第11話「はあ、はあ。なんてじいさんだよ……」

「そういえばさ、剣道部にマネージャーとかいないでしょ? 手伝おうか?」


 木曜日、板崎さんの道場。

 いつもの通り、二十本稽古で八本しか取れなかったことに落ち込んでいると、鈴木が自分から手伝うことを提案してきた。


「それは助かるけど、いいのか? そうなると剣道部に入部することになるが」

「そうなの? でもいいよ。ちょっとほっとけないし」

「ほっとけない? 誰が?」


 その疑問に鈴木は俺を指差す。

 当たり前のことを聞いてしまった。我ながら馬鹿なことを言ったな。


「ていうか、なんでお前、俺にそんな構うの?」

「うーん。ちょっとだけこんなことになっちゃったのは、私の責任って思っちゃうところがあって」

「あん? 意味分からねえよ」

「だって、私が高橋くんを筋トレに誘わなければ、面倒なことにならなかったし。剣道部の人たちだって、今頃楽しく剣道していたんじゃないの?」


 それは否定できないが、成り行きというところがないわけではない。

 きっかけは鈴木にあるかもだが、それを言うなら俺があの日、屋上に行かなければこんなことにはならなかった。


「考え過ぎだって。別に責任感じる必要ねえよ」

「そう言ってもらうと少し楽になるけど、やっぱり何かするよ」


 頑として譲らない鈴木。

 ま、助かるのは事実だったので「分かった。手伝ってくれ」と了承した。


「ありがとう。それじゃ、明日から頑張ろう!」


 にっこりと太陽のように笑う鈴木。

 改めて思うけど、クラスのときの鈴木とまるで違う。

 少しだけ、踏み込みたい気持ちはあったけど。

 勇み足にならないかと臆してしまった。


「そうだ。パパからの伝言預かっているんだった」

「達也さんの? なんだ?」

「前々から思っていたけど、パパのこと達也さんって呼ぶの、違和感ある」

「……それが伝言か? それともお前の感想か?」


 鈴木は「感想だよ」と言ってから伝言を言う。


「パパが昨日言ってた。『板崎さんが両手を使ったら気をつけろ』って」

「両手?」


 伝言というより忠告みたいな雰囲気だった。

 鈴木は「あれ? 違ったかな?」と首を捻った。


「確か両手だったと思うけど……」

「剣道で両手使うの当たり前だろ。俺が言うことじゃねえけど」

「それ、ブラック過ぎて笑えないよ?」


 別に笑いを誘うつもりはないが、自分の身体的障害をネタにするのは控えようと思った。


「それじゃ、板崎さんに挨拶して帰ろうか」

「ああ。板崎さん、明日から稽古しに学校来てくれるしな」


 俺は防具袋と竹刀袋を担いで立ち上がる。

 これらは板崎さんからいただいたものだ。


 あの人は恩人だと思う。

 月謝を払ってくれたり、剣道を教えてくれたり。

 でも、どういう意図で教えてくれるのかは未だに分からない。


 そこだけ少し、不思議だった。



◆◇◆◇



 翌日、金曜日。

 授業を終えて、俺は体育館に向かう。

 鈴木と一緒ではない。学校では屋上以外話しかけたことはないし、先に板崎さんを玄関まで迎えに行ってもらっていたからだ。


 体育館のドアを開けると、将野先生と四人の部員が立って話していた。

 俺が入ると会話をやめた。

 そして部長の角谷先輩が「こっち来いよ」と手招きする。

 四人とも胴着に着替えていて、俺はまだ学生服のままだった。


「お前、こいつら知らないだろう? 紹介するぜ。香田銀二と金井一馬。香田は二年で金井は一年だ」


 香田と呼ばれた二年生の先輩は赤みのかかった茶髪の癖毛で、なかなかの男前。面倒くさそうに「うっす」と軽く俺に頭を下げる。

 金井は坊主頭の真面目そうな顔つき。俺に向かって「よろしくお願いします」と深く頭を下げた。


「そういえば、金井は次鋒だった気がするけど」

「ええ。僕はあのとき、次鋒をやりました」


 月山との勝負のとき戦った部員の中に、混じっていた気がした。

 そのときは大した印象は無かったが……


「僕、初心者で高校から剣道始めました」

「……まだ初めて二ヶ月経っていないのに、あれだけ動けるのか?」


 強くなかったが他の部員と同じくらいの強さだった。

 そう考えると末恐ろしいものを感じる。


「高橋さんの強さに憧れたんです! もっと強くなりたいって思いました!」


 熱を帯びた口調に俺は嬉しくなった。

 いるところにはいるものだな。


「そうか。これからよろしく頼む」

「……俺はあの場にいなかったんだけどな。それに辞める奴がいるなら一緒に辞めるつもりだった」


 面倒臭そうに香田先輩は言う。


「でも飛田先輩に辞めないでくれって言われてよ」

「そりゃそうだろ。退部届を出すの遅かったし、てめえまで辞めたら試合できねえ」


 飛田先輩が苛立ちながら言う。


「でも辞めたらぶん殴るって――」

「言ってねえよな?」


 飛田先輩が将野先生を見ながらドスの利いた声で言う。

 香田先輩はそれ以上言わなかった。

 如実に力関係が分かるやりとりだった。


「た、高橋くん。それで、教えてくれる板崎さんという方は、まだかな?」


 将野先生は目の前の脅迫事件に関わりたくないようで、すぐに話題を変えた。


「今、こっちに来ているはずです」

「……あまり学校に外部の人は入れたくなかったけどね」

「それはすみません」

「でもどうやってここに来るんだ? 案内は必要じゃないのかい?」


 俺は鈴木が案内してくれることを言おうとすると、体育館のドアが開いた。

 そこにはジャージ姿で防具袋と竹刀袋を持った板崎さんがいた。

 後ろには鈴木もいる。


「失礼。ここが稽古場ですかな」

「え、ええ。あなたが板崎さん?」

「そうです。板崎徹治といいます」


 板崎さんの下の名前、初めて聞いたな……


「そ、そうですか……よろしくお願いします」

「うむ。任されよ……高橋、早く胴着に着替えなさい」


 俺の姿を見て素早く言った板崎さん。

 俺は「その前に、紹介させてください」と言う。


「えーと。こちらが板崎さんです。俺の剣道の先生です」

「……そこの女子は?」


 飛田先輩が怪訝な表情で鈴木を指差す。

 俺が言う前に鈴木が「鈴木真理といいます」と頭を下げた。


「高橋くんの手伝いしていたんですけど、今日から剣道部の手伝いをさせていただきます」

「……マネージャーってことか?」


 飛田先輩の呟きに鈴木が「駄目ですか?」と困った顔で言う。


「どうなんだ角谷?」

「将野先生が良いって言うなら良いんじゃないか?」


 角谷先輩が将野先生に水を向けると「き、君の部活は、何かな?」と先生は聞いた。


「転部届を提出しないといけないからね」

「あ、大丈夫です。私、免除でしたので」


 そういえば、毎日屋上にいて、部活動していた記憶がなかった。

 どうやって免除になったんだろうか?


「そ、そうか。なら手続きのほうは、私がやっておく」

「ありがとうございます」

「話は済んだようですな。では高橋が着替え終わるまで、四人の実力を見ておきたい」


 板崎さんの言葉で各々動き出した。

 俺は胴着に着替えに男子更衣室へ行った。



◆◇◆◇



「ふむ。全員筋は悪くない」


 体育館に戻ると少しの間だというのに、防具を着けた四人の部員は息を切らして大の字になっていた。

 一体何をしたのかと鈴木に訊く。


「板崎さんに一本取ってみろって言われて、全員で挑んだらああなったの」

「……四対一で勝ったのか、板崎さんは」


 俺は板崎さんたちに近寄った。

 板崎さんは「早く防具を付けろ」と言う。


「ほら。倒れていないで端に寄れ」

「はあ、はあ。なんてじいさんだよ……」


 飛田先輩が息も絶え絶えになりつつ、香田先輩に肩を貸して、端へと向かう。

 角谷先輩も金井を引きずるように持っていく。

 将野先生ははらはらしながら見守っていた。


 俺が防具を付けて板崎さんと向かい合う。

 ……みんなが見ているが意識しない。


 板崎さんが「えええい!」と声を出しながら俺に面打ちしてくる。

 一歩下がって――いや、伸びてくる。突きだ!

 首を捻ってなんとか避ける。

 板崎さんはそれ以上追撃せず、俺の出方を見ている。


 俺は竹刀を長く持って、遠くから面を打つ。

 当たったと思ったら面を打たれていた。

 いわゆる相面――互いに無効打だった。

 竹刀を滑らせて短く持って、鍔競り合いから、素早く胴を打つ。

 しかしまたしても面を打たれてしまう。


 どうやっても無効にされてしまう。

 はたしてどう攻めたものか。


 竹刀を長めに持って、俺は上段に構えた。

 片手面で板崎さんを狙う――


 板崎さんが素早く間合いに入る。

 そして逆に俺の面を狙ってきた。

 両手で上段に構えていたら、面は狙えないが、俺は片手で構えている。

 面の左側はがら空きだ――


「――面」


 面を付けていても、びゅんっと竹刀がなる音がした。

 避けることはできない。

 受けても竹刀は弾き飛ばされて、打たれるだろう。

 だったら――攻撃するしかない。


「小手ぇええええ!」


 出小手を狙って竹刀を振った。

 何回も何十回も何百回も振った竹刀。

 それが吸い込まれるように小手に当たった――

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