白木蓮の魔女

 むかしむかしあるところに『白木蓮の魔女』がいました。


 白木蓮の魔女は見えぬ世界に一歩を刻む。

 暖かくなり始めた日差しと鎮まり始めた寒さを肌で感じ、大きくて白い筒状の花が咲く木の杖をお供にあちこち巡っていました。


 草道。

 土道。

 石道。

 獣道。


 目が使えない魔女にとって触ること、聞くこと、嗅ぐこと、味わうことが世界と自分とを繋げる方法でした。


 足裏から伝わる地の心地。

 耳元へと届く自らの足音。


 鋭利で繊細な感覚は己と周囲とを把握する大切な言葉。

 受け取るたび魔女の視界は広がり、ぼやけた世界に人と街と木々の輪郭が立ち並ぶのでした。


 カツンカツン。

 ルンルンルン。


 杖の運びは一人を楽しむように、独りを紛らわすように。

 いつもご機嫌な調子ですれ違う人々を優しい気持ちにしていました。

 道に迷うこともたくさんありましたがそれも醍醐味。

 方角さえわかればあとはどうにでもなる。

 もしかしたら思わぬ出会いがあるかも知れない。


『体の正面が北向きになる』


 常人であればあってもなくても困らない力。

 目の効かない魔女にとって必要不可欠な力。


 杖を掲げ白く大きな筒状の花を天にかざすことで我が身は方角を示す道標となる。

 魔女は自らに宿るこの力をとても気に入っていました。


 野を超え。

 川を超え。

 谷を超え。

 山を超え。


 今日も今日とて行き当たりばったり。

 踏み入った森の大木の傍で一息ついていた魔女は、ズルズル、と。


 ーー道に迷ったのか?


 重いモノを引きずる不思議な音に顔を向けました。

 声色から察する年齢は三十か四十。あるいはもっと上。

 濃い深緑の匂いに混じって鼻孔をくすぐる獣臭さと血生臭さ。


 休んでいるだけですよ。


 きっと獲物を仕留めたばかりの狩人だろうと魔女は微笑みました。


 ーー逃げないのか?


 一挙一動を伺る視線を肌で感じながら、受け取った問いに魔女は首を傾げます。


 逃げるような何かがあるのですか?


 自分の目には景色が映らないこと。

 他の感覚で物事を把握していること。

 それでもこうして生きていること。

 気ままなひとり旅を続けていること。


 世間話のつもりで自らの素性を明かし、もし危険が迫っているなら教えてほしいと、魔女は狩人にお願いしました。

 少し沈黙の後、狩人は口を開きます。


 ここが魔の森と呼ばれていること。

 昼でも薄暗く迷う者が絶えないこと。

 人を惑わす獣の住み処であること。

 捕まれば最期食べられてしまうこと。


 魔女の紹介に倣うかのように語られるおぞましい話。


 ーーオレがその獣かも知れないぞ?


 引きずってきた何かは人かも知れない。

 狩人の言葉に魔女は怪訝な顔を覗かせ。

 それでも怯えや恐怖を見せることなく。

 食べられてしまうかも知れない状況で。


 アナタは違います。


 否定し。


 ーー見えないのにどうしてわかる?


 とても優しい声色をしていますから。


 感じたままを口にしました。

 第三者からすれば閉ざされた世界も、当事者からすれば開けた視界となる。

 時には見えないからこそ見えるものがある。


 例えば心の形。

 例えば真の姿。


 光の無い魔女の瞳には。

 誰かを思い遣る温もりが映っていました。

 感心するような、呆気に取られるような低い唸り声が、グルッと鳴り。


 ーー南に向かえば森を抜けられる


 狩人は森の出口を魔女に伝えました。


 見えずともわかる優しい性根。

 素敵な出会いに嬉しくなり、立ち上がった魔女は杖を掲げ。


 体の正面を北向きに。

 回れ右して南向きに。


 あいたっ。


 歩み出した瞬間。

 さっきまで寄りかかって大木に頭をぶつけてしまいました。


 陰鬱とした森を抜けてから随分経った頃。

 道端に腰を下ろす魔女の耳に街の人達の話し声が聞こえてきました。

 なんでも魔の森を住み処にしていた獣が死んでいたそう。


 人のようで人でない毛むくじゃらの姿。

 人ほどの大きさをした猿のような何か。


 亡骸は目撃情報と一致し、首に残された鋭利な歯形から犬か何かに襲われたのだろうと推察された。

 見つかった当初は新たな脅威が現れただけだと身震いしていたものの、それも数日。


 被害が全く無い日常が当たり前となり、警戒は解かれ。

 魔の森はただの北の森へと呼び名を変えていきました。



 魔女は人知れず誰かの功績に小さく微笑み。


 今名乗り出れば人気者ですね。


 ーー食おうとしたから殺しただけだ

 ーーそれにお前以外の人間は嫌いだ

 ーー見た目ばかりで心も真も見ない


 心配だからと結局ここまでついて来てくれた狩人、ではなく。

 杖に咲く花のような白くて大きい、世にも奇妙な喋る猟犬の。


 楽しさと寂しさに寄り添う旅の仲間の。

 頭と耳を優しく優しく撫でるのでした。

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