第10話

 フェードの手を取ってから、たくさん準備をした。たくさん勉強をした。


 瞬く間に過ぎて行く短い月日の内に、キアは死に物狂いで全てをこなした。


「まずね、君は敵を知るべきだ。君は勇者リュートの事を何も知らないだろう? 知っていて、聖女選定の能力を持っている事、男である事、少年である事、それくらいだ。それじゃあ市井ちまたの庶民となんら変わらない情報量だ。むしろ、少し劣っているともいえるね」


 敵を知り己を知れば百戦危うからずだからね。


 街中を歩きながら、フェードは人差し指を立てて得意げに言う。


 さりとて、教える事に優越感を覚えている様子も無く、ただ先生が生徒に教える様な当たり前さがそこにはある。


 得意げに指を立てているのは、なんとなくだ。そうしている方が教えている感じがあるから、そうしているだけだ。


「勇者リュート。本名を、リュート・カサカ。彼の故郷じゃ、カサカ・リュートって言うらしいけど、どっちだって良い。順序が違うだけだからね」


「リュート……リュート・カサカ……」


 仇敵の名を己に刻むように、恨み節を乗せて反芻する。


 忘れない。忘れるはずが無い。キアを地獄に送った諸悪の根源。


 剣呑な表情を浮かべるキアに苦笑を浮かべながら、フェードは続ける。


「彼の力はさっきも言ったけど、聖女を選定する能力だ。三級から特級までの聖女の選定が可能。まぁ、下を見れば更に選定は可能みたいだけど、そこまで行くと聖女見習いとかになっちゃうから、今回は置いておくとしようか。正直、面倒なのが三級からだからね」


「……三級聖女は、強いのですか?」


「いやいや、人より治癒魔法の質が良いだけだよ。聖女に選ばれたからって、戦闘力が上がる訳じゃない。君も知ってるだろう?」


 戦闘力があれば、ミアはあんな地獄に居る事は無かった。


 暗にその事を言われれば、キアは不愉快そうに下唇を噛む。


「ともあれ、三級聖女からは抜きん出て治癒魔法の質が高くなる。それこそ、切り傷だって一回の魔法で治せるくらいだ。二級になれば重い病気を治し、一級になれば切断された手足を生やし、不治の病すら治す事が出来るそうだ。そして、特級になれば死者を蘇らせる事が出来る……らしい」


「らしいって……」


「特級聖女は一人しかいないんだ。僕はお目見えした事も無いからね。その力の噂程度しか知らないんだ。それに、勇者の選定じゃなく、己で到達しえたというんだから、その敬虔けいけんさには頭が下がるよ」


 心底尊敬するような口振りのフェード。キアから見れば、今のフェードにはただただ言葉通りの感情しか無いように思う。恨みも憎しみも無い。単純に、特級聖女に対する尊敬の念。


 とどのつまり、勇者に選ばれていないから興味がない。調べる必要が無いとフェードは判断したのだ。


「まぁ、特級聖女の事はさて置いてだ。そんな厄介な聖女が彼の周りには十人から二十人はいる。少し前に調べた結果だから、今はもっといるかもしれないね。その名も聖女部隊。安直だね。けど、捻りが無い分僕好みではある」


 勇者殺しブレイブ・スレイヤーなんてださぁいと嫌そうな顔をするフェード。


 しかし、勇者殺しブレイブ・スレイヤーなんて言葉を聞いた事も無いキアはフェードの態度に小首を傾げる事しか出来ない。


 肩を落として項垂うなだれたフェードは、項垂れた頭をそのままにキアの耳元で囁く。


「自分の保身のために、幼気いたいけな少女達を自分の周りに置く。与えられた力で恩を売り、尊敬と信頼を奪い去る。英雄的行いはさぞ心地が良い事だろうね」


「――っ」


 今まで聞いた事の無いような、背筋を這い上がるような冷たい恐怖を覚える声音。


 けれど、その恐怖と同様に、彼の恨みに同調するかのように怒りが湧き上がる。


「選ばれなかった少女達は地獄に送られる。特に悲劇も無ければ喜劇も無い、ただ長閑のどかなばかりの村娘は、誰の不興も買っていないのに地獄に送られるんだ。人の悪意と無知によって、彼女等は与えられなくても良い地獄を与えられる」


 背筋を這い上がるような恐怖は続いている。聞いていたくないはずの声なのに、キアは耳を傾けてしまう。


「それを知らず、勇者はのうのうと己の選んだ聖女達と暮らす。楽しそうに、和気藹々わきあいあいと……」


 心の底から憎悪が溢れる。


 胃の中を巻き上がり、食道を焼き焦がし、喉から音となって憎悪が溢れそうになるのをぐっとこらえる。


 こんなところでまき散らしてはいけない。この憎悪は、最後の最後まで取っておかなければいけない。


「うん、良い子だ」


 そんなキアの様子を見て、フェードは出来の良い生徒を褒めるようににこりと微笑むと、とんとんっと肩を叩く。


 それだけで、何故だかあれ程溢れ出ていた憎悪がなりを潜めた。


「それは最後までとっておくと良いよ」


 突然の感情の消失に困惑するキアに、フェードは笑みを絶やす事無く続ける。


「さて、お勉強の続きだ。勇者の聖女部隊は三級から二級聖女で構成されている。一級は数人いるみたいだけど、皆国に召し抱えられたか、他の勇者に着いて行ってしまったらしい。一級ともなればその治癒魔法は世界最高峰だ。弱い勇者に付けておくよりも、強い勇者に付けておくのは自明の理だね」


 リュートの戦闘力はお世辞にも強いとは言えない。良くて下の上。悪くて下の中。勇者としてはとても弱い部類に入る。それでも、勇者としての下地があるからか、そんじょそこらの冒険者よりは強い。けれど、強者の枠組みに入るかと言われれば否と言わざるを得ないだろう。


「彼よりも、彼の聖女部隊の方が個々の力は強いだろうね。そもそも、聖女が後付けの力だ。元々、冒険者をしていた者も多い。聖女と合わせて、別の技能を持っている。回復をしながら戦えるというのは大きな利点だろうね」


「何故……」


「ん?」


「何故、公爵はそうしなかったのですか?」


 必要な言葉が省かれた問い。けれど、フェードは正しく理解する。


「言っただろう? 使い捨てなんだ。強く、さかしいと反撃されてしまう。国を護る最前線でそんな事が起これば目も当てられないからね」


「……だから、力の無い村娘が最適だった、と?」


「ああ。弱く、愚かな方が都合が良い。長持ちをする必要は無いんだ。替えはいくらでも居るからね。いきり立った男達の下衆な情欲をぶつけられる相手である事が好ましい。征服感って言うのは、一種の快楽だからね。征服感を得るのに、自分より強い者が相手では難しいだろう?」


 だから、弱い相手を意図的に選んだのだと、フェードは締めくくる。


 沸々と、消えたはずの憎悪が膨れ上がるのを感じる。


 これが、人のやる事か……。弱者をくじき、強者を満たす。最低だ。あまりにも、最低だ。


 そんな奴らが生きていて良い理由が無い。ぜいの限りを尽くし、温かな部屋で眠り、美味しい物を食べ、柔らかなベッドで眠る。そんな生活をして、のうのうと生きている事が腹立たしい。


 全て、全て失えば良い。


 命も、尊厳も、街も、地位も、家族も、金も、家も、何もかも、失えば良い。


 とんとん。肩を二回叩かれれば、それだけで喉から溢れ出そうになった憎悪がまたしても消失した。


 胸を焼け焦がしそうな程の憎悪が消えた事に驚きながらも、二回も同じ事が起これば誰かが何かをしたと思うのは当たり前だろう。


 訝し気な目を向けてキアは問う。


「何かしましたか?」


「うん。けど、内緒。最後の最後に取っておくのがよろしいからね」


 にこりと胡散臭い笑みを浮かべるフェード。


 彼が何をしたのかは分からない。けれど、キアの不利益になるような事はしないだろう。でなければ、真実を教えたりもしなければ、此処まで煽るような事もしないだろうから。


 最後の最後。それが指す意味は分からないけれど、フェードの好きにさせるほうが得策なのであれば好きにさせる。


「さて、敵の全容は見えて来たかな? 勇者リュート。異世界人にして、聖女選定の能力を持つ少年。武器は彼が選んできた聖女部隊。ぶっちゃけ、かなり厄介だね。全員が全員治癒魔法が使えるという事は、誰かを傷付けても誰かが回復をするという事に他ならないのだからね」


「なら、どうやって……」


 フェードは自分で倒すのは簡単だと言った。けれど、今回リュートを殺すのはキアだ。キアには戦いのいろはは無い。ナイフだって、料理の時以外には使った事は無い。


「君と彼を一対一の状況にしてあげるよ。それも、君に敵意を抱いていない状態でね」


「そんな事が可能なんですか?」


「ああ。僕なら出来る。……が、一つだけ不確定要素がある」


「不確定要素?」


「彼、勇者リュートには同じくこちらの世界に来た幼馴染がいる。彼女の名前はカナエ・シンジョウ。リュートと同じく勇者であり、こちらはリュートとは違って戦闘に特化してるんだ。結構リュートから離れたがらないらしくてね、彼とまみえる時に遭遇する確率が高いんだ」


「強いんですか……?」


「ああ。彼女の力は心眼。相手の心を読む能力。心が読めるから、相手の動きも読むことが出来る。派手な戦闘は苦手としてるみたいだけど、対人戦では部類の強さを誇るね。一線級の勇者と言っても過言じゃない」


「そんな相手が……」


 聖女部隊だけでも厄介だというのに、一線級の勇者が傍についている。それだけで、勝率は下がろうというものだろう。


「まぁ、大丈夫さ。やりようはある。それに、初めからいる者と考えれば不確定要素でもなんでもないさ」


「……自分で言ったくせに」


「難解さを理解して欲しかったんだよ。戦闘の最中にいきなり来る可能性もある。そう言う意味では、不確定ではあるんだよ」


 最初にカナエが見えなければ、カナエの参戦を疑わなければいけない。気を向ける方は少ない方が良い。フェードとしては、最初からいてくれた方が楽だと思う。


「ま、さっきも言ったけど、やりようはあるよ。そこら辺は僕に任せてくれれば構わない。君には、もっと別のところに気を遣ってもらう。ってところで、到着だね」


 言って、フェードは軽快に進めていた足を止める。


 彼が足を止めた先にあるのは、一軒の小洒落こじゃれた美容室だ。


「散髪でもするんですか?」


「ああ、君がね」


「はぁ……は? 私が?」


「うん。さ、入るよ入るよー!」


「ちょ、ちょっと!」


 キアの手を引き、フェードは美容室へと足を踏み入れる。


「いらっしゃいませ」


「この子の散髪をお願いします。キアちゃん、髪型に拘りはある?」


「は、いえ……」


「じゃあばっさりいっちゃおう。肩口くらいのショートにしてください」


「……申し訳ございませんが、お金に当てはございますでしょうか? 当店、通常よりも少々値が張りますが……」


 美容師は笑顔のままそう尋ねる。


 けれど、その笑みの奥には二人に対する疑心があった。


 フェードの恰好は普通だ。そこら辺に居そうな、安っぽい服装。


 けれど、キアの服装はどこからどう見ても寂れた村民のそれだ。裾はほつれ、生地はくたびれ、ところどころに染みがある。


 此処は普通よりも少しお高めの美容室。そのため、普通の恰好の少年やそれ以下の恰好をしている少女に代金が払えるとは思えなかった。


 だからこその質問。


「ああ、大丈夫ですよ」


 失礼な質問を受けたけれど、フェードは笑み一つ崩さずに頷き、ポケットの中から銀貨を数枚出す。


 目算もくさんだけれど、銀貨は十分に足りる枚数はあった。


「これは、失礼いたしました」


「いえいえ。仕方ないですよ」


 即座に自身の非を認めた美容師に、気にしないで欲しいと手を振るフェード。


「それじゃあ、彼女をお願いします」


「かしこまりました。さぁ、ではこちらへ」


 フェードに言われ、丁寧にお辞儀をしてキアを案内する美容師。


 身なりは多少悪いけれど、恐らくこの少年は商家やお貴族様の丁稚でっちなのだろう。そして、この少女は新しく雇われた給仕か何か。主人に頼まれ、上等なお仕着しきせに合うように整えてこいとでも言われたのだろう。


 そう勝手に納得して、美容師はキアの髪を整え始める。


 生活が豊かになり、暮らしに余裕ができ始めてきた頃に美容師という職業が出来始めた。


 見た目に気を遣うのはお貴族様か豪商のみ。庶民は自分で適当に整えるしかない。


 けれど、勇者の恩恵を受け生活が豊かになり、普段着も上等になれば自身の頭髪にも気を遣おうという者が増えてきた。


 そうして台頭たいとうしたのが美容師である。


 そういった能力を持った勇者が筆頭となり、美容室を立ち上げれば、その波は瞬く間に広がった。


「黒き智天使ケルビーニに地獄に運ばれれば良い……」


 ぼそりと、フェードは不穏な事を呟く。


 この流れを作ったのは勇者だ。けれど、この流れはもっと遅く作られるはずだった。


 本当に、余計な事しかしない。まるで自分が時代の先導者のように振舞うその様は見ていて滑稽だ。


 後で潰そうと考えながらも、今は目の前の事に集中しようと思考を戻す。


 鏡の前に座った困惑した様子のキアを目が合い、フェードは笑みを浮かべて手を振った。

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