第31話「これからもよろしくな」
十分間ほど手首を冷やしてテーピングして、ようやく竹刀を振れるようになった。
いや、万全に振れるとは言いがたい。どこかぎこちなさがあるしスピードも遅かった。
だけどこれでいいと俺は思った。片腕を失くしてからずっと、俺は逆境にいた。それが戻っただけだ。
面と小手を付けて、試合場に戻ると観客席からたくさんの拍手が鳴った。
俺たちの試合を楽しみにしてくれている。
期待に応えるわけじゃないけど、誰が見ても恥ずかしくない試合にしたかった。
中央で竹刀を構えて、鷲尾と相対する。
鷲尾は吹っ切れたようで、気負いが無くなって、前より気合が入っていた。
油断はしないけど、少しでも気を緩めると一本取られそうだ。
竹刀を構える右手が疼く――こんなの幻肢痛で慣れている。
痛みなんて忘れろ。目の前の鷲尾だけに集中しろ。
今だけは――勝つことだけを考えろ!
「三本目、始め!」
主審の合図で三本目が始まった。俺は右片手上段に構える。
長引けばこっちが不利だ。だから攻めるしかない――けど、鷲尾の守りは堅かった。
どこを打ち込んでも返し技で打たれてしまうような隙の無さ。
中学のときとまるで違う。
猪突猛進で技を繰り出してきた、あの頃と。
三村さんの言うとおり、本当に努力したんだなと感じる。
仲間や観客の声がまったく聞こえない。
目の前の鷲尾だけしか意識が向かない。
「うりゃあああああああああ!」
拮抗状態から先に動いたのは――鷲尾だった。
あいつらしい真っ直ぐな面を打ってくる。
こっちが上段に構えているのに、問題ないと言わんばかりに――
「おらぁあああああああああ!」
俺も鷲尾に対して、面を打つ。
同時にぱあんと音が鳴る。
相打ちだ――有効打じゃない。
ずきりと手首が痛む。
無視できないレベルの痛み。
竹刀を落としそうになる――堪える。
再び、まったく隙の無い構えに戻る鷲尾。
返し技で決めようとしているのが見え見えだった。
だがこっちの隙が見えたら容赦なく打ち込んでいく。
つまり守りながら攻めるスタイル――
先ほどの面打ちで、俺はもうまともな攻撃ができないと分かった。
短期戦で勝負を決めたい俺にはやりにくい。
もしもそれが狙いなら、嬉しいよ、鷲尾。
勝つために全力でぶつかってくれる証拠なんだから。
焦りは禁物だけど、俺は真っ直ぐに行きたいと思った。
自分の限界が来る前に、一撃で仕留めたい。
中学の仲間から逃げるのはもうしたくない。
俺は、真っ直ぐに、打つ。
「おらぁあああああああああああああ!」
気合を入れて、鷲尾の間合いに入る。
鷲尾は分かっていたように、迎えうってくれた。
鷲尾が面を打つ――分かっていた。
俺は斜め右前に踏み込んで、するりと柄を短く持ち替えて、僅かに空いた胴を打つ!
「胴ぉおおおおおおおおおおおおおお!」
もしも鷲尾が小手や胴、突きをしてきたら、出せなかった一撃。
俺の抜き胴は鷲尾に当たり。
鷲尾の面打ちは――空を切った。
俺は、残心を取った。
「――胴有り!」
主審の判定が聞こえる。
挙がったのは、赤い旗。
三人とも挙がっている。
たとえようもない満足感と多幸感に包まれて。
右手首が酷く痛むのを感じながら――鷲尾と見つめ合う。
――見事だ、高橋。
面の奥で笑ってくれるのが見えた。
なんだかひどく、泣きそうになるのを、俺は耐えた。
◆◇◆◇
鷲尾に勝った後、俺は棄権した。
その後の試合は黄桜高校が制した。
次鋒の薄田が角谷先輩以外を倒して、角谷先輩は中堅の的場に倒された。
結果から見れば黄桜高校の一人勝ちだったけど。
弱小だった市立睡蓮高校の面目は保たれた形になった。
顧問の将野先生もほっとしていた。
「高橋。すぐに病院行ってこい。かなり腫れているぞ」
角谷先輩の言うとおりだった。
どんどん腫れがひどくなって、痛みが増している。
内側からハンマーで叩かれたみたいだった。
「俺の親が車で送ってくれるんで、すぐに行きます」
「そうか。後片付けとか掃除とか、俺たちでやっておくから」
「分かりました」
角谷先輩は「凄かったな、あの試合」と感想を言ってくれた。
「まるで鷲尾が面を打つと分かっていたようだったな」
「ああ、あれは――」
「俺もそれが聞きたい」
防具を外した鷲尾が、俺に近付いてきた。
確かに、鷲尾にしてみても不思議で仕方なかったんだろう。
「どうして俺が面を打つと分かったんだ? あの場面だったらいろんな選択肢があったはずだ」
「……分かっていたわけじゃない。信じていたんだ」
俺の言葉に鷲尾も角谷先輩も不思議そうな顔をする。
説明するのは照れくさかったけど、言わないと納得されないな。
「中学時代のままのお前なら、あの場面だと一番自信のある面打ちで来るだろうと思っていた。スタイルが変わっても、それだけは変わらないと思った」
「…………」
「真っ直ぐ打ち込んでくる心意気――それを信じて抜き胴したんだ」
「……そうか」
鷲尾は俺の言葉を噛み締めるように頷いた。
それから苦笑して「自分だと変わったつもりだと思っていたけどな」と韜晦する。
「根本は変わらないってことか。情けねえ」
「情けなくない。お前が変わらずにいてくれて良かったよ」
「……お前、これから剣道続けるのか?」
鷲尾の問いに俺は「ああ、続けるつもりだ」と言う。
迷いなく答えられたのは、自分でも誇っていいと思う。
「片腕でも剣道を続けるよ。稽古を重ねて鍛錬を積んで、もっと強くなりたい」
「なら、これからも戦えるな」
鷲尾は「インターハイの地区予選に出ろよ」と言う。
「俺も出る。俺は黄桜高校で全国制覇するんだ」
「すげえな。格好いいじゃねえか」
「お前と全国大会で戦いたい」
鷲尾の笑顔は中学のときと同じだった。
明るくて屈託の無い、無邪気な笑顔。
「お前の剣道が全国でも通用するところも見たい」
「ああ。片腕だからできる剣道を見せるよ。お前にも、他の選手にも」
鷲尾とはその後、少しだけ会話して。
再戦の約束をして別れた。
黙って見守ってくれていた角谷先輩は「大きく出たもんだ」と言う。
「俺らみたいな弱小剣道部が全国行くって? すげえこと言うじゃねえか」
「できないと思いますか? 俺たち、双葉工業に勝ったんですよ?」
「ほとんどお前の力だ。しかし、面白そうでもある」
角谷先輩は「早く手首治せよ」と俺の背中を叩く。
「俺との勝負、残っているんだからよ」
「忘れていませんよ。絶対に勝ってみせます」
「はは。言いやがる」
車の準備ができたらしいので、俺は母さんに連れられて駐車場に向かった。
外に出たとき、後ろから「高橋くん」と呼びかけられた。
鈴木だった。
「鈴木。お前――」
「あは。ちょっと感動しちゃった」
目が真っ赤でさっきまで泣いていたことが分かる。
「ああもう。泣くほどのことじゃないだろ?」
「泣くに決まっているよう。だって高橋くんが勝ったんだもん」
隣にいた母さんが「車で待っているから」と行ってしまった。
話をさせてくれるみたいだ。
「久美子とゆかりちゃんも感動してたよ。今もゆかりちゃん、泣いているんじゃないかな」
「嬉しいような、恥ずかしいような……」
「これからも、剣道続けるの?」
「さっき鷲尾とも話したよ。もちろん、続けるつもりなんだけど……」
俺は鈴木を見ながら「お前はどうするつもりなんだ?」と問う。
鈴木は目を丸くして「どうするって何を?」と聞き返す。
「その、なんだ。これからもマネージャー続けるのかって話だよ」
「あー、そうだよね……高橋くんはどうしてほしい?」
まさかそんな返しをしてくるとは思わなかった。
鈴木は真面目な顔をしている。
自分の顔が真っ赤になるのを分かった。
でも言わないといけないなと思い直して――
「で、できるなら、これからも続けてほしい……」
「…………」
「あくまでも、俺の希望だけど……」
だんだんと小さくなってしまったけど、言えたことは言えた。
鈴木の顔を見る――久美子のように、にやにや笑っている。
「あは。高橋くん、素直になったねえ」
「な、なんだよ! 馬鹿にしているのか!」
「ううん。違うよ」
鈴木は俺に近付いて、俺の右手に自分の腕を絡ませた。
「お、お前、何して――」
「剣道部のマネージャーの仕事! 一緒に病院行こう?」
右手首に触れないよう優しく組んでいるので、痛いとも言えない。
抵抗もできない――だから俺は笑った。
「これからもよろしくな」
鈴木は悪戯っぽい表情のまま答えた。
「うん! よろしくね、高橋くん!」
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