10.流れ揺蕩う水の里
レイとスイ、そして謎の鈴の一行は来た道を引き返していた。
彼らは、花人の命を受けて二人を迎えに来たのだと告げた。
花人の加護が宿る花染めの布を見せられ、それをスイが本物だと断じたのならばそれは信用せざるを得ない。
落盤場所から少し引き返して、男たちが足を止める。
トンネルの側面の凹んでいる部分にを覗き込むと行きでは死角になるように扉があった。
扉は元々塗料が塗ってあったのか、乾いた膜のようなものが剥がれてささくれのようになっている。
露出しているのは鉄だろうか。錆びて赤黒くなっているのが見て取れる。取手部分も同じく錆びついていた。
「……随分わかりにくい位置にあるんですね」
「正規の道は落盤しているので、花人さまの指示で新しく道を作りました」
「そうだったのですね。であれば助かります。どうしたものか途方にくれていましたから」
暗闇ですでにうとうとし始めているスイの手を取りつつ、レイは里の情報を探る。
マリーゴールドの時とは違い、完全に花人が実権を握っている里なのは分かる。
言い方は悪いが、マリーゴールドは傀儡の領主みたいなものだが、こちらは完璧に人を掌握し、統治を行っているのだろう。鈴の男たちの言動や声音から、花人に悪い感情を持っていないこともうかがえた。
扉を開けば、いつもの廃墟と変わらない荒れ果てた部屋がある。複雑な部品が大量に引っ付いている鉄の塊が点在しており、ガラスの破片も散らばっていた。
そして四方の壁の一辺に、穴がある。壁を崩して新たに作ったのか、人が通るのに十分な広さの通路が奥に向かって伸びていた。
湿った風が穴から吹いてくることから、出口に繋がっていることが確認できた。
「足元が滑りやすくなっておりますので、ご注意ください」
男たちはそう言うと、四人の内の二人が先頭を歩き始める。
あとの二人は後ろからついてくるのだろうと判断して、レイもスイを伴って足を踏み入れる。
内部は本当に土と岩を削っただけの簡素なものだ。先の洞窟と違い、壁がゴツゴツしており湿気が強い。地面には砂利が敷いてある階段の形状をとっている。
進むと濃い土の匂いが強くなった。そして耳に水の音が届き始める。
川ではなく、滝の音。轟音というほどではないが、それなりの高さと水量がありそうだ。
また少し歩くと光が見える。出口だ。
洞窟を出ると、冷たい水交じりの風が通り過ぎて、森の中では見られなかった日差しが、暗闇に慣れた目を焼いた。その後、眼前に広がったのは、巨大な穴の底にある二層の地底湖だった。
そこは、直径にして七百メートルはあるだろう巨大な穴の底だった。
まず目につくのは真正面に位置する、二十階はある巨大な建造物。
それは円筒の形をした建物が一部分だけ壁から飛び出しているかのような印象を受ける。その建造物と同じ高さの岩壁が、ぐるりと歪な円を描きながら穴を囲んでいた。ちらほら人が移動しているのが見て取れる。
レイたちが出てきた洞窟は、壁の中間より少し下の高さにあった。ちょうど真正面に建造物が見える位置だ。
穴からせり出した足場に立ち、周囲を見回す。
岩壁の上は木々や植物が覆っており、建造物の両脇からは同じ水量と角度で滝が流れ落ちている。洞窟内で聞こえた音はこれだったのだろう。水は激しく飛沫を上げて虹を作りながら地底湖に降り注いでいる。
まあるい形に切れ込みが入った大きな葉が浮かんでいる上層の池。
湧水で満たされているようで、水が溢れて下層の池に水が降り注いでいる。
下層の池にも同じ植物が浮いていた。流れる水は、洞窟の端にある大穴へゆっくりと流れ込んでいるようだ。この水は、またどこかへ流れ出ていくのだろう。
元々自然にあった場所が、文明時代に人の手が加えられて、また自然に還った。という印象を受ける空間だ。
「……レイ、花人がいます」
スイはそう言って上の池を指さした。水煙に邪魔されて見えにくいが、池の中央に大きな青い花のようなものが浮いているように見える。あれが本体だろう。
鈴の男たちに促され、壁に沿って掘られた道に沿って、建物側へと向かっていく。
地底湖に近づくにつれて、水に浮かぶ花が鮮明に見えた。淡い紫の花びらが幾重にも重なっている、それはスイレンの花だ。
「あぁ、だから洞窟の近辺には花がなかったのか。近づいても分からないのは納得だ」
「水の上でしか咲けない花……」
同類を見て、無表情な花の瞳は少しだけ嬉しそうな光彩を宿して揺れている。
壁の道を通り、建物の傍まで来たのなら池はすぐそこだ。
鈴の男たちに連れられて池の縁までやってくると、花の本体に人影があるのが見て取れた。それは背を向けている。
「花人様、旅人様をお連れしました」
濡れているにも関わらず、地面に膝をついて男たちは首をたれた。
「ご苦労、下がっていいぞ」
尊大な口調で女の声が響く。その声に合わせて、男たちは素早く下がってしまった。
そうして人影は振り向いた。
その花も、レイが知っている花人と相違なく美しかった。
光を弾く、青みかかった白の髪は体よりはるかに長く伸びて、水面に揺れる。髪に影が差せば、その部分だけ濃い青に見える。金色に紫が混ざる不思議な色合いの瞳は、レイとスイを見定めるように鋭く細められていた。
青い薄衣を何十にも纏ったその花の口元は、不敵に弧を描く。
「よく来たな、末の花よ。そして旅人よ。もっと近くに来るがいい!」
どうやら尊大なのは口調だけで、気さくな花人のようだ。
こっちにと言いながら自分で立ち上がって目の前の葉に飛び移った。ただ、水に浸かっている長い髪が重いのかすぐにバランスを崩す。
花はよろめいて後ろに倒れかけたが、何とか踏ん張った結果前に体が傾く。
その様子を見ていたスイとレイはぎょっとして駆け寄るが、葉っぱ何枚か隔てた向こうにいる花人には間に合わない。
べしゃっ!
と、そのまま顔面から葉っぱにダイブしてしまった。大きな葉が水面に合わせて盛大に揺れる。
静寂と沈黙があって、やや間を挟んでからむくりと花は起き上がる。衣服がとても重たそうだ。葉っぱそのものは柔らかいため怪我はないだろうが、頬を平手打ちされた程度の衝撃はあるだろう。
「えっと……大丈夫ですか?」
「何がだ。早くこちらへ来ないか! 我を待たせるな!」
花人は何事もなかったかのようにレイとスイに要求する。涙目になっているのは見ないことにしようと、打ち合わせをするまでもなく二人の心は一致した。
そして一度顔を見合わせてから、葉の上に足を踏み入れた。意外にもしっかりした足場で、歩く分には問題はなさそうだ。走ったり飛び跳ねたりしなければ沈むことはないだろう。
花人は盛大に転んだ事実をなかったことにしたいのか、いそいそと本体に戻って座ってしまった。恥ずかしかったようだ。レイとスイは何も言わずに本体前の葉までやってくれば、満足そうに一つ頷いた。
……額と鼻が赤くなっていることには、触れないほうがいいだろう。
「名乗れ」
「スイートピーです。スイと呼ばれています」
「其方は?」
「レイ、だ。今回は出迎えまでしていただけて、感謝している」
心配していたせいか、スイは油断していたのだろう。少し姿勢を正して、礼儀正しく挨拶をする。レイはいつもと特段変わることなく、挨拶とレイを述べた。そんな二人にうんうんと花人は満足している。
「もう分かっているとは思うが、我らがこの里を預かる花人だ。気軽にニンフと呼ぶがいい」
「ニンフ、ですか? でも、スイレンなのにどうしてですか」
「其方の愛称はスイなのだろう? 我と被ってしまってはややこしいではないか。代わりに、我が花にある別の名前を提示したまで」
「なるほど、納得しました。」
「だろう? 我の気遣いに感激するがいいぞ、末の花よ」
花人こと、ニンフはスイを手招きすると、袖で隠れてしまっている両腕をスイの頬に延ばす。むにむにと両頬を包んで感触を楽しんでいる様子。スイはどうしたらいいのか分からず、相変わらずの無表情でされるがままだ。
レイはその様子を一歩引いて眺めながら、花人の言葉を思い返す。「我ら」とはどういう意味か。この里には複数の花人でもいるのだろうかと首を傾げた。
「して、レイだったか。おぬしも歓迎するぞ。実家のようにくつろいでいくが良い。欲しいものがあれば、可能な限りは用立てるぞ?」
「ありがとう。光栄だが、滞在を許してくれるだけで十分だ」
「なに、遠慮するな。近隣の里でもない他所の人間がやってくるのはずいぶんと久しいことだからな」
目を細めるスイレンは、心の底から楽しそうではあったけれど、どこか寂しそうでもある。
その表情の真意を考える前に、背後の建物から騒がしい声がする。
見ると、奥の建物から子供たち五人ほど出てきた。
年の頃はまだ十歳前後だろうか。年長であろう子供二人がなにやら籠を抱えている。
「こら、客人の前だぞ」
揃って足場である葉に乗り、不安定な足取りで花人のもとに近づいていく。
ニンフも子供には甘いのか叱る口調は柔らかい。子供たちはごめんなさいと言いつつも、戻るそぶりは見せなかった。
おそらく、客人に対する対応を分かっていないのだろう。そもそも客人がどういうものかすら知らない可能性もある。レイたちの姿を認識しても、首をかしげるだけでそれ以上の反応を示さなかったからだ。
レイとしては咎めるほどのことではないため、そっとスイとともに花人の前を子供たちに譲った。すまないと言いたげにニンフが視線を寄越し、レイたちは頷きで気にするなと返す。
「して、どうしたのだ?」
ニンフが子供たちに目線をあわせて問いかける。すると子供たちは籠を差し出した。
「みんなでつくったんだー!」
と、無邪気に声をそろえた。籠の中身は、花だった。ただし生花ではなく、粘土で作られたスイレンの花。子供が作ったこともあり、歪なものではあるが、それを一つ手に取って花人は微笑む。
「そうか、よくできているな」
和やかな光景だ。花人が子供たちに好かれるのは幾度となく見てきた光景ではある。それは、花人自身がきちんと里を守ってきた結果だ。こうして花人を慕った子供たちが大人になって、花を守っていく。
「おばあちゃん、喜んでくれるかな?」
子供のうちの一人が、無邪気に口にする。言っているのは、この子の祖母のことなのだろうか。ニンフの眉が、少しさがった。
「――あぁ、きっと喜んでくれるさ」
ふと、この里に入ってから老人を見ていないことに気付く。マリーゴールドの里に比べるとあまり人がいない印象を抱いてはいたが、それでも老いた人間を見ないというのは珍しい。
花が子供たちと話している間に里の景色に視線を巡らせてみるものの、人はちらほらいるようだが、初老といえる年齢以上の里人が見当たらない。
「これなら天国に行っても、おばあちゃんはまたこの里に戻ってこられるよね!」
子供たちはそう言って、もっともっと花を作るのだと意気込んだ。
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