船の魔女

 むかしむかしあるところに『船の魔女』がいました。


 船の魔女は手作りの船でプカプカ、プカプカ。

 陸に上がることもなく海を行ったり来たりしていました。


 いつごろから魔女が漂うようになったのか定かではありません。


 漁師は曾祖父の昔話として聞き。

 灯台守は先代の日誌を見て知り。

 子供達は寝る前の絵本で馴染み。

 学者は破けた古文書から紐解き。


 様々な人様々な時代の中に魔女は存在し、質素な船で到底越えられない海を越えている姿から、あの船には魔女が乗っているのだろうと。


 船の魔女だろうと言われていました。


 ある波が穏やかな日。

 船の魔女は木の残骸にしがみついている人を見つけました。

 乗せていた杖を使い引き寄せ上げると、それは気絶した女でした。

 魔女の船にも負けぬ質素な服装と付いたままの足枷。

 わけありであることはすぐわかりました。


 目を覚ました女は最初こそ船の魔女に驚いたものの、時間が経つにつれて状況を飲み込み話を始めました。


 貧しい家に産まれたこと。

 一番下として育ったこと。

 商人に気に入られたこと。

 この身に値がついたこと。


 ーー家族のためなら仕方がない


 商人と両親の密談で売られることが決まり、自分達の貧しさを知っている女は頷くしかありませんでした。


 貧しい家では珍しいことじゃない。

 有能な兄弟姉妹達じゃなくてよかった。


 なにをやっても不器用だった女はそう言い聞かせ、売り物として商船に積み込まれました。

 他の品々と一緒に海の底へ沈むはずでした。

 なんの因果か生き残ってしまった女は、船の魔女を見つめながら言いました。


 ーーわたし、あなたが羨ましい


 船の上。

 海の上。


 どこへだって行けるだろう。

 気の向くまま生けるだろう。


 それが羨ましいと。


 足枷は重く。冷たく。

 女に身の程を知らせます。


 女の言葉に船の魔女は口を開きました。


 不自由者は自由と言い。

 自由者は不自由と言う。

 揺蕩う者とはそんな者。


 どこへも行けるがどこへも行けない。

 どこでも生けるがどこでも生けない。


 船に立てた杖にランタンを吊るしながら、船の魔女そう語りました。

 見た目は女と同じぐらいでしたが、声に込められた重みは老婆のようでした。


 暗く深く塗られた空に星が輝く頃。

 女は眠りにつきました。


 二人で乗るには少し窮屈な船。


 帆も。

 櫂も。

 舵も。

 波も。


 なにも無くただ浮いているだけの船。


 ランタンの明かりは夜の海に光の線を引きました。


 女が目を覚ますとそこはベッドの上でした。

 昨日の大海原が嘘のように周りは壁と床と天井。

 扉が開く音が聞こえ、若い男が一人立っていました。

 灯台守と名乗った男は、夜明け前に桟橋へ行くと女が寝ていたと話しました。


 女の元気な様子にホッとしている灯台守をよそに、女は一人もの思いにふけります。


 海の上で出会った魔女。


 あれは夢だったのか、幻だったのか。

 考える女の足に付いていた枷は、いつの間にか消えていました。



 船の魔女は揺蕩う者。

 どんな海も流れる者。


 自らはどこへも行けない代わりに。


『乗せた者を生きたい場所へ導く者』



 やがて女は灯台守と結婚し子供を授かりました。


 新たな地で見つけた生きる場所。

 過ぎ行く日々はとても穏やかで。


 船の魔女と漂った大海原のようでした。

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