遊牧の魔女
むかしむかしあるところに『遊牧の魔女』がいました。
遊牧の魔女は羊達と共に旅する者。
もふもふを引き連れ今日も今日とて大行進。
草原。
平野。
山岳。
川縁。
生まれたばかりの子羊メェメェ。
手にする杖でカランカランッ。
はぐれないよう誘導する。
さながらそれは空の雲を流す風。
いたずら小僧のお尻を叩く母親。
一人で多くの羊を世話する魔女。
逞しさに反してその外見は、鈴付きの杖の半分しかない背丈をした少女でした。
野原で羊達が草をもしゃつく山間。
手頃な岩に座って干し肉と搾りたての乳を飲んでいた魔女は、自分が来た道から誰かが登ってくるのに気がつきました。
一人、二人、三人、四人。
男性もいれば女性もいる。
子供もいれば老人もいる。
小さな馬に荷物を乗せて運ぶ者。
人間の歩調に足並みを揃える犬。
キャラバンと言うにはみすぼらしい、とても疲れた様子の人々。
ーー見ろ、羊の群れと子供だ
緩やかな斜面に足を取られぬよう歩いていた団体。
先陣を切っていた男性が食事をしている魔女に声をかけます。
魔女は急いで干し肉と乳をゴクリと飲み込み。
どぉされましたかぁ?
にぱっと笑って男性を見上げました。
声や喋り方まで幼い魔女に怪訝な顔をする男性でしたが、意を決しここまでの経緯を話しました。
山にいた魔女は知りませんでしたが、どうやら平地は大きな争い事の真っ最中だそう。
数日もしないうちに西の軍が村付近までやってくると知った村長の男性は略奪と虐殺を恐れ、村人達と相談し、住み慣れた土地を離れる決断を下しました。
一番近い村は西の軍が既に占領していると聞いた。
二番目に近い街は東の軍が占拠していると聞いた。
最も遠い南の国は入国制限を強いていると聞いた。
あとはもう中立宣言をしている北の土地しかない。
持てるだけの荷物と連れていけるだけの動物を傍に移動を始めて幾日。
安住の地を求める旅路に疲れていた村人達は羊の群れと魔女を見つけ、近くに人里があれば休ませてもらおうと声をかけたのでした。
事情を聞いた魔女はおどおどしてしまいます。
特定の土地に根を下ろさず魔女を先導者として渡り歩く羊達。
各地を転々とする在り方はまさに遊牧の民でした。
この付近に人里があるかどうか魔女も知らない。
それどころか魔女は村人達にとって聞きたくもない事実を知っていました。
こっ、こっちから行けませんよぅ……。
指で示す先は隣の山。
そこには村人達と動物ぐらいは難なく通過できる北へ抜けるための洞穴がある。
山を下って隣の山へ向かえばきっとすぐに辿り着ける。
今から来た道を降りまた登る気力が、残っていればの話だが。
申し訳なさ満載で口にした魔女の親切は人々の心を折るのに十分な破壊力がありました。
顔を覆う女性。
寄り添う男性。
泣き出す子供。
鬱ぎ込む老人。
連れてきた犬や馬でさえも悲痛な面持ちになる中。
村長の男性だけは必死に村人達を鼓舞していました。
それで疲れ切った体が癒えるはずもなく。
弱った心に引き返す力が戻るはずもなく。
ーーもうおしまいだ
ついには嘆く言葉すら失ってしまいました。
あのぅ……。
暗い絶望に沈黙する人々へ魔女は声をかけました。
道を間違えたのは彼ら。
伝えなければ迷ったまま死んでいたかも知れない。
それでも自分の言葉のせいで悲しませてしまった事実は変わらない。
渡るだけなら方法はありますよぅ。
魔女は希望を示すつもりで縁に立ち隣の山を見据えました。
何をするつもりだと村人達は顔を上げました。
杖を振ります。
カランカランッ。
鈴が鳴ります。
カランカランッ。
羊が集まり。
メェメェメェ。
音に続いて。
メェメェメェ。
元気な子羊ぴょこぴょこ跳ねる。
もこもこ毛並みの合間を跳ねる。
青空響く羊の鳴き声。
呼応するよう現れる。
今いる山と隣の山。
間を渡す確かな道。
『道無き場所に道を作る』
川で隔たれた対岸。
地を分断する空間。
常人であれば通れない場所も、魔女にかかれば通れる場所となる。
杖を振って鈴を鳴らせば。
瞳に納めた範囲限定でその場を切り抜ける道を作り出せる。
渡り切ってしまえば跡形もなく消える代物ではあるものの。
さぁさぁみなさん。
隣の山に渡りましょー。
踏み出した感触は地面そのもので。
疲れ切った体に、弱った心に。
もうひと踏ん張りするだけの気力を取り戻させました。
村人達を北へ抜ける洞穴まで送り届け、魔女は羊達と一緒に元いた山へと戻って行きました。
自らの作った道の途中。
吹き抜ける風に誘われ瞳に映した北の大地。
別れ際、人々の表情には活気が溢れていた。
お礼を口にする声に覇気が感じられた。
渡した食糧を受け取る手に力が込められていた。
きっと大丈夫。新天地でもうまくやっていける。
そう信じ、願い、祈りを捧げ。
カランカランッ。
メェメェメェ。
魔女は彼らの旅路に。
鈴の音と鳴き声を贈るのでした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます