16.眠りゆく花

 花の休眠は、唐突に訪れる。


 レイとスイがフヨウの里に戻り、話をつけてからもう一度サルスベリの里を訪れた時、花人はもう限界を迎えていた。

 ほとんど散ってしまった桃色の花弁は、大地に色褪せた模様を作っている。本体の大きな樹の下にいたのは、雄々しさを持った美しい花人ではなく、枯れ枝のようにやせ細り、はだが皺くちゃになった花だ。それは死ぬ間際の老人によく似ている。


 その周囲には、子供たちがサルスベリを囲んでいる。それはさながら、親を看取る子供のよう……いや、そのものなのだろう。

 一時の別れとはいえ、今年最後の時間を遮るのは二人にとっても胸が痛むことだ。だけれど、事の顛末を伝えなければサルスベリも安心して眠ることなどできない。


「ただいま戻りました、サルスベリさん」

「……戻って、来てくれたのか」


 スイが真っ先に声を掛ければ、サルスベリは半分閉じかけていた瞼を開いた。瞳の焦点は定まっておらず、もうほとんど見えていない状態なのだろう。辛うじて声は判別できるといったところか。


「一度言ったことには責任を持つさ」

「レイは律儀ですから、色々言いつつなんとかしてくれるのですよ」

「そう、か」


 開花の終わりは華やかなものではない。自然の花が萎れるように、花人の美しさも萎れていく。そして休眠を得て再び力を蓄え、また美しく生まれ変わる。それは樹の花も変わることはない。


「まぁ、簡潔に言うと、考えうる限りでもけっこういい方向にまとまったよ。将来的には合併が一番現実的かもしれないが、それは改めて子供たちが大人になったときにまた話し合おうとさ」


 レイは一度フヨウの里に戻り、事の次第を報告してサルスベリの代わりに話し合いの席に着いた。そして相談の上、フヨウの里は子供たちの受け入れを決めた。交渉があっさり進んだことには驚いたが、結果としては考えられる中でもかなりいい方向に進んだ。


 サルスベリとフヨウの里は元々交流が深かったこともあって、子供たちが大人になるまでは援助することを約束した。


 子供たちはサルスベリの休眠時期にはフヨウの里で、開花時期には里に戻り復興作業をする。

 その手伝いをする代わりに、フヨウの里の人間に炭鉱の採掘権を一時的に譲渡することが決まった。もちろん、危険が無いようコウモリ除けや病気の対策方法をレイが提示すること込みで、だ。


 もちろんあちらの里人たちが手放しにすべて賛成した訳ではないものの、そのあたりは花人が自分の権限でどうにかするとは確約した。同じ花人を喪うのも忍びないと答えていたところを見るに、レイが思ったよりもあの花人には人情があるようだ。


 結果を掻い摘んで説明するさなか、意味をある程度理解できていたのはジェイぐらいだろう。分からないなりに他の子供たちもしっかり聞いていた。おそらく、本能的に大切な話だと感じているからかもしれない。


「明日の朝、あちらの里の人間が子供たちを迎えに来る。俺たちもそれを見届けてから旅立つつもりだ。だから、安心して眠るといい」


 すべてを話し終え、促すと、サルスベリは安心したのか数日前と同じように微笑んだ。

 それが合図となったように、花人の身体からはらはらと縮れた花弁が零れ落ちる。四肢の先から胴へ、そして顏と。皮膚からはがれるように花弁が舞って風が吹き抜けたようにザザッと花弁の波が視界を遮る。それが収まったあと、花人の姿はその場所になく……代わりに、本体の樹の洞が閉じていた。

 花樹の花人はあの中で眠るのだ。


 花が咲いて散るような、そんなあっけない花人の眠り。


 子供たちが堰を切ったように泣き始める。永遠の別れではない。ほんの一時だ。それでも子供たちが泣くことは理解できない訳ではない。


 実の親を亡くした子供たちと、一年もの間親の代わりを務めていたサルスベリ。離れることは、子供たちにとっても花人にとっても辛い決断だっただろう。

 一度も訪れたことのない場所で知らない大人たちと暮らすということは、皆で決めて納得したとしても不安でたまらないはずだ。そんなときの別れなのだから無理もない。


 好きなだけ別れを惜しむのを見守るため、スイに目くばせをする。スイにもそれが通じたのかそっと樹から離れようと踵を返した。


「いつまでも泣いてられないよ……!」


 唐突に、ジェイが声を上げた。見ると、まだ幼さの残る瞳に涙を溜めた少年は、嗚咽を押し殺して他の子供たちを見回した。


「泣いてたら、安心して寝られない。今まで守ってもらったんだから、今度は僕らが、頑張らなくちゃ」


 それは彼なりの決意なのだろう。それに感化されたように、他の子供たちも涙を拭って立ち上がる。口々に彼の言葉に同意しながら、今度は自分たちが頑張るのだと、皆で励ましあっている。

 花の想いと献身を見た子供たちは、また近い未来に同じ想いを返すのだろうか。


「不思議だな……これから先どうなるかまったく分からないのに、大丈夫だろうなって無責任なことを思ってしまった」

「あの子たちなら大丈夫だと、スイも思います。きっと前以上に素敵な里にしてくれますよ」


 自分たちがそんな未来に立ち会うことはないのだろうけれど、あの子たちが成長して親孝行をしている光景を思い浮かべるのは、レイにとって悪い気分ではなかった。

 もう一度二人は樹に向き直る。静かに佇むその姿を、最初こそ不安定な印象がぬぐえなかった様子だった。けれど今は、どこか安心して微笑んでいるようにも見えるのだ。


「そういえば、いつもの質問はよかったのか?」


 問えば、スイはゆるゆると首をふった。


「聞かなくても、とても幸せな花だったと分かりますから」

「そうか」


 この世界は幸せのことばかりではないけれど、この子たちを見たのならまだ良い未来がたくさん待っているようにも思える。

 さわさわと、生い茂った葉が風に揺れた。サルスベリが二人に語り掛けているようにも聞こえて、レイとスイは揃って「おやすみ」とそっと声をかけた。


 いつか……眠りにいる花の元に、賑やかしい声が聞こえる日が戻ってくることを祈りながら――。

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黄昏の世界に咲いた花【改稿版】 柊木紫織 @minase001

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