第4話

 ミアに会いに、キアは途方も無い距離を歩いた。


 本来なら馬車を使っても一月ひとつきかかる距離を、キアは休憩を挟みながらも徒歩のみで向かった。


 本当であれば馬車を使いたかったけれど、乗合馬車ですらキアには払っている余裕はない。少ない路銀は飢えと渇きを凌ぐためのものだ。後は徒歩で向かうしかない。


 途中で日雇いの仕事をして路銀を稼ぎ、夜は魔物除けの香を焚いて街の外の外壁に寄りかかって眠った。


 宿をとるお金は無い。眠るときは、いつも地面の上だった。


 同じような事を考えている者は他にも居て、キアと同じように日雇いで食べている者は街の外で眠っていた。


 貧民街スラムがある街は少ない。異世界人の叡智えいちによって、生活水準は格段に上がり、殆どの街が潤っていたからだ。


 家も無く、その日暮らしをしている者達はその街の住民にとっては見栄えが悪い。だからこそ、街に入る事は許しても、街の中で眠る事は許されない。宿をとるのならば良い。けれど、そうでないのならゴミ・・を外に出したままだと街の景観を乱す。


 日雇いの者達はそうして夜は街の外へと追いやられる。


 本当であれば街の外にも居てほしくはないみたいだったけれど、日雇いの彼等でしか出来ない仕事もある。そのため、彼等が街の外で眠る事を容認している。


 どぶさらい。害虫駆除。市街地の清掃。そういった仕事は、全部日雇いの者が行っている。


 だから、どの街に移っても、仕事の内容は変わらなかった。その日を生きるために必要な最低賃金のみを貰い、夜は魔物の危険がある街の外で恐怖と戦いながら眠る。


 魔物除けの香は数人でお金を持ち寄って買った。日陰者同士、助け合った。そうしなければ生きていけなかったから。


 仲良くなった人も居た。反りが合わない人も居た。いい値の仕事に目が眩んで、危険な仕事を受けて亡くなった人も居た。栄養が足りず、餓死した人も居た。


 人は、あまりにも簡単に死んだ。


 明日は自分かもしれない。キアは震えながら夜を過ごした。


 本当は直ぐにでも村に帰りたかった。村に帰れば村長がいる。優しい村民がいる。住み慣れた家がある。


 けれど、そこにはミアが居ない。ミアの無事を確認するまでは、家には帰れない。


 ミアを思って、キアは日々を生きた。


 質の悪いものを食べてお腹を壊す日もあった。街の人に石を投げられた事もあった。強姦されそうになった事もあった。


 今思えば、運が良かった。力も、金も無い女の一人旅。カモにされなかったのは、幸運だった。いや、不幸中の幸いだったのだろう。


 どちらにせよ、日々を生きるので精いっぱいだったキアはそんな事にも気付かぬまま、ミアが派遣された防衛戦線の基地、プトリスの砦へとたどり着いた。


 どれだけかかったのかは憶えていない。その日を生きる事に必死で、経った日数など数えていなかった。それでも、季節が一つだけ動いたのは分かった。


 牛歩でも、ようやっとたどり着いた。


 キアははやる気持ちを抑え、砦の門番に声をかける。


「あ、あの……」


「ん、なんだお前は?」


娼婦しょうふ、では無いな。それならもっと身綺麗だ」


「なんだ。なら物乞いか。お前みたいな薄汚い奴にやる物は無い。とっとと失せろ」


 キアの話も聞かず、門番は煩わしそうに高圧的な態度で言う。


「いえ、私、物乞いに来たわけでは……」


「あ? ならなんだ?」


「妹を……ミアという聖女をご存じありませんか?」


「そんな大事な事をお前みたいな浮浪者に教える訳無いだろ。良いからとっとと失せろ!」


 苛立たし気に言うと、門番は槍の石突いしづきで鳩尾みぞおちを乱暴に突く。


「うぐっ……!!」


 痩せたキアの身体ではろくに衝撃を吸収できず、その場に蹲ってしまう。


「邪魔だよ! さっさと消えろ!」


 蹲るキアを蹴り飛ばし、門番は門の前からキアを退かす。


 槍で突かれただけでも動けなくなるのに、その上身体を手加減なしに蹴られてしまっては暫くは動けない。暫く蹲った後、キアはフラフラとした足取りで砦から離れた。


 千鳥足で歩くキアを馬鹿にしたような声が聞こえてくるけれど、そんな事ではめげていられない。


 どうにかして、ミアの事を聞き出さなければいけない。


 いったん近くの街に戻り、日雇いの仕事を受けながら考える事にした。


 日雇いの仕事は冒険者ギルドと呼ばれるところで受ける。冒険者という魔物を狩ったり要人を警護したりと傭兵まがいの事をする者達を統括する場所であり、浮浪者にも仕事を与える珍しい場所だ。


 この旅で、キアは少しだけ文字が読めるようになった。珍しく文字を読める浮浪者がキアに文字を教えてくれたのだ。


 だから、多少は読める。


 掲示板に目を向け、その日の仕事を探していると、とある依頼が目に入った。


『急募。プトリスの砦の従事者。経験不要。誰でも応募可』


 内容を見る事は無かった。キアは誰にも取られまいとその紙を乱暴に取ると、受付カウンターに並んだ。


 経験不要。誰でも応募可。それなら、キアでも良いはず。


 街で少し仲良くなった浮浪者が教えてくれた。そういう話には裏がある。仕事が大変だったり、危険な仕事だったりすると聞いた。


 けれど、それがどうした? それでミアに会えるのであれば、キアはどんな苦行にも耐えてみせる。


 今までだって耐えられた。今回だって耐えられるはずだ。


 周囲の者が憐れむような眼をキアに向ける。何か知っているのだろう。けれど、どうでも良い。今は、直ぐにでもミアに会いたい。


「ねぇ、君」


 受付に並ぶキアに、不意に声がかけられた。


 平凡な顔の少年。彼は訳知り顔をして、キアの持つ依頼書を見る。


「それ、やめた方が良いよ」


「おい、止めとけって」


 キアを止める少年を、周囲の者が肩を掴んで止める。


「悪い嬢ちゃん。こっちの事は気にしないでくれ」


 少年を止めた壮年の男性は、少年の肩を掴んでキアから離れて行った。


 正直、彼の行動はとてもありがたかった。訳知り顔の少年からはこの仕事がいかに危険かといったご口舌を聞かされたことだろう。そんな分かり切った事なんてどうでもいい。聞くだけ時間の無駄だ。


 キアの意識はすでに少年に無く、忌々しくも並ぶ人の列に向けられている。


 早く。早く。なんでこんなに遅いのだ。ただ依頼を受けるだけだろう?


 そんな苛立ちを覚えながらも、ようやっと回ってきた自分の番。


 キアは自分の番になるなり、依頼書をカウンターに叩きつけるように置いた。


「これ、受けます」


「か、かしこまりました……では、この依頼書を持って先方へと向かってください」


 受付嬢は引き攣った笑みを浮かべる。キアの気迫にか、それとも、キアの薄汚れた見た目にか。


 どうでも良い。ギルドの判子が押された依頼書を持って、キアは早足に砦へと向かった。





「なぁおい。お節介は止めとけよ」


 平凡な顔の少年は、壮年の冒険者の男に苦言を呈されていた。


「あの仕事は確かにやべぇ。だからこそ、あれに関わる事もしねぇ方が良い。この街じゃ常識だぜ?」


「そうなんですか? 僕、今日此処に来たばかりなんですよね」


「なら知らなくても仕方ねぇか。あの仕事はな、此処の領主様、つまりは公爵様が出してんだ。魔物との戦線を支えてる最高責任者だ。その方の出してる依頼にケチつけようもんなら、衛兵がすっ飛んでくるぞ」


「へぇ……そうなんですね」


「反応薄いなぁ、おい」


「いえいえ。これでも驚いてますよ。肝を冷やしてたんですよ」


 男の言葉に苦笑を浮かべる少年。その顔は、心なしか青褪めているように見える。


 冒険者は舐められたら終わりだ。必死に取り繕っているのだろうと考えた男は、少年の青褪めた顔を見なかった事にしてやる。


「まぁ、お前の判断は間違ってねぇ。実際、やべぇって話だ」


 声を潜めて、周囲を警戒しながら男は言う。


「あの依頼書は何度も出てる。それこそ、見ない日がねぇくらいだ」


「毎日出てるんですか?」


「ああ。今日みたいにさっさともってっちまえば、この後来た奴らは見る事はねぇが、明日にはまた張り出されてるんだ」


「それって、戦線じゃそれだけ人が足りてないって事ですか?」


「違ぇよ。人員に不足はねぇ。人員が不足してたら、不足分の人員の行軍が見られるし、そんときゃこの街で戦士達に戦前の宴が開かれる。勇者様のおかげで、戦線は維持できてる」


「では、どうして? 恐怖に耐えかねて、従事者が辞めてしまってるのですか?」


 少年の問いに、男は答えるべきかどうか迷ったような顔をする。その顔は、周囲を警戒しているようにも見えた。


「……俺の口から言えんのは此処までだ。まぁ、だいぶやべぇって話だ。お前さんもこれ以上首突っ込まねぇ方が良いぞ」


 言って、男は足早に去って行った。


「従事者が不足してる砦、ね……」


 平凡な顔の少年は薄く笑みを浮かべ、冒険者ギルドを後にした。


 彼の後ろを静かな足取りで何者かが着いて行く。それに気付く者は、誰も居なかった。





 街から出て、急いで砦へと向かった。


 一分でも、一秒でも早くミアに会いたかった。


「あ? お前また来たのか?」


 息荒く舞い戻ってきたキアに、先程と同じ門番は苛立たし気な声音で言う。


 そんな門番に、乱暴に依頼書を見せる。


「仕事、です……!」


 乱れた息で、キアは言う。


 門番は一瞬呆けたような顔をした後、直ぐにいやらしい笑みを浮かべて大きな門の隣にある、人が通れるくらいの小さな扉を開く。


「なら中に入れ。ようこそ、プトリスの砦へ」


 キアは毅然とした態度で扉を潜る。


「はっ、馬鹿な女だな」


 そんな馬鹿にしたような言葉の後に扉が閉められる。


 他人の評価などどうでも良い。


 キアが歩き出そうとしたとき、近くに居た衛兵がキアの元へと歩み寄った。


「従者の仕事を受けに来た者だな?」


「はい」


「では着いてこい。仕事に入る前に身支度を整えて貰う」


「はい」


 確かに、この見た目では仕事など出来ないだろう。


 キアは従順なふりをして衛兵に着いて行った。


 通されたのは、一つの部屋。大きな桶に汚れた布。中途半端な大きさの石鹸が置いてあった。


「まずは身体を洗え。話はそれからだ。お湯は横の蛇口を捻れば出てくる」


 言って、扉が閉められる。


 キアは迷う事無く服を脱ぎ、蛇口を捻って桶にお湯を溜める。


 汚れた布をお湯につけ、汚れきった身体を洗う。


 水浴びはしてきたけれど、お湯で身を清めたのは初めてだ。


 街ではそれが普通らしいけれど、キアの住んでいた寒村では川から組んできた水で身を清めるのが普通だ。


 こんな贅沢をしているのなら、ミアは無事かもしれない。


 門番や衛兵は不愛想だけれど、お湯を潤沢に使えるのは余裕のある証だ。手紙を書けなかったのだって、何か理由があるのだろう。


 お湯で身体を洗っている内に、そんな安心感を覚えた。


 髪を洗い、身体を洗う。用意された石鹸も躊躇いなく使う。


 ミアは生きている。であれば、ミアに恥じないような身なりで働かなくてはいけない。こんな風に押しかけてしまったのだ。せめて、ミアに迷惑に思われないようにしなければいけない。


 そんな事を思いながら身体を洗っていると、ふと扉が開かれた。


 入って来たのは、先程の衛兵。


 思わず、身体を隠す。


「な、なんでしょうか? まだ、身体は洗い終わっては――きゃっ!!」


 言葉の途中、キアは衛兵に押し倒される。


「な、何を……!!」


「何って、お前の仕事だよ」


「仕事……? あ、や、触らないで!!」


 男の手がキアの身体をまさぐる。気持ち悪い、欲にまみれた手付き。


「手を出すつもりは無かったが、汚れが落ちればお前、そうとうの別嬪べっぴんさんじゃないか」


「や、めて……!! 離して!!」


 じたばたと暴れるキア。けれど、痩せこけたキアが鍛え抜かれた衛兵に敵う訳も無く、衛兵の拘束を解く事は出来ない。


「もう少し肉が付けば、お前は人気者になれるぞ。良かったな」


 乱暴に、キアの事を考えもせず、男はキアの身体を愛撫する。


「ぅんっ……!! やめて……!!」


「ははっ、やっぱ良いな、こういうの。普通の娼婦は出来ないからなぁ」


 にたにたと気色の悪い笑みを浮かべる男に、キアの背筋は粟立つ。


 楽しんでいる。嫌がるキアを見て、男は心底この状況を楽しんでいる。


 普通じゃない。一瞬にして、この場所に対する認識が変わる。


「いや!! 誰か、助けて!!」


「呼んでも無駄だぞ? 順番待ちしてる奴はいるが、お前を助けようなんて酔狂な奴はいねぇ」


「……順番、待ち……?」


 扉の方へと目を向ける。


 扉には小さな覗き窓ドアスコープがあり、そこには幾人かの人の目があった。


 逃げられない。それが分かってしまい、キアの身体から力が抜けた。


「お、諦めたか? じゃあ、早速いただきますか」


 下卑げびた男の声が耳に響く。


 異常だ、この場所は。こんなところに、ミアは……。


 自然と涙が溢れる。こんな男達に、ミアは純潔を散らされたかもしれないと思うと、悲しくて仕方が無かった。


 そして、自分の純潔が散らされるところを見たくなくて、キアはきつく目を閉じた。


「お、きついな……初物か? へへっ、じゃあ俺が一番乗ぎぃ?」


 嬉しそうな声の後に、おかしな声が聞こえてきた。それと同時に、自身を拘束していた力が無くなった。


「え……?」


 思わず目を開ければ、そこには男はいなかった。


「な、なに……どういう事……?」


 男はいない。それどころか、扉の向こうに居た男達の姿も無い。


 間一髪、純潔を散らされずに済んだけれど、何が起こったのか分からずに困惑する。


 困惑しているキアの背後に、パサリと軽い物が落ちる音が聞こえてきた。


 驚きながらも振り返れば、そこには侍女の服が乱暴に一式置かれていた。


 何が何だか分からない。けれど、これは好機だと思った。


 即座にキアは侍女の服に袖を通すと、湯浴み場を後にする。


 目的はただ一つ。自分の愛しの妹を探す事。


 砦の中を走るキアの背中を、一人の少年が眺める。


「さて、僕は僕の仕事をしますか」


 言って、少年は踵を返した。直後に、少年の姿は跡形もなく消え去った。まるで、最初からそこには誰も居なかったかのように。

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