第6話『独りのままでよかった』前編
「
帰りの電車の中、紅くんの
一体、何を言われるのか……正直、良くないことを伝えられると思い、身構えていたから、予想外なセリフに思わず呆気にとられた。
どこか気恥ずかしそうだけど、真剣な声に、
「分かりました。見守るだけなら、あたしにも出来ると思うので……それから、姉妹として、紫乃ちゃんに会えるのを楽しみにしてます」
本気で自分がそうしたいと思ったから、画面の向こうにいる紅くんの
「ありがとう。これからも紅のことよろしく頼む。こんな個人的な話をするために、わざわざ移動させてすまなかった……紅にも、よろしく伝えてくれると助かる……では、そろそろ失礼する」
「はい。……では、また」
通話が切れたタブレットを抱え、あたしは
紅くんは、紫乃ちゃんやお母さんのことがあるから、きっと
紅くんは一度決めたことはやり遂げると思う。紅くんの
夏休みが終わり、二学期が始まってから一ヶ月以上が経った。
紅くんはあの日以来、よくスマホやパソコンを見るようになった。
それから一つ、とても良い知らせがあった。
十月に入ってすぐに、お父さんとお母さんから、
あたしにも関係がありそうな感じがするのに、紅くんは何も言ってこない。それでもあたしは、なるべく気にしないようにしていた。時がくれば、話してくれると思ったから。だけど、そのときが、悪いカタチでやってくることになるなんて、思いもしなかった。
とある放課後、日直の仕事が終わり、紅くんと二人で帰った日のこと。公園沿いの道を歩いていると、園内に紅くんと特に仲の良い友達数人の姿が見えた。紅くんはみんなに声をかけようしたのだろう。フェンスに近づいていく。
「実はおれ、紅とだけじゃなくて、
あたしも紅くんについて行くと、そんな言葉が聞こえてきて、思わず固まる。前にいる紅くんも、右手を上げたまま足を止めた。
「私は結構前から言われてる……ユウヒちゃんは悪い子じゃないって言っても、親だけじゃなくて、お姉ちゃんまでもう関わらない方がいいってうるさくて……」
「確かに、悪い子ではないけどさ……想造力値【A】ってやっぱり怖くない? わたしは景宮くんの妹じゃなかったら、仲良くしようとは思わないなぁ……」
「じゃあなにお前ら、紅の妹とだけは遊ばねぇのかよ? そんなことしたら紅が悲しむだろ」
「それは……そうだけど……」
あぁ……やっぱりそうなんだ。そうだよね……分かってた。分かってても、少しだけ苦しいな……。
紅くんがいたからあたしにも居場所が出来た。紅くんがいなかったらきっと独りのままだった、みんなと仲良く話すことなんて出来る筈がない。そう分かっていても、実際にこんな話を聞いてしまうと、胸が痛くなる。
「ユウヒ、行こう」
「え……紅くん……?」
不意にあたしの手を握り、紅くんは歩き出す。少し足早に歩く彼が、どんな表情をしているのか、後ろからでは見えない。
あたしより少しだけ大きな手が、震えている。なんだかイヤな予感がした。それでも家に着くまでの道中、あたしは紅くんのペースに合わせて、黙って歩くことしか出来なかった。
カギを開けて家の中に入ると、紅くんは手を離した。
真っ青な顔で、紅くんはあたしの方を見る。何か言おうと口を開いたけど、言葉が出てこないようでそのまま固まる。
「……紅くん、あたしは大丈夫だよ。だって……
「え……」
「みんな、紅くんに頼まれたから、紅くんの妹だから、あたしとも仲良くしてくれてることくらい
あたしは平然を装いながら、なんてことないような口調で伝えた。紅くんはきっと、あたしがみんなの本心を知って、傷ついていると思っているのだろう。だったら、元々、察していて、
「紅くん? あたしは本当に大丈夫だから」
「らなかった……」
「え?」
「オレは何も知らなかった。みんながユウヒのこと、あんな風に思っていたなんて、知らなかったんだ……ははっ……オレってバカだなぁ……オレだけが何も知らないで、のんきに過ごしてたなんて、ほんとバカだ……ごめん、ユウヒ。ごめんな……」
今にも泣き出しそうな上擦った声に、あたしはちゃんと言葉を返せなかった。ただ、「あたしは大丈夫だから謝らないで」と言うことしか出来ない。
紅くんはあたしが思っている以上に純粋で、優しすぎる子なのだと思う。紅くんは、
こんなことなら、何も言わない方がまだ良かった。
そんな風に後悔しても、もう、どうにもならない……
しばらく二人揃って玄関で立ち尽くしていたせいで、いつもより早く帰ってきたお母さんを驚かせてしまった。
お母さんはあたし達の手を引いてリビングに入り、ランドセルを下ろして、座布団に座るようよう促す。
あたし達の正面に座り、優しい柔らかな表情で、お母さんは「何かあったの?」と、紅くんとあたしに問いかける。最初はどう説明すればいいのか分からなくて困ったけど、「ゆっくりで良いから」とお母さんは根気よくあたし達の言葉を待ってくれた。
帰り道であったことを二人で話して、それぞれの抱いた感情を伝える。
お母さんは途中で口を挟むことはなく、あたし達の話を最後まで聞いてくれた。話を全部聞いた後、お母さんは少し間を置いてから、意を決したような顔つきで、あたしの目を真っ直ぐ見ながら、口を開く。
「あのね、ユウヒ……人間は自分に理解できない相手のことは、なかなか受け入れられないものなのだと思う。だから友達の考えは簡単には変わらない。ひたむきに向き合い続ければ分かってくれる子もいるかもしれないけど……その子達の親兄弟に理解してもらうのはもっと難しいことだと思う……でもね、むしろそんな人達のことなんて、こっちから願い下げだと思えばいいのよ。ユウヒのことを本当に理解している人達も、ユウヒの居場所もちゃんとあるんだから。現に、家族とこの家がそうでしょ?」
お母さんの強くて、優しい眼差しがあたしは好きだ。変に誤魔化したりせず、はっきりと自分の考えを伝えた上で、温かな言葉もくれる。真剣に向き合ってくれるから、その問いかけに、素直に頷くことができる。
頷くあたしを見て、お母さんは日向のような明るい笑顔を浮かべた。
「紅は……納得出来ない?」
隣に座っている紅くんを見ると、険しい表情をしていた。お母さんの問いかけに、紅くんは首を振る。
「同じ考えの人ばかりじゃないことくらい分かってる。だけど、友達なら大丈夫って信じ切っていた。オレは何も気づけなかった……もちろん、友達のことを責めるつもりはない。ただ、何も知らないで過ごしていた自分が許せないんだ……」
紅くんは唇を噛みしめ、俯いた。あたしはどう声をかければいいのか分からず、紅くんを見つめることしか出来ない。
「そっか……ねぇ、紅はどうしたい?」
「どうしたいって……」
顔を上げた紅くんを、お母さんは真っ直ぐ見据えている。
「紅がしたようにすればいいのよ。大切な人達のために、何が出来るのか考えて……守りたい人達を、自分なりのやり方で守ればいい。自分の信じる道を真っ直ぐ進めばいいのよ。私はそうやってきた。それで失敗したこともあったけど、後悔はしていない。だから紅も……なるべく、自分が後悔しないと思える道を選ぶこと。それだけ守ってくれたら、私は全力で紅の背中を押すから」
そこまで言ってから、お母さんはふわりと笑う。その言葉を受けて、紅くんは静かに目を閉じた。
少しの沈黙の後、紅くんはゆっくり目を開き、あたしの方を向いて座り直した。
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