第十九話 不安定なバランス

 シェアハウスに住人が増えた。飛鳥日生子。22歳。

 彼女は二階に余っていた最後の一部屋、和室を根城とし、好き勝手に暮らしている。

 越してきてから一カ月。コミュニケーションはとろうとしない。

 文貴に言わせればいけすかない女であった。

 そして飛鳥に対する反応は、文貴以外でも、おおむね共通しているようだった。


 ――真弓は一人、夜中の食卓でラジオを聞いていた。

 他はみな寝静まっている。

 玄関で物音がした。

 正体は予想通り。ただいまも言わずに帰ってくる飛鳥だ。

「おかえり」

 不意の出迎えがあったからか、まだ起きていたことに驚いたのか。飛鳥はビクリと動きを止めた。

「少し話さない?」

「サシで……ちょっとだけなら、いいけど」

「うん、じゃあ食卓で」

 誘われた飛鳥は素直に付いてきて、勧められた椅子に腰を下ろす。

 流れるように、真弓が入れた麦茶を受け取った。

 麦茶を一口飲んだことを確認し、真弓は口を開く。

「飛鳥さん、シェアハウスに暮らしてみてどう?」

 問いかけに、むっとしたように身構える。いつまでも懐かない野良ネコのように。

「お説教?生活費は入れてる。文句ないはず」

「家事はどうなってる?洗濯は女子同士、男子同志で話し合ってからすり合わせてるけど、他の人が洗濯機使う日に勝手にまわしたりしてない?」

 飛鳥はぐっと詰まる。

 図星だったからだ。

 彼女は洗濯機使用予定表を、これでもかというほど無視している。

 話し合うことも事前通告することもなく使っているので、はっきり言ってタチが悪い。

「あたしは、服もあんま持ってないし、回数こなさないと追いつかないの!」

「ならそれを相談してくれないと、他の人も困っちゃうよ?」

「だって……」

 尻すぼみになる言葉。

「雪野さんや伊織さんと話したくない?」

 つかれた核心に、飛鳥は押し黙る。

「伊織さんは……まあ、わかるかな。霊能力者って言ってるもんね。飛鳥さんの立場からなら、受け入れたくない気持ちも想像できるよ。雪野さんは……」

「ここが事故物件とか心霊現象あるとかいうし、自称霊能力者を住まわせてるし」

 水を得た魚のように、早口で理由を述べる。

 幸か不幸か、飛鳥はまだ心霊現象を目の当たりにしていないようで、伊織の力の有用性や即効性を認識できていない。

「まあ、苦手な人とか相容れない人もいるだろうけど、最低限のことは話そうよ。なにより飛鳥さんが住み続けられなくなるかもしれないから」

「……それは、困る」

「うん」

「……あのさ」

「うん」

「…………協力、してくれる?話しかける手助けとか」

「いいよ」

「……なんで、あたしのこと気にかけてくれるの」

「僕は自分勝手だからさ。会社から家に帰ってきて、少しでも居心地のいい空間にしたいんだ。みんなでご飯食べたり団らんしたりできたら理想だけど、飛鳥さんにとって難しいなら、5人で住んで暮らしは滞りなく回したい。洗濯機とか、掃除当番とかね」

「……ごめんなさい」

「謝るのは僕じゃないよ。あと、最初もちょっとハプニングあったしね。元芸能人ってこと、ばれたくなかったんじゃない?いきなりばれちゃってわかんなくなっちゃって引っ込みがつかなくなったとか」

「…………」

 文貴は勢いよく襖をあけた。

「文くん!」

「き、聞いてたの!?」

 文貴の部屋は1階にあり、襖を開けるとリビングダイニングにつながっている。元々部屋の構造から、食卓やリビングの話声はよく聞こえるのだ。

「……悪かったよ。いくら芸能人に似てるって思っても、声に出さずに、あとから聞いたりしたらよかったんだよな」

 それが原因で、シェアハウスに波風をたてているのなら、文貴にも原因の一端がある。

「……やめてよ、あたしが悪いんだから。でも、ありがとう、謝ってくれて。絶対に絶対にばれたくなかったから、わけわかんなくなっちゃってた」

 うんうん、と満足げにうなづくのは真弓だ。

「これからもよろしく、飛鳥さん」

「さん付けはやめて、飛鳥でいい。あたしも文って呼ぶから。同い年でしょ?」

 自分を守るような仏頂面でも、険しい表情でもない。晴れやかな笑みを、飛鳥は浮かべていた。



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