第6話『独りのままでよかった』後編
「ユウヒ、大事な話があるんだ」
何かを決意したような顔で、紅くんが言う。お母さんは何か知っているような顔で、「私は晩ご飯の準備しておくね」とおもむろに席を外す。
あたしは少し戸惑いながらも、紅くんの方を向いた。
「そんなに改まってどうしたの?」
「ユウヒ……オレと一緒に来年、
「みすずね市……?」
突然の申し出に困惑していると、「急にごめん。順を追って説明する」と前置きしてから紅くんは言葉を続ける。
「オレは
「あたしは……紅くんと一緒に美鈴音市に行くことに何の不満もないよ。むしろ、すごくうれしい。だけど……あたしも着いて行ったら……お世話になるお家の人達の迷惑になるんじゃないの……?」
紅くんの申し出に、本心からうれしいと思った。出来ることなら紅くんと一緒に美鈴音市に行きたい。でも、あたしが着いて行くことで、何かまた紅くんに迷惑をかけるくらいなら、お母さん達と同じ時期に美鈴音市に引っ越す方がいい。
「そこは問題ないよ。美鈴音市は
「そうなんだ……それなら、あたしも紅くんと一緒に、美鈴音市に行きたいな」
正直、本当にそんな都市があるのかと半信半疑だったけど……少なくとも紅くんの言葉に嘘はないように思えた。実際のところはどうなのか、行ってみて確かめればいい。
「そう言ってもらえてよかった……」
紅くんはホッと胸をなで下ろし、微笑んだ。あたしもそれにつられて笑った。
美鈴音市がどんな場所にしろ、この選択でよかったと思う。
あたしがこの町から去れば、紅くんの友達が無理をする必要がなくなる。まだ数ヶ月あるけど、あたしがみんなと距離を取ればいいだけの話だ。紅くんは気にするかもしれないけど、中学は別々になる友達との時間を大切にして欲しい。お母さんに言われたように、紅くんが最善の選択をするには、そうするのが一番だろう。
きっと良い方向に進む。あたしが少しの間、学校では一人でいれば、これ以上、誰も傷つけずに全て丸く収まる。そう思っていたのに……。
次の日、長い休み時間になると「今日は本が読みたい気分だから図書館へ行くね」と言って、教室を出た。お母さんが好きな作家・
「ユウヒ」
教室の扉を開けようとした瞬間、紅くんの声がして少しだけ驚く。
「……外で遊んでたの?」
手を振りながら近づいてくる紅くんの後ろには、彼の友達もいた。なんだか、みんなの様子がおかしい。どこか重苦しい空気が流れているような気がする。
「えっと……少し話してたんだ」
歯切れの悪い返答に、胸騒ぎをおぼえた。紅くんの友達の顔を見れば、みんな暗い顔をしている。雰囲気から察するに、ただ穏やかに談笑していた訳ではなさそうだ。
「……なにか、あった?」
「え……普通に話ししてただけだよ。それより、チャイムが鳴る前に教室に入ろう」
何かを誤魔化すように紅くんは教室の扉を開ける。廊下の時計の針は、チャイムが鳴る一分前を指していた。
イヤな予感が拭えないまま、あたしは紅くんに促され、教室に入る。
チャイムが鳴り、授業が始まる。配られたプリントを前の人……紅くんの幼馴染みの一人・
「ねぇ、
帰り道の途中で、あたしは改めて紅くんに問いかけた。
あの休み時間以降、紅くんはあたしとばかり話しをしている。明らかに友達を避けているのだ。
そんなのどう考えたって、何かあったとしか思えない。
「大したことじゃないよ」
なんだか歯切れの悪い返事に、モヤモヤする。
「じゃあ……どうしていつもみたいにみんなと遊ばないの?」
紅くんは少し言葉につまらせた後、困ったような表情でゆっくり口を開いた。
「……みんなとはもう……遊ばないことにしたから」
「どうして……? それってあたしのせい」
「それは違う! 誰のせいでもない! 悪いのは……オレだけだから。ユウヒは何も気にすることなんてないよ」
紅くんはあたしの言葉を遮り、首を横に振る。それでも納得出来ず、何度も理由を聞いたが結局、同じ答えしか返ってこなかった。
でも、あたしのためだというのは何となく分かる。
だから、あたしが何とかしないといけない。
次の日の帰り道。
忘れ物をしたから学校に戻ると言って、紅くんと別れた。本当は忘れ物なんてしていない。だから、着いて行くと言われた時は焦ったけど、何とか別行動を取ることが出来た。
学校に戻る本当の目的は、紅くんと特に仲のいい友人二人……
走って学校に戻り、息を整えてから廊下を歩く。開いているクラスの扉から、そっと教室を覗くと、四宮さんと薄野くんの姿があった。
あたしは一度、深呼吸してから教室に一歩、足を踏み入れる。
「四宮さん、薄野くん……少しいいかな……?」
二人は紅くんの幼馴染みで、最初から今もずっとあたしのことを怖がっていない。それで紅くんのことを聞くなら、この二人だと思ったのだ。
「別に良いけど……なに?」
返事をしてくれたのは薄野くんだった。四宮さんは下を向いたまま、何も答えてくれない。薄野くんに「おれが話聞くから」と促され、口を開いた。
「その、紅くんが、みんなとはもう遊ばないことにしたって言ってて……理由を聞いても答えてくれなかったけど、多分あたしのせいだと思って……それで、二人にお願いがあってきたの」
「紅のこと説得して欲しいとかなら断る」
「え……」
思いがけない言葉に、戸惑うあたしを薄野くんは呆れたような顔で見た。
「
「あたしはただ、四宮さんと薄野くんなら、紅くんのこと」
「妹なのに紅のこと、何も分かってないんだな。アイツは俺達より、景宮のことが大切なんだよ……そもそも、オレらのことなんて……最初から何とも思ってなかったのかもな」
「そんなことない……! 少なくとも二人は紅くんにとって、大切な友達だよ」
“圭大と杏奈は保育園からの幼馴染みで、オレの大切な友達なんだ”
紅くんは確かにそう言っていた。頬をかきながら、ニコリとはにかんでいた。あの言葉と表情が、嘘だったとは思えない。
「他でもない、紅くん自身がそう言ってたんだよ。なのに、どうでもいいなんて」
「だったらなんで! おれらじゃなくて、妹を選んだんだよ……!」
あたしの言葉を遮って、薄野くんが叫んだ。彼の揺れる瞳と目が合う。ようやく顔を上げてくれた四宮さんの目には、涙が浮かんでいた。
「それは……えらんだ、とかじゃなくて……」
「もういいよ……ねぇ、分かってる? ユウヒちゃんが何か言えば言う程、私達は余計ツラくなるんだよ?」
四宮さんの声が震えている。大粒の涙が一つ、彼女の目からこぼれた。
「ユウヒちゃんは、自分のことはいいから、紅を説得して今まで通り、紅と一緒に遊んで欲しいって言いたいんでしょ? でもね、もう無理なの。紅は一度決めたことは意地でも曲げない。すごく頑固だからね……紅は、ユウヒちゃんを一人にしたくないの。だから私達よりユウヒちゃんを選んだ。でも……私は、別にそれでも構わない。悔しくない訳じゃないけどっ……、紅らしいなって思った……紅のそういう真っ直ぐなところも、頑固なところも、優しいところも……大好きだから」
ずっと我慢してたであろう涙と言葉が、四宮さんから次々に溢れ出てくる。『大好き』というのは多分、恋愛感情なんだと思う。
四宮さんは、紅くんのことが好きなんだ。
「紅のことを本気で想っているなら、もう私達に関わらないで。紅と私達で決めたことにこれ以上、口出ししないで」
四宮さんは涙をふいて、赤い目で真っ直ぐあたしを見た。薄野くんは口を閉ざしたまま、もう何も言わないでくれと言いたげに、小さく首を振る。
そんな二人を見て、あたしはもう何も言えなかった。黙って教室を飛び出し、頭の中が真っ白なまま通学路を歩いた。
その後の……家に帰ってからのことも、あまり覚えていない。
ただ一つだけ、こう思ったことだけは覚えている。
こんなことになるくらいなら──
あたしは独りのままでよかった。
第一章 終【第二章へ続く】
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