第17話「一本、だな」

「おいおい。どうしたんだよ、お前。随分気合入っているじゃねえか」


 女子中学生に慰められた翌日の稽古で、飛田先輩にそう言われるほど、俺は励んでしまった。

 地稽古の相手だった金井がへとへとになっている。


「すみません……金井、大丈夫か?」

「はあはあ……高橋さん、凄いですね……」


 金井がその場に座り込みながら、息も絶え絶えに言う。

 鈴木が駆け寄って「少し、休んだほうが良いよ」と金井に肩を貸す。


「あー、俺もなんか疲れちゃったなあ。鈴木ちゃん、俺も――」

「なあにふざけたこと言ってやがる香田。てめえはまだ頑張れるだろ」


 みんなの動きの無駄が無くなったので、バテることは少なくなった。

 だから香田先輩の嘘はバレバレだった。

 飛田先輩が香田先輩の相手をしていると、角谷先輩が「俺が相手してやる」と言う。


「そろそろ、俺も試したいことがあるしな」

「分かりました」


 このとき、板崎さんはこの場にいなかった。

 何でも顧問の将野先生と話があるらしい。

 だから自習というか、好きに稽古しろと指示されていた。


「板崎さんから、お前とはなるべく戦うなと言われていたが、一度ぐらいなら構わないだろう」

「…………」


 試合形式で行なうようだ。

 飛田先輩と香田先輩が地稽古をやめて、俺たちに注目する。


「飛田先輩。どっちが強いんすかね?」

「……さあな」


 角谷先輩は金井を介抱していた鈴木に「開始の合図くれ」と言う。


「分かりました。始め、でいいんですよね?」

「そうだ。それでいい」


 テープで仕切られた空間で正対して、俺と角谷先輩は蹲踞した。

 鈴木は一呼吸置いて――


「――始め!」


 素早く立ち上がって、中段に構える。

 角谷先輩は――上段に構えた。


 上段――諸手左上段。

 基本的に上級者が行なうとされ、上からの振り下ろしや突きに特化した攻撃的な構えだ。

 反面、胴ががら空きなため、防御に難点がある。

 しかし素早い面打ちや突きを繰り出せれば、そんなことは関係なくなる。


 一応、相手の左小手に合わせて、剣先をやや右上にする中段――平正眼に構えるのが対処法だ。俺もその基本どおりに構える。


 さて。足裁きで前後左右に動いているものの、どう攻めたほうがいいのか、見当がつかない。何せ、上段を相手にするのは初めてだからだ。


 中学では上段を使う者は滅多にいないし、運がいいのか悪いのか分からないが、上段の者と試合したことがない。


 しかも角谷先輩は長身だ。リーチにおいてはこっちが不利。かといって、接近戦に持ち込むには相手の間合いに飛び込まなければいけない。だから迂闊には攻められない――そう俺が考えると、角谷先輩は思っているはずだ。


「やああああ!」


 俺は気合を乗せて、角谷先輩の間合いに入った。

 攻められなくても、攻める。

 先手必勝だ。


「――っ!?」


 虚を突かれたと思ったのか、それとも舐められたと思ったのかは分からないが、ここで角谷先輩は冷静さを欠いた攻撃を繰り出した。

 片手面――長身から放たれる凄まじい威力の面だが、来ると分かっていて、なおかつ苦し紛れの攻撃など、俺にとっては何の脅威ではない。


「胴ぉおおおお!」


 目を打たれる前に、素早く斜め右に流れるように進み、胴をすれ違い様に放つ。

 その際、竹刀の柄を短く持つことを忘れない。

 いわゆる抜き胴である。

 そして残心を取った。


「一本、だな」


 飛田先輩がそう宣言した。

 俺は今の自分なら、どんな相手でも対処できると確信した。

 そう油断してしまった、再び鈴木の合図で始まった二本目――


「…………」


 今度は足裁きを素早く行なって、こちらの攻撃を絞らせないようにする角谷先輩。

 俺も半円を描くように動いて角谷先輩を牽制していた。

 正直言って、俺は慢心していた。先ほどの抜き胴が鮮やかに決まったせいだ。


 だが隙が一向に見えない角谷先輩に焦れて、俺はあまりに無防備かつ注意不足な攻撃に出る。

 諸手左上段の防御が薄い箇所――左小手を狙って、打つ。


 だがこれは角谷先輩に読まれていたようだった。

 打った瞬間、逆に片手面を食らう。


「――面!」


 調子に乗っていたと自覚したのは、打たれた後だった。

 頭上にずしりと重みがあった。

 誰もが一本と認める一撃だった。


 内心、しまったと思った。

 こんなあっさり取られるとは。

 これは左腕があったとしても、取られていたであろう致命的な失態だった。


 三本勝負ならば次の勝負で決着がつく。

 俺は先ほどの油断を反省し、全力で望む。

 飛田先輩たちはじっと俺たちの勝負を見守っている。

 声援をかけたりしない。


「――始め!」


 鈴木の合図で、三本目が始まった。

 足裁きを怠ることなく、角谷先輩の動きをじっと見つめながら、どう攻撃したものかと探る。


 角谷先輩も俺と同じように考えていた。

 これは試合ではなく、練習だった。

 だから制限時間などない。


 だから焦る必要は無く、どっしりと攻撃に臨める。

 今度ばかりは一本目のときと違って奇襲などできない。


 だが――奇襲ができなくとも虚を突くことはできる。

 俺は前々から考えていた構えを取る。


「――っ!? あの野郎、いつ考えていたんだ?」


 飛田先輩の驚く声が後ろから聞こえる。

 多分、角谷先輩も同じく驚いているのに違いない。


 上段の構え――いや、右片手上段と言ったほうが正しい。


 別に奇を衒っているわけではない。

 むしろ中段に構えるよりはこちらのほうが利点が多い。


 片手で中段に構えて面を打つよりも上段のほうが速い。

 それに片腕ではどうしても威圧感が足りないが、上段に構えることでそれを補える。


 また剣道の型にも片手上段というものは存在する。

 俺が編み出したわけではないのだ。


 異様な緊張感が体育館を包み込んだ。

 諸手左上段と右片手上段。

 はたして、勝負の行方は――


「――そこまでだ」


 攻撃に転じようとして、板崎さんの声に止められた。

 静かだが威厳のある声。


 見ると板崎さんは険しい表情で「それ以上は禁止だ」と言った。

 俺は構えを解いて「どうしてですか?」と問う。


「それ以上やれば、交流試合に響く」

「……理由を聞いてもいいですか?」

「言えぬ」


 板崎さんは手を叩いて言った。


「休んでいる者も稽古を再開しろ」


 飛田先輩と香田先輩、そして金井が準備を整える中、角谷先輩は俺に耳打ちした。


「……交流試合が終わったら、決着をつけようぜ」


 俺は黙って頷いた。

 すっきりしない終わり方だったからだ。



◆◇◆◇



「高橋。わしと勝負しろ」


 稽古が終わりかけになったとき、板崎さんが俺に言ってきた。

 俺は何の気なしに「分かりました」と頷いた。

 試合形式の練習は何度もしてきたからだ。


 他の部員は俺と板崎さんの勝負を見るつもりだった。

 いわゆる見稽古というやつだ。


「わしに一本でも取れたら褒めてやる」

「…………」


 板崎さんはいつになく気合が入っていた。

 二十本稽古は今でも続けているが、一本も取れないことは、今になってもないと思っていたので、面食らった。


 だが板崎さんの姿を見て、考えを改めることになる。


「い、板崎さん、それは……」

「…………」


 板崎さんは答えなかった。

 そのまま『二刀』を構えて俺に正対する。


 板崎さんは右手に短い竹刀、左手に長い竹刀を持っていた。

 明らかに二刀流の構えだった。


「――始めるぞ」


 先ほど戦った角谷先輩よりも凄い威圧感。

 今まで戦ったことのない圧倒的な存在感。

 まるで剣道の神様と相対しているような感覚があった。


 俺は鈴木が以前言っていたことを思い出していた。

 正確には、鈴木の父、達也さんが言っていたことだった。


『板崎さんが両手を使ったら気をつけろ』


 ようやくその意味が分かろうとしていた――

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