第3話

 それから、数日間は山に出て発火草を摘んだ。


 依然として発火草を何に使うのかをフェードは教えてくれない。


 ただ漠然とした不安だけが、キアの心の中に渦巻く。


「いやー、今日も大量大量! 雑草並みに生えてるね!」


 嬉しそうに、楽しそうに、フェードは言う。


 ここ数日、キアはフェードを注意深く見てきた。


 正直な感想を言うのであれば、得体が知れない。


 キアが余計な事を言わなければ、明るく陽気な少年のままで、本当に殺せるのかどうかなどをちらりとでも漏らせば、普段の陽気さから考えられない程の威圧感を放ってくる。


 フェードの本心が、フェードの本質が見えない。


「ん、どうしたのキアちゃん? 疲れちゃった? おんぶする?」


「いえ……」


 言うか、言うまいか。


 少し迷ってから、キアはフェードに訊ねる。


「……これ、何に使うんですか?」


「ああ、これ?」


 にひっと柔らかな笑みを浮かべるフェードは、いつもの調子で言った。


「燃やすためだよ、全部」


「全……部……?」


「うん、全部」


 言って、フェードは壺の中から発火草を一枚取り出し、ふうっと息を吹きかける。


 それだけで、発火草は葉よりも大きな炎を上げる。


「これ、火種としても使えるけど、一つで充分な火力が出せるんだ。そんな物がこの壺一杯に入ってる。それが、後十二個ある。十二個もあればさ、結構な火力になると思わない?」


「そ、それを……何に使う、つもりですか……?」


「だから、さっきも言ったでしょ? 全部燃やすんだよ」


「だから! 全部って何を――」


「この街全部に決まってるだろ? 一片も残さず燃やすんだよ」


 笑みを浮かべながら、さも当然と言った顔で言い放つ。


「僕ぁ勇者が嫌いだよ。それと同じで、勇者を是とする者が嫌いだ。この街には、勇者を嫌ってる奴が一人もいやしないんだ。だから、安心して燃やす事が出来るんだよ」


 にこにこと嬉しそうな笑み。


「わ、私……そこまでしてほしいなんて……」


「キアちゃんの思惑とは外れちゃうね。けど、仕方ないよ。これも勇者を殺すためなんだ。他の人は運が無かったと諦めて貰う他無いね」


 運が無かった。その言葉を大勢の人を殺す免罪符にする目の前の男に、キアの背筋は粟立あわだつ。


 頼る相手を、間違えた。非常に遅まきながら、キアはその事に気付く。


「……わ、わたしは……」


「うん? どうしたの?」


 一歩、二歩、キアは後退あとずさる。


「わたし、そんな事――」


「望んでない? うん、知ってるよ」


 瞬き一つ。その間に、フェードはキアの目前に立っていた。


「ひっ……!!」


 キアは怯えたような声を上げて、勢い任せに後退る。


「えぇ、酷いなぁ……その反応は傷付くよぉ」


 言葉とは裏腹に、フェードはまったく傷付いた様子も無い。こんな事で傷付くような者が、勇者とは無関係な人間を大勢殺そうとは思わないだろう。


「大丈夫だよ、キアちゃん。やるのは僕だ。僕が全てる。キアちゃんは、それを見届けるだけで良い」


 すっと、キアの頬に触れる。


 温かいはずの指はひんやりと冷たく、まるで凍土の冷気をそのまま宿しているかのような……。


 恐怖による錯覚か、それとも本当に冷気を宿しているのか。宿していたとすれば、フェードは最早人間ではない。人間は、こんなに冷たくはない。


 冷たい指が、すっとキアの頬を撫でる。


「頑張ったね。泥が付いてたよ」


 にこっと優しく微笑み、フェードは自身の指に付いた泥をキアに見せる。


「さ、帰ろう。あんまり遅くなっても面倒だからね」


 笑顔で言って、フェードはさっさと歩いていく。


 そんなフェードの背中を、キアはただ眺めている事しか出来ない。


 無理だ。無理だ。あれは化物だ。あんなもの、どうすれば……。


 間違えた。私は、また間違えた……。


「ごめんね……っ。ごめんね、ミア……っ」


 自身の身体を抱きしめ、涙を浮かべて謝る。


 自身が死へと導いてしまった妹。可愛い、たった一人の家族だったのに。


「お姉ちゃん、また、間違えちゃった……っ」





 キアは貧しい村に生まれた、ごく普通の娘だ。


 早くに両親を亡くし、妹のミアと助け合いながら生活をしていた。


 二人の生活は酷く貧しく、毎日薄いスープと堅いパンしか食べられず、衣服だって継ぎ接ぎだらけでぼろぼろだ。町娘が着るような、仕立ての良い服など一度も袖を通した事が無い。


 夏季は熱く、冬季は凍える様な寒さに襲われる。雨風を凌ぐだけの、簡素な家。


 特別、キア達が貧しかった訳では無い。村全体が貧しく、どこも同じような生活だ。だから、特に周囲を恨むことは無かった。


 そもそも、周囲を恨んだり、羨んだりする程の余裕は無かった。


 日々を生きるだけで精一杯。今日を生きて、眠りから目覚めて愛しい妹が生きているという生活だけで、キアは満足だった。


 日々貧しく、それでも隣り合う妹がいるだけで幸せだった。


 そんな日々に、転機が訪れた。


 ある日、村人全員が村の広場に集められた。広場と言っても、そんなに広くはなく、三十人程の村人が集まって宴会を出来る程の広さだ。と言っても、宴会などしたことも無いけれど。


「ねぇ、何があるのかな?」


「さぁ、なんだろうね」


 不思議そうに小首を傾げるミアに、けれど、キアは答えを持ち合わせていない。


 疑問を抱えたまま、キアを含めた村人達はざわざわと落ち着かない様子で沙汰を待つ。


 村人達の前に立つのは、王国の騎士と彼等が守護するように囲う一人の少年。


「静まれ!! これより、勇者リュート様による、聖女選定を行う!!」


 聖女選定。その言葉を聞き、村人達の騒めきは更に大きくなる。


 聖女。それは、絶大な癒しの力を持つ清き乙女に与えられる称号だ。聖女は数いるけれど、その人数は少ない。世界中を探しても、両手に収まるくらいの数しかいないだろう。


 その聖女を、この貧しい村から選ぶというのだから、村人達が驚き騒めくのも無理からぬ事だ。


「村の十八以下の少女は前へ出よ!! その中から一人聖女を選ぶ!!」


 十八以下の少女。キアは十六、ミアは十四。二人とも、選定の対象だ。


「どうする、お姉ちゃん?」

「どうするって……」


 聖女になれるかもしれないと思ったとしても、別段キアは聖女になる事を望んではいない。


 選ばれなくても良いと思っているし、興味も無い。


「キア、ミア。せっかくだ、二人とも前に出なさい」


「おじさん……」


「そうよ。村から聖女が出るなんて名誉なことだわ! ささ、二人とも前に出なさい!」


 近所の壮年の夫婦が二人を前に押しやる。この村で十八以下の少女はキアとミアを含めれば四人しかいない。


 確率は四分の一。


「これで全員か?」


「はい。村の十八までの少女はこの四人になります」


「うむ。ではリュート様、選定をお願いします」


「わかりました」


 勇者リュートは一歩前へ出ると、四人の少女達を見た後に、両手を前へと出す。


「スキル、選定発動」


 リュートの突き出された掌の前に魔方陣が浮かび上がる。


 魔方陣から光が流れ出て、その光は一人の少女の元へと向かった。


「え、わたし……?」


 光はミアを包み込み、ミアの中へと消えて行った。


 光がミアの中へ入り込むと、一人の騎士が声高に宣言する。


「今、勇者リュート様により一人の聖女が選定された!! 祝え、聖女の誕生を!!」


 騎士の宣言の後、周囲の者は遠慮がちにミアへと拍手を送る。祝えと言われたところで、どう祝福すれば良いのか分からない。そもそも、聖女に選ばれたと言われても、実感が湧かない。


「どうしよう、お姉ちゃん……」


 ミアが困った顔をしてキアを見る。


 困った顔をするミアに、キアは優しい笑みを浮かべる。


「大丈夫よ。聖女に選ばれたって事は、ミアは今よりも良い暮らしが出来るって事よ? 大変かもしれないけど、今の幸せな人生を歩む良い切っ掛けになったんじゃない?」


「お姉ちゃん……」


「頑張ってらっしゃい。お姉ちゃんの分も幸せになって、良い旦那さん見つけるんだよ?」


 言って、優しくミアを抱きしめる。


 本音を言えば、行ってほしくはない。けれど、この貧困生活から抜け出す事が出来るのであれば、それに越したことは無いと思った。


 貧しい毎日はキアにとっては不幸では無いけれど、かといって幸福かと言われればそういう訳でも無い。


 平坦へいたんであって、取り立てて起伏のある日々ではない。


 キアは贅沢を知らない。幸福を知らない。肉の入ったスープも、頬が落ちる程甘く美味しいお菓子も、柔らかな感触のパンも、美しい服も、綺麗な装飾品も、温かい家も、賑やかな街並みも、何一つ知らない。


 キアが知らない事を、ミアには知って欲しい。ミアにはたくさん幸せになって欲しい。姉として、素直にそう思う。それで自分が一人になったとしても、ミアは幸せになって欲しい。だって、せっかくその機会があるのだから。幸せに、手が届く位置にいるのだから。


「……うん、分かったよ、お姉ちゃん」


 泣きながら、ミアはキアの背中に腕を回す。


「では、即日出立だ! 直ぐに準備をするように!」


 しかし、姉妹の感動の場面を騎士は無情な言葉で無理矢理打ち切る。


「え、もうですか? せめて、一日だけでもミアと――」


「時間が無いのだ!! こうしている間にも魔族は我々を虐げている!! 直ぐにでも、聖女の力が必要なのだ!!」


 キアの言葉に被せるように、騎士は怒声に近い声音でキアに言葉を叩き付ける。


 その時点で、キアは少しだけ不審に思った。


「分かりました。直ぐに準備します」


「ミア……」


「大丈夫だよ、お姉ちゃん。わたし、頑張るから!」


 ミアが両手を握り締め、元気な声で言う。


「うん……頑張ってね、ミア」


「うん! それじゃあ、荷造りに行こう、お姉ちゃん!」


「ええ」


 頷き、キアはミアに手を引かれて自宅へと向かう。


 ミアのやる気に、ミアの幸せへの道行きに、ケチを付けたくなかった。だから、気のせいだと思う事にした。


 声を荒げているのは、それだけ切羽詰まった状況だったからだと。それだけ、魔族との戦いが激化しているからだと。そう思う事にした。


 実際、風の噂で魔族との戦いが激化しているという事は知っていた。だから、そう思えば違和感は直ぐに無くなった。


 けれど、それが間違いだった。キアはもう少し、違和感を持つべきだったのだ。


 ミアが旅立ってから、暫くの間はミアから手紙が届いた。


 聖女として頑張っている事。同じ聖女の仲間が居て、ともに助け合っている事。


 戦場は負傷者が多く、毎日負傷者を治している事。


 怖い思いをして大変だけれど、国のため、人々のために戦える事が誇らしい事。


 そんな事を手紙に書いて送って来てくれていた。


 ミアは字が書けないから代筆を頼んでいたのだろう。代筆もお金がかかる。お金をかけてまで手紙を送ってくれたことは素直に嬉しかったけれど、少しだけ申し訳ない気がした。


 もっとも、聖女として働くミアにとって、代筆分のお金はさしたる負担にもならないのだろうけれど。


 キアも字を読むことが出来ないので、村で唯一読み書きが出来る村長に読んでもらっていた。村長はキアやミアの事を気にかけてくれていたので、一緒に手紙を読んでは嬉しそうに笑みを浮かべていた。


 ミアの手紙を楽しみに、キアは日々を生きていた。


 ミアから貰った手紙を少しだけ頑丈な木箱の中にしまって、暇さえあればミアからの手紙を読んでいた。


 けれど、手紙の頻度は段々と減っていき、ミアからの手紙はついにぱたりと来なくなってしまった。


 手紙の頻度が少なくなっていくのは、仕方のない事だと思う。ミアは聖女として頑張っているのだ。疲れて手紙を書いてもらう暇もなくなってしまったと思えば、寂しいけれど仕方のない事だと思えた。


 けれど、今までまめに手紙を送ってくれていたミアがぱたりと手紙を送らなくなったことは不自然に思えた。手紙が書けなくなるなら、そう手紙に書けばいい。心優しいミアならば、手紙を送れなくなる事くらいは手紙に書くだろう。


 それが何も無い。いつもみたいな手紙を寄こしてきて、そこからぱたりと音信不通になってしまったのだ。


 流石に、心配になった。


 手紙が来ないのは何かの手違いで、ミアは今も戦場で頑張っている。そう思ってはみたものの、やはりミアが心配だった。


 キアは少ない路銀を握り締め、村を出る事を決意した。


 もしかしたらキアがいない間に手紙が届くかもしれない。そうしたら、完全に取り越し苦労で、ただの無駄足だ。それならそれでいい。ミアが無事であるならば、それで良い。


 キアはそれだけを確認したくて、ミアの元へと向かった。


 幸い、ミアのいる場所は分かっている。手紙にもどこで働いているのか書いてあった。王国と魔族の国の国境の砦になるので、日数はかかるけれど、ミアの無事を思えば歩き続ける事が出来た。


 けれど、それが間違いだった。知らなければ良かった。歩かなければ良かった。ただ無事を祈ってるだけの愚昧ぐまいであればよかった。知らなければ良かったと、切実に思ったのだ。

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