第6話『独りのままでよかった』後編

「ユウヒ、大事な話があるんだ」

 何かを決意したような顔で、紅くんが言う。お母さんは何か知っているような顔で、「私は晩ご飯の準備しておくね」とおもむろに席を外す。

 あたしは少し戸惑いながらも、紅くんの方を向いた。

「そんなに改まってどうしたの?」

「ユウヒ……オレと一緒に来年、美鈴音市みすずねしに来てくれないか?」

「みすずね市……?」

 突然の申し出に困惑していると、「急にごめん。順を追って説明する」と前置きしてから紅くんは言葉を続ける。

「オレは想造力そうぞうりょくについて深く学ぶことができる、美鈴音市の中学校に入学しようと思ってる。母さんと父さんにはこの前……四月頃に赤ちゃんが生まれるって聞いた時に、相談したんだ。それで最終的に、オレは一年から美鈴音第一中学に入学して、赤ちゃんが生まれてから一年後くらいに母さん達も美鈴音市に来てくれることになった。オレは一年間、下宿先でお世話になることになってる。もう入学手続きとかは郵送で済んでて、来月の第二土曜日に父さんと下宿先のお宅に挨拶に行く予定なんだ。それで……出来ればユウヒにも着いてきてもらって、もし美鈴音市が良い所だと思えたら、オレと一緒に、同じ中学校に入学して欲しいって、ずっと前から言いたかったんだけど……それをユウヒに伝えるべきかどうか迷ってた。本心では母さん達と一緒にここに残りたくても、ユウヒは優しいから、オレと一緒に来てくれるような気がして……なかなか言い出せなかった……でも、今日あんな話を聞いてしまった以上、例え一年でもここにユウヒを置いていくことはできないと思ってる。だから、オレと一緒に、美鈴音市に来てくれないか?」

「あたしは……紅くんと一緒に美鈴音市に行くことに何の不満もないよ。むしろ、すごくうれしい。だけど……あたしも着いて行ったら……お世話になるお家の人達の迷惑になるんじゃないの……?」

 紅くんの申し出に、本心からうれしいと思った。出来ることなら紅くんと一緒に美鈴音市に行きたい。でも、あたしが着いて行くことで、何かまた紅くんに迷惑をかけるくらいなら、お母さん達と同じ時期に美鈴音市に引っ越す方がいい。

「そこは問題ないよ。美鈴音市は想造力値そうぞうりょくち【A】の人達を歓迎してくれてる都市で、能力値の高い人達も多い所らしい。美鈴音市の市長さんはどの能力値の人も安心して生活できる場所を作りたくて、美鈴音市を作った祖父の意志を継いでいるって言ってた。つい最近、電話で少し話したんだけど、良い人そうだったし、ユウヒも安心して過ごせる都市だと思う」

「そうなんだ……それなら、あたしも紅くんと一緒に、美鈴音市に行きたいな」

 正直、本当にそんな都市があるのかと半信半疑だったけど……少なくとも紅くんの言葉に嘘はないように思えた。実際のところはどうなのか、行ってみて確かめればいい。

「そう言ってもらえてよかった……」

 紅くんはホッと胸をなで下ろし、微笑んだ。あたしもそれにつられて笑った。



 美鈴音市がどんな場所にしろ、この選択でよかったと思う。

 あたしがこの町から去れば、紅くんの友達が無理をする必要がなくなる。まだ数ヶ月あるけど、あたしがみんなと距離を取ればいいだけの話だ。紅くんは気にするかもしれないけど、中学は別々になる友達との時間を大切にして欲しい。お母さんに言われたように、紅くんが最善の選択をするには、そうするのが一番だろう。

 きっと良い方向に進む。あたしが少しの間、学校では一人でいれば、これ以上、誰も傷つけずに全て丸く収まる。そう思っていたのに……。



 次の日、長い休み時間になると「今日は本が読みたい気分だから図書館へ行くね」と言って、教室を出た。お母さんが好きな作家・岸之辺港士きしのべこうし先生の『茜色あかねいろの約束』が置いてあったので、手にとって読んだ。温かなファンタジー作品で、とても面白くて思わず時間を忘れるほど集中して読んでしまい、教室の前に着いたのはチャイムが鳴る三分前くらいだった。

「ユウヒ」

 教室の扉を開けようとした瞬間、紅くんの声がして少しだけ驚く。

「……外で遊んでたの?」

 手を振りながら近づいてくる紅くんの後ろには、彼の友達もいた。なんだか、みんなの様子がおかしい。どこか重苦しい空気が流れているような気がする。

「えっと……少し話してたんだ」

 歯切れの悪い返答に、胸騒ぎをおぼえた。紅くんの友達の顔を見れば、みんな暗い顔をしている。雰囲気から察するに、ただ穏やかに談笑していた訳ではなさそうだ。

「……なにか、あった?」

「え……普通に話ししてただけだよ。それより、チャイムが鳴る前に教室に入ろう」

 何かを誤魔化すように紅くんは教室の扉を開ける。廊下の時計の針は、チャイムが鳴る一分前を指していた。

 イヤな予感が拭えないまま、あたしは紅くんに促され、教室に入る。

 チャイムが鳴り、授業が始まる。配られたプリントを前の人……紅くんの幼馴染みの一人・四宮しのみやさんから受け取る。そのとき見えた、四宮さんの少し充血した赤い目に、また不安な気持ちが膨らんだ。





「ねぇ、こうくん……本当はみんなと何かあった、よね……?」

 帰り道の途中で、あたしは改めて紅くんに問いかけた。

 あの休み時間以降、紅くんはあたしとばかり話しをしている。明らかに友達を避けているのだ。

 そんなのどう考えたって、何かあったとしか思えない。

「大したことじゃないよ」

 なんだか歯切れの悪い返事に、モヤモヤする。

「じゃあ……どうしていつもみたいにみんなと遊ばないの?」

 紅くんは少し言葉につまらせた後、困ったような表情でゆっくり口を開いた。

「……みんなとはもう……遊ばないことにしたから」

「どうして……? それってあたしのせい」

「それは違う! 誰のせいでもない! 悪いのは……オレだけだから。ユウヒは何も気にすることなんてないよ」

 紅くんはあたしの言葉を遮り、首を横に振る。それでも納得出来ず、何度も理由を聞いたが結局、同じ答えしか返ってこなかった。

 でも、あたしのためだというのは何となく分かる。

 だから、あたしが何とかしないといけない。






 次の日の帰り道。

 忘れ物をしたから学校に戻ると言って、紅くんと別れた。本当は忘れ物なんてしていない。だから、着いて行くと言われた時は焦ったけど、何とか別行動を取ることが出来た。

 学校に戻る本当の目的は、紅くんと特に仲のいい友人二人……四宮しのみや杏奈あんなさんと薄野すすきの圭大けいたくんに会うこと。二人は今日、日直だから急いで戻れば、まだ教室に居るはず。

 走って学校に戻り、息を整えてから廊下を歩く。開いているクラスの扉から、そっと教室を覗くと、四宮さんと薄野くんの姿があった。

 あたしは一度、深呼吸してから教室に一歩、足を踏み入れる。

「四宮さん、薄野くん……少しいいかな……?」

 二人は紅くんの幼馴染みで、最初から今もずっとあたしのことを怖がっていない。それで紅くんのことを聞くなら、この二人だと思ったのだ。

「別に良いけど……なに?」

 返事をしてくれたのは薄野くんだった。四宮さんは下を向いたまま、何も答えてくれない。薄野くんに「おれが話聞くから」と促され、口を開いた。

「その、紅くんが、みんなとはもう遊ばないことにしたって言ってて……理由を聞いても答えてくれなかったけど、多分あたしのせいだと思って……それで、二人にお願いがあってきたの」

「紅のこと説得して欲しいとかなら断る」

「え……」

 思いがけない言葉に、戸惑うあたしを薄野くんは呆れたような顔で見た。

景宮かげみやこそどういうつもりだよ。アイツはこんな状況すらも望んでないはずなのに……なんでここに来たんだ」

「あたしはただ、四宮さんと薄野くんなら、紅くんのこと」

「妹なのに紅のこと、何も分かってないんだな。アイツは俺達より、景宮のことが大切なんだよ……そもそも、オレらのことなんて……最初から何とも思ってなかったのかもな」

「そんなことない……! 少なくとも二人は紅くんにとって、大切な友達だよ」

 “圭大と杏奈は保育園からの幼馴染みで、オレの大切な友達なんだ”

 紅くんは確かにそう言っていた。頬をかきながら、ニコリとはにかんでいた。あの言葉と表情が、嘘だったとは思えない。

「他でもない、紅くん自身がそう言ってたんだよ。なのに、どうでもいいなんて」

「だったらなんで! おれらじゃなくて、妹を選んだんだよ……!」

 あたしの言葉を遮って、薄野くんが叫んだ。彼の揺れる瞳と目が合う。ようやく顔を上げてくれた四宮さんの目には、涙が浮かんでいた。

「それは……えらんだ、とかじゃなくて……」

「もういいよ……ねぇ、分かってる? ユウヒちゃんが何か言えば言う程、私達は余計ツラくなるんだよ?」

 四宮さんの声が震えている。大粒の涙が一つ、彼女の目からこぼれた。

「ユウヒちゃんは、自分のことはいいから、紅を説得して今まで通り、紅と一緒に遊んで欲しいって言いたいんでしょ? でもね、もう無理なの。紅は一度決めたことは意地でも曲げない。すごく頑固だからね……紅は、ユウヒちゃんを一人にしたくないの。だから私達よりユウヒちゃんを選んだ。でも……私は、別にそれでも構わない。悔しくない訳じゃないけどっ……、紅らしいなって思った……紅のそういう真っ直ぐなところも、頑固なところも、優しいところも……大好きだから」

 ずっと我慢してたであろう涙と言葉が、四宮さんから次々に溢れ出てくる。『大好き』というのは多分、恋愛感情なんだと思う。

 四宮さんは、紅くんのことが好きなんだ。

「紅のことを本気で想っているなら、もう私達に関わらないで。紅と私達で決めたことにこれ以上、口出ししないで」

 四宮さんは涙をふいて、赤い目で真っ直ぐあたしを見た。薄野くんは口を閉ざしたまま、もう何も言わないでくれと言いたげに、小さく首を振る。

 そんな二人を見て、あたしはもう何も言えなかった。黙って教室を飛び出し、頭の中が真っ白なまま通学路を歩いた。




 その後の……家に帰ってからのことも、あまり覚えていない。

 ただ一つだけ、こう思ったことだけは覚えている。



 こんなことになるくらいなら──



 あたしは独りのままでよかった。


 

第一章 終【第二章へ続く】

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