第1章

第1話『妹達【紫乃とユウヒ】』

「おにいちゃん!」

 一つ年下の、幼い妹が、オレの方に駆け寄ってくる。

「紫乃!」

 オレは母親と繋いでいた手を離し、妹に……紫乃に駆け寄った。紫乃を受け止めるために、オレは走りながら両手を広げる。

 あともう少し。あともう少しで、紫乃を抱きとめられる、筈だった。だけど、自分より大きな手に、紫乃を抱きかかえられてしまう。少し遅れてオレも母親に抱き上げられる。紫乃は実父あの人に抱えられたまま、どんどん遠ざかっていく。

「おにいちゃん、おにいちゃん……!」

 涙ぐむ紫乃が、こっちに向かって必死に手を伸ばしてくる。

「紫乃! 行かないでくれ……紫乃……!」

 オレも必死に手を伸ばした。決して届くことはないと分かっていても――――




 めざまし時計とセミの声に、意識が引っ張られ、目が覚める。寝ぼけ眼に映っていたのは自分の勉強机と、その横にかけられているランドセル。夢と同じように、現実でも手を伸ばしていたようで、右手を勉強机の方に伸ばしていた。切タイマーをかけていたクーラーは、母さんか、継父父さんか、はたまた暑さで無意識に自分でつけたのか、冷たい風を送ってくれている。

 オレは上半身を起こし、めざまし時計を止めた。

 少しだけボーとして、一つ溜息をつく。


 また同じ夢を見た。幼い頃に、紫乃と離れ離れになった日の夢を。

 紫乃が五歳、オレは六歳になる年、実父あの人は母さんを置いて、紫乃を無理矢理どこかへ連れて行ってしまった。アイツに抱えられている紫乃の涙が、今でも目に焼き付いて離れない。幼い頃のことでも、紫乃のことは何でもはっきり覚えている。絶対に忘れたりしない。


 紫乃は賢くて素直なかわいい妹だ。人懐っこくて、甘えん坊で、よくオレに抱きついてきていた。巨大ロボが出てくるアニメと、イチゴミルクキャンディーが大好き。マイペースでたまにオレを振り回すこともあったが、そんなところも、いとおしく思える。一人より誰かといる方が好きだが、周りが紫乃を避けていた。

 想造力値そうぞうりょくち【A】というだけで、周りの子達や大人でさえも、紫乃のことを恐れていた。想造力値がどうであろうと、周りから避けられていようと、オレにとっては可愛い妹であることに変わりない。母さんだって紫乃のことを目一杯可愛がっていた。家の中で、紫乃を拒絶する人はいない。だから紫乃は笑って暮らせていた。なのに、実父あの人は紫乃を連れて勝手に出て行った。

 紫乃はこの町では暮らせないと、実父あの人は言っていた。今でもその言葉の意味が分からない。なぜ離れなければいけなかったのか……紫乃だけじゃない。母さんを泣かせてまで、別々に暮らさなければならない理由なんて、ない筈なのに……。

 分からなくて、あの別れがただただ悲しくて、何より小さな自分の無力さが情けなくて悔しくて……何度も何度も繰り返し同じ夢を見る。遠くに連れていかれる紫乃に手を伸ばしても、届くことはない。夢でもあの日と同じ結末のまま、目が覚めるだけだ。


 大きく伸びをして立ち上がると、勉強机の上に置いていた着替えを手に持った。ジーンズと黒色の無地のTシャツの上に乗せていた、ブレスレットが落ちないように、空いている左手で真ん中にしっかり置き直す。


「おにいちゃん、これあげる」

 別れの日の朝、紫乃がくれた赤い紐のブレスレット。それにはスイートポテトの、小さな食品サンプルがついている。

 紫乃はアクセサリー類と食品サンプル、それからぬいぐるみが創れる。だから紫乃なりに男の子でも付けやすいアクセサリーを考えてくれたのだろう。オレがスイートポテトを好きなことも知ってくれていて、すごくうれしい。オレはBB弾しか創れないから、それだけしかお返しは出来なかったけど、紫乃は笑顔で「ありがとう。だいじにするね」と言ってくれた。やっぱり紫乃はすごくて優しくてかわいい妹だと改めて思う。


 あの日から、六年か……。

 オレはカレンダーを見つめてから深呼吸をした。

「よし……!」

 声を出して気合いを入れ、部屋のドアの前に立ち、扉を開く。


 小学生最後の夏休み。いつも以上に賑やかにセミが鳴く、今日。

 オレは紫乃に会いに行く。




 洗面所で顔を洗って、着替えを済ませ、寝癖を直してから、ブレスレットを左手首につける。

こうくん、おはよう」

「おはよう、ユウヒ」

 丁度、洗面所を出たところで、ユウヒと顔を合わせる。手に着替えの服を持ったユウヒが、はにかむようにニコッと笑う。オレもそれにつられるように笑った。


 ユウヒは、母さんの再婚相手の子供で、オレと同じ歳だ。背中の真ん中くらいまである長いキレイな髪は、明るい茶色で、少し赤茶髪が混じっている。瞳も茶色みがかっていて、とてもキレイだ。みかんをモチーフにした、妖精のマスコットキャラクターのレオちゃんとジンくんが大好きで、今着ているパジャマには寝間着姿のレオちゃんとジンくん二人の妖精が描かれている。ちなみにレオちゃんとジンくんは、ユウヒがよく飲んでいるパックのオレンジジュースのマスコットキャラクターだ。


「今日は紅くんより早く起きようと思ってたのに……ごめんね。早く顔洗って着替えるから待ってて」

「慌てなくても大丈夫だぞ。出発までまだ時間あるし」

 オレは自分より少しだけ小さなユウヒの頭をぽんぽんとしてから、リビングに向かった。

 景宮親子父さんとユウヒに出会ってからもう四年くらい経つ。ユウヒが想造力値そうぞうりょくち【A】ということは、母さんから聞いていた。紫乃と同じように、周りから避けられていることも。オレには想造力値【A】というだけで、その相手を怖がる理由が分からない。人より多く物を創れるだけの子を怖がる理由はなんなのだろう。妹達紫乃とユウヒが【A】だからそんなこと言えるのだと言われれば、そうなのかもしれない。けど、誰に言われた訳でもなく、自分の意志で二人の傍にいたいと思えたのもまた事実だ。

 だけど紫乃はどこかへ連れていかれ、それは叶わない。ユウヒはまだどこか、オレに遠慮しているように思える。出会った頃に比べれば、曇りのない笑顔を見せてくれるようになったし、ユウヒから話しかけてくれるようにもなった。周りから拒絶され続けた少女ユウヒは、父親父さんユウヒを大切に想う気持ちを知らずに過ごしていたようだ。寂しくても一人で我慢して、平気な顔を続けてきたのだと思う。出会った頃の、ユウヒのぎこちない笑みを今でも忘れられない。他人から拒絶され続けてきた女の子が、人と関わることに不安を感じるのは当たり前だ。この子にこれ以上、辛い思いをさせたくない、寂しい思いはさせないと決めた。例え、兄妹にならなかったとしても、その気持ちは変わらない。


 オレより少し遅くに起きたくらいで謝らなくてもいいのに……。ユウヒのためなら、オレはいくらでも早起きする。朝ご飯とお弁当作りもまかせて欲しい。もちろん、一緒に作るのも大歓迎である。でもユウヒが今の距離を望むなら、それでも良いとは思っている。

 ユウヒが笑ってくれるなら、なんだって構わない。


「紅くんお待たせ」

 いろいろ考えながら、食器を出したりハムエッグを焼いたりと朝ご飯の準備をしているところに、ユウヒがリビングに入ってきた。今日のユウヒの私服は、少しダボッとした半袖の淡い青色のシャツに、白の短パンだ。

「ちょうど良かった。オニオンスープとコーンスープどっちにする?」

 オレはお湯を注ぐと出来上がるスープの小分けの袋を手に、ユウヒに問いかける。

「コーンスープにする」

「オレも!」

 元気よくコーンスープの袋を前に突き出すと、ユウヒは微笑んでくれた。



 焼いてからマーガリンといちごジャムを塗った食パンと、ハムエッグ、キャベツのコールスローサラダにコーンスープ。これらを残さず全部食べてから、二人でお弁当を作って、後片づけも済ます。ユウヒと自分のプラス、大きめの水筒をもう一つ準備して、お弁当と、前の日に作っておいたスイートポテトをつめた容器も一緒にリュックの中に入れる。もちろん、保冷剤と、小腹が空いたとき用の干し芋も忘れていない。


「よし。行こう」

「うん」

 忘れ物はないかしっかり確認してから、オレ達は玄関を出た。当然、外は暑く、太陽は眩しい。だけど、夏の他の日に比べれば過ごしやすい気温で、心地の良い風も吹いている。


 ユウヒとオレは自転車に乗り、駅へ向かう。その道中、オレ達は夏休みの自由研究について話した。

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