第四章 雨のち雨

第十四話 安定した奇妙な生活

「――だから、本当にありがとう、文くん」

「え、なにがですか?」

 7月。定時で帰ってきた雪野、真弓、仕事を切り上げてきた伊織と、文貴は夕食をとっていた。7月からは公務員試験の予定が詰まっている。主だった企業からはお祈り済――民間就職がだめで、就職留年中の身にとって、この夏の公務員試験は一発逆転のチャンスだ。

「文くんがこのシェアハウスにいてくれてありがとうって話」

 うまくオンとオフを切り替えられず、真弓の話を聞いていなかった。

 いわく、男女ともに住むシェアハウスで、男女比がきれいになるからいてくれてよかったとのこと。

「人事に、急な退寮したから、心配されちゃって。引っ越しとかしたら、会社に届、出さないとだめじゃないですか。その新住所で検索されて、一軒家だってことになって、なんで一人で住めるのかとか、ちょっと聞かれて」

 シェアハウスにいます、男女混合ですと伝えたところ、風紀面でとても心配されたという。

「でも、男子もいますって言ったから丸く収まった感じで」

 冷しゃぶをつつきながら、真弓は話をしめた。

「えー、人事が住所検索して社員の引っ越し先調べますー?職権乱用じゃないですか?」

「そだねー、伊織ちゃん。全部が全部そんなことしないと思うけど、新卒で入寮してすぐだったから、心配したんじゃないかな。真弓ちゃん、地元こっちじゃないんでしょ?怪しい人に引っかかっちゃったとか、心配されたのかも」

 まあ確かに、文貴も一部はうなずける話ではある。

 特に、男女混合のシェアハウスに住んでいるという部分。今は男女同数で、もちろん全員に個室が与えられている。仮に男が一人だった場合、会社に申告するのはとてつもなくハードルが高いだろう。

「俺がいたことで、真弓さんの役に立ったなら、なによりです」

 文貴は麦茶を飲み干した。

 それが合図だったかのように、真弓と伊織が目配せを交わした。

「文くん、公務員試験、近いでしょ?今日は洗いもの、私がするから」

 そんな、悪いです、という前に。

「あ、手伝いますよ伊織さん。っていうか四人になって洗い物も多くなってますし、社会人組でお金を出し合って食洗器買うのもありかもしれませんね」

「いいねえ食洗器!」

 かぶせるように真弓の声が重なって、話題は食洗器に移りつつある。

「……じゃあ、食器洗い、お任せします。ごちそうさまでした」

 皿をキッチンに持っていき、その足で、自室へと逃げ込んだ。

 襖を閉め、真っ暗な和室で、食卓のにぎやかな声を聴いている。

 食洗機が導入されたら、その分食器洗いという家事が一つ減る。それはきっといいことだ。少なくとも、社会人組からしたら、家に帰ってからしなくてはならないことが一つなくなるのだから。

 けれど文貴は違う。家事労働を提供する代わりに、この家に置いてもらっている。

 もちろん全部を行っているわけではないけれど、家事が一つ減ると、自分がここにいてもいい理由が消えてしまう気がする。

 食卓で笑っている三人は、仕事をしている。

 自分はまだ、将来仕事をする場所さえ決まっていない。

 働かざる者食うべからず、であれば。食べられない存在。

 この生活は、人にも恵まれていて、それなりに楽しい。なのに。

 最長でも一年以内に結果を出さないといけないのに。

 いまだに結果を出せていなくて。

 自分で自分のことを、嫌いになる。

 生きていても、いいのか、と。

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