第2章

第7話『紅と咲玖也と、陽子と……』前編

 一人、教室を出ていくユウヒの背中を見て、やっぱりこのままではダメだと思った。


 話があると言って、圭大けいた杏奈あんなたちに校庭の隅へ来てもらう。

「ごめん……オレはユウヒも圭大と杏奈たちも大切だから……もう皆とは遊ばない」

 深呼吸をしてから、はっきりそう伝えた。

 みんなで一緒に遊べないなら……それでユウヒだけを仲間外れにするくらいなら、オレもみんなから離れれば良い。そういう結論にたどり着いた。

 想造力値【A】の子ユウヒのことを怖がってる子もいるなら、無理をさせる訳にはいかない。けれど、ユウヒを一人にするのはもっとイヤだ。

 圭大と杏奈にはみんながいるから、オレがいなくても大丈夫。だけど、ユウヒは一人になってしまう。

 だから、オレは圭大と杏奈たちから離れる道を選んだ。

 自分の想いを全部話しても、圭大と杏奈はなかなか納得してくれなかった。それでも、最終的には小さく頷いてくれた。


 後悔はしていない。していないはずなのに、圭大と杏奈の悲しそうな顔が、ずっと頭から離れない。







 目を開くと、最近ようやく見慣れてきた、天井が見えた。枕元からは元気で陽気な音楽が聴こえている。

 視線を感じ横を向くと、ベッドの脇であぐらをかいてこっちを見ている、オールバックの和風イケメンな男の子がいた。制服のカッターシャツに、黒のズボンを履いていて、いつでも学校に行ける状態だ。

「おはよ」

 口元のホクロと漆黒の瞳が印象的な男の子……甲斐浦かいうら 咲玖也さくやはオレより先にスマホを手に取り、アラームを止めた。紫色のリボンで結われた長い黒髪が額に触れ、少しくすぐったい。ちなみに、リボンと同じ色の毛先は染めたのではなく、地毛とのこと。

「……おはよ」

 ゆっくり上体を起こしながら、挨拶を返す。咲玖也はじっとオレの顔を見たかと思えば、目を細め、微かに口角を上げる。

 咲玖也はホームステイ先の甲斐浦さんの息子さんで、クラスメイトでもある。

 出会って間もない頃の咲玖也は、明るくて少しチャラい感じ……のキャラを無理して演じている子という印象で……心の壁は分厚かった。

 だけど、オレたちが前に住んでいた時のことや、ユウヒ愛を語った日から、なぜか気に入られている。いつでも誰にでも愛想を振りまいていた咲玖也が、二人っきりになった時はクールになるものの、心の壁は薄くなったように思える。

 そして毎朝、部屋にやって来ては、何をする訳でもなく、オレの目が覚めるのを待っているようだ。寝間着から制服や私服に着替え、髪もばっちりセットしているところを見ると、かなり早くから起きているのだろう。


「毎日、そうやってて飽きないのか?」

 伸びをしながらそう問いかけてみると、咲玖也は静かに頷いた後、「なんか、安心するから」と言った。

「安心?」

 どういう意味か分からず咲玖也を見ると、一瞬だけ苦笑いを浮かべた。

「……こうが今日も生きてるっていう安心感が欲しくて、目を覚ますのを待ってる」

「つまり……生存確認してるってことか?」

 オレの言葉に、咲玖也は一瞬、目を見開いた後、少しだけ笑った。

「そうだな、生存確認みたいなものだ……嫌か?」

 咲玖也は少し首を傾げ、悪戯っぽく問いかけた。

「全然イヤじゃないぞ?」

「それなら良かった……」

 オレの返事を聞いて咲玖也は安心したような顔で、微かに笑ったような気がした。






 準備を済ませて、咲玖也のお母さんが作ってくれた朝ご飯をいただく。それから咲玖也と二人で家を出て、隣の家に向かう。今は七月上旬で、外は暑い。

 桐石きりいしと書かれた、表札の隣にあるインターフォンを押そうとした瞬間、扉が開いた。

「紅くん、甲斐浦くん、おはよう」

「おはよう」

 赤いスカーフに、セーラー服姿のユウヒが姿を現し、ニコリと笑う。それにつられるように、俺も笑った。

 オレの妹は今日も可愛い。

「おはよ〜妹チャンは今日も可愛いね♡」

 さっきまで物静かだった咲玖也が、明るいチャラ男を演じ始めた。クールな咲玖也を知ってるせいで、出会った頃より違和感を覚える。

 ユウヒは咲玖也がキャラを作っていることに気づいているのか、いないのかは分からない。しかし、どうやらこの手のタイプは苦手なようで、明らかに困り顔で苦笑いを浮かべている。

「咲玖也、ユウヒが困ってるでしょ……」

 ユウヒに続いて家から出てきた女の子が切れ長の目を細め、咲玖也を見る。

 明るい茶色の長髪を、赤とオレンジのリボンでポニーテールにしている、大人っぽい雰囲気の女の子……桐石きりいし 陽子ようこさんは、ユウヒがお世話になっている桐石さんの娘さんだ。彼女も同級生であり、クラスメイトでもある。ちなみに咲玖也とは幼馴染みらしい。

 ホームステイ先が別々なのは、同性の同級生がいる家の方がユウヒも安心だろうと思い、美鈴音みすずね市にそう申請していたからだ。桐石さんは優しくて面倒見のいいお姉さんタイプで、ユウヒも彼女に心を開いているようで安心している。


「陽子は今日もクールだね~」

「景宮くんおはよう」

 咲玖也のことなどお構いなしと言わんばかりに、桐石さんはにこっと笑ってオレを見た。最近ようやく、彼女の笑顔を目にする頻度が高くなってきて、内心ほっとする。


『俺がいつもヘラヘラしているのは……笑わなくなった陽子の分まで笑うためだ』


 ある日、“どうして、素の性格とは程遠いキャラを無理に演じているのか”聞いてみると、咲玖也はそう答えた。その時見た、咲玖也の真剣な顔を思い出しながら、「おはよう」と桐石さんに挨拶を返した。

「ねぇねぇ陽子サン? 俺には挨拶なし? 俺にも『おはよう咲玖也クン♡』って言って欲しいなぁ」

「ねぇ咲玖也……いや、ごめん……なんでもない。おはよう」

 “ねぇ咲玖也”に込められた想いが何なのかは分からない。だけど、いろんな感情を飲み込むように、桐石さんは力なく笑った。

「おはよ……。さ〜てそんじゃまぁ学校に行きますか!」

 “おはよ”の一言だけ、クールな声色を出す咲玖也。その後は何もなかったかのように、演技を再開した。顔を隠すように一足先に歩き出したから、咲玖也がどんな表情をしていたのかは、分からない。

 オレはユウヒと顔を見合せた。ユウヒは戸惑いの表情を浮かべている。

「ユウヒと景宮くんも行こ」

 桐石さんは平然とした顔で、オレたちを促す。

「え、うん。分かった」

 ユウヒは一瞬、驚いた顔をしたが、直ぐに気持ちを切り替えたようだ。桐石さんの隣に並び、一緒に歩き出す。

 オレもここで気にしていても仕方がないと思い、小走りで咲玖也に追いつき、彼の隣を歩いた。

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