第12話

 それから、一杯準備した。


 勇者を殺すかたわら、普通の生活も送った。


 けれど、そこにミアが居ないだけで、普通の生活から彩りは消えていた。ミアが死んだと分かったあの日から、キアの日常は灰色一色だ。


 フェードの傍らで、勇者が殺される様を幾つか見た。


 そのどれもが異世界人であり、どれもが悪意の無い存在だった。


 異世界に連れてこられ、または迷い込み、その中で必死に自身のやるべきことを模索している者達だった。


 そんな者達を、フェードは容赦無く殺した。


 ある日、何故そんなに目の敵にするのか、もう一度問うてみた。


「異世界人はどうしようもない落伍者らくごしゃ達だからだよ」


 だから殺す。それ以外の言葉を、フェードは語らなかった。


 ただ、その目に怒りは無かった。あるのは、寂寥感せきりょうかんだけ。


 彼の行いを見守りながら、私は自分の出来る事をした。


「君が一対一になるように御膳立てセッティングしてあげる。だから、君は勇者を殺す事だけを考えるんだ」


 言葉とともに、フェードはキアに一つのナイフを渡す。


 細く、長い、無骨なナイフ。これだけ細ければ果物ナイフにも使えない。


「これを、顎の下から突き刺すんだ。そうすれば、切っ先は頭まで到達する。華奢な君でも、勇者を一撃で殺す事が出来る」


 顎の下からは、遮るものが無いからね。


 そう言って、フェードは一つ笑う。


 その笑顔を見て、少しだけ後ろめたく思う。


 彼の行いを見ていると、日に日に勇者リュートを殺す事に抵抗を覚えるようになったからだ。


 自分の居場所を得たい、誰かの役に立ちたい。そう思って、懸命に生きている彼等を、フェードは何の躊躇いも無く殺す。


 泣き叫ぶ者を見た。泣いて許しを請う者を見た。抗えない死を前に、絶望の果てに命を落とす者を見た。


 そんな彼等の様子を見ている内に、徐々に心がえていってしまった。


 あの日、あの時は、憤怒の中にあった。一秒でも、一瞬でも早くリュートを殺したいと思っていた。


 にもかかわらず、今ではリュートを殺す事に消極的だ。


 ミアを殺す要因を作ったのはリュートだ。けれど、果たして自分は彼に死んで償ってほしいのだろうか?


 彼だって、自分に出来る事を自分なりに頑張っているのだ。その結果、運悪く今回の事に利用をされてしまった。本当に悪いのは、彼の力を利用するレカール公爵であって、彼自身ではないのではないか。


 そうだ。罪を償ってもらおう。今回の事をおおやけにして、レカール公爵に責任を取ってもらうように動いてもらおう。


 それで、溜飲りゅういんは下がる。それだけで、十分だ。


 憎むのは、憎み続けるのは、酷く疲れる。


 リュートが向かうと分かった街へ行く道中、彼と乗合馬車で一緒になった。


 そこで、彼の日常を初めて見た。


 楽しそうだった――恨めしい。


 大切な人が居た――私にだって居た。


 幸せそうだった――私は奪われた。


 皆に慕われていた――ミアだって同じだ。


 自分のしてきた事を知らない顔だった――腹が立つ。


 彼の日常を見て、当たり前の感情が湧き上がる。


 けれど、同時に思う。彼が死んだら、自分と同じように泣く人が居る。


 そんな当然の事に気付いたのだ。


 そこからは、凄く消極的になった。


 フェードに聞いた。


「……本当に成功するんですか?」


 その本当の意味は、本当に実行するんですか? だった。


 キアは、躊躇っていた。人を殺す事を。大切な誰かがいる人の命を奪う事を。


 だから、フェードが街の人全員を殺すと言った時、それをさせてはいけないと思った。


 だって、街の人は関係無い。償ってほしいのはリュートだけだ。街の人は、誰一人として今回の件に関係が無いのだから。


 だから、リュート達に情報をリークした。


彼等にも大切な人が居る。このままフェードのやる事を許せば、自分が奪った側の人間になってしまう。


 それは、ミアもきっと望まない。キア自身も、自分がそうありたくはなかった。


 ……だから、カナエの手によってフェードが倒された時、安堵した。





 ああ、そうか。最後の最後って、この時の事を言っていたんだ。





「ありがとう、ございます。フェードさん」


「――……え?」


 愉悦を押し殺せない。


 泣き顔のまま、笑ってしまう。


 自然と、腕は勝手に動いた。


 リュートの胸の中。キアが、一番リュートに近かった。


「ぇあ?」


 一瞬の衝撃。


 顎から頭にかけて痛みを覚えるリュート。


「あ゛ぁ゛ははははははははははははははははっ!!」


 楽しそうに、嬉しそうに、キアは笑う。


 笑う、わらう、わらう。


 目の前には呆け面をした怨敵リュート顔がある。


 そのリュートは、無様にも顎から刺さったナイフに貫かれている。


 その光景が、酷く嬉しい。今までに味わった事の無い高揚感がキアの心の内から溢れ出る。


 何が起こったのか、間抜けな聖女達は理解をするのに数秒の時間を要した。


 しかし、数秒で充分だった。


「は、ぁかっ……」


 声にならない音を漏らして、リュートは白目を向いて地面に倒れた。


 その無様な光景を見て、キアは一層楽しそうに笑う。


「て……んめぇ……!!」


 我に返った一人が、手に持った大剣でキアを斬り付ける。


「あ゛はははは――ばっへぁ……!!」


 大剣は笑い続けるキアに直撃し、その華奢な身体を腰から上下に両断した。


 上半身は宙を舞い、肉質的な音を立てて地面に落ちる。


「あ……は、はは……」


 けれど、キアは笑い続ける。


 ざまぁみろ。殺してやった。この私が、ただの村娘が、勇者を殺してやった。


 横目で、地面にひれ伏す勇者を見る。


 ナイフを抜かれ、必死に治癒魔法をかけられるリュート。しかし、傷は塞がってもリュートは起き上がる事は無い。


 いかに聖女の治癒魔法とはいえ、死者を蘇らせる事は出来まい。


 そう、死んでいるのだ。勇者リュートは、強敵勇者殺しブレイブスレイヤーではなく、ただの村娘に殺されたのだ。


「ひ、ひひ……や……たぁ……」


 喜びに口角が上がる。


「あ、りがと……ハク、ア……さ……」


 必死に、残り少ない命を振り絞って、キアはフェードに――ハクアにお礼を言う。


 ハクアが倒されたその少し後に、キアは思い出したのだ。あの日の憎悪を、あの日の憤怒を。


 何故か、今までキアの身体から抜けていたリュートに抱く悪感情が一瞬にして戻って来た。


 最初は戸惑った。けれど、それが紛れもなく自分の感情である事は直ぐに分かった。


『最後の最後に取っておくのがよろしいからね』


 あの日、ハクアが言った言葉の意味は分からなかった。


 けれど、今になれば分かる。


 ハクアは、この時の事を言っていたのだ。勝利に酔い、誰もが油断しているその時が、キアがリュートを殺す最大の好機チャンス


 リュートの近くに居る事が不自然でないように、ハクアが誘導をしたのだ。


 あぁ……ありがとうございます。けれど、ごめんなさい。私は、貴方を犠牲にしました……。


 今は亡きハクアを思って、キアは涙を流す。


 それは、喜びの涙でもあるけれど、同時に、ハクアの死をいたむ涙でもあった。


 自分なんかのために死んでしまったハクア。慈悲なんて無い人だったけれど、優しい人だった。


 あの世であったら、ちゃんと謝ろう。それで、ちゃんとお礼を言おう。


 リュートは死んだ。後はもう、自分も死ぬだけだ。


 目を閉じようとしたその時、キアの身体に影が差す。


 聖女達が止めを刺しに来たのかと思ったけれど、その影の主は一人の少年だった。


 少年はその場に膝を着いて、キアの顔を覗き込む。


「満足したかい?」


 優しい声音。


 その声を、自分は知っている。


 何故生きているのか分からない。けれど、生きているのなら、最後を見送ってくれるのなら、キアのする事はただ一つだ。


「は、い……っ」


 必死に笑みを浮かべる。


 まだやり残した事がある。レカール公爵を殺せていない。ミアを犯した者達を殺せていない。


 それが、少し心残りだけれど……結果だけ言うのであれば。


「わ、たしは……も……」


 満足です。ありがとうございます。


 そこまで、言いたかった。


 けれど、もう口が開かない。


「……そうか。なら、良かった」


 キアの言葉が全て聞こえた訳ではないだろう。けれど、少年は全て分かったように、優し気に微笑む。


 その笑みを見て、何故だか安心してしまう自分がいる。


 自分のが流れる。視界が霞む。音も、聞こえなくなってきた。身体の感覚も、もう無い。


 もうそろ、死んでしまう。


 けれど、怖くはない。死ぬという事は、ミアと同じところに行くという事だから。


 ……いや、それも無理か。ミアは優しい子だったけれど、私は優しくあれなかった。こんなことをしてしまうくらいには、私はみにくかった。


 ごめんなさい、ミア……あの世でも、私は貴女を一人にしてしまう……。


 ごめんなさい。馬鹿な姉で、ごめんなさい。護れなくて、ごめんなさい。助けてあげられなくて、ごめんなさい。幸せにしてあげられなくてごめんなさい。一緒に居てあげられなくて、ごめんなさい。


 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。


 心中で、キアは必死にミアに謝る。


 本当は、面と向かって、ミアに謝りたかった。


 涙を流すキアの手を、少年は握り締める。


「大丈夫だ。君は正しい事をした。君の魂は輪廻りんね円環えんかんに戻って、ミアちゃんとともにまた生まれ変わる。大丈夫だから、安心してお眠り。後の事は、全部僕に任せて」


 音はもう聞こえない。けれど、少年が何を言いたいのかは、自然と分かった。


「ぁ……ぃぁ……」


 微かな音を幾つか鳴らした後、キアは笑みを浮かべたまま息を引き取った。


 復讐の果て、少女は短い人生に幕を閉じたのだ。


 弱くも、気高く在った少女の亡骸なきがらに、少年――ハクアは黙祷もくとうを捧げる。


「……さて」


 指を一つ弾けば、キアの亡骸は跡形も無く消え去る。


 消えたキアの亡骸には興味を示さず、ハクアは必死にリュートを助けようとする聖女達に視線を向ける。


「まだそんな馬鹿な事やってるのか? もうそろ冷静になったらどうだ?」


「うるさい黙れ!!」


「おお、怖っ」


 おどけたように、ハクアは身をすくめる。


「見て分かれよ。そいつはもう死んでるんだ。死者蘇生の魔法なんてお前等使えないだろ?」


「黙れぇッ!!」


 泣きながら、セシアがハクアに魔法を飛ばす。


 その魔法を、ハクアは煩わしそうに手で叩き落とす。


「冷た……あーあ、びしょびしょだ」


 呑気な事を言いながら、ハクアは手に付いた水をハンカチで拭う。


「なんで、お前が生きてるんです!!」


「ようやくか。その質問遅いよ」


 呆れたように言い、ハクアは聖女達の怒りの視線が自分に向いている事を確認する。


「そもそも、僕は死んでない。まぁ、腕と足は吹き飛ばされた訳だが、死んじゃあいないんだよ。お生憎様、それくらいじゃ死ねないんだ」


「それじゃ答えになってないわよ!!」


「懇切丁寧に説明する必要もあるまいよ。……さて、お前達の処遇についてだが――」


「うるっさい!! 死ねぇッ!!」


 セシアの言葉の直後、幾つもの魔法や弓矢などの飛び道具がハクアに飛来する。


「――生かしておく意味も無いから、勿論皆殺しだ」


 魔法がハクアに降り注ぐその刹那、ハクアの姿が掻き消える。


「――ッ!! どこへ!!」


 驚愕した少女の声がいつもより少し上から聞こえる。


「え……?」


 声の方を見やれば、自分よりも背が小さいはずの少女と目が合う。


 遅れて、下から血飛沫が噴き上がる。


 その血飛沫は、少女の首から・・・噴き上がっている。


「へ……?」


 その光景を見て、いつもより視界の高くなった少女は知る。


 自身の首が身体を離れて宙を舞っている事を。


「ちょっと使って腹ペコなんだ。遠慮なく、いただくよ」


 どこからか、そんな声が聞こえてきた。


 直後、少女達の腕が、足が、首が、胴が、身体から切り離される。


「ひっ……!!」


 宙を舞う聖女達を見て、セシアは腰を抜かしてその場に座りこむ。


「いくら治癒魔法に優れてても、即死したら意味が無い。お前達三級聖女は傷は癒せても、死を克服する力は無いからな」


 背後から、声が聞こえる。


「中途半端な力に酔いしれる時間は終わりだ」


 首に手が回る。


 簡単に命を刈り取る事の出来る、死神の手。


「聖女ごっこは楽しかったか? 偽物ちゃん」


 首に回された手に力が籠る。


「ぁ、ぃや……」


「お前達は奪ってきたんだ。だから、今度はお前達が奪われろ」


 無慈悲に、容赦もなく、死神の手はセシアの首をねじ切る。


 恐怖に歪んだ少女の顔が宙を舞う。


 少女だったものの背後に立つハクアは、常のように笑みを浮かべる。


「まずは、一つ」

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