第32話エピローグ

 病院の検査を受けて、捻挫と診断された俺は、月曜日の部活を休んで板崎さんの道場に向かった。

 板崎さんは胴着ではなく、普通の服装で応対してくれた。だけど年相応に見えず、若々しく思えたのは、鍛錬を積んでいるからだろう。


「土曜日の試合、見たぞ」

「見てくれたんですね。ありがとうございます」

「……いい試合だった」


 板崎さんの口から出たのは手放しの褒め言葉。

 胸が熱くなるのを感じながら「板崎さんにお願いがあります」と背筋を正した。

 道場の床に手をついて懇願する。


「これからも、俺たちの指導、お願いします」

「……三週間という約束だ」

「分かっています。筋の通ったお願いじゃあないことも。でも板崎さんでないと、俺たちを強くできない」


 板崎さんは「鷲尾に勝つことが目標だっただろう」と俺に言う。


「その目標を達成して、次は何を望む?」

「……全国大会に出場することです」


 きっと次の目標を語ったら、誰もが馬鹿馬鹿しいと思うだろう。

 無理だから諦めろと諭すに違いない。

 それでも、恥ずかしげなく語ろう。

 目標、いや大きな夢を自信満々で言おう。


「片腕でも強くなれる――いや、片腕だから強くなれたと証明したい」

「……それは茨の道だぞ? 全国大会で優勝するよりもつらい」

「でも、やってみたいんです。自分の人生を懸けて、自分の力を試してみたいんです」


 俺の覚悟と決意を板崎さんはどう思ったのか知らない。

 心を打たれた様子も無く、心動かされたわけでもない。

 ただ一言、言ってくれた。


「……明日、部員連れて道場に来い」

「板崎さん……!」

「今まで以上に厳しく指導する。弱音を吐いてもやめない。それを心に刻んでおけ」


 板崎さんは無表情だったけど、どこか嬉しそうな雰囲気を感じられた。

 俺は頭を低く下げた。


「はい! これからもご指導お願いします!」


 角谷先輩に報告したので、明日から稽古ができるだろう。

 今まで以上に強くなれる。

 それが何より嬉しかった。



◆◇◆◇



 火曜日の放課後。

 俺は屋上に来ていた。

 部活の前に話しておこうと思ったからだ。


「あは。やっぱり来たね」


 鈴木が俺を待っている気がしていた。

 俺もやっぱりいたのかとさして驚かなかった。


「鈴木、あのさ――」

「高橋くん。前に訊いた質問、もう一度言っていい?」


 俺は頷いた。

 鈴木は深呼吸して――問う。


「生きるってどういうことだろうね?」


 俺は目を閉じた。

 ここ数ヶ月の出来事を振り返る。

 そして、目を開けた。


「――生きているって実感することだ」

「…………」

「お前の言ったとおり、確かに生きることは戦いだけど、それが全てじゃない。生きていると思うから戦って、傷ついて挫折して、それから立ち上がるんだ」


 高校生の分際で達観したことを言うけど、俺はそれしかないと考えた。

 だから俺は生きているし、目の前の鈴木も生きている。

 ただ呼吸するために生きているわけじゃない。


「……あは。聞きたかった答えかも」


 鈴木は笑いながら、俺に近付く。

 そして胸の当たりに握った拳を当てる。


「ようやく、生きていると思えたんだね」

「ああ、お前のおかげだな」

「半分くらいかな。もう半分は高橋くん自身のおかげ」


 拳を放して「私も生きているって思うな」と言う。


「クラスの中で空気みたいに存在するより、剣道部でマネージャーやっていたほうが楽しい」

「そうだよな。俺も剣道をやって実感しているよ」

「……高橋くんと話すのも楽しいよ」


 いきなりの攻撃だったけど、俺は余裕を持って返す。


「俺はいつだって、話していると楽しいよ――真理」

「……えっ?」


 目をぱちくりさせて、俺が言ったことを反復して、ようやく理解する。


「今、真理って……」

「部活、遅れるから。行こうぜ、鈴木」


 くるりと振り向いて屋上から出ようとする。

 鈴木は「ちょっと待ってよ!」と喚いた。


「今、絶対名前呼んだよね!」

「何言っているんだ? いつも鈴木って呼んでいるじゃあないか」

「……もう! 意地悪しないでよ!」


 飄々とした鈴木が恥ずかしがったり怒ったりするのは、見ていて楽しかった。

 俺たちはじゃれあいながら屋上から出る。

 途中、剣道部の金井と香田先輩と合流して、からかわれたり嫉妬されたりして。

 角谷先輩や飛田先輩に呆れられることとなった。


 こうして俺は自分の心残りを克服して。

 一つの区切りをつけることができたんだ。

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残心、 橋本洋一 @hashimotoyoichi

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