第19話「お前のことが心配なんだよ」
「歩。どうして父さんたちに黙って剣道をやっていたんだ」
「それは……言うと反対されると思って」
「バレたらやめさせられるとは思わなかったのか?」
ぐうの音も出ない返しに、俺は「それはそうだけど……」と口ごもるしかできなかった。
今は車の中で説教されている。家に向かって走っているので、逃げ場は無い。
大人しく聞くしかないこの状況はつらかった。
「お前は怪我したんだ。その身体で剣道だなんて危険過ぎるだろう」
「そんなことないよ。十分動けるし」
「じゃあなんで今日、気絶なんてしたんだ? 将野先生に聞いたら、お前だけ倒れたらしいじゃないか」
それは板崎さんの指導のせいだけど、それを言ったらますます反対されると思い、何も答えられなかった。
俺はどうにかしてこの状況を打開したかった。父さんと将野先生に頼んで退部は見送ってもらったけど、事態が好転したとは言えない。
信号待ちをしているとき、父さんはハンドルを指でトントンと叩いていた。これは父さんの癖で、かなり苛立っている証拠だった。俺はこの段階で父さんを説得しなければいけなかった。母さんと合流したら二人して反対してくる。
だから父さんだけでも味方につけたいところだった。でも頑固な性格で一度決めたことを曲げない父さんにどうやって説得すればいいのか、まるで考えが浮かばない。
「到着したぞ。さあ降りるんだ」
あれこれ考えているうちに、家に着いてしまった。
どうしよう……
「ただいま。帰ったよ」
「おかえりなさい。あ、歩。少し話があるから」
「……はい」
いつも晩ご飯を食べる机につく俺と父さんと母さん。
俺は開口一番に「ごめん」と謝った。
「……何に対して、謝っているんだ、歩」
「父さんと母さんに、剣道をやっていること、黙っていてごめんなさい」
二人が怒っている一番の理由はそれだと思ったら、真っ先に謝った。
父さんは口を真っ直ぐ結んで、母さんは悲しそうな顔をしている。
嫌な沈黙が数分流れた。
「……その件はもういいわ。父さんももういいでしょ?」
「まあな。黙っていたことは許そう。本人も反省しているようだしな」
すんなり許してもらって、ほっとしたのも束の間、父さんが「だがこれ以上剣道を続けることは禁止だ」と言い放った。
「……理由を聞いてもいい?」
「その身体で剣道なんてしたら危ないだろう」
ばっさりと言いにくいことを言う父さん。
俺は「そんなことない」と反論した。
「今日気絶したのは水分不足だっただけで、普段は別になんともないよ。現に今日まで普通に過ごしていたし」
「言い訳しても変わらないぞ。歩、お前は両腕があった頃と同じだと思っているのか? 剣道は両手でやったほうが強いに決まっているだろう」
その言い草にかちんと来てしまって「片腕でも強くなれるさ!」と大きな声を出してしまう。母さんはびくっと身体を震わせたが、父さんは「そんなわけないだろう」と否定した。
「父さんを素人だと思って馬鹿にしているのか? もし体当たりされたとき、片腕で踏ん張れるのか? 竹刀を振るときの力強さはどうなんだ? スピードはどうだ?」
「そんなの、全部クリアできるよ!」
「あのな、父さんは歩のことを思って――」
「俺のことを思うなら、ほっといてくれよ!」
俺が喚くと父さんは机が壊れるかと思うほど強く叩いた。
母さんが涙目になっている。父さんは大声で吼えた。
「ほっとけるか! お前は私たちの大切な子供だぞ! これ以上身体を壊したら後悔どころじゃ済まされない!」
そして父さんは荒げた声を抑えて、静かに言う。
「お前のことが心配なんだよ」
「…………」
「それにどうして今、剣道をやろうと思ったんだ? 何か理由があるのか?」
俺が剣道をやる理由――それを自分の言葉にするのは難しいけど、言わなきゃいけないと思った。剣道を続けるためにも、父さんと母さんを説得させるためにも。
一回、深呼吸して。俺は話し始めた。
「いろいろ理由はあるよ。ある人に剣道がもう一度できるようになれるって誘われたからとか、鷲尾ともう一度戦ってみたいと思ったからとか。それに父さんたちのことも考えた」
「私たちのこと? どういうことだ?」
「もし俺がもう一度剣道ができるようになったら、父さんや母さんが必死になってお金を稼がなくて済むと思って」
父さんと母さんが息を飲んだのが分かった。
俺は「もちろん、父さんたちのためだけじゃないよ」と付け加えた。
「もう一度、剣道ができるようになったら、気を張らなくても良くなると思ったんだ」
「気を張る? 私たちがか?」
「うん。俺はこのままでもいい。そりゃ義手があったらできることが多くなると思うけど、そのために頑張り過ぎるのは違うじゃん」
父さんと母さんは顔を見合わせた。
俺ははっきりと自分の思いを伝えた。
「それに俺は、片腕でも大好きな剣道がしたいんだよ。剣道やっていると楽しいんだよ」
すると母さんの目から涙が零れ出す――えっ? なんで?
心臓がばくばくして、母さんの様子を窺うと「私はね、歩の将来を思っているの」と話し出した。
「でも歩のことを思ってやっていたことが、歩の重荷になるのは嫌」
「母さん……俺は重荷だなんて思っていないよ」
「でも、私は剣道をやめてほしいと思う。父さんの言うとおり、危ないことも多いから」
そのまましくしくと泣かれてしまった。
父さんが母さんの肩に手を置いた。
そのまま擦りながら「どうしても剣道じゃないと駄目なのか?」と言う。
「お前は嫌かと思うが、片腕でもできるスポーツは剣道以外にもあるだろう。それでは駄目なのか?」
「……父さん。俺は剣道以外はやりたくないよ」
俺は思いを曲げなかった。
父さんは真っ直ぐ見ている。
母さんは俯いて泣いている。
また嫌な沈黙が訪れる――
そのとき、家のチャイムが鳴った。
「なんだこんな時間に。ああ、母さん。私が出るから」
父さんが椅子から立ち上がって玄関のほうへ向かう。
その間、泣いている母さんと二人きりで気まずかった。
「……歩。ちょっとこっちに来なさい」
玄関から父さんの声がした。
なんだろう、大荷物だろうか?
しかしそれだと片腕の俺を呼ぶ理由にはならない。
玄関に行くと困惑した顔の父さんが「この人たちを知っているか?」と訊ねる。
外には鈴木とその父親の達也さんがいた。
鈴木は学生服のまま、達也さんはトレーニングウエアではなく、普通の格好をしていた。
「鈴木と達也さん? どうしてここに?」
「あは。ちょっと心配になってね。高橋くん、説得できなさそうだったし」
「こら。失礼なことを言うな。すみません、夜分遅くに」
達也さんが父さんに「私、スズキトレーニングジムの者です」と挨拶をした。
父さんは「ああ、以前に歩が言っていたな」と思い出した。
「実は息子さんことで話したいことがあります。中に上がってもよろしいですか?」
「……ええまあ、いいでしょう。立ち話で済みそうではありませんから」
達也さんと父さんが中に入ると、鈴木が「びっくりした?」と悪戯っぽく言う。
俺は「マジでびっくりしたよ」と答えた。
「どうして住所知っていたんだ?」
「高橋くんが気絶したとき、家に電話したじゃない。そのとき住所録見て知ったの」
「……こうなることは分かっていたのか?」
「まあね。私たちも中に入ろうよ」
中に入ると母さんが達也さんにお茶を淹れていた。鈴木の分も空いた椅子の前に置かれていた。
二人がお茶に口を付けて、さっそく達也さんが切り出した。
「実は御ふた方に見てもらいたいものがあるんですよ」
「見てもらいたいもの?」
「真理。あれを出しなさい」
鈴木はにっこりと笑って、携えていたバッグからDVDとポータブルプレイヤーを取り出した。
そして俺の両親に言う。
「今まで高橋くんが頑張ってきた証です。是非見てください」
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