第14話「久しぶりだな、高橋」

「それで昨日の練習、みんな最後まで動けたんだ」

「まあな。でも板崎さんが言うには、まだまだ動きに無駄があるらしいけど」


 火曜日の放課後。

 俺は鈴木と屋上で話していた。


 今日は体育館を使えないので、板崎さんの道場で稽古するのだけど、三年生の角谷先輩と飛田先輩が補習で長引いているので、ここで待っていた。終わったらスマホに連絡が来る手はずだ。


 鈴木はにこにこと笑いながら「それなら練習の手伝いに行けば良かった」と言う。


「そういえば、何の用事で来られなかったんだ?」

「ママと買い物行っていたの。最近、一緒にいられなかったから」

「親と仲が良いんだな」


 そこは男子と女子の違いかもしれない。

 鈴木は「普通にママ好きだよ」と笑顔のまま答えた。


「高橋くんも仲良くしておいたほうがいいよ。そんな身体だし」

「はっきりと言いにくいことを言うよな、お前は」

「あは。怒った?」


 別に怒ったりはしない。じめじめした嫌味ではなく、からっとした本音だからだ。


「怒らねえよ」

「ふうん。結構ずぶといんだね」

「……いや、何言われても怒らないってわけじゃねえよ?」


 鈴木との会話は、なんというか、女子と話しているのに緊張感はなかった。

 気の置けない友人のように思えてくる。


「ところで、高橋くんから見て、他の部員の人たちはどうなの?」

「あん? ……性格とかそういうことか?」

「違うよ。強いかどうかだよ」


 難しい問いだった。四人中三人が先輩で、それを評価しろと言うのだから。

 俺は「鈴木。お前はどう思っているんだ?」と逆に問う。


「素人の目から、強いのかどうか、分かるか?」

「えっと。動きはできているけど素早くないって感じかな」


 つまり、基本がなんとかできている程度ということか。


「でも角谷部長は上手いと思った。あの人だけは今の高橋くんより強いんじゃないかな」


 その意見はよく分かった。長身から繰り出される早い面は、片腕の俺では対処しきれない。

 おそらく五本やったら三本取られるだろう。弱小校とはいえ、部長をしているのだから、それ相応の実力がある。


「次に強いのは飛田先輩で、香田先輩、金井くんの順かな」

「まあ妥当な評価だ」

「でも三人は似たり寄ったりかな」


 弱いというわけではないが、平凡より少し上の実力では、強豪の黄桜高校や双葉工業には勝てない。

 もちろん、今の俺や角谷先輩でも勝てるかどうか微妙だ。


「三週間で強くなれるの?」


 鈴木が突然、核心を突くことを言ってきた。

 ハッとして見つめ返す。

 口元が結ばれていて、目も真剣だった。


「……分からねえよ。でも稽古しなくちゃ強くなれねえだろ」


 そう答えるしかなかったのは情けないが、本当にひたすら稽古を重ねるしかなかった。


「それに……鷲尾も待っているしな」

「うん? 鷲尾?」

「なんでもねえよ」


 不思議そうな顔をする鈴木。

 俺は少しその場を離れて、フェンス越しに外の景色を見た。

 右手をフェンスの網に絡ませて、思い出していた。


 中学のときは楽しかった。

 どんどん強くなる自分が誇らしかった。

 いろんな技を覚えることが嬉しかった。


 事故の後、竹刀を握れなくなったのは悲しかった。

 試しに片手で振ろうと思わなかった。

 中学の剣道部の仲間とも離れてしまった。


 でもようやく自分のやりがいが戻ってきそうだった。

 そう、思ってもいいかなと錯覚したかった――


「あ、スマホ鳴っているよ」


 鈴木の一言で現実に戻った俺は、スマホをポケットから片手で取り出す。

 角谷先輩からだった。

 どうやら補習は終わったらしい。


「行くぞ、鈴木」

「うん。分かった」



◆◇◆◇



 それから一週間。

 俺たちは稽古に打ち込んだ。

 地稽古と試合を重ねる毎日。


「最近、竹刀が軽く感じるなあ」


 嬉しそうに香田先輩が言ったが、他のみんなも同じ思いらしく、自分の成長を喜んでいた。


「あと二週間。必死で稽古をしろ」


 土曜日の稽古終わりに板崎さんが俺たちに言った。

 一日中稽古をしたので、流石にみんな疲れていた。

 そこに厳しい檄を飛ばされる。


「当初の予定通り、ここからの二週間は実戦形式の稽古をする」

「実戦形式、ですか?」


 角谷先輩の疑問に「各々に適した戦法を教えていく」と板崎さんは答えた。


「たとえば角谷。お前には上段の構えを会得してもらう」

「上段、ですか?」

「お前の長身を活かす戦法だ」


 そして「他の者にも教えていく」と言った。


「それから高橋。お前はわしと一対一で試合を重ねることになる」

「……それはどうしてですか?」


 俺に何か問題でもあるのか、それともそうしないと強くなれないのか。


「他の者に変な癖が付かぬようにだ。隻腕と戦うとそうなりやすい」

「……以前、片腕の弟子がいたんですか?」


 飛田先輩が素早く訊ねた。

 どうしてそんなことを訊くのか分からなかったが、板崎さんの顔が一瞬だけ曇ったのが見えた。


「……いたことはある」

「そうですか……」


 何故か板崎さんと飛田先輩の間に不穏な空気が漂った。

 そういえば、飛田先輩は板崎さんのことを調べていたような……


「えっと。それでは、僕たちは四人で試合をするんですか?」


 金井が重苦しい空気の中、発言した。

 板崎さんは飛田先輩から目線を外して「時折、わしも相手する」と言った。


「他の質問が無ければ、今日は帰ってゆっくり休め」


 板崎さんが道場から去った後、角谷先輩が「飛田。お前、何か知っているのか?」と詰問した。


「いや、何も知らねえ」

「嘘つけ。お前のことだから、何か隠しているに決まっている」

「だから、何も知らねえって」


 明らかに何か知っている風なリアクションだった。

 角谷先輩が追及しようとすると「もういいじゃないっすか」と香田先輩が言った。


「今日も練習でへとへとですし。そりゃあ板崎さんに興味ないわけじゃないですけど、言いたくないなら無理して聞き出すこともねえでしょ」

「…………」

「さっさと掃除して帰りましょ」


 角谷先輩はしばらく沈黙してから「……そうだな」とこれ以上訊くのをやめた。


「だが、何か問題があったらすぐに報告しろよ」

「ああ。分かっている」


 上級生のやりとりを金井がおろおろしながら見ていたので、俺が安心させるように、右手をあいつの肩に乗せる。


「雑巾がけ、しようぜ」

「は、はい。分かりました」


 鈴木はそんな俺たちを遠くから見つめていた。

 何も言わず、じっと見ていた。


 掃除を終えた俺たちは、板崎さんに挨拶して帰ろうとする。

 そのとき、玄関の前で三人が話しているのが見えた。


 一人は板崎さんでもう一人は黄桜高校の教師、三村さんだ。


「あら。久しぶりね、高橋くん」


 手を振る三村さん。

 俺はそのとき、最後の一人に気を取られて気がつかなかった。


「おい、高橋。知り合いか?」

「……黄桜高校の三村先生です」


 飛田先輩のせっつくような問いに鈴木が代わりに答えてくれた。

 すると角谷先輩の顔色が変わった。


「あの人が、きっかけだったのか……」


 そんな呟きも俺の耳には入らない。

 三村さんの隣にいたそいつも、俺を見て驚いている。


「先生。どうしてここに俺を連れてきたのか、やっと理解できましたよ」

「ええ。あなたも会いたがっていたでしょう?」

「……悪趣味ですよ」


 そいつは俺にゆっくりと近づいた。

 俺もそれに応じて前に出る。


「久しぶりだな、高橋」


 そいつは何とも言えない表情をしていた。

 懐かしいようだが、思い出したくないようだった。

 気まずいけど会いたかった気持ちで一杯のようだった。


 おそらく俺も似た表情だったと思う。

 だけど、返さなければいけないと思った。


「ああ、久しぶりだな……鷲尾」


 目の前にいるのは、中学のときの同級生で同じ剣道部だった男――鷲尾翔。

 かつての親友である。

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