海の魔女
むかしむかしあるところに『海の魔女』がいました。
海の魔女は住居を持たず街や村を行ったり来たり。
しばらく滞在してまた移る生活をずっと続けていました。
雨は道順。
川は軌跡。
池は指標。
湖は目印。
どれだけ歩いても海岸に辿り着かない大地の真ん中。
地図に記載された水辺の丸はどれも海から縁遠いものばかり。
なのに何故魔女が海と呼ばれているのか。
初めて会う者達はみんな首を傾げます。
しかし会ってみれば皆口にするのです。
ーーまさしく彼女は海の魔女だ
海を知らぬまま終える人生に海を与えてくれた、と。
魔女の元に使者が訪れたのは新たな年を迎え四つ目の街に滞在していた時でした。
そろそろ出立するかと考えていた矢先に現れた王の使い達は我らの国へ来て欲しいと平伏しました。
他の所からのお呼ばれも次の目的地も無かった魔女は二つ返事で了承し普段足を運ばない地へと向かいました。
乾いた大地。
一面の砂原。
よくこんな土地で生活が成り立つなと感心する魔女の疑問は門を越えてすぐ解消されました。
オアシスを中心にして築かれた王国。
暑さに負けぬ熱気で繁盛する露天商を通りすぎれば見えてくる王宮。
ーー息子に海を贈りたい
立派な王室で国王と謁見した魔女は自分が呼ばれた理由を知りました。
もうすぐ十歳になる王子。
周囲にあるのは砂ばかりでオアシスの青ぐらいしか見たことがない子。
これだけ裕福な暮らしをしている国王の息子だ。
使者に連れていってもらえばいいのにと口に出さず思った魔女でしたが。
ーーアナタが僕に海を贈ってくれるの?
窓辺のベッドで横たわる男の子の姿に事情を察しました。
産まれた時から病弱でここまで成長したのすら奇跡である。
専属の医師は説明しました。
一生をこの国、この部屋で終えるかも知れない。
読みかけの本には海の伝説が書かれていました。
いつ急変して最期を迎えるかわからぬ命。
時間を下さい。
ご理解を。
頼みを引き受けた魔女は早速動き出しました。
この辺り一帯についての調査。
土地で見つかった品々の鑑定。
汲んできたオアシスの水に塩を溶かし。
王子の部屋から見える砂原の一部分に。
決まった時間数回に分け染み込ませる。
それを毎日。
大事な儀式。
これを数日。
ただでさえ手間隙のかかる魔女の力。
各地で滞在を余儀なくされるのもこれが原因でした。
国単位の協力により人手は十分すぎるものの、規模があるのもあって結局。
一人で全部やったのと同じぐらいの時間を使い準備を全て完了させました。
幸いそれまで容態が悪化することはなく。
体調が一番良い状態で迎えた十歳の誕生日。
記念すべき日を王国総出でお祝いする国民は、国王は、王子は。
水をかければ乾き水をかければ乾きを当日まで繰り返していた砂原。
その真ん中。
用意していたお手製のイカダの上で佇む魔女に注目していました。
灼熱の日の光が肌を焼く。
塩辛いオアシスの水入り桶を片手に魔女が呪文を唱えます。
母なる大地。
母なる水源。
忘れはしない。
忘れはしない。
例え姿は違えども。
例え面影彼方とも。
潮騒は遥か幾年を越えて。
地表の記憶を逆に辿って。
忘れているだけ。
忘れているだけ。
この地はかつて底だった。
水面見上げる奥底だった。
覚えている。
覚えている。
青々とした渚の頃を。
白々とした波の頃を。
思い出せる。
思い出せる。
我は汝を起こす者。
呼び声に目覚めよ。
太古の海。
バシャリ。
桶を傾けます。
ピチャリ。
魚が跳ねます。
注目する皆何が起こったかわからず、潤ったまま乾かない部分を凝視していました。
それを合図にどんどん、どんどん。
塩水をかけ続けた範囲にのみ海が広がっていきます。
砂漠に空いた大きな大きな水溜まり。
一見それは王国を支えるオアシスのようで。
潮風の匂いが。
波立つ水面が。
顔覗く小魚が。
浮くイカダが。
確かに海であることを言葉なく語りました。
『かつて海底だった大地に海を思い出させる』
調査は名残を知るため。
鑑定は痕跡を得るため。
儀式は記憶を起すため。
全てにちゃんと意味があり全て揃って初めて可能となる魔女の力。
しばらくすれば元の大地に戻るとしても。
泡沫の大海原は初めて見る人々の思い出として感動と知識を残す。
国民が、国王までもが驚愕で声を出せない中。
イカダに乗ったままの魔女が王子の部屋を見上げると。
驚く幼い姿がありました。
目が合えば、魔女は静かに両手を広げ。
ご覧下さい。
これが皆様の大地が記憶する海で御座います。
のちに。
努力と運に恵まれ病弱な体を克服した若き国王は語ります。
ーーまさしく彼女は海の魔女だった
そして僕の初恋だった、と。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます