濡衣の魔女
むかしむかしあるところに『濡衣の魔女』がいました。
濡衣の魔女は水も無いのにいつもジトジトジメジメ。
汚れたフードを目深に被る薄気味悪い格好をしていました。
偏見まみれの視線を受け。
道を歩けば後ろ指さされ。
すれ違う人は避けていき。
いたる所から陰口が響く。
何故か忌み嫌われていましたが、呪われるだとか不幸になるだとか勝手な理由で手を出されたことはありませんでした。
距離を置かれ酷いことを言われる。
それさえ気にしなければ実害は無く、幸いにも魔女は気にしない性格をしていました。
罵詈雑言もどこ吹く風。
いつ終わるのかわからない悠々自適な旅を続けるには丁度いい。
どんよりとした雲が流れる昼下がり。
殺風景な村の入り口まできた魔女がまず見たのは広場の人だかり。
辿り着くまでに誰とも会わなかったことから村人全員がそこに集まっているのだとわかりました。
ーー盗んでない! これは元々私のだ!
中央には少女が一人。
何かを抱き締め地面に踞っていました。
ーーお母さんが残してくれた本だ!
泥だらけになっても懸命に叫ぶ少女と恫喝を続ける男性。
周囲のヒソヒソ話からおおよその事情は把握できました。
少女は村唯一のみなしごでした。
死んだのか置いていかれたのか。
流れ着いたのか昔からいたのか。
定かではありませんが孤独の身であった少女はここで暮らすため村人から押し付けられる仕事を嫌な顔一つせずこなしていたそう。
一人で生きていくためには仕方ないと半ば諦め、物心ついた時から自分と共にある本を拠り所に虐げられる毎日を送っていました。
そこまでこの村に拘る理由はわかりません。
ただ少女が村で冷遇されていたこと。
本の価値に気づいた誰かがいたこと。
手に入れるために少女を陥れたこと。
濡れ衣を着せられているのはすぐにわかりました。
踞る華奢な体から見える赤い表紙。
街でなら高く売れそうだと魔女は眺めていました。
ーー魔女だ
思ったことが口に出ていたのでしょう。
魔女の存在に気づいた男が小さく呟き、そこからどんどん声が広がっていきました。
魔女だ。
魔女だ。
魔女だ。
魔女だ。
不吉な魔女がこの村にいる。
慌てふためく群衆。
魔女にとっては普通の光景。
ーーこの魔女が盗みをさせたんだ!
見れば先程まで少女を恫喝していた男が魔女を指差していました。
口調は強いものでしたが表情と震えから怯えているのは一目瞭然。
旅の途中で立ち寄った村。
初めて訪れた地でそんなわけあるはずないにも関わらず、魔女は唯一見える口元をニヤリと歪ませ。
……よく気がついたねぇ。
芝居がかったセリフを吐いて踞る少女へと近づいていきました。
何が起こったのか理解できない顔の少女をヒョイっと抱え上げれば、いつも通りの罵詈雑言が響きます。
汚い魔女。
醜い魔女。
小さな子に盗みをさせて。
血も涙もない卑しい女め。
言いたい放題の中、少女だけが無言で魔女を見上げていました。
騒がしいわりに遠巻きで見ているだけの村人達を他所に魔女は少女を抱えたまま入ってきたのとは反対側から村を出ていきました。
しばらく進み森に入ってから少女を下ろすと、大事に大事に守っている本を少し読ませてほしいと少女にお願いしました。
ーーイヤッ! どうしてアナタみたいな醜い
そこまで言って少女はハッと片手で口を覆いました。
せっかく助けてくれた人を罵ろうとする姿は、まるで。
自分を虐げてきた村人達のよう。
『嫌悪感を自分に向けさせる』
魔女の持つ力は常人であれば扱いを躊躇う代物でした。
咄嗟とはいえ酷いことを言ったと詫び、少女は魔女に本を渡しました。
ペラペラと捲るそれは年代物で、書かれている内容からも高価な物だとわかりましたが、それ以上に。
ーー 愛する娘へ お母さんより ーー
表紙裏に書かれた文字が正真正銘少女の持ち物であると証明してくれました。
ありがとうと本を返し、魔女は少女にこれからどうするのかと尋ねました。
ーーお母さんとの想い出、たくさんあるけど
今回の一件で少女は新天地に移る決心をしました。
母親が死んだ後も暮らし続けた村。
住み慣れた家を離れるのは辛いけど、これがあるから平気だと、少女は本をギュっと抱き締めました。
気丈に振る舞う姿。健気で力強い瞳の輝き。
近くの街までなら案内できますよ。
この子ならきっと一人でも大丈夫だと、魔女は慈愛に満ちた口元をニコリと動かしました。
道中、少女は尋ねます。
ーーどうして私を助けてくれたの?
素朴で当たり前の疑問。
濡れ衣を着せられていたので。
たいして間を置かず返ってくる答え。
代わりに被りました。
自分が悪者になって丸く納まるなら安いものだ、と。
そうやって誰かの肩代わりをしながら旅を続けてきたのだと話し。
魔女と少女は二人で笑い合いました。
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