5.想いは同じでも
彼女がマリーゴールドに恋をしたのは、まだ子供の時だった。
次期花守として生まれたマリアは、齢五歳となってソレと引き合わされることとなる。
情熱を感じさせる濃い太陽のオレンジは、毛先を輝く金色に染める髪の色。髪に宿る二つの色が混ざり合ってキラキラと輝く瞳が自分を見つめている。性別を感じさせないその美しさに見惚れてしまったのが最初。
遠くから見てはいたものの、近くで見るのは初めてだったために息をのんでしまった。
「キミが次の花守? よろしくね」
彼女が産まれるよりずっと前から里を守っている花人は、少女に微笑んだ。
朗らかに屈託なく、けれど包み込むような慈愛の情をその双眸に宿して。
この人が……この花が、私が守るべき大切な存在なのだと、確かに魂に刻み込まれた瞬間。
マリアにとって初恋で一目惚れだった。
本来ならば見向きもされない人間の自分と、自然に愛されたという花の子。叶う恋などとは思っていなかった。
想いが実ったとき、彼女がどれほど嬉しく、天に上る気持ちだったことだろうか!
それは恋を叶えたことのある者であれば、想像しやすいものかもしれない。
種族の違い、周囲の目。それらを考慮して我慢することも多かったけれど、それ以上に彼女は幸せだった。
しかし、その幸せはわずか半年ほどで崩れ去ったのだ。
「――お休み、ボクの愛しい花守」
花人はそう言って、自分の目の前でしわくちゃに枯れて色褪せる。
彼女の手を握り、頭を撫で、抱きしめてくれたその体は崩れ去った。
最後に残ったのは、両手に納まる大きさの種。
休眠。それは花が生命維持のために必要な眠り。
恋人には、半年ほど会えなくなる。
その悲しみと同じぐらい衝撃があった。半永久的生きることができる花人が、まるで死んでしまったかのような衝撃。
眠る直前のあの姿を、マリアはきっと忘れることはないだろう。それを醜いと思ったことはない。けれど、この先の自分の姿に重ねてしまった。
彼と違い、若返るわけでも長い時間を生きるわけでもない。しかし、いつか自分も老いて死ぬだろう。その時、愛しい花人は何を思うのだろうか。
半年ほど悩んだけれど、未来の話はその時にすればいいと思いなおして、マリアは次の開花を迎えた。
「おはよう、そして初めましてと久しぶり」
目覚めの言葉。
花守なら誰しも聞く挨拶の言葉だったのだろう。
けれどマリアは悟ってしまったのだ。
この人は私が愛した花ではないのだと。
同じ見た目、同じ色に同じ声。だけれど彼女の心は「違う」と叫ぶのだ。
違う個体の同一人物。
触れ合った手はもう大地に還った。体は生まれ変わり、記憶は継承されたけれど、この個体が体験したものではない。
はたしてそれは同じ人物か?
花にとっては「おやすみ」だとしても、彼女にとっては「お別れ」に過ぎなかったのだ。
5.想いは同じでも
木製の桶に水を汲んで、同じく木製の柄杓で水を撒く。パシャリパシャリと水が飛び、咲き誇る濃淡様々な色合いに咲き誇る花々に、はたはたと降り注いだ水滴が落ちて地面に吸い込まれていく。
かけ過ぎて根を腐らせないよう均等に、マリアは水を撒いていく。
そんな彼女の姿を、マリーは本体の花から眺めている。彼女が水を撒く度に、水が光に反射して、世界がキラキラと光り輝いているように、マリーには見えた。それは恋をしたからこその視界なのか、実際そうなのか。花人には確認できるほど親しい里人はいない。
恋人になった頃こそ、一緒に水撒きをして笑いあっていたこともあったけれど、今は互いに距離を取っている。もう、お互い気楽に話しかけることはなくなってしまった。他の里人と花人の関係のように、適切な距離感で二人は離れている。
とはいえ、互いに気持ちは残ったままだった。どのような認識であれ形であれ、想う形はそのまま。なればこそ苦しく、胸を締め付ける。今までは二人とも里人を不安にさせないようにと努めて普通にふるまっていたけれど、今日はそれがうまくいかなかった。
あの不思議な旅人との会話が二人の頭をぐるぐるとめぐっているからだ。今自分たちの私情を優先している場合ではないと、分かりきっているというのに。
マリアの持つ桶の水がなくなった。まだ水撒きは済んでいないので、また井戸まで汲みに行くほかない。
ちらりとマリアがマリーへと顔を向けると、目が合ってしまう。彼女は反射的に目をそらして、井戸へ行こうと踵を返した。
ズキリと胸が痛む。彼女はそのまま、花畑から離れて行った。
*
花畑から離れて、マリアは後悔していた。
(つい目を逸らしてしまったわ……)
傷つけてしまっただろうかと不安になるが、また振り向くほどの勇気はない。
今は恋人のようなそうでないような、曖昧な関係。このままではいけないと分かっていながら、花人の気持ちを聞くのが恐ろしくて距離を置いてしまった。優しい花人が追及してこないことを分かっての行動だ。卑怯だと謗られても仕方がない。
脳裏にちらつくのは、花を目覚めさせた小さな旅人の姿。そしてあの子供と楽しそうに話していたマリーゴールドの姿。愛称で呼んでいたのは自分だけだった日々を思い返し、胸が抉られてしまった。
あの旅人たちが来てから、嫌に幸せだった日々を思い返してしまうのだ。
空は晴れているのに、心はどんよりした曇り空だ。
少しでも花畑に戻るのを遅らせようと、花畑から一番遠い井戸に向かった。とても面倒だけれど、今は少しでも時間が欲しい。
「花守失格よね……」
冷静になって、そもそも許されざる恋だったのだという自覚が重くのしかかる。この苦しみは禁忌を犯してしまった罰なのか。などと悲劇のヒロインぶっても現状は変わることはない。
自分の恋人だった花人が戻ってくるかもしれないという期待を捨てて、気持ちを切り替えるべきなのかもしれない。この事も、
カラカラ、ポチャンと井戸の滑車の音を聞きながら思考に耽っていると、なにやら声が聞こえる。
泣き声だ。
顔を上げると見知った子供たちが数人、籠をもって駅側とは反対の門の前に集まっている。
危険だから里から出ないようにと言われているのに何をしているのか。近付いてみると、子供たちはどうしようどうしようと、オロオロしながら泣きべそをかいていた。
「どうしたの? ここは危ないわ」
マリアがしゃがんで話しかけると、子供たちは大きな瞳に涙を溢れさせて大声で泣きだした。
「おにーちゃんたちが、外にいっちゃった!」
「くまをたおしにいくって!」
「おとなたちにないしょで!」
どうやら一部の子供が外に出たらしい。残った子供たちは止めていたのか、出て行った後もここでオロオロしていたらしい。大人に見つかると叱られると思っていたのだろうか。
これは、不味い。
桶を地面の横に置いて、マリアはどうするべきかを考える。先ず男衆に言うべきだろうと考えたが、それより自分が追いかけて連れ戻すほうが早い。けれど今里の外に出るのは恐怖もあった。
「大丈夫よ。私があの子たちを迎えに行くから、皆は他の人たちにこのことを伝えてくれる?」
優しく子供たちを諭し、いったん深呼吸してエプロンのポケットから、鮮やかな黄色のハンカチを取り出した。
花畑にある品を煮出して染め上げたぬのを加工品にしたそれは、「花染め」と呼ばれる加護のこもったお守りだ。
里の外に出るときには、突然変異種除けとして重宝され、他の里に出向くときの身分証として機能する。
かつての恋人に貰ったそれを祈るように握りしめてから、マリアは子供たちを追いかけるために門を開けて駆け出した。
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