第十二話 隣室の住人

 文貴の隣室からは、比較的落ち着いた物音が聞こえてくる。引越しの荷物を運び込んでいるのだろう。

 先程まで雪野が監督していたようだが、声が聞こえないところを考えると、早々に世話焼きをやめたらしい。

 超特急で決まった入居に、文貴は嘆息した。


「生きてる人間のほうが怖いから大丈夫です。だって、幽霊、危害は加えないでしょう?」

 そう言ってのけた真弓は、やはりズレているのだと思う。

「ははは。ポルターガイストはあるけど、あまりにひどかったら霊能力者の伊織ちゃんがなんとかしてくれるから大丈夫!あ、伊織ちゃん、男子入ってもいい?」

「2階に無断で来ないなら大丈夫です」

「ありがとー!」

 ――事後報告で異性を入れる大家といい、状況を受け入れてしまう霊能力者といい。

 ここは自分がしっかりしなければいけない。

 隣室とは襖一枚で隔てられているだけだ。無論、鍵はかからない。つっかえ棒でもあればセキュリティは増すだろうが、今回のことは突然で、探す間もなかった。

 がたっ。

 隣室から耳障りな物音が響いてきた。何か軽めの物を落としたような。

 様子を見にいくべきか。

 いや、プライバシーの侵害になってしまうのだろうか。自分だったら、何か落としただけで横の襖ががらりと開くと、申し訳ないような、パーソナルスペースを侵されてしまったような気になるだろうか。

「すみませーん」

 蚊の鳴くような、助けを呼ぶ声。

「どうかしましたか!?」

 迷いなく、襖に手をかけた。

 室内に幽霊の類はいない。

 整頓された部屋は日に焼けた畳敷き。庭に面する窓は外側に雨戸、網戸、ガラス戸。室内側には障子。元からあった茶棚の埃は拭き取られ、床の間には。

 掛け軸をかけようとしていた真弓がいて、落としてしまったらしい掛け軸が転がっている。

「真弓さん?」

「せ、せっかくいい部屋もらったし、掛け軸も残ってたから掛けようとしたんだけどね、あ、許可は雪野さんにもらったよ?かけるの難しいね、これ」

「真弓さんは、掛け軸掛けたことは?」

「ないんだよねえ」

 チャレンジャーだとは思う。

 馬鹿な人だとは思わない。

 好きな物を目にして我を忘れてしまう経験は、人にはあると思うから。

 文貴はスマホで掛け軸のかけ方、と入力する。

 目的のページはすぐに出た。

「多分これ見ながらやったら迷わずかけられると思います。人手が必要なら、俺も手伝いますから」

 画面から顔を上げると、ぱあっと顔を輝かせてた大人が一人。

「すごいねえ」

「――すごくないです」

 自分はただ調べただけだ。

 好きな物、興味を持ったものへのエネルギーで動ける人のほうがすごい。

「抜けてるって、よく言われるからさ。大体説明書みずに動かしてやらかしちゃう」

「っぽいですね、――あ、すいません」

「いいよ、本当のことだから。……ちょっと画面見せてくれる?」

 そう言いながら、画面をスクロールして掛け軸の手順を確認する。

 2回確認すると、すでに頭に入れてしまったようだった。

 後は早い。あまり迷うことなく着々と作業を進めていく。

 待機はしているものの、特に手伝う箇所もなさそうで、手持ち無沙汰になる。

 バックミュージックがかかっているわけでもない。

「聞いても、いいですか?」

「ん?」

 男嫌い、というわけではなさそうだ。

 現にそうならシェアハウスのメンバーに男がいることを避ける。

 または、妥協してもここまでの接近を許すことは考えにくい。

「答えたくないなら、強制はしないですけど。――男子寮を出たのって」

 いじめ、とか。

 そういう人間関係の問題。

 案の定、真弓は一瞬困った顔をする。

「うーん、あんまり言いたくなかったんだけど、龍野くんは秘密を守れる人?」

「はい。そう自負しています」

「そっか。なら白状するけど、僕の恋愛対象は女の人じゃなくてさ」

 掛け軸が掛けられた。

 見事な富士山。

「あ、曲がってない?どう?」

 きれいにかけられたそれとは対照的に、文貴の心はぐるんぐるんとなっている。


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