焼の魔女
むかしむかしあるところに『焼の魔女』がいました。
焼の魔女は面倒を避けるための自称。
多種多様な呼び名を纏めての名前でした。
円盤焼。
大判焼。
回転焼。
太鼓焼。
全てが魔女を指し示す言葉。
綺麗なモノからちょっと変わったモノまで各地によって様々でしたが、魔女の力が由来になっているという点ではみんな同じでした。
星の無い夜空の日。
いつもであれば朝までぐっすりな魔女は周囲の静けさにパチリと目を覚ました。
旅先から帰る途中立ち寄った小さな街。
中央に流れる川がなんとも穏やかな街。
宿屋の二階から望む景色は眠る前に見たものと変わらない。
それなのに何か違和感がある。
どこか異様な薄ら寒さがある。
見られているような。
狙われているような。
言い知れない気持ち悪さに二度寝をする気にもなれずベッドを抜け出し、川に架かる橋へと足を運べば。
寝静まる街を睨む満月がありました。
普段であれば綺麗と思える月光。
しかしここまで大きいと恐怖を覚える。
あの巨大な球体が落ちてくるんじゃないかと心配になる。
あり得ない、馬鹿げた話。
思いながらも魔女は無言で満月と見つめ合っていました。
しばらくそんな状態でいると一つの異変に気がつきます。
変化がない。
まばゆい満月はまばゆいまま。
朝を知らせる日の光を待ち望むかのように。
夜を終わらせる光を空へ昇らせないように。
満月は静かに地上を照らし続けていました。
空は常に動いている。
昇れば沈むは自然の理。
天体の仕組みを知っていた魔女は異常事態だとようやく気がつきました。
何かが朝を拒んでいる。
街の目覚めを妨げている。
一体誰が何のために?
首を傾げる魔女。
合わせるように。
満月がパチリッ、と。
瞬くのを魔女は見逃しませんでした。
あぁ、なるほど。
そういうことか。
気づいた魔女は人差し指を天へ向け、くるりと一周滑らせる。
大きな大きな満月に沿って。
逃がさないように捕らえて。
燃えろ。
たった一言放っただけで。
空に浮かぶ球体は焼かれ。
周囲に絶叫が響きました。
『丸で囲んだ箇所を炎上させる』
指でも。
筆でも。
杖でも。
何でも。
魔女が描いた丸で囲まれたモノはあっと言う間に燃えてしまう。
遠く大きく。
近く小さく。
一度結んでしまえば逃れることはできない。
一言唱えてしまえばもう後戻りはできない。
鳥だろうと街だろうと人だろうと。
もちろん、天体であろうと。
魔女の前では薪と同じ。
あらゆる法則を無視した魔女の力。
ここぞという時にしか使わない力。
描いた丸がちゃんと繋がっていないと発動しない欠点はあるものの、材質性質関係なく等しく全てを炎上させる。
その炎を恐れ最も危険視しているのは。
他でもない魔女本人でした。
恐ろしい声に何事だと起き出す人々。
家屋から飛び出せば満月、によく似た邪悪な瞳が煌々と空で燃え上がっている。
赤い炎は暗い天へと広がり、自分達が夜だと見上げていたモノが巨大な獣の体であることを知りました。
顔から順に灰となる黒色の体毛。
やがて全てが燃えカスになった頃、バシャンッ。
熱ですっかり縮んでしまった目玉が川に落ち、流れ。
遮るモノの居なくなった空には、既に朝日が昇っていました。
夜に擬態し街ごと喰らう巨大な獣。
慌てふためく人々を観察してから飲み込む性悪な怪物。
そんな噂を聞いたのは魔女がこの地に足を踏み入れる前。
既にいくつかの村が被害にあったと口にする酔っぱらいの語りを話し半分で聞いていたが、まさか本当にいたなんて。
あの瞬きがなかったら私も確信持てなくて燃やせなかったよ。
魔女は天体の仕組みを知っている。
月は星と違い自ら瞬くことはない。
一定の光を保ったまま地を照らす。
もしそれに揺らぎが生じるならば。
雲が無いなら他の何か。
月ではない別の何か。
まぶたを持つ何か。
その瞬き。
まばたき。
もう少し遅ければ食べられていたかも知れない。
それでも観察を続け出し惜しみしていたのは本物の月を燃やしてしまっては騒動どころの話ではないから。
月を焼かなくてよかった。
天を焼かなくてよかった。
獣の牙がすぐそこまで来ていた恐怖より、一つの天体を燃やした怪物として語られずに済んだことに魔女は安堵し。
深く、深く息を吸い。
大きく大きく、吐き出しました。
魔女の活躍を称え新たに増えた呼び名は二つ。
月を燃やしたが故の満月焼。
天を燃やしたが故の天輪焼。
今でもその小さな街では。
川を挟んで満月か天輪か。
焼の魔女の呼称について。
言い争いが絶えず。
風の噂で聞くたび魔女は、苦笑いを浮かべているそうです。
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