第9話「そうだ。それが隻腕の剣士の工夫であり、隻腕の剣士だけの奥義だ」

「あは。それで三週間後、交流試合やることになったんだ」

「まあな。部長の角谷先輩が将野先生を説得してそうなった」


 その日の放課後、俺は屋上に来ていた。鈴木に会うためだ。

 互いにフェンスにもたれながら、いろいろと話していると、不意に「うちの高校、弱小だって噂だよ」と鈴木は笑った。


「双葉工業と黄桜高校はスポーツ推薦の生徒がたくさんいるし、その中で少ないレギュラーを狙って練習しているんだよ」

「分かっているさ。正直、今の俺じゃ一勝すらできない」

「ならなんで、受けたの?」


 鈴木には鷲尾のことは話していない。

 どう話していいのか分からないのもあったが、話してどうなる問題じゃなかったからだ。


「三村さんが俺を高く評価してくれたからな。あんな美人な先生が戦いたいって言ってくれたんだ。思春期の男子高校生としたら、受ける以外選択肢はないだろう?」

「それ本当? なんか嘘っぽい気がするけど」


 そう言いつつ、どうでもいいと思っているのだろう。背伸びをして「それより、板崎さんの秘密分かったの?」と鈴木は訊ねた。


「秘密? ……ああ、間合いが長くなった理由か。まったく分からん」

「録画したの、何回も見たんでしょ?」

「もちろん。何回も見たが、足も腕も胴体も変化が見られない」


 そう。何一つ変わらない板崎さんだった。

 打つ前と打った瞬間を何度確認しても、変わったところが分からない。

 そう告げると、鈴木は「じゃあ打った後は?」と髪の毛をかき上げた。


「打った後? 残心か?」

「へえ。残心って言うんだ。うん、そうだよ。打つ前と打った後のほうが、分かりやすいんじゃないかな、変化が」


 言われてみれば、俺は残心の映像を見ていなかった。

 打たれた後もほんの少ししかその光景を見ていない。


「デジカメ、今ある?」

「ああ。バッグの中に。今出す」


 俺はデジカメを片手で操作して、映像を確認した。

 そうして――ようやく理解できた。


「そうか……だから竹刀が伸びたように見えたのか……!」

「えっ? もう分かったの?」


 俺はデジカメを鈴木に渡した。


「今すぐ、道場に行ってくる。交流試合のことも話さないといけないしな」

「行ってくるって……私も一緒に行くよ」


 鈴木は屋上の地面に置いたバッグを持った。そこにデジカメを仕舞う。


「それより、剣道部に入部したんでしょ? 部活に参加しないの?」

「剣道部はバスケ部のとの兼ね合いで月水金しか体育館借りられないって言われた」

「そうなんだ」

「それに俺も防具を板崎さんのところに預けているからな」


 鈴木は「考えていないようで、意外と考えているんだね」とくすくす笑った。

 馬鹿にされたのは分かるが、何も言えなかった。



◆◇◆◇



「そうか。美咲がそんなことを……」


 鈴木と一緒に、板崎さんの道場に移動して、今日起こったことを話すと、板崎さんは溜息をついた。


「美咲? 誰ですか?」

「三村美咲。それがお前に試合を申し込んだ教師の名だ」


 下の名前で呼ぶということは相当親しいのだろう。


「三村さんとは、どういう関係ですか?」

「知り合いの娘さんだ。一時期稽古をつけてやった。厳しく指導したのだが、何故か懐かれてしまった」

「板崎さんの稽古に耐えたんですね……」


 俺の隣で正座していた鈴木が「でも、ちょっと過剰な気がしますね」と考え始めた。


「三村さんが弟弟子に当たる高橋くんに興味を持つのは分かりますけど、わざわざ他校を巻き込んで試合をしたがるなんて。他に理由があるんじゃないですか?」

「…………」


 板崎さんは沈黙で返した。

 答えたくないのだろう。


「板崎さん。俺は三村さんとあなたの関係をこれ以上訊くつもりはありません」


 鈴木を制するように、俺は敢えてそう言った。

 板崎さんは目を細めて「ほう……」と言った。


「でも、今回の件の発端は板崎さんにもあると思うんです」

「……当然だな。あの場でお前を賞賛しなければ、こんなことにはならなかっただろう」

「だから、責任を取ってください」


 俺は無い頭で必死に考えたことを言う。


「市立睡蓮高校の剣道部のメンバーを鍛えてください」

「…………」

「期限は――三週間です」


 はっきり言って弱小と言われるうちの剣道部が、強豪校に勝てるとしたら、三週間みっちり練習するしかない。

 しかし顧問の将野先生は剣道をやったことが無く、生徒に練習を任せていた。これでは強くなれない。やはり指導者がいないと上手くなれないだろう。


「ふむ。一応筋は通っている」


 どこか感心したように頷く板崎さん。

 俺はほっとして「じゃあ受けてくれますか?」と問う。


「一つ、条件がある」

「……なんでしょうか?」


 板崎さんは「わしから一本取ってみろ」と厳しい顔で言う。


「わしが見せた技、見破っているのだろう?」

「ええ、まあ。実際に試していないですけど」

「それでわしから一本取ったら、引き受けよう。しかしその前にわしが一本取ったら、話は無かったことにする」


 板崎さんが「どうだ、受けるか?」と言った。

 俺は「分かりました」と応じた。


「まったく。どうして受けるの? 実戦でやったことないんでしょ?」


 鈴木の呆れた声に俺は「受けるしかないだろう」と答えた。


「それで負けたら、どうするの?」

「それは……考えなかったな」

「……はあ。よく分からないよ」


 苦笑する鈴木は「まあ私は困らないからいいけど」と道場の隅に移動した。

 面を付けて道場の真ん中で正対する。


「お嬢ちゃん。合図を出してくれ」

「……分かりました」


 互いに蹲踞して鈴木の試合開始の声を待つ――


「――始め!」


 すっと立ち上がり、板崎さんを向かい合う。

 板崎さんは攻めてこない。

 おそらく返し技――カウンターを狙っているんだろう。

 だったら先制してやる!


 俺は初め、竹刀を短く持っていたが、柄の先端を垂で押して長めに持ち替えた。

 板崎さんとは二十本稽古を何度もやった。だから間合いは悟られている。

 しかしそれゆえに――伸びた間合いからの攻撃は有効だ!


「面ぇえええん!」


 大きく声を出して、一足飛びに面を狙う俺。

 中学生のときに習った技術。

 達也さんに鍛えられた身体。

 板崎さんの教えのとおりに。

 俺は――面を打った。


 ぱあんっという快音が道場に響き渡る――



◆◇◆◇



「そうだ。それが隻腕の剣士の工夫であり、隻腕の剣士だけの奥義だ」


 面を外した板崎さんは晴れ晴れとした顔で言った。


「遠くの敵には長めに柄を持ち、間合いを伸ばす。近くの敵には短く持って、素早く打つ。口で言うのは容易いが会得させるのは難しい」

「板崎さん……」

「よく自分で気づいたな。褒めてやる」


 板崎さんの言葉に感動しつつ、俺はこの工夫を凄いと思った。

 気づいた自分ではない。教えてくれた板崎さんが凄いと思った。

 そしてこうも思った。俺は――まだまだ強くなれる。

 剣道を続けられる。


「睡蓮高校だったか。その顧問、慎んで引き受けさせてもらう」


 板崎さんは頭を下げた。


「ありがとうございます。こちらこそ、よろしくお願いします」

「だが、指導の期間が終わっても、わしはお前を鍛え続ける。それでいいな?」


 俺はほとんど何も考えず「はい。これからもご指導ご鞭撻、よろしくお願いします」と頭を深く下げた。


「まさか、一本取れちゃうなんてね。凄いよ高橋くん」


 稽古の後、板崎さんが道場を出て、俺が掃除していると鈴木がそう言ってきた。


「ああ。これも全て、お前のおかげだ」

「えっ? 私の?」

「デジカメで撮ってくれたことも、残心を見るようにって言ったのも。そして今まで俺の練習に付き合ってくれたのも。全部感謝している」


 俺はきょとんとする鈴木に頭を下げた。


「本当にありがとう」


 鈴木は照れた様子で「や、やめてよ。今更」と両手を振った。


「私がやりたくてやったわけだし……」

「それでも、ありがとうな」

「もういいから! さあ、さっさと掃除終わらせて!」


 珍しく動揺している鈴木に妙なおかしさを覚えながら、はいはい、分かったよと手を動かす俺。

 自分の剣道に光明が見えて、テンションが上がってしまったのは否めなかった。

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