第11話

 調髪ちょうはつを終えたキアは、見違える程の美しい娘になっていた。それこそ、調髪をしていた理容師が驚くくらいには。


 乱れた髪を整え、顔の汚れを落としただけだというのに、十人すれ違えば八人は振り返る程の美少女になっていた。


「うん、良いんじゃないかい? とても似合っているよ」


 けれど、フェードが褒めたのは髪型の方。


 理容師はそっちじゃ無いだろうといった顔をするけれど、フェードはそれを無視。


 きっちりとお代を払ってから、二人は理容室を出る。


「次は服だね。服屋は確か――」


「……どうしてですか?」


「ん、何が?」


「どうして、こんな事を? 復讐に、必要ですか?」


 言って、切られた毛先をいじるキア。


 キアには分からなかった。髪を切る理由も、服を新しくする理由も。


「必要も必要だよ。良いかい? 君が勇者に会った時と同じような恰好をしていれば、勇者が君の事を憶えていた場合、警戒をされてしまうかもしれないだろう? だからこその変装さ。と言っても、君の場合、元がみすぼらしいから、小綺麗にしてあげるだけでだいぶ印象は変わるけれどね」


「……悪かったですね。みすぼらしくて……」


「いや? 今回に限って言えば好都合だ。それに、君の村は裕福では無いのだろう? なら、仕方が無いさ」


 元々、継ぎ接ぎだらけの服だったけれど、今回の旅で更に服は悪くなっていった。貧しい村娘といった見た目から、みすぼらしい浮浪者へと下がっていったのは事実だ。


「それに、見たところ君はとても綺麗な顔をしてる。なら、着飾らない手は無いだろう?」


「知りませんよ……」


 笑顔で淡々と褒められ、少しだけ照れた様子を浮かべるキア。


「君が着飾れば、それだけ貧しい村娘の少女という印象からは遠ざかるからね。存分に着飾るともさ」


 しかし、続く言葉で単に見た目を褒めた訳では無い事が分かり、照れた自分が馬鹿みたいだと一つ不機嫌そうに息を吐く。


 そんなキアを見て、一人くつくつと笑いながら、フェードは服屋まで案内をする。


「服は好きなの選んで。大丈夫、多少値が張っても買えるから」


「はぁ……」


 呉服屋にたどり着いた途端にそう言われ、店内に放りこまれるキア。


 そう言われたは良いものの――


「……何が何やら……」


 ――服屋になんて来た事が無いので、どうすれば良いか分からない。


 おろおろとしながら、かけてある服を手に取って良いのかも分からず、ひとまずどんな服があるのかを見て回る。


 見て回りながら、キアはちらりとフェードを見る。


 フェードは何やら店員と話をしているらしく、キアに注意を向けている様子は無い。


 服なんて、自分で選ぶ必要は無い。そんなもの、フェードが適当に選んで、適当に着せれば良い。それなのに、好きな物を選べだなんて……。


 何か目的があるのか、それとも単に気まぐれか。どちらにしたって、キアにとって面倒な事には変わりない。


 あの胡散うさん臭い少年はいったい何を考えているのだろうか。そもそも、自分はフェードの事をなに一つだって知らない。それこそ、勇者リュートよりも。


 ……まぁ、良い。ミアの仇を討てるのであれば、それで良い。


 彼が何を考えていようとも、彼の意にそうように動くだけだ。


 フェードから視線を移し、キアはまじまじと服を見る。


 一瞬、可愛げのある服に目が行き、ミアに似合いそうだと思った瞬間にむなしさを覚えた。


 もうすでにいない者の事を思う事は、とても虚しかった。


 心に大きな穴が空いて、その穴はどんな思いでもってしても埋まる事は無くて。


ただいたずらに湧き上がる想いを飲み込むだけの大穴からは、時折こらえきれない程の憎悪が心を焼き焦がしながら這い上がってくる。


 今にも、この口から溢れて、喚き散らしてしまいそうな程の――


「どうだい? 良いのは見つかったかい?」


「――っ」


 ――とんとん。二回、肩を叩かれる。それだけで、溢れ出しそうだった憎悪がなりを潜める。


 キアは恨みがましい視線をフェードに向ける。


「それ、気持ち悪いのでやめてください」


「ああ、ごめんごめん。確かに、急に肩を触るのは紳士としてあるまじき行動だね。以後慎むよ」


「そっちじゃ無くて……」


 分かっているくせに、フェードはあえてキアの言った方とは外れた方を選ぶ。


「肩を触るのは止めるよ。ちょっと慣れてき・・・・たしね・・・


「……?」


 何に慣れたのだろうかと疑問に思うけれど、恐らくフェードは教えてはくれないだろう。


「それよりも、気に入った服は見つかったかい?」


 にこにこと笑みを浮かべて話しを逸らすフェードに、キアは渋い顔をする。


「いえ……特には……」


「そうかい? うーんと……なら、これなんかどうだい?」


 言って、服を一着手に取るフェード。


「はぁ……まぁ、良いんじゃないですか?」


 フェードが手に取ったのは水色のワンピース。確かに可愛いとは思うけれど、自分が着たいかと言われれば、否と首を横に振らざるを得ない。こういう装いは、自分よりもミアの方が似合う事だろう。


「んむ……服はお嫌い?」


「いえ、別に……あぁ、ただ……」


「ただ?」


「妹のを選ぶのは、好きでした」


 一度、古着屋に行った事がある。そこで、ミアのために服を身繕った事があった。


 お金はそんなに無いから、二人とも一着ずつ。一着しか選べないから、どれが良いかとても悩んだのを憶えている。


 ミアの服を選んでいる間は、とても楽しかった。


「そっか」


 キアの言葉に、フェードは温かな相槌を打つ。


「なら、キアちゃんのは僕が選んであげよう」


 言って、フェードは楽しそうに服を見始めた。


 あれこれ選んで、フェードが納得のいく服を見付ける事が出来たのか、それを買って二人は服屋を出た。


 服屋を出て、次に二人が向かったのは食堂だった。


「腹が減っては戦は出来ぬ。ご飯を食べて、英気を養おうじゃないか」


 街のありふれた食堂に入って席に着けば、フェードは特に迷う事無く給仕に声をかけて料理を頼んだ。


 頼んだのは、パンとシチュー。ただ、それだけ。


 今までの会計は全てフェードがおこなった。フェードの態度を見るに、フェードはまだお金を持っているように思えたけれど、此処では安価なパンとシチューを頼んだ。調髪や服が高かったのだろうかと、少し申し訳なく思う。


 作り置きがあるのだろう。パンとシチューは直ぐに二人の元へ運ばれた。


「わぁ、美味しそうだぁ」


 にこにこと、何が面白いのか笑みを浮かべたままのフェードは、パンを手に取ってかじり、熱々のシチューをすする。


「うん、美味しい」


 満足げに、フェードは頷く。


「キアちゃんも食べな? 冷めちゃうよ?」


「はい……」


 促され、キアはパンに手を伸ばす。


 けれど、直ぐにその手は引っ込められる。


「ん、どうしたの?」


「……いえ……」


 思い出されるのは、焼け焦げ、腐食したミアの姿と、聖女達の落とされた穴の光景。


 あんな光景を見て、淡々と食事が出来る訳がない。


「思い出しちゃうかい?」


 食べるのを躊躇ちゅうちょするキアに、フェードは穏やかな笑みを浮かべて尋ねる。


「それは……そうですよ。あんなもの、見ちゃったら……」


 例えそれが妹だろうと、いや、妹だからこそ、あの変わり果てた姿を見てしまえば、食事が喉を通らなくなる。


 あんな光景を見てもなお、平気で食事が出来るフェードの方がおかしいのだ。


「フェードさんは、よく平気ですね……」


「まぁ、慣れてしまえばね。あれと同じような光景は、何度も見てきた。それこそ、自分で作ったりもした」


 自分で作った。その言葉に、一瞬背筋が凍る。


 あの光景を、フェードが作った。それは、あの光景を作り上げた勇者達と同じ背景があるのか、それとも、まったく別の理由で作り上げたのか……。


 そんなキアの考えを察したのか、フェードは苦笑を浮かべながら言う。


「僕が殺してきたのは異世界人ばかりさ。まぁ、くみする者も大勢殺してきたけどもね」


 それ以外は、殺してない。


 フェードにとってはそれ以外を殺す必要は無い。最優先順位は異世界人の殺害だ。それ以外の事に興味関心はあまり無い。


「……どうして、そこまで異世界人を?」


 至極、当然な問いをキアはする。


 どうして、異世界人を毛嫌いするのか。いや、彼の場合は毛嫌いという段階をとうに超えている。もはや、憎悪、生理的嫌悪と言っても差し支えないレベルだ。


 キアの問いに、フェードは特によどみなく返す。


「母さんを殺されたんだ。だから、今度は僕が殺してやるんだ」


「そう、ですか……」


 動機はキアと同じ。けれど、その深みはどうやら自分とは違うらしい。


 自分は、ミアをあんな目にあわせた者達が消えれば良いとだけ思っている。他の異世界人は、正直どうでも良い。仇敵きゅうてきはリュート・カサカだけだ。


 けれど、フェードの怒りは異世界人全てに向いている。恐らく、今言った理由以外もあるはずだ。何があったのかは、キアでは想像も及びつかないところではあるけれど。


「まぁ、僕の事は良いさ。これが終わったら僕達はさよならだからね。深く知る必要は無いとも。それよりもね、僕はキアちゃんに一つ聞きたい事があるんだ」


「……なんですか?」


 キアが返事をすれば、フェードは一拍間を空けてから問う。


「気は変わったかい?」


「え……?」


 気は変わったか。それはつまり、リュートを殺す気は失せたかどうかの問いだ。


 ……この少年は自分の事を試しているのだろうか? 気が変わったと言えば、復讐の手を止めるのだろうか?


「……私の気は変わってません。あの時散々煽っておいて、やっぱり止めた方が良いとか言うんですか?」


 もしそうなら、少しだけ怒りを覚える。


 あの時も言った事だけれど、キアのいない世界に意味など無い。復讐の果てに死んでしまったとしても、キアは一向に構わない。


 その覚悟があるのに、今更になって心変わりをしたかなんて聞かれれば、怒りを覚えても当然だろう。


 思わず睨みつけてしまうキアに、フェードは優し気な表情で言う。


「復讐っていうのは、とても心に負担がかかるんだ。僕はね、最初から少しだけ道を間違えたんだ」


 それは、些細な間違い。けれど、フェードの今後の人生を左右するような、大きな間違い。


「復讐を忘れて生きていけるのなら、それに越したことは無い。今日一日、普通の生活を送ってみてどうだった? 楽しいとか思った?」


「いえ……これも全部、復讐に必要な事なのかなって思ってました」


 一時いっときも、復讐の事を、ミアの事を忘れた事は無い。


 あれだけ鮮烈な光景を目の当たりにして、忘れるなんて出来るわけが無い。


「そっか。まぁ、一日目ならそうだよね」


「明日だって、明後日だって……何年経ったって忘れませんよ」


「忘れる必要は無いよ。君の中で薄れるかどうかが肝心なんだ。まぁ、準備期間はまだまだある。その間に、止めたいってなったらいつでも言ってよ。僕が言うのもなんだけど、復讐なんてしないに越したことは無いんだから」


「はぁ……」


 キアは腑に落ちなかった。


 復讐なんてしない方が良いと分かっているのに、何故フェードは復讐をしているのだろう。彼の中で、それほどまでに薄れていない何かがあるのだろうか。


「フェードさんは、薄れないんですか?」


「……そうだね」


 一つ、瞑目めいもくする。


 そのまま、穏やかな口調でフェードは言う。


「薄れは、しないかな。それに、薄くするには、色々とごちゃ混ぜになり過ぎちゃってるんだ」


 混ざって、混ざって、混ざって……フェードの中には怒りだけが残ってしまった。小さな怒りが重なって、異世界人を許さないという大きな怒りに変わった。その怒りの元始げんしが分からなくなるほど、様々なものが混ざってしまった。


 だから薄くはならない。今も、復讐の種が萌芽して、元々あった怒りの感情に絡みついている。


 もう戻れないところまで来てしまっている事を、フェードは知っている。


「僕はね、止めちゃいけないんだ。今更止める権利なんて僕には無い。僕は、全ての異世界人を殺すか、僕が死ぬかの二択でしか、止める事が出来ないんだよ」


 悲しそうに、寂しそうに、諦めたように、フェードは笑った。


 だから、君もそうなる前に。


 その言葉を口にする事は無かったけれど、キアはフェードの表情でそれを察した。


 けれど、キアだって止められない。この世でたった一人の家族を失ったキアは、他に選ぶ道が無い。


 復讐以外の選択肢をくれるフェードだけれど、キアの道だってもう決まってしまっている。


 ミアの復讐をして、その後は……。


 考えてから、フェードの言葉を思い出す。


 フェードは言った。キア自身がリュートに手を下す場合、キアは生き残れないと。そこで、死んでしまうのだと。


 あぁ、後も先も無いじゃない……。


 そう思うと、少しだけ寂しくはなったけれど、ミアが望めなかったものなんて要らないとも思った。

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