第13話「俺は恥ずかしがり屋だけど、恥知らずでいるのは嫌なんだ」
自分の左腕が痒いときがある。
もう無いくせに何言っているんだと思われるが、失くしてから時々そう言った痒みに襲われる。
幻肢痛というらしい。重い症状の場合、頭がおかしくなりそうな痛みに襲われると聞かされた。
具体的な治療法はない。痛みや痒みを感じているのは、文字通り『失った部位』だからだ。薬も麻酔も効かない。ただひたすら耐えるしかなかった。
俺の場合は痛みではなく痒みだった。左手全体が物凄く痒い。手のひらも甲も、全てだ。
医者には鏡を見ながら無い腕を動かすイメージを持つようにと言われたが、根本的に解決できてはいない。
俺はベッドにうずくまりながら、必死に耐える。
正直、激しい痛みのほうがマシだと思える。
痒みはどうしようもない――
◆◇◆◇
「おい高橋。お前大丈夫か?」
土曜日、市民プール前。
集合時間の二十分前、つまり九時半に俺は市民プールに来ていた。
昨日は痒みのため、ほとんど寝られなかったので、寝不足で来ていた。
俺が一番かと思ったら、飛田先輩が先に来ていた。スマホで何やら見ていたらしいが、俺が来た途端、スマホを仕舞った。
そして俺の顔を見るなり、挨拶よりも先に心配してくれた。
「すみません。昨日、寝ていなくて」
「夜更かしでもしたのか? ていうかあのハードな練習で寝られなかったのか? 俺なんかすぐに……」
飛田先輩は何かに気づいたのか分からないが「何かあったのか?」と訊いてくる。
「思春期の女子みてえに、何か悩みでもあるのか?」
「そんなんじゃないですよ。ただ……」
「いいから話せよ」
案外、面倒見がいいのかもしれないなと飛田先輩を見つめた。
少しの間の後、俺は「幻肢痛って知っていますか?」と訊ねた。
「いいや。知らん」
「俺みたいに欠損した人間が罹る心身症なんですけど――」
簡単に自分の症状を説明すると、飛田先輩は顔を歪ませた。
「つらいな……薬も麻酔も効かないってのは」
「そのせいで眠れなくて。すみません」
「別に、お前が悪いってわけじゃねえよ」
飛田先輩はそっぽを向きながら言った。
俺はいい機会なので、以前から気になっていたことを訊ねた。
「飛田先輩は、どうして剣道部に残ったんですか?」
「ああ? そりゃ、副部長だからだよ」
「月山先輩のように、退部するって選択肢はあったはずです」
飛田先輩は当初、恥をかきたくないと言っていた。
それがどうして協力的になったんだろう。
「お前、言ったじゃねえか。戦う前に逃げるのは恥とかなんとか」
「…………」
「俺は恥ずかしがり屋だけど、恥知らずでいるのは嫌なんだ」
目も合わせず格好良いことを言う。
初めの印象は悪かったけど、意外といい人かもしれない。
俺の幻肢痛にも同情してくれたし。
「お。二人とも、早かったな」
しばらくして角谷先輩と香田先輩、金井がやってきた。
三人は途中で合流したらしい。
「遅かったな」
「お前らが早いだけだ。まだ集合時間まで五分もある」
「そういえば高橋。鈴木は?」
飛田先輩が俺に訊ねる。
「鈴木は欠席です。用事があるそうで」
「ええ。鈴木ちゃんお休みか。残念だな」
香田先輩が残念そうに呟いた。
それに対して「香田先輩は鈴木さんのこと好きなんですか?」と金井がずばっと問う。
「なかなか可愛いじゃんあの子。それに女子に見られているとテンション上がるし」
「……今日は半裸で練習するんだが」
角谷先輩が微妙な顔で言った。
周りもちょっと引いている。
「いや、普段の練習の話ですよ……なんだ金井、その変態を見る目は」
「そ、そんな目はしていないですよ!」
男子高校生らしい会話をしていると、集合時間ぴったりに板崎さんが駐車場からやってきた。
みんなが「おはようございます」と頭を下げて挨拶をした。ここらへんは剣道部らしい。
「ああ、おはよう。そこの二人、車から荷物を持ってきてくれ」
「はい、分かりました」
「うっす。了解っす」
香田先輩と金井が板崎さんと一緒に駐車場に向かう。
その直前に「お前たちは先に受付を済ませてくれ」と板崎さんは言った。
「わしの名前で予約はしてある」
「分かりました。行くぞ二人とも」
角谷先輩の声で俺たちは受付に行って手続きを済ませた。
そして水着に着替えて――俺は上に薄いTシャツを着た――プールの前で整列する。
プールの水は通常の半分、下半身ぐらいしかなかった。
「今日はこれを使え」
そう言って渡されたのは、砂の入ったプラスチックの棒だった。
重さは竹刀かそれよりちょっと重いくらいだ。
「流石に竹刀は使えないしな」
角谷先輩が呟きながら棒を取った。
形としてはバットに近い。
「ではプールに入れ。飛び込んだりするなよ」
「子供じゃないんですから……って香田、お前は馬鹿か?」
今まさに飛び込もうとした香田先輩を叱りつつ、まず飛田先輩が入った。
「うっわ、生温い……温水プールだ」
「冷たいよりはマシだろ。俺たちも入るぞ」
角谷先輩もさっそく入った。
俺も入る……本当に水が生温い。
等間隔になるように広がって、板崎さんのいるほうを全員が見た。
「では前後の素振りをしろ」
前後に動きながら素振りをするのだが、下半身が水に浸かっているため、普段と同じ動きができない。
「もっと早く足を動かせ!」
板崎さんの激が飛ぶ。
俺は必死に動いた。
みんなも懸命に動く。
◆◇◆◇
「も、もう駄目だ……」
あれから一時間。
言われたとおり前後の素振りを続けていたけど、体力の限界が来ていた。
足に負荷がある状態での素振りは大変だった。
「少しの休憩の後、素振りを再開する」
容赦ない言葉に全員がどうしてこんなことをしているのかという疑問が生まれた。
プールから上がると、全員大の字になってしまう。
「なあ、高橋。あの人、何も教えてくれないけど、何が目的なんだ?」
息の整った角谷先輩に聞かれたけど、最初から具体的に何かを教えてもらったことは、あまりない。
俺は「あの人は、自分で気づくまで教えてくれません」と答えた。
「片手での戦い方も、自分で気づかなかったら、本格的に教えてもらえなかったでしょう」
「自主性を重んじるタイプなのか?」
角谷先輩の言い方はだいぶ美化したものだった。
飛田先輩は「じゃあ自分たちで考えるしかねえな」とぼやいた。
「このままだと死んじまう……」
「今回の練習は、無駄な動きを無くすためですよね?」
金井が話に参加してきた。
俺は頷いて「ああ、そうだ」と言った。
「でも、下半身を水に浸からせるって、意味が分かりません」
「負荷をかけるって意味じゃないのか?」
飛田先輩の発言に「それなら普通に筋トレしたほうが良いのでは?」と金井が否定した。
「きっと、何か意味があるはずです……」
「そういえば、みんなは何を考えて素振りしていた?」
角谷先輩の質問に飛田先輩は「何も考えなかったな……」と言った。
「何のためにやってるんだって思ったけどよ」
「俺は、楽にならないかなって思いながらやりましたよ」
大の字になったままの香田先輩が言う。
「俺は体力ないから、少しでも楽になるように動いていました」
「おいおい。それじゃ練習にならないだろ?」
呆れる角谷先輩だったが、俺は何か閃いた。
「香田先輩。どうやって楽になるように動いていました?」
「はあ? それは、なんとなくだな。水しぶきが上がらないほうが楽とか、下半身全体で動いたほうがそうなるとか……」
その答えに俺が反応する前に「それが答えじゃないですか!?」と金井が大声で言った。
「急に叫ぶなよ……」
「す、すみません。でも、今回の目的そのものだったので」
「……ああ、そうか。無駄な動きを無くすって、そういうことだもんな」
角谷先輩が納得したように頷いた。
「どういうことだよ、角谷」
「要はどれだけ水の抵抗を受けずに動くかだ。無駄な動きが多いと水の抵抗を受けやすいだろ?」
「うん? ああ、そうか」
飛田先輩も分かったようだ。
「えっと、どういうことっすか?」
無意識に正解を出していた香田先輩だけが、まだ理解していないようだった。
角谷先輩は「水の中で楽に動ければ、普段でも楽に動けるようになる」と簡単に言った。
「動きの最適化と言えばいいのか。よし、それを意識してやろう」
俺たちは角谷先輩の言葉に頷いた。
そこへ板崎さんが戻ってきた。
「それでは再開する。みんな、プールに入れ」
まるで答えを導いたのを見計らったタイミングだったが、誰も指摘しなかった。
早く試してみたい気持ちで一杯だったからだ。
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