第15話

 砦の陥落。それに加えて、聖女達の解放。それが、ハクアの目的。


 そう言われても、ヘンリー――ヘンリエッタ・F・モースキンは簡単に信用する事はできなかった。


 ヘンリエッタの人生は裏切りで彩られている。


 両親に裏切られ、仲間に裏切られ、領民に裏切られた。


 その裏切りの最果てが此処だ。


 此処まで来てしまえば、同じ境遇の聖女達しか信じる事が出来なくなっていた。


 とりわけ、男なんて信用が出来ない。此処にいる男ども含め、男は皆けだものだ。嘘に塗れ、欲に塗れ、色に塗れる。少し喋るだけの、ただの獣だ。


 目の前の少年も、ヘンリエッタにとっては他の男と変わらない――はずなのに、少年からはけだもののような荒々しさが見受けられなかった。しかし、荒々しさは無いけれど、何処か恐ろしいものを感じる。


 人とは違う、何処か超越的な何かを……。


 だから、警戒する。他の男達と違うと理解していても、別の意味でこの少年は油断が出来ない。


「ま、そんな直ぐに信じて貰えるとは思ってないさ」


 警戒心丸出しのヘンリエッタを見て、ハクアは薄く笑う。


「ただ、僕は君達を助ける。それだけは約束しよう」


「……恩を売ろうって言うの? アタシ達はただの村娘や、家を追放されて何の後ろ盾のないのばかりよ?」


「恩なんて売らないさ。僕はね、商売が向いてないんだ。そんな僕が、恩なんて視認できない難しいものを売る訳無いだろう?」

「じゃあ何が目的なの? アタシ達を助けて、あんたに何の得があるの?」


 そんな物、有る訳無いでしょ? とでも言いたげな顔をするヘンリエッタに、ハクアはふふっと笑みを漏らす。


「何がおかしいの?」


「いや、損得で言ったら、君達はこの話を蹴る事に得があるのかなって思ってさ」


 すっと目が細まる。


 笑っている。確かに、ハクアは笑っている。なのに、感じるのは安堵ではなく緊張。


 自然と、冷や汗が身体を伝う。


「……っ」


「此処はまごうことなき地獄だ。君達は犯され、殺され、まるで物のように扱われる。そして、それが許されている。ねぇ、エルシャ。此処は天国かい? 此処に居て、君は幸せかい?」


 ハクアが問えば、エルシャはふるふると力無く首を横に振る。


 他の聖女達に視線を向ければ、皆俯くか同じように首を横に振るかだ。


「分かってるじゃないか。そう、此処は天国なんかじゃない。君達は、ずっとこの地獄に居たのかい?」


「そんな訳無いでしょ!!」


「なら考える必要は無いんじゃない?」


「いいえ考えるわ!! 貴方の手を取ってそれで幸せになるならそうする!! けどね、貴方の手を取ったら此処より最悪の地獄に送られる可能性だってあるわ!! だから考えるわ!! アタシ達に得があるのかどうか、あんたが信用できるかどうかをね!!」


 ハクアを睨みつけるヘンリエッタ。その目には知性の色があり、決して屈しない気高さがある。


 ああ、やはり僕の目に狂いは無かった。


 此処にいる女性達は皆学が無く、辺境の村々から集められたのが大半だ。けれど、一握り程、そうではない者も存在する。


 目の前の少女がその一握りだ。


 その賢さゆえに地位を奪われると思った家族から疎まれ、嵌められ、此処に送られてきた。


 その目には知性の輝きがある。産まれながらにして持ち合わせている気高さがある。


 周りの者は彼女をこの地獄に送り込めば、辱め続ければ、失意の果てにその生に終止符を打つと思ったのだろう。


 早計な判断だ。正直、見る目が無いと言わざるを得ない。


「うん、そうだ。生きるために、君達は考え続けなければならない。考える事が自分を追い詰める結果になったとしても、生きるためには頭を働かさなければいけない」


 それが、弱者が生き残るための唯一の方法。


 力無き者の力。


「だから、僕は君達へ判断材料を一つ渡そう」


「判断材料……?」


「ああ。とはいえ、直ぐに渡せるものじゃあない。そうだね。三か月時間をおくれ。三か月後に僕は君達に一つプレゼントを贈るよ。それで、どうするか決めると良い」


 ハクアがゆるりと立ち上がれば、ハクアが座っていた椅子はいつの間にか消え去っていた。


「そのプレゼントを見て、僕を信じる気になったら大きな声で僕を読んで。そうすれば、僕は即座に此処に来よう」


「……一つ聞かせて」


「なんだい?」


「そのプレゼントって、いったい何?」


 ヘンリエッタの当然の問いに、ハクアはにぃっと笑みを浮かべて答える。


「リュートの首」





 約束すると口にした訳では無いけれど、ハクアは心中で少女達に約束をした。だからこそ、ハクアはその約束を守らなければいけない。


さんたくろーす・・・・・・・なら夜にプレゼントを贈るんだろうけど、生憎と僕ぁそんな素敵な存在じゃ無いんだ。それに、あんまり時間をかけてもかわいそうだからね」


 独白をしながら、ハクアは豪邸の廊下を歩く。


 調度品の壺を壊し、絵画を破き、魔物の頭部の剥製はくせいを燃やす。


「っと、炎はまだダメだ。引火したらいけないからね」


 言いながらも破壊行動は止めない。手あたり次第、自由気ままに目に映る物を壊す。


 ハクアは知っている。此処にある調度品に歴史は無く、あるのは傲慢な異世界人のスキル・・・によって作られた出来が良いだけの、無駄にぜいこしらえられたただ美しいだけの代物。


 浅い。此処に在る物全てが浅い。


「ただただ浅ましいね。人も浅ければ物も浅いときたもんだ。村人の家の方が深みがある」


 歩きながら、要所要所に小さな壺を置く。


 ハクアの暴挙を止める者は誰一人としていない。


 全てが柔らかな絨毯に身体を沈め、身動きのとれない状態になっている。


 四肢を奪われ、舌を抜かれ、けれど、生かされ続けている状態。その状態にするのには、ちゃんと理由がある。


「あぁ、最後の一人が終わったんだね。ありがとう、アルテミシア」


 お礼を言えば、姿を消したアルテミシアがくるると鳴く。


「うん、こっちも必要な物は手に入ったよ。だから、次に移行しようか。アルテミシア、ヘンリーちゃん達へお使いを頼んでも良いかな?」


 ハクアがお願いをすればアルテミシアはくるると鳴いてから移動する。


「さて。キアちゃんにちゃんと届くと良いなぁ」


 豪邸から出て、ハクアは自身が破壊の限りを尽くした豪邸を見上げる。


「僕達の苦労はこういう形で報われる。幾ら一杯集めたって言っても、元々種火になる程度だ。だから、大きな爆発を起こす事は出来ない。勿論、街一つ燃やす事もかなわない。でもね――」


 ぱちん。


 乾いた音が響き渡った直後、豪邸の中から眩い光が放たれ、豪邸の隅から隅へゆっくりとその勢力を広げていく。


「――豪邸一軒を燃やし尽くす事は出来るんだよ」


 ハクアが置いた小さな瓶に入っていたのは、キアと一緒に集めた発火草だ。


 発火草の周りに油を撒き、物を破壊する事で火が燃え移りやすいように道を作る。


 瓶などを壊したのはついでだ。それを置いている木製の棚を壊したかったからに過ぎない。


 徐々に広がる炎は四肢を切り落としたこの豪邸の者達にも牙を向き、ゆっくりと彼等の命をむしばんで行く。


 絶叫も出せない。誰も助けには来ない。老若男女、全員皆殺しだ。


 炎は勢力を上げ、熱で硝子ガラスを割って豪邸の外へとその姿を見せる。


「いやぁ、よく燃えるねぇ」


 けたけたとおかしそうに笑いながら、燃え上がる豪邸から視線を外して砦がある方へと視線を向ける。


 そして、にやぁっと悪辣に笑みを浮かべる。


「聞こえたよ、ヘンリーちゃん。アルテミシア、繋げ・・


 直後、ハクアの姿がまるで初めからそこに居なかったかのように消え去る。


 残されたのは、街の中で唐突に燃え盛った豪邸だけ。


 街の者達が気付いた時にはすでに遅く、火の手は豪邸全てを包み込んでいた。


 さて、二つ。



 〇 〇 〇



 得体の知れない少年――リュートが現れてから早くも三か月が経過した。


 その間、プトリスの砦の聖女達は今までにない程健やかな砦生活を送っていた。


 リュートが消えて直ぐ、砦の内部は大騒ぎ。


書類が無い、兵士が居ない、今日雇われたはずの侍従も居ない。


 地上で大声で慌てている兵士達の声を聞いて、聖女達は最初は敵襲かと思ったけれど、それにしては自分達が呼び出されるのが遅い事に気付けば、何かトラブルがあったのだろうと覚る。


 兵士達の話に聞き耳を立てれば、以下のような事が分かった。


 聖女達に関する書類が全て消失している事。


 聖女達を捨てていた穴が突如として消え去っている事。


 数名の兵士が消息不明となっている事。


 事態を重く見たレカール公爵が勇者を一名派遣する事。


 一時、聖女達への暴行を中断する事。


 それ以外にも細々した事が分かったけれど、聖女達にとって大切だったのは自分達に行われていた暴行が中断となった事だ。


 凌辱とは、尊厳を奪う行為だ。それを好む程の被虐体質の者などそうはいないだろう。


 普通の感性を持つ彼女達は勿論そんな被虐体質ではない。毎晩行われる行為は心身ともに苦痛だった。


 それが、暫く中断されるとあれば、喜ばないはずが無い。


 暴力の中断は、この砦に勇者が来る事が理由だ。


 勇者は国の顔。その国の顔が、こんな犯罪行為を見過ごすはずが無い。


 要らぬ報告をされて国王との軋轢を生むのは面倒だし、他の貴族達に付け入る隙を与えたくはない。


 だからこそ、一度兵士達には大人しくさせる。今更娼婦を手配するのはいらぬ勘ぐりを呼ぶので、娼婦の手配はしない。


 兵士達の不満は溜まるだろうけれど、それも少しの辛抱だ。


 欲気を満たすために食事を少し豪華にし、酒の量も増やす。


 性欲を満たせない分、他の事で補うしかない。


 勇者滞在の間は、多少柄が悪く見られようとも、不祥事さえ起こさなければ良いのだ。


 そんなレカール公爵の意図もあり、聖女達はこの三か月間平穏に過ごす事が出来た。


 けれど、それは砦の内部に限った話だ。


 兵士達の暴行が無くなったとしても、魔族は相も変わらず襲撃してくる。


 その度に出撃しては、何人も命を落とした。


 自殺を選ばなくとも、聖女達が死に行く可能性は十分に存在するのだ。


 仲の良い者が死に、新しい聖女達が入って来る。


 彼女達は暴力を受けた事が無い。だから、牢屋暮らしに不満たらたらだけれど、状況を全て説明すれば青褪めた顔をした。


 聖女達が未だに牢屋に居るのは、単に居住スペースの問題だ。人手が多いので、聖女達にあてがう部屋が牢屋くらいしか無かったのだ。


 勇者には聖女達が自ら進んでこの場所を選んだと説明をしている。彼女達も口裏を合わせるように言われているので、大人しくそれに従っている。勇者に話したところで、真偽の測れない言葉を鵜呑みにするとは思えない。


 それに、彼女達は勇者によってこの地獄に運ばれた。少なからず、勇者という存在に否定的な感情を持っている。


 けれど、何もしないままではいずれまた同じ日々が彼女達には待っている。


 しかし、彼女達に出来る事は少ない。


 魔法は治癒魔法しか使えない。攻撃魔法なんて、習ったことが無い。


 武器だって、握った事が無い。そもそも、武器なんて手に入らない。


 それに、戦闘時以外は封魔の枷という魔法具マジックアイテムで魔法を封じられているので魔法を使う事が出来ない。


反逆の芽は、丁寧に潰されているのだ。


 歯痒い思いをしながら、日々が過ぎて行く。


 ヘンリーは何か出来ないかと必死に考えを巡らせるも、その全てが現実的ではない事から実行が不可能。


 業腹だが勇者に頼る事も考えたけれど、勇者がレカールに取り込まれた場合のリスクが大きいためにそれも出来ない。


 それに、勇者の背後が不透明過ぎて信用できない。


 彼の後ろに誰がいるのかが分からなければ、迂闊に手を出す事が出来ない。


「……なんとかしないと……っ」


 苛立ちながらも、ヘンリエッタはずっと考えを巡らせる。


「落ち着いて、ヘンリー」


「エルシャ……」


「大丈夫。あの方が、きっと助けてくれるから」


 にこりと優しい笑みを浮かべるエルシャ。


 目は戻ったけれど、リュートとの接触を疑われてしまうので、エルシャは右目を隠している。


 エルシャは、リュートから右目を受け取ったあの日から、信奉すべき神を見付けた聖職者のように落ち着き払っている。


 他の娘が心配そうにしている時も、傍に寄って優しく言葉をかけている。


 その姿こそ正しく聖女のようだったけれど、ヘンリエッタには狂信者のように見えてならなかった。


 時折、彼女は右目に手を当てて嬉しそうに笑みを浮かべる。


「ああ、また悪を正したのですね……」


 嬉しそうに、穏やかに、エルシャはそう言葉を漏らす。


 一度何のことを言っているのかと問えば、エルシャは心底嬉しそうに答えた。


「わたしの右目はあの方と繋がってるの。だから、あの方の今が見える。今日もまた、悪をその手で征伐したのよ」


 彼女の言う悪に察しがつかない程ヘンリエッタは馬鹿ではない。


 彼は、リュートは勇者を下したのだ。あの強く、理不尽な勇者を。


「ふふ、もうすぐよ。もうすぐ。もうすぐでこの地獄も終わるわ。ねぇ、ヘンリー、皆。後少しの辛抱よ。皆で、あの方の再臨を待ちましょう」


 エルシャはまるで教導者のように言葉を紡ぐ。


 そんなエルシャを見て、ヘンリエッタは自身の敗北を知った。


 もう手遅れだ。こうなる事を、リュートは知っていたのだ。だからこそ、エルシャに目を与えた。あの奇跡のようなパフォーマンスの数々を披露したのだ。


 ヘンリエッタにエルシャの説得は出来ない。説得する材料を持っていない。何より、エルシャの言葉に耳を傾け始めている自分がいるのだ。


 あの男は、拠り所としては十分過ぎたのだ。

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