噴水の魔女

 むかしむかしあるところに『噴水の魔女』がいました。


 噴水の魔女は寂れた町の枯れた噴水のそばに住んでいたためそう呼ばれるようになっていました。


 朝は食事を作り。

 昼は紅茶を飲み。

 夕は鼻歌を唄い。

 夜は星空を仰ぐ。


 昔からその町に居たのか、寂れてから居着いたのか、誰も知りません。


 よく晴れた日。

 小鳥のさえずりで目が覚めた魔女が小屋から出てくると、枯れた噴水のふちに中年の男性が座っていました。

 うなだれて眠る様子をしばらく観察して、魔女は日課である水汲みに出かけました。


 水汲みから帰ってくると男性は起きて枯れた噴水を眺めていました。

 道に迷いましたかと魔女が声をかけると、男性は振り向き不精ひげがはえた頬をかきました。


 ーーちょっと懐かしくてな


 男性はこの町の住人でした。

 と言っても子供の頃に少しだけ住んでいた程度で、両親の事情で何十年も前に別の街へ移ってしまったそうです。


 自分も大人となり、夫となり、親となり。

 この町を離れた時の両親と同じ歳になり、出稼ぎから帰る途中。

 そういえば近くに昔住んでいた町があったなと、休憩をかねて訪れてみたそうです。


 すっかり枯れた噴水を覗き込み、そこに水面でもあるかのようにしている男性の背中は少し虚しそうでした。


 これといった思い出があるわけでもない。

 特別仲良しだった者がいたわけでもない。


 ただ自分の記憶の中にある風景がもう無いというのは、それだけでもの悲しさがありました。


 噴水のふちに座り黙ったまま町並みを見渡す男性。

 せっかくここまで来たのに見たいものが見れないなんてもったいないと魔女は思い、汲んできた水をからっぽの噴水に入れ始めました。

 突然のことに息をもらす男性を横目に魔女は手を動かしました。


 水をすべて入れると噴水の中に小さな水たまりができました。

 そこへちょっとしたおまじないと小屋から持ってきた小瓶の液体をかけて、男性に両手をつけるよう促しました。

 なにがなんだかわからず不安な顔をする男性でしたが、魔女のいいからいいからという言葉に身を乗り出し恐る恐る手をつけました。


 水たまりは冷たくもなく熱くもなく、ぬるい温度で男性の手を包み込みました。

 広がった波紋がだんだんと小さくなり静まった瞬間。


 水面には男性の両手でも汚れた噴水の底でもなく。

 男性が見たがっていた、子供の頃過ごした町並みが映っていました。


『水面に見たい風景を映す』


 過去だろうと。

 未来だろうと。

 今でなくとも。


 ちょっとしたおまじないと薬品、水面さえあれば手をつけた者の見たい風景を見せることができる

 それが噴水の魔女が持つ力でした。


 男性は目の前で起こったことに驚きながらも受け止め見入りました。


 枯れ乾く前の噴水。

 色褪せる前の民家。

 雑草生える前の道。

 居なくなる前の人。


 移り変わり映る変わらない在りし日の町並み。

 そこに少年の顔が映り込みます。


 ーーこれは、俺だ


 水面に現れたのは大人になる前の男性でした。


 周囲の様子から向こうも噴水を覗いているのがわかりました。

 お互いに水面を見つめる姿はまるで。


 過去から今の自分の姿を。

 今から過去の自分の姿を。

 観察しているようでした。


 やがて水面の風景は薄れていき、元の水たまりに戻りました。

 男性はたとえひとときでも昔に戻れたみたいでよかったとお礼を言い、家族が待つ街へと出立しました。



 枯れた噴水は枯れたまま。

 朽ちた民家は朽ちたまま。


 力を使って映す風景はその場限りで、今が変わるわけではありません。


 しかし男性のおかげで垣間見れた活気あふれる町並みは、魔女の瞳に強く焼きついて。


 今までの風景を、少しだけ色鮮やかなものに変えました。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る