第6話

 フェードとキアは小さなベッド一つを半分ずつ使って眠りに着く。


 狭いけれど、宿代や食費、その他諸々は全てフェードが持っているので、キアは文句を言えない。言っても、フェードならば笑顔で床や椅子で眠るのだろうと、薄らと確信めいて思うのだけれど、それを試そうとは思わない。


 逆に、キアが床で寝る事も考えたけれど、こちらもフェードに変に気を遣わせてしまうと思い言い出しはしなかった。


 暗く、重く、身体にまとわりつく恐ろしさを持つフェードだけれど、それ以外を見ればまともな倫理観を持つ普通の少年だ。


 困っているご老人が居れば助け、話しかけられれば笑みを浮かべて答える。


 普通過ぎる程に、フェードは普通なのだ。


 そのフェードが、勇者ごとこの街を火の海にすると言った。あれだけ笑顔で話し、短期間で顔と名前を憶えられるくらいには街に馴染んだフェードが、この街を壊すと言ったのだ。


 あの日、あの忌まわしい砦で、フェードはミアの扱いから、その末路までを語った。


 思い出すだけでも吐き気がする。怒りで涙が溢れそうになる。


 けれど、その怒りはただ一方向に向いている。


 勇者だ。過分な力を持って、その使い方も知らないで、その結果も知らないで、ただいたずらに力を振りまく勇者にのみ、キアの怒りは向いている。


 この街の人達は悪い人達では無い。ただ普通に暮らして、勇者の恩恵を受けているだけの、ただの一般市民だ。


 勇者を利用したり、勇者の力にこびへつらったりしていない。


 殺したいとは思わない。


「……」


 寝返りを打ち、こちらに背を向けて眠る少年を見る。


 フェードは問答無用で殺そうとしている。勇者を受け入れているこの街を壊そうとしている。


 使命感や正義感なんて大層なものではないけれど、キアはフェードにそれをさせてはいけないと強く思う。


 キアの怒りは勇者だけに向いている。勇者には何があっても謝罪をさせ、全ての尻拭いをして欲しいと思う。キアだけじゃない、不幸にした全員に地面に頭をこすりつけて誠心誠意謝罪をして欲しいと思う。


 ただ、それだけなのだ。


「……」


 キアはゆっくりと起き上がる。


 勇者からの謝罪。それだけで、キアの溜飲は下がる。


 フェードを起こさないように、静かな足取りで部屋を後にした。


「……大勢の犠牲は、必要無い……」


 宿を後にし、キアは夜の街を歩く。


 目的地は決まっている。知りたくは無いけれど、交流を広げるフェードが街の人から聞いた情報だ。


 目的地まで、キアは迷わずに歩く。


 裕福とは言えないけれど、それなりに不便が無い程度には潤っている街の、少しだけ外観が綺麗な宿。上級な宿泊施設かと言われれば頷く事は難しいけれど、この街の中では一番良質な街だ。


 この宿も夜は居酒屋バーを営んでいるため、入る事は簡単だった。


 目的の人物は仲間達とご飯を食べていた。


 キアはあえて足音を立てて彼等に近付いた。


 全員の視線が、キアに向く。


「お話ししたい事があります」



 〇 〇 〇



 翌朝。フェードは欠伸あくび一つしながらキアと一緒に宿を出る。


「……フェードさん。あの……」


「ん、なんだい?」


 おずおずと、キアはフェードに声をかける。


 怯えていると言うよりは、緊張した様子のキアにフェードは優しく言葉を返す。


 足を止め、キアはフェードの顔を見る。


 フェードも足を止め、キアを見る。


 キアは言うか言うまいかの躊躇いを見せた後、意を決したように口を開く。


「……こんな事、やめませんか?」


「は?」


 瞬間、威圧的な声が発せられる。その声の主は、他の誰でもないフェードだ。


「……いや、何言ってるのかな? あれだけのやる気はどうしたの? もしかして、怖気付おじけづいちゃった?」


「かも、しれません……いえ、正直、まだ腹は立ってます」


 お腹の奥底。そこに、煮えたぎった怒りがずっと主張をしている。あの日から、重しのように居座るこの怒りが消えてくれない。


「なら、やろうよ。……ああ、いや、キアちゃんが直接手を下すのが嫌なら――」


「和解しました」


「――なんだって?」


「勇者様とは、和解、しました……」


 直後、フェードから殺気が溢れ出る。


「――っ」


 思わず、後退あとずさる。


「ごめん、聞こえなかった。もう一度お願いして良いかな?」


 後退った分、フェードが距離を詰める。


「わ、和解、し――」


「出来るはずないよね? 妹を殺されたんだからさ」


 視線が泳いだその一瞬で、フェードは目前まで迫っていた。


「ひっ……!!」


 離れようとするキアの腕を、フェードは優しく掴む。優しく掴んでいるはずなのに、まったく外れない。


「え、何? 股でも開いた? 勇者に群がる売女ばいたみたいに、身体でほだされちゃったの?」


「……っ、そ、そんな事! するわけないじゃない!」


 失礼な事を言われ、恐怖も忘れて声を荒げる。


「じゃあどうして? なんで和解なんてしてるのさ? 僕を頼った君が、僕になんの相談も無しに」


「だって……貴方はこの街の人も、殺すつもりなんでしょう……?」


「そうだよ」


「……わたしは、そこまでしてほしいなんて言ってない」


「うん、そうだね。そこは僕の事情だ。君は気にしなくて良い」


「無理に決まってるでしょ!? 無関係の人を巻き込んで……貴方それで平気なの!? それじゃあやってる事が貴方の嫌ってる勇者と同じなのよ!?」


 キアの言葉に、一瞬フェードの表情が歪む。


 けれど、ほんの一瞬の事。直ぐに、取り繕う。


「同じなんかじゃないさ。勇者は悪意も無く人を傷つける。自覚も無く人を不幸にする。けど、僕は違う。僕は僕のする事の意味を考えて行動してる」


「考えたうえで、街の人を皆殺すの? 街に火を着けるの?」


「ああ」


 キアの言葉に、フェードは何の躊躇ためらいも無く頷く。


 頷くフェードを見て、キアは思う。


 フェードに何があったのか分からない。キアの過去と勇者との確執をフェードは知っているけれど、フェードの過去と勇者との確執をキアは知らない。けれど、これだけは言える。


 フェードの過去はキアなんかとは比べ物にならない程重く、確執は凝り固まって最早ほぐす事は出来ない。


 それほどまでの憎悪を、フェードから感じる。


 言葉は通じる。けれど、思いが通じ合えない。


「……分かった……」


 一つ、キアは頷く。


「君は、もう救えない」


 続いた言葉は、キアのものでは無かった。


 フェードはキアを掴んでいた手を離し、後方へ飛び退く。


 直後、フェードが立っていたところに剣が振り下ろされる。


「いきなり切りかかるなんて危ないなぁ。勇者ってのは野蛮でいけないや」


 切りかかられたにも関わらず、フェードは飄々とした態度を崩さない。


 フェードに切りかかってきたのは、勇者リュート。


リュートはキアを庇うように立ち、フェードに剣の切っ先を向ける。


 リュートが来る事は分かっていた。何せ、キアが和解したと言ったのだ。であれば、自身やこの街の一番の危険因子として勇者リュートが放っておくわけが無い。


「……最初は何かの冗談かと思ったけど、どうやらそうでもないみたいだね」


「この街を燃やす事? それとも、お前を殺す事?」


「それも含めてだ。俺がこの街に来た本当の理由は……君だよ、勇者殺しブレイブ・スレイヤー


 勇者殺しブレイブ・スレイヤー。それは、フェードが勇者やその関係者に付けられた渾名あだなだ。


「クッソダサい渾名だなぁ……ていうか、自分の事勇者とか言うの本当に痛いよ。寒気がするっていうか、鳥肌が立つって言うか――」


 言い終わる前に、フェードに向けて幾つもの水球が迫る。


 フェードはふらふらとした足取りながらも、危なげなくそれを躱す。


 水球は地面を抉り、水飛沫と砂礫されきを巻き上げる。


「あーあ、酷いなぁ。誰が直すと思ってるのさ」


「街を燃やそうとしたあんたには言われたか無いっつうの!!」


 文句とともに、水球が迫る。


 フェードは先程と同じようにふらふらとした足取りでそれを避け――


「――ッ!?」


 ――ていたにも関わらず、背中に鋭い痛みが走る。


「んのぉッ!!」


 振り向きざまに拳を振るう。


 しかし、フェードの振られた拳は空を斬るだけだった。


「くそ…………がぁッ!?」


 背中を向けた途端、水球が容赦無く叩きつけられる。


 フェードが躱せていたのは、向こう側に当てるつもりが無かったからだ。そもそも、水球はブラフであり、本命は気配を消した背後からの一撃だった。


 水球の勢いにやられ、フェードは無様に地面を転がる。


 しかし、転がる勢いを利用して立ち上がり、四人・・を視界に捉える。


「思うんだけどさ、喋ってる途中に攻撃するのはいかがなものだろうか?」


「君に油断なんて出来ないし、隙を逃す事も出来ないね」


「直接戦おうって気概も無いあんたには言われたくないわよ!!」


「ですです!」


 いつの間にか姿を現わしていた勝気な少女と獣人の少女が言う。


 これで三人。キアを入れて四人。だが、あと一人足りない。


 フェードは周囲を警戒しつつ、三人に注意を向ける。


「人間、楽な方に行きたくなるのは当然じゃないかなぁ? 僕ぁ戦うのがそんなに好きじゃ無いから、今回みたいに手早く済ませたくなるんだよ」


「手早く人の命を奪われてたまるか。君は、自分のしてる事の理不尽さが分からないのか? 俺達勇者と仲良くしたってだけで人の命を奪おうだなんて」


「その言葉そっくりそのままお返ししよう。君は自分のしてきたことの罪の重さを理解してるのかい? 君が選びさえしなければ、平穏な日々を送れた人達の事を考えた事があるかい?」


「……っ、それは……」


 フェードの言葉に、リュートは動揺を見せる。


 動揺するという事は、キアから全ての事実を聞かされたのだろう。


 このまま言葉で畳みかけようとしたその時、リュートを庇うように二人の少女は前に出る。


「確かにリュートのしてしまった事は許される事じゃ無いわ! 知らなかったとはいえ、多くの人を不幸にしてしまったのだもの!」


「ですが、それ以上に多くの人を幸せにしたです! リュート様が悪く無いとは言いませんが、それでも、リュート様を騙した人達の方が何倍も悪いです!」


「セシア……オーラ……」


 二人の少女の言葉に、リュートは安堵したように表情を緩める。


 自分のした事の罪の重さを知ってもなお、味方をしてくれる事を知って安堵したのだろう。


罪を認め、それを許すというのは生半なまなかな意思では出来ないだろう。


 人とは、一度の過ちでその人への心象が大きく変わる。そう簡単に許せない人、その罪を認めた上で許容する人、そんな事など関係無いと妄信する人。人々の反応は様々だ。


 けれど、二人はリュートの罪を認め、リュートを受け入れると言ったのだ。


 二人は知っている。リュートが旅をした中で、どれだけの人を救ってきたのかを。それこそ、死地にあった村を救い、伝染病の蔓延する街を救い、不治の病と言われたたっとき人も救った。


 犯した罪よりも、リュートはそれ以上の成果を上げてきた。


 だからこそ、二人はリュートを受け入れた。リュートが救ったものを、何度もその目で見て来たから。


「大丈夫よ、あんたのしてきた事に自信持ちなさい! 犯した罪は消えなくたって、償う事は出来るんだから! アタシ達がリュートが納得いくまで手伝ったげる!」


「ですです! 一緒に頭下げるです! 許してもらえるように、頑張るです!」


「……ありがとう、二人とも……」


 二人の心温まる言葉に、リュートは目に薄らと涙を浮かべながらお礼を言う。


「くっせぇお涙頂戴だなぁ。反吐へどが出そうだ。おえっ」


 しかし、フェードは美しい仲間達の絆に泥を塗る。


 取り繕う事も止めたのか、口調は先程よりも荒い。


「あんた、本当に性根が腐ってるわね……!」


「ああ、ああ、そりゃ腐るさ。こんな世界だ、腐らない奴の方が少ないんじゃないのか? ていうかお前等勇者が腐らせてんだろ? そこに罪の意識とか無い訳?」


「罪の意識があるから、リュート様は心を痛めてるのです! 貴方こそ、心無い言葉で人を傷つける事に罪の意識が無いのですか?!」


「無い」


「なっ!? 貴方に人の心は無いのですか!?」


「お前等こそ人の心なんてありゃしないだろ。世界のゴミ風情がさかしらに人間ぶってんじゃねぇよ」


 心底見下したように放たれたフェードの言葉に、勝気な少女――セシアは怒り心頭とばかりに顔を真っ赤にする。


「~~~~~~~~っ!! あったま来たぁ!! リュート、こいついったんぼこぼこにしてやりましょ!! こういう奴はね、一回痛い目見なけりゃ分かんないのよ!!」


「ですです!! ふるぼっこにしてやるです!!」


 猫耳の少女――オーラも、耳と尻尾の毛を逆立てて同調する。


「……ああ、そうだね。俺の罪は俺が解決する。悪いけど、君の私刑にかかる訳にはいかないんだ」


 そう言うと、リュートは下がり気味だった剣の切っ先をリュートへと向け直す。


「悪いけど、倒させてもらう。話は、それからだ」


「話す事なんざ無い。普通に死ね」

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