第8話「分かりました。勝負しましょう」

 鈴木の言ったとおり、変なことになった。

 火曜日の昼休み、俺はいつものように教室で弁当を食べていた。

 メニューはサンドウィッチだ。


「あのさ。高橋歩って奴、ここにいる?」


 俺の名前が呼ばれたので声の主を探すと、教室の入り口辺りでクラスメイトに話しかけている、やたら背の高い男がいた。

 同級生っぽくなかった。二年生か三年生だろう。色黒で唇が分厚く、真ん丸な目をしていた。


「えっと。高橋くんなら、あそこです……」


 クラスメイトの女の子がおずおずと俺を指差す。

 するとその背の高い男は「そうか。失礼するよ」とずかずか中に入った。

 よくよく見てみると、対照的に小柄な男子もいた。そっちはがっしりとした体格で、一言で言えばたぬきを想起させる顔をしていた。


「お前が高橋か。ちょっと面貸せ」

「……誰ですか、あんたらは」


 サンドウィッチを飲み込んでから訊ねると「三年の角谷だ」と背の高い男は言った。


「こっち飛田。同じく三年生だ。紹介は済んだ。ちょっと来い」

「今、食事中なんですけど」


 何か先輩に目を付けられることしたっけと考えつつ、次のサンドウィッチに手を伸ばそうとして――その手を掴まれる。


「てめえのせいでこっちは大変なんだよ。いいから来い」


 小柄な男――飛田先輩が睨みつけながら命令してきた。


「おい飛田。お前気が短すぎるぞ。あくまでも話を聞くだけだ」

「……分かっているよ」


 ……ちょっと不味いな。


「俺のせいで大変? ……分かりました。行きます」


 素直に従わないと面倒だなと思ったので、椅子から立ち上がった。

 すると角谷先輩と飛田先輩が驚いた目になった。


「お、お前……左手、どうしたんだ?」


 弾かれたように手を離して、飛田先輩が問う。


「事故で失くしちゃいましてね。でも知らないってことは……どういうことなんです?」

「……なあ角谷。本当にこいつなのか?」


 二人は訳が分からないという顔をしているが、それ以上に俺も訳が分からない。

 角谷先輩は「ひょっとしたら、先方が勘違いしているかもしれん」と言う。


「とにかく、ついて来てくれ。顧問の先生がお前を呼んでいる」

「……俺はてっきり、体育館裏でぼこぼこにされるかと思いましたよ」


 角谷先輩はばつの悪い顔をして。

 飛田先輩は顔を背けた。


 教室を出る前、ふと鈴木と目が合った。

 あーあ、やっぱりこうなっちゃったね。

 そんな台詞を言っているような顔をされた。



◆◇◆◇



「君が高橋くんかい? しかし……」


 職員室に連れて来られた俺は、中年の教師、将野先生と話していた。

 白髪が少し混じった黒髪。べっ甲の眼鏡を神経質そうに触る。

 ちなみに角谷先輩と飛田先輩は俺の後ろに立っている。


「とりあえず、事情を話してもらえませんか?」


 そう促すと将野先生は「そうだな……」と言った。


「黄桜高校の三村先生を君は知っているか?」

「黄桜高校……そういえば、土曜日に会いましたね」


 将野先生は思わず俺の後ろの二人の先輩を見た。

 振り返ると角谷先輩は息を飲んでいて、飛田先輩は腕組みをしていた。


「そのとき、何か話したか?」

「えっと、正確には話せないと思いますが……」


 俺は板崎さんの道場に通っていること、帰り際に三村さんに会ったこと、少し会話したこと、そしてその内容を断片的だが説明した。

 将野先生は全てを聞いた後、頭を抱えた。


「そうか……物凄く困ったことになった……」

「何か、悪いことしちゃいました?」


 別に無礼なことは言っていないと思っていると「お前のせいだよ」と飛田先輩がドスの利いた声で言う。


「面倒なことしやがって……」

「詳しく話してもらえますか?」


 苛立つ飛田先輩ではなく、比較的話が通じそうな角谷先輩に訊ねる。

 角谷先輩は「月曜日の夕方、将野先生に電話があった」と言う。


「黄桜高校の三村先生からだ。内容は交流試合がしたいってことだ」

「……じゃあ先輩方は剣道部の?」

「ああそうだ。俺が部長で飛田が副部長している」


 ようやく先輩たちのことが分かったが、腑に落ちないことが出てきた。


「失礼ですけど、名門の黄桜高校とうちでは格も実力も違う。それに受ける道理もありませんよね」

「だから、お前が関係しているんだろうが」


 飛田先輩が苛立ちを隠さずに言う。


「その三村先生は、凄腕の剣士がいる睡蓮高校の噂を聞いて、是非試合がしたいんだと。加えて双葉工業高校もその交流試合に参加するってよ」


 双葉工業……黄桜高校と双璧をなす強豪校だ。

 その二校の申し出を断るのは、失礼に当たるだろう。

 しかし断ることはできたはずだ。


「断れなかったんですか?」

「断ったさ。でも話がかなり進んでいて、断れない雰囲気だった。そうですよね、将野先生」


 飛田先輩が将野先生に確認する。

 先生は「そのとおりだ……」と覇気の無い声で言った。


「弱小校が一方的に強豪校の申し出を断れば、どんな噂になるか……」

「……評判を気にするのは分かりますけどね」

「そんで、その原因となったお前に事情を聞くために呼んだってわけだ」


 皮肉を利かせた言い方だったが、事実なので何も言えない。

 まあ板崎さんが俺のこと才能あるとか言わなければこんなことにはならなかったが。


「それで、どうするんですか? ていうか俺はもういいですよね?」

「はあ? もういいってどういうことだよ」

「だって俺、剣道部じゃないですし……そうですよ! 剣道部に所属していないからできないって言えば良かったんじゃないですか?」


 俺の冴えた答えに飛田先輩も黙っていた角谷先輩も、悩んでいた将野先生もはっとした顔になった。

 ……気づいてなかったのか?


「よし先生。すぐに電話してくれ」

「あ、ああ。今の時間は……」


 職員室の電話のダイヤルを押しながら、将野先生はほっとした顔になっていた。

 角谷先輩も飛田先輩も安心している。

 それに何か違和感を覚えた。


「黄桜高校さんですか? 私、市立睡蓮高校の将野です――はい。三村先生お願いします」


 しばらくして、三村先生と話がつながったらしい。

 将野先生が辞退の理由を述べる。


「はい、はい。そういうわけで――えっ? ええ、いますが。はい、分かりました」


 受話器を俺に差し出す将野先生。


「三村先生から君にだ」

「俺? わ、分かりました」


 俺は受話器を取った。


「もしもし。お電話代わりました。高橋です」

『高橋くん。鷲尾くんって知っているよね』


 鷲尾という名前に、俺は身体を強張らせた。


『彼、あなたの代わりにスポーツ推薦で黄桜高校に入学したの。知ってた?』

「……ええ。知っています」

『鷲尾くん、君に申し訳ないと思っているわ。理由は分かるわね?』


 鷲尾の性格なら、俺に対してそう思うだろう。

 あいつは、優しくて繊細な性格だから。


『あなたにお願いがあるの。鷲尾くんと戦ってあげて』

「…………」

『そうすれば、きっと後悔は無くなると思うから』


 しばらく無言のまま、考えた俺。

 そして――答えた。


「分かりました。勝負しましょう」

「ああ!? お前、何勝手に言ってんだ!?」


 飛田先輩の声を無視して俺は続けた。


「鷲尾に伝えてください。これで決着をつけようって」

『ええ。伝えておくわ』


 電話が切れる音。

 俺は受話器を置いた。


「お、おい。なんで――」

「将野先生。俺を剣道部に入部させてください」


 深く頭を下げて俺は言った。

 それを乱暴な仕草で向き合わせたのは飛田先輩だった。


「ふざけんなよ。勝手に話続けるんじゃねえ!」

「…………」

「俺たちに恥をかかせるつもりか!」


 対して俺は「さっきから違和感があったんですよ」と静かに言う。


「どうして、先輩たちは戦おうとしないのかってね」

「はあ? お前何言って――」

「強豪校に挑めるチャンスを棒に振るなんておかしいですよ。振るなら竹刀にしてくださいよ」


 胸ぐらを掴んでいた飛田先輩の手首を、俺は右手で握り締める。

 力を徐々に入れると、飛田先輩の顔が痛みに歪む。


「あんたらの実力は知らない。でもな、戦う前に逃げるような真似すんなよ!」


 最後は怒鳴るように言って、乱暴に飛田先輩の手を放した。

 手首をぷらぷらさせながら、飛田先輩は俺を睨む。

 周りに教師が集まり出したのを、将野先生が「なんでもないですから!」と頭を下げて追い払う。


「恥をかきたくない気持ちは誰にだってありますよ。でもね、戦いもせず逃げるのも恥じゃないんですか?」

「……お前の言うことは一理ある」


 角谷先輩が静かに言った。


「でもな、勝てる見込みはあるのか?」

「ゼロじゃないでしょう。少なくとも、俺は勝つつもりでいますよ」


 しばらく見つめ合う形になる角谷先輩と俺。

 やがて角谷先輩はふっ、と軽く笑った。


「いいだろう。先生、俺たち戦いますよ」

「おい、角谷! いいのか!?」


 飛田先輩が喚くと角谷先輩は「俺は逃げるの嫌いなんだ」と肩を竦めた。


「それに期待の新人が入ってくれたからな。せめて先輩の俺たちが格好いいところ見せないと」

「……どうなっても知らねえぞ」


 そっぽを向いた飛田先輩。

 そのやりとりを見て、俺は覚悟を決めた。

 鷲尾、待っててくれよ。

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