第6話『独りのままでよかった』前編

景宮かげみや ユウヒさん、君に頼みがある。この先、可能な限りでいいから……こうのことを、見守っていて欲しい。それから……出来れば紫乃しののことを……自分の妹のように、思っていてくれないだろうか……?」


 帰りの電車の中、紅くんの実父お父さんに言われた言葉を思い出していた。

 一体、何を言われるのか……正直、良くないことを伝えられると思い、身構えていたから、予想外なセリフに思わず呆気にとられた。

 どこか気恥ずかしそうだけど、真剣な声に、紅くん息子紫乃ちゃんへの愛を感じた。ただ、素直になれないだけなのか、紫乃ちゃんと紅くんに対する罪悪感があるからなのかは分からない。もしかしたら、不器用なだけなのかも……あたしは紅くんの実父お父さんじゃないし、少しだけしか会話をしていないから、絶対に深くは理解出来ていない。それでも、紅くんと紫乃ちゃん我が子を愛する心を持っている、ということだけは確かだと思う。あたしはそう思いたい。


「分かりました。見守るだけなら、あたしにも出来ると思うので……それから、姉妹として、紫乃ちゃんに会えるのを楽しみにしてます」

 本気で自分がそうしたいと思ったから、画面の向こうにいる紅くんの実父お父さんの目を見て、言葉を返す。すると、ちゃんと想いが伝わったのだろう。安心したような顔で紅くんの実父お父さんは微笑んだ。

「ありがとう。これからも紅のことよろしく頼む。こんな個人的な話をするために、わざわざ移動させてすまなかった……紅にも、よろしく伝えてくれると助かる……では、そろそろ失礼する」

「はい。……では、また」

 通話が切れたタブレットを抱え、あたしは紅くんと九島さん二人のいるところへ戻った。

 紅くんは、紫乃ちゃんやお母さんのことがあるから、きっと実父お父さんを許すことは出来ないだろう。それは仕方がないし、悪いことだとは思わない。ただ、紅くんの実父お父さんは、紅くんが思うほど、ヒドい人ではないと、あたしは思った。


 紅くんは一度決めたことはやり遂げると思う。紅くんの実父お父さんとの約束がなかったとしても、彼が目指すものを、あたしは応援したいと思っている。紅くんならきっと大丈夫。紫乃ちゃんを救えると信じてる。




 夏休みが終わり、二学期が始まってから一ヶ月以上が経った。

 才神市さいがみしに行って、九島くしまさんと出会って、紫乃ちゃんの現状を知って……一日だけでも、いろんなことがあった。

 紅くんはあの日以来、よくスマホやパソコンを見るようになった。想造力そうぞうりょくについて学べる学校を探しているのかもしれない。それから最近、あたしに何か言いたそうにしている。だけど遠慮しているのだろう。なかなか話をしてこない。気になるけど、自分から聞くのは違うと思ったから、紅くんが話してくれるまで、あたしは待つことにした。

 それから一つ、とても良い知らせがあった。

 十月に入ってすぐに、お父さんとお母さんから、紅くんとあたし二人に伝えたいことがあると言われ、話を聞いてみると、お母さんのお腹に赤ちゃんがいると言われた。四月末頃に出産予定らしい。新しく家族ができると、お父さんとお母さんに幸せそうな顔で言われ、あたしはうれしくなった。紅くんもうれしそうな顔で笑っていたけど、なにか気がかりなことがありそうな表情も見せていた。その後、紅くんからもお父さんとお母さんに話があると言うので、あたしだけ席を外した。


 あたしにも関係がありそうな感じがするのに、紅くんは何も言ってこない。それでもあたしは、なるべく気にしないようにしていた。時がくれば、話してくれると思ったから。だけど、そのが、悪いカタチでやってくることになるなんて、思いもしなかった。




 とある放課後、日直の仕事が終わり、紅くんと二人で帰った日のこと。公園沿いの道を歩いていると、園内に特に仲の良い友達数人の姿が見えた。紅くんはみんなに声をかけようしたのだろう。フェンスに近づいていく。

「実はおれ、紅とだけじゃなくて、景宮かげみやさんとも遊んでるのが親にバレてさ……あの子とはもう遊ぶなって言われたんだ……」

 あたしも紅くんについて行くと、そんな言葉が聞こえてきて、思わず固まる。前にいる紅くんも、右手を上げたまま足を止めた。

「私は結構前から言われてる……ユウヒちゃんは悪い子じゃないって言っても、親だけじゃなくて、お姉ちゃんまでもう関わらない方がいいってうるさくて……」

「確かに、悪い子ではないけどさ……想造力値【A】ってやっぱり怖くない? わたしは景宮くんの妹じゃなかったら、仲良くしようとは思わないなぁ……」

「じゃあなにお前ら、紅の妹とだけは遊ばねぇのかよ? そんなことしたら紅が悲しむだろ」

「それは……そうだけど……」

 あぁ……そうなんだ。そうだよね……分かってた。分かってても、少しだけ苦しいな……。

 紅くんがいたからあたしにも居場所が出来た。紅くんがいなかったらきっと独りのままだった、みんなと仲良く話すことなんて出来る筈がない。そう分かっていても、実際にこんな話を聞いてしまうと、胸が痛くなる。

「ユウヒ、行こう」

「え……紅くん……?」

 不意にあたしの手を握り、紅くんは歩き出す。少し足早に歩く彼が、どんな表情をしているのか、後ろからでは見えない。

 あたしより少しだけ大きな手が、震えている。なんだかイヤな予感がした。それでも家に着くまでの道中、あたしは紅くんのペースに合わせて、黙って歩くことしか出来なかった。





 カギを開けて家の中に入ると、紅くんは手を離した。

 真っ青な顔で、紅くんはあたしの方を見る。何か言おうと口を開いたけど、言葉が出てこないようでそのまま固まる。

「……紅くん、あたしは大丈夫だよ。だって……わかってたから……本当はあたし自分が、みんなにどう思われてるのか、なんとなくだけど、わかってた」

「え……」

「みんな、紅くんに頼まれたから、紅くんの妹だから、あたしとも仲良くしてくれてることくらいわかってた。最初から何となく察してたから、今更あんな会話を聞いても何とも思わない。だから、紅くんは何も気にすることないよ」

 あたしは平然を装いながら、なんてことないような口調で伝えた。紅くんはきっと、あたしがみんなの本心を知って、傷ついていると思っているのだろう。だったら、元々、察していて、あたし自分は平気だと伝えればいい。そう思ったのに、紅くんはあたしの言葉を聞いて目を見開いた後、下を向いて動かなくなってしまった。

「紅くん? あたしは本当に大丈夫だから」

「らなかった……」

「え?」

「オレは何も知らなかった。みんながユウヒのこと、あんな風に思っていたなんて、知らなかったんだ……ははっ……オレってバカだなぁ……オレだけが何も知らないで、のんきに過ごしてたなんて、ほんとバカだ……ごめん、ユウヒ。ごめんな……」

 今にも泣き出しそうな上擦った声に、あたしはちゃんと言葉を返せなかった。ただ、「あたしは大丈夫だから謝らないで」と言うことしか出来ない。


 紅くんはあたしが思っている以上に純粋で、優しすぎる子なのだと思う。紅くんは、紅くん自分の友達は本心からあたしのことを受け入れてくれているのだと、普通に友達として接してくれているのだと信じて疑わなかった。友達の、あたしへの本心を聞いて、紅くんはショックを受けたのだろう。その上、あたしは全部気がついていたことを知って、ますます傷つけてしまったのかもしれない。

 こんなことなら、何も言わない方がまだ良かった。

 そんな風に後悔しても、もう、どうにもならない……




 しばらく二人揃って玄関で立ち尽くしていたせいで、いつもより早く帰ってきたお母さんを驚かせてしまった。

 お母さんはあたし達の手を引いてリビングに入り、ランドセルを下ろして、座布団に座るようよう促す。

 あたし達の正面に座り、優しい柔らかな表情で、お母さんは「何かあったの?」と、紅くんとあたしに問いかける。最初はどう説明すればいいのか分からなくて困ったけど、「ゆっくりで良いから」とお母さんは根気よくあたし達の言葉を待ってくれた。

 帰り道であったことを二人で話して、それぞれの抱いた感情を伝える。

 お母さんは途中で口を挟むことはなく、あたし達の話を最後まで聞いてくれた。話を全部聞いた後、お母さんは少し間を置いてから、意を決したような顔つきで、あたしの目を真っ直ぐ見ながら、口を開く。

「あのね、ユウヒ……人間は自分に理解できない相手のことは、なかなか受け入れられないものなのだと思う。だから友達の考えは簡単には変わらない。ひたむきに向き合い続ければ分かってくれる子もいるかもしれないけど……その子達の親兄弟に理解してもらうのはもっと難しいことだと思う……でもね、むしろそんな人達のことなんて、こっちから願い下げだと思えばいいのよ。ユウヒのことを本当に理解している人達も、ユウヒの居場所もちゃんとあるんだから。現に、家族とこの家がそうでしょ?」

 お母さんの強くて、優しい眼差しがあたしは好きだ。変に誤魔化したりせず、はっきりと自分の考えを伝えた上で、温かな言葉もくれる。真剣に向き合ってくれるから、その問いかけに、素直に頷くことができる。

 頷くあたしを見て、お母さんは日向のような明るい笑顔を浮かべた。

「紅は……納得出来ない?」

 隣に座っている紅くんを見ると、険しい表情をしていた。お母さんの問いかけに、紅くんは首を振る。

「同じ考えの人ばかりじゃないことくらい分かってる。だけど、友達なら大丈夫って信じ切っていた。オレは何も気づけなかった……もちろん、友達のことを責めるつもりはない。ただ、何も知らないで過ごしていた自分が許せないんだ……」

 紅くんは唇を噛みしめ、俯いた。あたしはどう声をかければいいのか分からず、紅くんを見つめることしか出来ない。

「そっか……ねぇ、紅はどうしたい?」

「どうしたいって……」

 顔を上げた紅くんを、お母さんは真っ直ぐ見据えている。

「紅がしたようにすればいいのよ。大切な人達のために、何が出来るのか考えて……守りたい人達を、自分なりのやり方で守ればいい。自分の信じる道を真っ直ぐ進めばいいのよ。私はそうやってきた。それで失敗したこともあったけど、後悔はしていない。だから紅も……なるべく、自分が後悔しないと思える道を選ぶこと。それだけ守ってくれたら、私は全力で紅の背中を押すから」

 そこまで言ってから、お母さんはふわりと笑う。その言葉を受けて、紅くんは静かに目を閉じた。


 少しの沈黙の後、紅くんはゆっくり目を開き、あたしの方を向いて座り直した。

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