第5話
侍女の服を身に纏い、キアは砦の中ひた走る。
目的はミアを見つけ出し、この砦から逃げ出す事。
人の多い砦だ。逃げ出す事は容易ではないけれど、どうにかしてミアをこの地獄のような砦から連れ出さないといけない。
聖女であればあんなにも酷い扱いを受けてはいないと思うけれど、それでも、こんな酷い場所に大切な妹を置いてはおけない。
こんなところに居ては精神に異常をきたす。聖女だからと言って、いつ自分が襲われるとも限らないのだ。此処は王国を護る砦などでは無い。節操のない汚らわしい獣が犇めく檻の中だ。
「はぁ……っ、はぁ……っ、何処にいるの、ミア……!!」
キアは息を切らしながら砦の中を走る。けれど、一向に愛しの妹の姿は見当たらない。それどころか、何故だか人の気配すら無い。
窓の外を見れば、そこには人が居て、気怠げに会話に華を咲かせているのが見える。その姿は、まるで砦に異常がないと言わんばかりの呑気さだ。
だから、人が居ないという事は無いだろう。それにも関わらず、こんなにも砦を自由に走っても誰一人として遭遇する事が無い。
明らかにおかしい。先程、自身を襲った男も、順番待ちをしていた男達もまるでそこには元から何もいなかったかのように一瞬で消え去った。
けれど、砦から人が居なくなった訳では無い。にもかかわらず、まるで無人の砦のような静けさ。
その事実に薄気味の悪さを覚えながらも、薄気味の悪さよりもミアの安否の方が気掛かりなキアは緩めることなく足を進める。
目に入る扉と言う扉を開け放ち、ミアの姿を探す。
けれど、どこにもミアの姿は無い。
焦燥に駆られながら、キアは息を切らして砦中を駆けずり回る。
そして、とある漆塗りの扉を開け放った。
見るからに上質で、頑丈そうな扉。そこならば、きっと聖女がいるかもしれない。そんな淡い希望を抱きながら開け放ったけれど、そこに居たのは一人の少年だった。
「――っ」
一瞬、心臓が跳ね上がる。
今まで誰も居なかったから、この部屋にもミア以外は居ないと勝手に思っていた。しかし、扉を開けてみれば上質な机に腰掛けている少年がいるではないか。
即座に逃げようとしたその時、少年がキアに視線を向ける。
「ああ、来たんだ。逃げれば良かったのに」
少年はキアを
さして興味も無し。少年は、そんな態度だった。
少年の態度を見て、少年に敵意が無い事を理解するけれど、それと同時に少年が自分の存在に気付いていた事を理解する。
「君が此処に何の用があるのか分からないけど、早く逃げた方が良いよ。此処、まともじゃないから」
少年は書類から視線を外す事無くキアに言う。
此処がまともじゃない事なんて知っている。その洗礼を、先程キアを受けてきたばかりだ。
だからこそ、一人で逃げる事など出来ようはずも無い。まともじゃ無いと知っていながら、妹を一人には出来ない。
少年はどうやら訳知りの様子。尋ねてみれば、何か分かるかもしれない。
得体は知れないけれど、敵意は無い。だからと言ってキアが害されないという保証は無いけれど、今は少しでもミアについての情報が欲しい。
キアは、勇気を振り絞って少年に声をかける。
「ね、ねぇ……」
「ん、何?」
声をかければ、少年は返事だけした。視線は、書類に向けられたままだ。
けれど、返答があった事に安堵する。
「此処で私に似た少女を見なかった?」
キアがそう訊ねれば、少年はキアを見やる。
「……いや、
「そう……」
少年の返答に落胆を隠せないキア。
「その子の名前教えてよ。分かるかもしれないから」
言って、手に持った書類を振る。
その動作の意味は分からないけれど、少しでも情報の欲しいキアは躊躇う事無く妹の名を教える。
「ミア」
「ミア、ね。……ああ、あったよ」
覚えがあったのだろう。迷う事無く書類をめくると、その中から一枚を取り出した。
「字、読める?」
「少し……」
「じゃあ、僕が読んであげる」
書類の束を机に置き、取り出した一枚だけを手に持って読み上げる。
「三級聖女ミア。年齢十五。三級治癒魔法を使用。中度の解毒、解熱、裂傷、火傷、凍傷の治癒が可能。得意魔法は
読み上げられた事の殆どは分からなかったけれど、それがミアについての情報である事は分かった。また、ミアが精神的に不安定な状態になっている事も分かった。
「ミアの場所分かる?!」
「分かるって言われれば分かるよ」
「案内して!!」
「僕はお勧めしないなぁ。良い子に引き返す事をお勧め――」
「いいから案内して!!」
怒鳴り声を上げ、キアは少年の言葉を遮る。
何を言われても、ミアを見捨てるつもりは毛頭無い。ミアが精神的に不安定であるのならばなおさらだ。
「……後悔すると思うけどなぁ」
言いながらも、少年は歩き始める。どうやら、案内してくれるようだ。
キアは歩き出した少年の後を追う。
とろとろ歩く少年に苛立ちながらも、ミアの居場所を知っているのはこの少年だけなので、我慢をして着いて行く。
けれど、歩きながら少しだけおかしな事に気付く。
少年は建物の中ではなく、外に向かおうとしているのだ。
「ねぇ、まさか外に出る訳じゃないでしょうね?」
まさかこのまま外に出て逃げる気か。そう思って語気を強めて声をかけたけれど、少年は
「うん、出るよ。そこに
そこにある。その言い方に少し引っかかったけれど、逃げるつもりが無いのであればそれで良い。
焦れったく思いながらも、キアは少年の後を黙って着いて行く。
建物を抜け、城壁を抜け、二人は無事に砦の外へと出た。
やはり、驚く程呆気なく出る事が出来た。人に会う事無く、誰にも見つかる事も無かった。
キアが自由に動けたのはこの少年のおかげなのかもしれないと思いながらも、そんな力を持っている少年に対して得体の知れない恐怖を覚える。
砦を出てやや歩き、中規模な雑木林の中へ入る。
雑木林の中に聖女専用の建物があるのだろうか? けれど、砦と場所を分ける意味が分からない。防御の面から考えても理にかなっていない。
段々と不安が募る。
何か、良くない物を見る事になるような、そんな予感。
キアが不安を覚えていると、少年はぴたりとその足を止めた。
「この先にある。けど、本当にお勧めはしない。それでも見るなら、覚悟した方が良い」
振り向いた少年と目が合う。普通の目なのに、その目に見据えられると自然と鳥肌が立ち、背筋が
平凡な少年から、恐怖を感じているのだ。
「……っ」
ごくりと生唾を飲み、キアは深く息を吐いてから少年の横を通り過ぎる。
「そうか……
ぽつり、少年が言葉をこぼす。柔らかい口調ではなく、少しだけ乱暴な口調。
少年の取り繕いが
少年の横を通り、雑木林を抜けた。
突然目の前に広がる広大な空間。三十メートル程先にはまだ木々が生い茂っている事から、そこが雑木林の中に出来た空間である事が分かる。
「……っ、なに、これ……?」
視線を下にやって、思わず
広大な空間に平らな地面は無く、代わりに巨大な半球状の穴が空いていた。
その中から、異様な悪臭が漂ってくる。
穴の中には黒々とした何かが転がっている。一つじゃない。二つ、三つ……数えきれないほどのナニカ。膨大な数によって数えられないというのもあるけれど、醜くくっついてしまっているモノもあって正確な数字が分からない。
けれど、それが何であるかは分かった。分かってしまった。
「う、おえっ……!!」
思わず、その場に膝を着いて胃の中の物を盛大にぶちまける。
穴の中にあるのは死体だ。数十ではくだらない、数百にものぼる数の死体だ。
「なに、これ………………なんなのこれ!!」
ふらつきながら立ち上がり、キアは背後に立つ少年を睨みつける。
「見れば分かるでしょ? 死体だよ、死体」
「そんなの分かってるわよ!! 此処のどこにミアが居るって言うの!?」
「さぁ? あるのは知ってるけど、何処にあるのかまでは――」
パシッと乾いた音が鳴る。
キアが少年の顔を叩いたのだ。
「ミアは物じゃない!! ミアはどこ!! 何処に居るの!!」
「もういない。君だって、もう分かってるんじゃないのかい?」
「居ない訳無いじゃない!! ミアは生きてるわ!! 今も、きっとまだ砦の中に――」
「アルテミシア。この人に近い匂いの死体を持ってきて」
キアの言葉を遮って、少年が言う。
アルテミシア。それは、この場に居るはずの無い第三者の名前。
――――ずずず。
「――ッ!?」
何かを引きずるような音が聞こえてくる。けれど、音だけでその姿はどこにも無い。
「安心して良いよ。君に危害を加える事は無いから」
そうは言うけれど、音しか聞こえない存在というのはどうにも恐ろしい。それに、少年から感じた得体の知れない恐怖を更に濃縮したような、吐き気を催すほどの恐怖を感じる。胃の中が空っぽでなければ、
「……ああ、見つかったみたい」
「え?」
数秒して、二人の間になにかが落ちる。柔らかくも重量感のある物が落ちたような、そんな音。
視線を向ければ、そこには黒々とした人の死体があった。
「ひっ……!!」
思わず、数歩後退る。
死体を間近に見て良く分かった。黒々としていたのは、腐って変色したからではなく、燃やされて焼け焦げたからだった。勿論、焼け残りがあれば、そこは腐って変色してしまっているだろう。けれど、あまりにも黒過ぎてそれが焼け焦げたのか腐り果てたのか分からない。
「この死体に見覚え有る? って、聞いても分からないか」
あまりにも見た目の特徴が消えている。これでは、判別なんて出来ようはずも無い。
「ん、手の中? うん、ありがとう」
少年はまたも見えない誰かと会話をする。
そして、おもむろに死体に触れ始める。
少年が振れたのは、一部盛り上がっている部分。位置的に、祈るように組まれた手だろう。
その手を、淑女に触れるように優しく解いて行く。
「……これ、見覚え有る?」
そう言って、少年がキアに見せたのは、一つの
「あ……」
キアは、その首飾りに見覚えがあった。
一度街に出た時、銀細工の露店で買ったものだ。
クズ銀を銀細工職人の工房の弟子が加工して作った物が並べられた露店。その中に、安いけれどとても可愛らしいネックレスがあったので、ミアへのお土産として買ったのだ。
まだ職人とは言えず、お店に出す事も出来ないような出来なので、露店で売られていたそれは、この世界に一つしかない首飾りだ。だから、これを持っているのは、ミアしか有り得ない。
ならば、この死体は……。
「見覚え、有るみたいだね」
「あ……あぁ……っ」
膝を着いて、黒焦げになった死体――ミアを抱きしめる。
「あああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」
喉を潰さんばかりの絶叫を上げ、
「ミアっ、ミアっ……そんな、どうしてぇ……!!」
焦げていても、腐っていても、変わらない。この死体は自分の愛する妹、ミアなのだ。汚れても、不衛生でも、構うものか。
ミアを、強く、強く抱きしめる。
「さっき僕が見てたのは、死んだ聖女達の
キアには聞こえていないだろう。けれど、少年は続ける。
「さっきはあえて読まなかったけど、そこには必ず死因が書かれてた。それともう一つ、聖女運用計画書っていうのも見付けたよ」
「………………ミアは……どう、して……?」
どうして死んだのだ。そう、言葉少なに少年に問う。
「教えても良い。けど、知ったらもう逃げられないよ。まぁ、知らなくても逃げられないか。君があの砦に入った事は知られてる。そして、責任者の部屋もそのままにしてきてしまったからね。聖女運用計画っていうのを知られたと思って、君は追われて殺されるだろうね。それか、さっきみたいに慰み者になるかだ」
どちらにしたって、キアにとっては良い結果にならない。
けれど、どちらにしたって追われる身になるのであれば……。
「教えて……ミアに何があったのか……ミアが、どんな酷い事をされたのか……」
「ああ、分かったよ」
キアの言葉に、少年は一つ頷いた。
そして、聞かされる事になる。聖女運用計画の全貌を。ミアの身に何が起きたのか。どうして、死ななくてはいけなかったのかを。
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