃないの?」

「…………」

「構ってほしいって顔しているよ?」


 図星とまでは言わないが、的外れというほどでもない。

 親ともそんな会話をしてこなかった。

 同じ部活の仲間とさえも。


「誰に分かってほしいのかな? いや、それとも話したいだけのかな?」

「……お前に何が分かるんだよ」

「分からないよ。だって両腕あるもん」


 鈴木はフェンスから背を離して、ゆっくりと俺に近づく。

 俺を無力な子供のように見ている。


「片腕になったことがないし、想像もしたことないもん。ただ爪きりどうやってやるのかなってぐらいかな」

「……足で爪きりを押して切る」

「へえ! そうなんだ!」


 感心したように笑う鈴木。

 無邪気な様子に、デリケートなことを訊ねられたというのに、腹が立たない。


「ねえ。どんなスポーツしてたの?」


 鈴木はふと俺と視線を外し、同じ質問を言う。

 俺は観念して答えた。


「剣道だよ。俺は剣道やってた」

「剣道……片手でもできるんじゃないの?」

「馬鹿言え。できるわけねえだろ」


 勘違いしているようだから、俺は分かるように言い含んで説明する。


「片手で竹刀振るのと両手で振るのとじゃどっちが力要ると思う? それに剣道において右利きは左腕が重要なんだ。それを失ったらどれだけ――」

「あれ? 禁止されているからできないわけじゃないんだ」


 鈴木は俺の言葉を遮った。


「片腕でも試合に出られるなら、すればいいのに」

「だからそんな単純な――」

「素人の私でも分かるくらいのタコができてるし、相当練習したんでしょ?」


 鈴木は俺の眼前まで迫った。

 小柄な鈴木は俺を見上げて言った。


「できないじゃなくて、しないんだ」

「……なんだと?」

「ふふふ。意外と意気地がないんだね」


 今まで散々言われたが、ここに来て頭がかあっとなった。

 片腕をいじられても怒らなかったのに。

 だが必死になって自分に冷静さを強いた。

 相手は女子だ。暴力は振るえない。


「ねえ高橋くん。今日暇?」


 俺の葛藤を見透かしたように、後ろに一歩下がった鈴木。


「やることないからな。なんだ、デートの誘いか?」

「高橋くん、いい人だけどまだそんな気分じゃないかな」


 反撃を試みたが、傷ついただけだった。

 鈴木は可笑しそうにくすくす笑っている。


「私の親戚がやっているスポーツジムがあるんだけど」

「……それで?」

「ちょっと寄っていかない?」


 いきなりの提案に「なんで俺がそこに――」と言いかけたとき、鈴木は急に真面目な顔で言った。


「全然、スポーツしてないでしょ。体育の時間も見学しているし」

「…………」

「運動したほうがいいよ。そしたら気が晴れると思うから」


 運動したくないわけではない。

 むしろ部屋に引きこもっているのは退屈だ。

 さらに言えば、鈴木の態度が真剣そのものだった。


「俺にできる運動なんて……」

「いいから。行こうよ」


 俺の肩を掴んで、屋上の出口方向に反転させて、そのまま背中を押す鈴木。

 突然の強引さになすがまま、歩いてしまう。


「おいおい。親戚でもいきなり行ってもいいのか?」

「大丈夫だよ。小さなジムだから、人もあんまりいないしね」

「でも……」

「男は度胸だよ!」

「……意味が分からねえ」


 きゃっきゃと嬉しそうに鈴木は出口まで来て、俺の代わりにドアを開けた。


「高橋くんならきっと気に入ると思うよ!」

「その親戚……どんな人がやっているんだ?」

「一言で言えば筋肉馬鹿の変人かな」


 それを聞いた俺はムキムキで色黒の筋肉達磨が頭に浮かんだ。


 鈴木が何故人と関わりを持たないのか。

 そして何故俺だけに構ってくるのか。

 疑問はあったが、鈴木の親戚がやっているジムに行くことになった。

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