第18話「お前は弱い」
「古の剣豪、宮本武蔵曰く『千日の稽古をもって鍛となし、万日の稽古をもって錬となす』これは鍛錬の語源である。つまり鍛錬は一朝一夕で終わらないということだ。ましてやお前は片腕で鍛錬し始めて日が浅い――」
淡々と語る板崎さんに対し、俺はまったく反論しなかった――いやできなかった。
散々に叩きのめされて、疲労困憊で大の字になっているからだ。
荒い呼吸でしか、できることがない……
「お前が強いことは重々承知している。しかし、何か勘違いしているようだ」
板崎さんは俺を見下ろしながら――あるいは見下しながら、言う。
俺はただそれを床に倒れながら聞くだけだった。
「お前は弱い」
突きつけられた現実、非情すぎる言葉。
呼吸が物凄く苦しくなる……
周りの部員や鈴木は何も言わない。
反論どころか意見すら言ってくれない。
「お前は片腕を失って、這い上がろうとしている。だが登る過程で思い上がってしまったようだな」
「…………」
「そんなことでは、鷲尾とやらに勝てるどころか、勝負にすらならないだろうよ」
言いたいことを言いたいまま言いやがって……!
怒りが湧いてきたが、指一本すら動かせない。
動きの最適化を学んでスタミナが増したと思ったのに。
「お前には失望したぞ。がっかりだ。そんな傲慢な心では誰にも勝てない」
「…………」
「……今日の稽古はここまでとする」
板崎さんはそれを最後に言い残して、体育館から去ってしまった。
その後、ようやく金井と飛田先輩が近づいて俺を介抱してくれた。
防具を外してくれた飛田先輩が「やっぱり、あの噂、本当だったのか」と呟いていたのを、ぼんやりとした頭で聞いた。
「大丈夫? スポドリ飲める?」
鈴木が俺に水筒を手渡した。蓋は外してあったので、右手で持ち、ゆっくりと飲み干す。
香田先輩が「いやあ、おっかなかったなあ」と笑いながら近づいてきた。
「まるで人を殺すかのような、気迫を感じたぜ」
「香田、そんなこと言うもんじゃねえ」
飛田先輩が厳しい声で叱る。やけに強張った声だったので、香田先輩は目を丸くしながら「すみません」と謝った。
なんとか喋れるようになった俺は「……角谷先輩」と呼びかけた。
「どうした? 何か痛むのか?」
「いえ……すみませんでした」
「何がだ? 俺は謝られるようなことはされていない」
「俺、板崎さんに指摘されて気づきました。自分が驕っていたことに」
へとへとで身体中痛いけど、きちんと謝らなくちゃいけないと思った。
それが俺のけじめだと感じていた。
鈴木に支えられて正座になる。
「両腕があった頃、俺は強かったんです。誰にも負けないって自信があるくらいに。今考えれば、中学生特有の思い上がりでした」
「……それで?」
「片腕を失くしても剣道をやれると分かったときは嬉しかった。素振りができることがとてつもなく嬉しかった。そんな思いがだんだん強さを取り戻すことで、逆に無くなってしまったんです」
おそらく角谷先輩は、俺の言っていることが分からないと思う。自分の主観でしか物事を語っていないからだ。それはぼんやりとする頭のせいだった。
でも角谷先輩は真剣に聞いてくれた。傍にいた鈴木や飛田先輩、香田先輩や金井も黙ってくれている。
「俺はただ強くなるだけじゃ駄目だと気づきました」
「どう強くなりたいんだ?」
「心も強くなりたい。心残りのないように。そして鷲尾の後ろめたさが無くなるような強さも得たい」
角谷先輩はじっと俺を見つめて、それからふっと軽く微笑んだ。
「何言っているのかまったく分からねえし、言っていることが支離滅裂だし、何のまとまりもねえ。だけどよ――」
角谷先輩は俺の右手を握ってくれた。
残された右手を、しっかりと掴んだ。
「――お前の決意、受け取ったよ。付き合ってやるぜ」
その言葉に安心して。
一気に力が抜けて、気も抜けた俺は。
ゆっくりと意識を失った――
◆◇◆◇
気がついたら保健室のベッドに寝かされていた。
横を向くと鈴木が「ああ、高橋くん。起きたんだね」と笑った。
「どこくらい寝ていた?」
「えっと三十分から四十分くらいかな。でも先生に聞いたらただの水分不足だって」
「そうか。怪我とかじゃないならいい」
「あは。それでもはりきり過ぎだよ」
鈴木は「他の皆は帰ったよ」と言う。
「心配していたけどね。だけど先生が今日遅いから帰りなさいって言って。それで帰っちゃった」
「お前はどうしてここに残ったんだ?」
「うん? だって一人でいたら淋しいじゃない」
普段クラスメイトと喋らないくせにと思ったが、声に出さなかった。
鈴木は「目が覚めたらもう帰っていいって」と俺に言う。
「服、更衣室から持ってきたから。着なよ」
「そうだな。それじゃあ着替えるから出てくれ」
「手伝うよ。疲れているんだし」
「別にいいって。一人でできる」
「遠慮しないでよ。ほら、胴着脱いで」
「遠慮じゃねえよ! 不味いだろこの状況!」
二人きりという状況も不味いのに、近くのベッドがあるのはさらに不味い。
すると鈴木は「照れないでよ」と笑った。
「高橋くん、意外と潔癖なんだね」
「お前が無防備なだけだ。もしくは考えなしなだけだ」
「はいはい。それじゃ終わったら声かけてね」
時間をかけてようやく着替え終わった俺は鈴木に「済んだよ」とカーテン越しに言う。
鈴木は「あ、そうそう。言い忘れていたことがあるんだけど」と何でもないように言う。
「高橋くんのお父さん、迎えに来るって」
「……なんで?」
「気絶しちゃったから、将野先生が連絡したんだよ。でもさ、高橋くんが両親に剣道やっているなんて説明してなかったから、ややこしいことになってる」
頭を抱えたい思い――片手だから抱えられない――で俺は「どうしよう……」と呟いた。
鈴木は「自業自得だよ」とのん気に笑う。
「気絶したことも話したからさ。将野先生がお父さん物凄く怒っているって言ってたよ。うちの息子に酷い指導したって」
「まあ今まで気絶するくらい練習したことなかったからな……」
「一度両親と膝を交えて話したほうがいいね」
鈴木はバッグを持って「それじゃあ帰るね」と帰宅しようとする。
俺は「一緒にいてくれないのか?」と言ってしまった。
「お前がいてくれると助かるんだけど」
「甘えないでよ。自分の口から説明しないと。それにさ、部外者がいたら話拗れそうだもん」
「だけどさ……」
「家族で話し合うのは、大事だから」
そのとき、鈴木は笑って言ったけど。
どこか淋しそうな印象を受けた。
理由は分からない。
その切なそうな表情のせいで、俺はそれ以上何も言えなくなった。
「さようなら、また明日ね」
先ほどの雰囲気を払拭するような元気な声で言う鈴木。
俺は右手を挙げて「おう。また明日」と返した。
鈴木と入れ替わりで保健の先生が入ってきた。
「あら。もう着替えたの? お父さん下駄箱の前に来ているわよ」
「……分かりました。すぐに行きます」
正直、何を言われるのか分からないけど。
おそらく喜ばしいことではないと予想はついた。
重い足取りのまま、下駄箱の前に行くと、頭を下げている将野先生とかんかんに怒っている父さんがいた。
「歩にどうして剣道をやらせるんです! あの子は片腕しかないんですよ!」
「そ、それは、彼自身がやりたいと……」
「ならどうして親である私に言わなかったんですか!」
「既に伝えているものだと……」
面倒になる前に俺は覚悟を決めて「父さん!」と呼びかけた。
父さんは険しい顔で「歩! どうして黙っていた!」と怒鳴る。
「いや、その、反対すると思って」
「当たり前だ! すみませんが、この子は退部します!」
俺の意思とは関係なく、父さんはきっぱりと言った。
「今後一切、剣道はやらせません!」
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