第十七話 一面の地雷原
玄関の騒ぎに気付き、雪野と真弓が駆けつけてくる。
尻もちをついた格好の文貴と、段ボールを抱えリュックを背負った来訪者。かける言葉が見つからないようだ。
小柄な来訪者はキャップを目深にかぶり、表情がよく見えない。
新たにやってきた二人をみて、そちらに本命がいると見たのか。文貴には目もくれなくなった。
「掲示板見て、ここ来ました。メッセは無視されてたけど、断られてはないんだから、いいですよね、今日から住んでも」
質問の体をした一方的な宣告。まるで暴君だ。
「いいですよねって、バカ言わないでくれ!――っていうか雪野さん、また掲示板にシェアハウスのこと出してたんですか!」
目の前の人物と、しでかしたかもしれない雪野。二重の意味で頭が痛い。
「いや、もう募集はしてないから消してるけど……」
「雪野さん、スマホ見せてくれますか?――ああ、やっぱり、これ、まだ非公開の設定になってませんよ」
真弓はスマホを操作すると、悪びれている雪野へと端末を返す。
「そっちの事情は知らないけれど、私はここに住みますからね」
きっ、と睨み付ける眼光は鋭いものの、相貌は整っている。
そう、芸能人に例えれば。
「白鷺、ヒナ……?」
漏れ出た言葉を拾ったのか。
面白いくらいに、さっと朱が走る。
そして間髪入れずに段ボールをぶつけられた。
「――っいた!」
「その名前、言うんじゃねえよ!」
感想すら言えない世の中なんて、とても理不尽。
「え、文ちゃんの知り合い?」
「ではないと思いますけど」
「んー、まあ掲示板に載せっぱなしにしてたの、こっちの落ち度でもあるし、とりあえず一旦上がってよ、ええっと、白鷺ヒナちゃん?」
「飛鳥!
ついでにいうと、誰も文貴の心配をしてくれない。それはそれでショックだった。
――白鷺ヒナ。イメージビデオ出身の女優。グラビア系の撮影を中心としていたほか、体当たり演技も経験がある。ターゲットは男性中心。仕事を選ばない芸能人、という定評がネット掲示板を中心に広まっていた。
突然の引退がネットニュースで話題になっていたものの、それが飛鳥日生子だとは。
「――一体、なにがどうなってるんです?」
ティーパックの紅茶を食卓に出すと、ふてぶてしい女はそっぽを向いた。
先にだされたお菓子はしっかり食べている。
「これなに、紅茶?私飲めないから別の持ってきてよ」
文貴の堪忍袋の緒が切れる。
「いいかげんにしろよ……元芸能人だからって」
「は?いつ、私が元芸能人であること鼻にかけた?元芸能人だから特別待遇しろって言ってないじゃん、ただはっきりと物事言ってるだけじゃん、被害妄想も大概にしなさいよね」
思わず手をあげそうになる。
正論だ。私は白鷺ヒナ。芸能人と一緒に住めて嬉しいだろう、シェアハウスに住ませろ、とは言ってない。
いちいち言い方が癇に障るだけ。
「――っコーヒー、ココア、麦茶、水。何なら飲むんだ」
「麦茶で」
台所に取って返し、ガラスコップに冷えた麦茶を注ぎ入れる。
お盆にも載せず手で握って持っていき、無言で飛鳥の前へと置いた。なにか言いたげだったが、要望を叶えた手前、口を噤むことにしたらしい。
「……でも、確かに詳しい話は聞かせてほしいな。飛鳥さん、ここの家主はすごくいい人だけど、話をしないとまとまる話もまとまらないと思うんだ」
真弓が穏やかに切り出す。
真弓の事情も、どこかのタイミングで雪野に話したのだろう。
「……あんたらのこと、どこまで信用していいの」
「あのなあ」
「文ちゃんも真弓ちゃんも、それなりに悩みを持ってて、シェルター的にこのシェアハウスに住んでるよ。あ、悩みについては私の方から飛鳥ちゃんにいうつもりはないから。二人も言いたくなければ言わなくていいから。だって口外されて嫌なこと、口外しないのは人として当然でしょう?」
文貴を遮るように、雪野が声を発する。
まっすぐな声が途切れた後、沈黙のなか、なみなみと注がれているコーヒーを飲みほした。
「真弓ちゃんもアポなしでここにきたんだけど、礼儀正しくはあったし、来た当日から引っ越してはこなかったし、自分のこともちゃんと話してくれたよ。だから真弓ちゃんのいうとおり。家主としては、どうしてこのシェアハウスに住みたいのか、正直に教えてくれないと住まわせてはあげられない」
家でのおちゃらけた姿とは違い、実務的な姿だった。
「みんなの前で話すか、私だけに話すか、どっちでもいい。譲れるのはそこまで」
雪野の目に、飛鳥が屈した。
「じゃあ、全員に。どうせ、私が白鷺ヒナだってこと、知ってる人いるし、それも関係するから」
真弓が席をたち、キッチンへと引っ込んだ。人数分の麦茶を入れ、すぐに食卓へと運んでくる。長くなりそうだからか、お茶ポットと一緒に。
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